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第3話
翌朝、カイルはまず村長の家へ顔を出し、この度の話を承諾すると正式に伝えた。
「昨晩、詳細を色々確認しました。聞けば聞くほど、私にばかり利があって申し訳ないというか、不平等な取引だと思いました。今でもそう思っています」
「ふむ」
「……でも、自分の価値観にこだわっていることが正しいのか、少し、自信がなくなりました。この話で、ひどく傷つけられる人はいないようです。だから、……お世話になろうと、そう決意しました」
「助かります。こころから感謝します、カイル殿。お互いにとって、きっと良いことが起きますよ」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、末永く」
村長はニコニコと笑い、握手を求め、カイルはそれに応じて頭を下げた。俺はその様子は見ていて、一安心と胸をなで下ろした。その後、カイルは昨日よりもさらに丁寧に村を見て回り、俺ももちろんそれについて回った。村中にすっかり噂が回っているらしく、どこへ行っても興味津々といった面持ちで出迎えられた。茶色い髪も茶色い目も、少し離れていてもすぐにわかる。カイルがこの村にいる。それは本当に不思議な光景だった。ここまでこぎつけるのに、結構時間がかかったけれど、彼は何も変わらなくて、まるで歳を取らないかのようだ。そんな男が、森の中でひっそりと変わらずに生きてきた男が、俺の献策で変わる。その事実は妙に扇情的だった。
昼は村長の家で他の重鎮らとともに会食し、村総出でお土産合戦を繰り広げ、荷物持ちという名目で俺はカイルの帰路に同行した。その道中も、あれをこうしたらどうだとか、あそこをこう変えたらどうだとか、話は尽きなかった。薄暗い森の中、獣の気配を時々感じ、道を整備したとはいえそれもまだ全体から見ればわずかな距離だ、安全な往来の構築は喫緊の課題だと肝に銘じ、用心しながら進んでようやくカイルの家へ着いた。すでに夕暮れが近い。一緒になって荷物を家の中に運びこむ。急がないとまたカイルの薬に助けてもらう羽目になるな。
「急に連れ出して悪かったな。話に応じてくれてありがとう。改めて礼を言う」
「いや。こちらこそ、世話になる」
「お互い様だ。うまくいかないときは、その都度考えりゃいい」
「そうだな」
俺はちょっとカイルの家にお邪魔してそういう会話をしつつ、馬上で思いついたことやカイルからの提案を、一生懸命書き留めていた。忘れるともったいないし、覚えていられる自信がない。墨をつけては筆を走らせ、紙をたくさん持ち歩いていてよかった、数枚にわたって書き連ねる。カイルはそんな俺にお茶を入れてくれて、向かい合わせに座っている。
「なあ、さっきの話の続きだが、この」
走り書きを続けながらカイルの方を向かずに話を振ったら、紙を押さえる俺の手を、カイルの指が突っついた。思わず言葉が止まる。……は?何今のかわいいの。そっと顔を上げてカイルを見ると、頬杖をついて、薄い茶色の目がこちらを見ていた。
「……えーっと、カイル?」
「惚れるって、どういうこと?」
「……はぃ?」
「貴様が言った、惚れてるって、どういうことかと聞いている」
俺は息を止めたまま筆を置き、大事な書付けの類を横にどけ、そろそろと息を吐いた。カイル、お前さん、かわいいなぁ……死にそうだわ、俺。
「えっと、そう、ね、どういう?うーん」
「自分が言い出しておいて説明できないのか」
「いやぁ……」
説明か。言葉にするとさ、ものすごく陳腐だし、なんというか、究極的にはお前さんと交わりたいっていうか、それは惚れてるから交わりたくて全部を知りたいとか二人の特別な時間を過ごしたいっていう意味なんだけど、こっちは名の知れた淫蕩領主さまで、お前さんはそういう行為を別の感情で受け止めるだろうし、だから。
「……好きってこと」
「……」
「好き、はわかるか?」
「わかる」
