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第14話

ようやく解放されて グリフォードは愛馬にしがみつく様にして駐屯所へ戻った 時刻は朝と昼のちょうど中間 真っ当な大人は仕事に気が乗り始める時間 子どもたちも勉強に勤しんでいるだろう 酒はほとんど飲んでいないから酔っていはいないけれど とにかく疲れたし眠かった 若くして隊長に抜擢されたために ああいう集まりでは最年少で乱暴に可愛がられるのが常なのだ なんであの人たちはあんなに楽しそうで酒にも強くて眠気にびくともしないんだろう…… グリフはほとんどずり落ちるように馬を降り 部下に手綱を任せると ふらふらと執務室へ足を向けた できることなら昨日という一日を 寝台で目を閉じて振り返りたかったものだ 腕の中に愛しい人を抱きながら そう考えながらグリフは仕事に手をつけた もちろん全然捗らない ため息をついて四苦八苦しているとスペラがやってきた 「隊長、帰らなくていいのか?」 「今帰ると、夜にまた来なくてはいかん」 「初夜ぶち壊されたんだもんな」 「……初夜ではない。まだ婚姻関係にない」 「ふぅん。でも、再会初夜だろ?」 グリフは衝撃を受けて言葉に詰まった そうだった!! 二十年以上も離れて暮らしてきてようやくディラが来てくれた 待ちに待った再会 子どもの頃のわずかな記憶よりもずっと天真爛漫で魅力的になっていた彼との最初の夜 結婚にこだわりすぎて その大切な日の夜をおろそかにしてしまった グリフは眉間にしわを寄せて口をパクパクさせて 頼れる副隊長に目顔で後悔を伝えた 「……帰ればぁ?」 ものすごくめんどくさそうにスペラは言う 「ダメだっ。将軍たちのせいで、何も片付いてない」 グリフは一向に進まなかった書類仕事を猛然とこなし始める スペラはそんなグリフにお茶を持ってきて隣に座り 邪魔にならない程度に昨夜の話を聞いてくれた 彼の聞き上手は才能だ グリフは愚痴とも報告ともつかない昨日の話しを聞かせた 「将軍は、本当にグリフォードのことが可愛いんだなぁ」 「可愛がってもらっているのは事実だな」 「結構前から、いつかグリフに俺の愛を飲ませてやるって言ってたけど」 「昨日も言っていた。あいにくそんな機会はなかったな」 「あったらどうしてた?」 「頂ける愛は頂く主義だけど、奥方様に顔向けできないので固辞する」 「賢明だね。あそこの奥方様が本気になると、首都警護部隊が壊滅する」 「ああ」 二人は肩をすくめて笑い合った 軍関係者は同性結婚が多い 女性との出会いが極端に少ないというのもあるけれど 結局は非日常で命を預けあう関係以上の結びつきを見つけられないからだと思う 今の将軍ミズキ様の伴侶も男性で元軍人だ 結婚してしばらくしてから 里親として子どもを引き取り始め その人数が増え、巣立ってもまた次の子を家に入れるので 将軍の自宅は常に子どもがたくさんいる 彼らの面倒を看るべく奥方様は軍人としての仕事を終えた 現役時代は参謀で名はハルト様 彼の立てる作戦の奇抜さと緻密さと攻撃性の高さは群を抜き 時として天気や潮の流れや動物の動きまで組み込む 精確に実行すれば敵陣に与えるダメージは凄まじいけれど 実行者である指揮官があまりの冷徹な作戦に恐れをなし 若干の手心を加えるために国一つを消滅させた、などという惨事には至っていない しかし本来の作戦の全貌もぼんやりと伝わるものだ やがてはこちらがハルト様の作戦を実行展開していると知れれば 敵は戦意を失って時としては交戦する前に降伏を伝える使者を寄越すことさえあったという 水軍陸軍時代はそうして名を轟かせていたハルト様も 功績が認められて首都へ配置換えされてからは たまに起こる集団犯罪のグループに対して いっそ撃ってくれ!と懇願されそうな追い詰め方を考えたり 軟弱な隊員の訓練にと荒天を予想してピタリとその日に行軍を開始させたり その程度のことで自分の能力を遊ばせていた 二人の馴れ初めは 当時まだ一隊員だったミズキ様が 予てから想いを寄せていたハルト様と同じ部隊になるや否や 猛烈に口説いて口説いて口説き落としたのだ ハルト様のように用意周到でも策を弄するわけでもなく ただひたすらに愛していますと言い続けたらしい それはもう昼も夜もなく熱心に熱烈に ミズキ様よりも五つ六つ年上のハルト様は ほとんど面識もなかったのに突然追い掛け回されて 三月も経つ頃には呆れてしまって音をあげた 「私は冷酷で残忍な作戦を立てるしか能がないのだ」と退けようとしたらしい ハルト様は自分を陰で冷血漢だと眉を顰める人間がいたのをご存知だったのだろう ミズキ様は胸を張って快活に笑い 「俺はあなたの立てる冷酷で残忍な作戦を完璧に実行できる軍人です」と言い放ったそうだ ハルト様が顔を赤くして俯いて照れるなどというところを見せたのは あとにも先にもその時だけだと語り草になっている 彼らはその次の日に結婚した グリフはスペラと二人でそんな話を思い出しながら 思いが通じるというのはいいものだとしみじみ考える 強く結びついた二人のどちらかと 戯れにも愛を囁きあうなど持っての外だ ましてやハルト様を向こうに回すなど死んだ方がマシな目に遭う 彼がその気になれば 今でも首都警護部隊を無力化させることぐらいは容易いだろう 元々の夜勤の隊員が今日の立ち番に申し送りを済ませて交代した 昨日の夜の事件を隊員に周知させ 複数犯なので残党がいないかを警戒するよう指示を出す そしてそのまま日常業務を始めてしまい さすがに睡魔が頭を支配し始めた夕刻 グリフはたついにペンを放り出した 「スペラはいるか」 開け放たれた執務室のドアの向こうに声を掛けると 夕方からの立ち番に当たっている隊員が顔を出した 「副隊長でしたら、"西"に出向かれました」 「聞いてないぞ」 「は。隊長の手を煩わせるほどのことではないとおっしゃられまして」 「用向きは」 「水軍から要請が来ている、人員補充の件です」 「そうか」 気を使ってくれたのだろう 人員補充はよくあることだ 平たく言えば応援に来て欲しいという話で 近々春を迎える他国が雪どけ水に乗って攻めてくると予想される その兆しを捉えれば領河に入れる前に叩くつもりなので 人を貸せと言ってきていた その調整に行ってくれたようだ 首都警護部隊の中の五つの隊それぞれで融通しあい 先方に送り出す隊員を決める 活き活きとしている水軍の将軍の顔が浮かぶ あの人はまた先陣切って船に乗り込むんだろう 「……わかった。俺もそろそろ帰る」 「は。あとは抜かりなく」 「よろしく頼む」 「すぐに馬を」 グリフは疲れたなと思った 寝不足もあるけれど 昨日から今日にかけては色々ありすぎた だけど自宅へ戻ればディラが待っている 夕餉を一緒に食べよう 昨日の晩のことを詫びて 今日の朝も昼も一緒にいられなかったことを許してもらおう ディラの笑顔を思い浮かべただけで グリフは自分の身体が軽くなるのを感じた 自分を送り出してくれたディラの声 朗らかな彼の真剣な言葉 どうか、気をつけて グリフはこころの中で「俺は無事だぞ」とディラに語りかけながら意気揚々と家路についた

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