「好きって感情はいろいろあるけど、そう、この場所が好きとか、この季節が好きとか、親切にしてくれた人が好きとか」
「ああ」
「惚れてるって、そういうホンワカした気持ちと、もっとこう、自制が効かない強烈な独占欲と、一人でいても頭ン中がいっぱいになる酩酊に似た気分と、相手のためなら自分のことがどうでもよくなる妙な感傷が、全部混じってるやつ、か」
「……」
「好きってだけじゃ、足りねぇ気がする。心底惚れてる。お前さんのことばっかり考える。俺の全部を差し出したいし、お前さんの全部が欲しいし、でもただ見ているだけでも嬉しいし、できればお前さんに褒めてもらいたいし、正直お前さんさえよければ世の中の半分くらいはどうでもいい」
「……」
「悪ぃな、変なこと言って」
「……」
「あれだ、俺も、こういうのは初めてでな」
「……そうなのか?」
「男に興味はなかったし、女はいつも侍らせてたけど、いい女は、ただのいい女。誰かの中身を気にしたことなんかなかった。馬鹿だったからなー、いつも酒に酔ってたし。まあこれは言い訳か」
「……」
「お前さんに会って、俺もびっくりしてる。こういう感情があるんだな、これが噂のってな。ああ、だからお前さんの今の状況は理解できるぜ。惚れた腫れたなんざ、何言ってんだかってずっと思ってたからな、そんな感じだろ?わけわかんねぇって」
「……」
「だから、まあ、あれだ。わかって欲しいなんて、言わねぇさ」
こんな見事にきれいさっぱり脈がないのも逆に清々しいな。カイルは無表情で小首を傾げて俺のことをじっと見ている。いつもあれだけ畑仕事をしているのに、あまり日に焼けていない肌はすべすべだ。触りたいと思うけれど、きっと手を伸ばせば触れる前に叩き落されて汚いものを見るような目で見られるのだろう。振られたっていい。そうだな、嫌われても、最悪受け入れられる。ただ、隣の領地のあのクズどもと同じ種類だと、そう思われるのだけは耐えられない気がした。それは多分同族嫌悪。同じくらい身勝手な情欲でこの男を抱きたいと願っていて、あいつらは恥ずかしげもなくそれをやってのけている。羨んではいないが嫉妬している。そんな風に考えている俺は結局、この男にとってはあいつらと何も変わらんのは重々承知だ。でもそれをカイルに知られるのは、嫌だ。
俺は墨が乾いたかも確認もせず、手早く覚え書きを認めた紙を集めて雑に折り、筆と一緒に懐に仕舞いながら立ち上がる。
「多分近々、村の奴らがここを訪ねてくる。その時に、薬草の株分けをしてやってくれ。薬の作り方も……まあ、その辺りはお前さんの段取りに任せるわ。俺がまた視察に来るのはしばらく先になる」
「そうか」
「前もって知らせる、俺が来る目途がついたら」
ああ、かっこ悪いな。カイルの目をまっすぐ見つめることもできない。居たたまれない。誤魔化しているつもりの後ろめたい部分を見透かされている気がして。さあ、逃げよう。それしか方法が見つからない。
「いろいろ、ありがとう。おかげさまで、あの村もどうにかやっていけるだろう。森の中の道の整備は早急に。それじゃ」
口早に別れの挨拶をして、返事を待たずにバタバタと戸口へ向かう。かっこ悪さもここまで来たら立派なもんだ。しょうがねぇだろ、失恋したてホヤホヤなんだよこっちは。家の前に繋いであった馬を引いて、雲のない、暮れつつある赤い空を見上げる。どうにかなるだろう。鐙に足を掛け、弾みをつけて乗り上がろうとしたら同じくらいの力で後ろへ引っ張られた。危うくすっころんで頭を打つところだ。寸でのところで鐙を外して、それでもべしゃんと地面に背中から落ちた。
「あっっっぶねぇだろ、おま」
振り向きざま、俺を引き倒した優秀な薬屋を怒鳴りつけようとした。が、その薬屋に胸ぐらを掴まれてびっくりして全部引っ込んだ。その細い腕のどこにそんな力がと思うほどの強さで引っ張り起こされ、振り回されるように立ち上がり、至近距離から睨まれた。
「馬鹿か貴様は。もう日が暮れる」
「……ごめん」
「襲われたいのか」
「……お前さんに、今、襲われてるような」
「暗くなった森に入るなという話をしてる」
「ああ、うん、はい」
「話の途中で逃げるな卑怯者」
胸ぐらを掴まれたまま、カイルは俺より頭一つは背が低いからなんだかもう、それこそ馬になって引かれているような体勢で家の中に戻された。もう一度椅子に座らされて、正面には腕組みをした薬屋。怒っていてもかわいい男だ。その男が長い沈黙の後、かわいい口を開く。
「……俺は貴様に褒められても、買いかぶりすぎだとか、大袈裟だとしか思わない」
「え、そうなの?」
「貴様はあんなに大人数の中にあって方々から話しかけられても、動じもせずに受け答えができて、その上で気を使っていられる。そういう貴様を眺めていると、どういう芸当なんだと不思議に思う」
「ええ……そうかな」
「貴様と俺の、世界は違う」
「……ああ」
「俺にとっての世界は、この土地だ。ここにずっといて、訪ねてくる人に薬を渡す。時々出かけて行って、診療をする。でもそれは本当にわずかの時間で、ほとんどこの世界の中で過ごす。貴様は違う。いろんな人と会って、いろんな話をして、いろんな場所に行って、いろんなものを見る」
「……そうだな」
「貴様の"世の中の半分"は、俺の世界全部よりずっと大きい」
「そうか?」
「それに等しいような"どうでもよくなるもの"は俺にはない。この世界のひとかけらも、俺にとってどうでもよくなったりしない」
あ、もしかして俺、今、ものすごく念入りにフラれてる?そんなに嫌だった?いやもう、十分なんだけど。足先が冷えるような感覚を味わいながら、愛想笑いさえできず、俺はカイルを眺めていた。カイルは淡々と話を続ける。
「俺の何かが、特別ものの役に立つとは思わないから、差し出したところで貴様が困るだろうとも思う。そちらで必要なところをうまく使ってもらう分には気にならないが。貴様のことも、向こう見ずで無鉄砲でよくしゃべる図体のでかい男だというくらいしか知らないから、欲しいも欲しくないもない……が……」
いやあ、参った。さっきの俺の話をまさかこんなに一つ一つ丁寧に潰されるとは思わなかった。つまりあれだろ?俺の告白なんかまったく理解に苦しむってことだ。結構へこむなぁ。何か言葉を返そうと思うのに、口が動かない。いいよ、もう。俺の気持ちに応えてもらおうなんて、思ってないんだ。伝えたかっただけなんだ。なんかごめんな。汗が背を伝い、カイルはじっと俺を見て、少しだけ表情を曇らせた。
「……あまりにも、俺の世界が狭いと、教えてくれたから」
「そんなつもりはない」
「あの村で過ごした時間は、新鮮だったし楽しかった」
「それなら、よかった」
「純粋に、うん、楽しかった」
「うん」
「居丈高で礼儀知らずだとしか思わなかった貴様が、なんだか領主然としていたのも面白かった」
「うん」
「俺も、変わるべきかもしれないと思った。少なくとも、知らないことを学ぶべきだと思う。貴様のいう、惚れているという感情も含めてだ。それはきっと、俺が知らないことだ」
「そうか」
「貴様は性行為など興味ないようなことを言っていたが、本心か。それは初めて男に惚れたはいいが男の身体には欲情しないということか」
「するわ!惚れた相手だから欲情するわ!!ただお前さんが俺を好きでもないのにそういう行為に及ぶつもりはないってことだ!欲情は!とても!する!!」
「あ?だから、したければしろと言っている。慣れているから」
「そうじゃねえし!俺は、その、す、好きだから、してぇんだし……」
我ながら説得力皆無の言葉は当然尻すぼみに消えていく。カイルの視線が痛い。違うんだ、俺はお前さんが好きなんだ。抱ければいいとかそういうことじゃなくて、好かれたくて、もし好いてもらえたら絶対に大事にしたくて、でも俺の行いを知っていれば下半身でものを考える生き物だと思われているだろうし、それって隣の領地の連中と結局大差ないと判断されてもおかしくない。慣れているだと?ふざけたことを言う。半分腰を上げて大見得を切り、結局黙り込んだ俺をカイルが呆れ顔で見ている。
「貴様は、惚れているから俺を抱きたいということだろう」
「……そうだ」
「貴様の感情というか、動機が、彼らと違うのは理解しているつもりだ。俺に何か、例えば物乞いとかをさせるためにするんじゃなくて、行為そのものが目的なんだろう。そういうのは、初めてでよくわからんが否定するつもりもない。だから、したいならすればいいと言っている」
「こういうことは、好きな奴としか、好きな奴にしかさせちゃならねぇんだよ、本来は」
「ほう」
「俺ももう、適当に誰かと情を交わすような真似はしねぇし、お前さんもそうした方がいいんじゃねぇかと思ってる。だから、えっと」
「でも貴様は俺を抱きたいのだろう。減るものでなし、俺は貴様を嫌っていない。別にそういうことをしても構わないと思うが」
隣の領地のクズどもへの殺意で頭の中が煮えくり返って、我を忘れるほどだ。そんな俺に気づいていないのか、カイルが小さな瓶を差し出してくる。
「なんだこれは」
「潤滑油」
「……」
「使ってもらわないといろいろ不都合なんだ」
「……」
「まあ、多少の傷は薬があるから」
腹が立って悔しくて、涙が出そう。俺が泣いたって何の意味もないんだけど、何もできない自分が情けなかった。もっと優しい言葉とか、言えたらいいけど、俺にはそういう気の利いたことはできなくて。
だから俺は受け取ったその小瓶を机に置いて、両方の拳を握ったり緩めたりしながら腹に力を入れて、深く息を吸った。
「確認なんだが」
「なんだ」
「……俺がお前さんに惚れているという話、だが」
「ああ」
「……その、なんだ、どう思う」
「貴様、俺の話を聞いてなかったのか。わらかん、惚れているという感情が」
「そう、えっと、……嫌じゃない?というか、受け入れてくれる、のか」
「わからないものを、むやみやたらと拒絶はしない。だから、抱きたければ抱けばいいと言っている」
「……あれだ。俺は、不慣れでな、まだ覚悟が足りんらしい。お前さんに惚れているし、そういうこともしたいけど、今はまだ踏ん切りがつかん。申し出は、ありがたいが」
「そうか。領主さまは女にしか興味がなかったからか、惚れたの何のというのが初めてだからか」
「まあ、そうね、うん、だから今日は、一緒に寝るっていうことでどうだ。お前さんが、嫌じゃないなら」
「いいけど」
「次に会うまでに、腹くくっとく」
フラれたわけではないらしい。でも、抱きたいと言われて、カイルはもう俺を隣の領地の人間と似たようなものだと理解しただろう。何一つ我慢できなかった俺が悪い。昨晩も今も、自分の満足のために気持ちの吐露を止められなかった。嫌ってないってさ。よかったな、俺。ありがたい話だ、泣きそうなほど。泣きそうなほど、好かれたい。好きになってもらえない限りは、手を出さない。俺は、あいつらとは違う。
「飯にしようぜ。すぐ食えるものも、持たせてくれただろう」
「ああ」
カイルに好かれたい。それはもう、切実で、諦めきれない俺の願いになった。俺はもっと、頑張らないといけない。
美味しい食事を済ませて、本当に一緒に寝てくれるのだろうかとソワソワしている俺を尻目に、カイルはさっさと寝支度をした。カイルの家には寝台が三つあって、師匠と弟子二人っていうのが最大人数だったのだろう、俺がここに厄介になっていたときはもちろん一つずつ使っていたが、大きくはない寝台一つに二人で潜り込む。
「もっとそっちに寄れ」
「……」
カイルは枕もとの灯りを吹き消し、あまり抵抗も見せずに俺にくっつき、身じろぎをして収まりどころを探している。できればこう、腕を回したり脚を絡めたりして全身で囲い込みたいんだけどさすがにアレかと俺が動けずにいたら、カイルがすっかり俺の胸元に収まった。
「ぬくいな」
「そぉね……」
「寝にくい?」
「いや……抱っこしていいか?」
「んー」
はい、かわいい。世界で一番かわいい。遠慮を捨ててむぎゅっとがばっとカイルを抱っこして、なんかいろいろあったなぁとここ数日を思い出しながら眠った。
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