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第19話

「はぁ……」 グリフは一人で昼餉の席にいた この味気なさ ディラが傍にいないというだけで 何もかもが色あせてつまらなく感じる ましてや少し喧嘩……をしてしまったのだから 「喧嘩、なのか?」 いかに親切で気さくだとは言え 将軍はグリフォードの上長だ 首都警護部隊の将軍はみんなから尊敬される立場であり ミズキ様はそうされて然るべき人格者 ハルト様だってもちろんそうだ いくらマディーラが世事に疎いからといって 彼らに無礼を働くことが許されるはずもない グリフはディラがあんな事を言い出したのが信じがたかった 奔放で少し浮世離れした男ではあるけれど 王族の方々と接する日常を過ごしていたのだ 現に挨拶に行った先では毅然としつつもきちんと頭を下げ 丁寧な物腰で微笑みながら挨拶をしてくれた だからあの言い草……というと言葉は悪過ぎるけれど あれだけが理解できなかった 用意されたものはきちんと食べ終えて 自室に戻ってもため息しか出なかった 一日の休みは久々だった ディラとゆっくり過ごしたかった なのにこんな風に気まずくなってしまうなんて…… 自分の言い方が強すぎただろうかとグリフは反省し始めていた 「グリフォード様」 「ん……」 「夕餉は、お二人で召し上がられますか?」 「ああ……」 陽はもう高くない 物思いに耽っていたら無為に時間は流れてしまっていた グリフは深く嘆息し 足を運んでくれた料理人に頷いた 「二人で」 「かしこまりました」 「はぁ……」 「グリフォード様」 「んー……?」 「持ち帰られた果物とお菓子を召し上がりますか?」 「んー……」 「果物は初もので、お菓子はリンドンさんのお店のものでした」 「んー……リンドンさんが、新作だとか言ってたなぁ……」 「マディーラ様のお口にも、合いましょうね」 長椅子にだらしなく身体を投げ出していたグリフは しばしの沈黙を経てパッと料理人を見た 彼の手には大きな器に盛られたお菓子と果物 「どうか、仲良くなさってくださいまし」 「おう!」 グリフォードはそれを受け取ると 意を決してマディーラの部屋を訪ねた ディラのために用意した部屋は小さな中庭を挟んだ別棟にある 本当は隣にしたかったのだけれど 急な事で空いていたのがそこだったのだ 長い廊下を庭の景色を眺めながら渡りきり 愛する男の部屋の前で立ち止まる 「……ディラ、俺だ。開けてくれないか」 扉は音もなく開かれた しかしグリフの前にはディラの従者が立ち塞がり邪魔をする 「……ディラは」 「お疲れのご様子です。改めては頂けませんか」 「急ぐのだ」 「マディーラ様は、せわしないのはお好きではありません」 「……心得ておく」 従者は冷ややかな視線のまま それでも横に退いてくれた 彼も他の二人の従者もマディーラが最優先で マディーラのこころを乱すものなど入れたくないのだろう でも仲直りをするんだ! グリフは出来るだけ堂々と 最初の間を抜けて広い部屋へ入った 窓のすぐ傍に置かれた小さなテーブル ディラは着替えもせずにそこへ座って外を眺めていた 細い腕で小さい顔を支えるように頬杖を付き 持ち帰った花に囲まれながら グリフはその絵のような美しさに見惚れた 「……ディラ」 グリフの声にマディーラは弾かれたように顔を上げた その顔にグリフは胸が痛んだ 悲しみに満ちた目は少し赤い もしかしたら泣いたのかもしれない 自分のこころない行動のせいで グリフはマディーラの傍へ寄り跪いた 「ディラ……」 「……」 「さっき、村の人がくれたものだよ。とてもおいしいお菓子と果物だ」 「……」 「村中がディラを歓迎している。もちろん、俺が一番だけれど」 「……」 「腹は減ってないか?一緒に」 マディーラは唇を引き結んで自分の衣を握り締め 何も言わずに目を逸らしている グリフォードは絶望的な気分だった どうしたらいいのかわからず 優しい料理人の気遣いをそっとテーブルに載せた 「……一緒に、という気分ではなさそうだな」 情けない声でグリフも俯いた 磨き上げられた床に流れるディラの綺麗な衣装 その裾を見つめていた こんなに綺麗に着飾ってくれて自分について来てくれたのに そう思うといたたまれない気持ちだった 「夕餉も、部屋へ用意させよう。従者たちと食べればいいから……」 グリフはディラをもう一度見た そして今度こそ胸を突かれた ディラの大きな紫の瞳から涙が溢れて頬を伝っていたからだ 瞬きのたびにぱたぱたと滴が零れていく グリフの手が伸びるよりも先に ディラは口元を覆って立ち上がると 髪と裾を翻してさらに奥の間へ逃げてしまった グリフは反射のように彼を追った 「ディラ!すまない、頼むから泣かないでくれ」 「や……」 「頼む……頼むよ。どうか、泣かないで」 グリフの腕がディラの腰を捕らえて その華奢な身体を背中から包みこむ ディラは逃れようと身体を捩ったけれど抜けだせるはずもなく 上半身だけがグリフから離れるように前へ倒れる グリフはその距離さえ耐えられなくて ディラの薄い肩を胸に抱きこむ ディラの零す涙はグリフの腕を濡らした 「悪かった。俺の態度がディラを傷つけたんだな。どうか許して欲しい」 「……私は、グリフに恥をかかせたか……?」 ディラが震える声で口にしたのはグリフへの気遣い それを案じてここで一人で泣いていたのかと思うと グリフォードのこころは引き千切られる様な痛みに苛まれた あまり強く抱けば苦しいだろう 力の代わりに愛を グリフはディラの肩を撫でて髪と耳に口づけを散らす 彼の髪を飾る白い花はしおれかかっていた 「馬鹿な……国中に自慢したいほどの男だ。そんなこと、ありえない」 「でも」 「愛してる、マディーラ。ディラは俺の大切な人だ。泣かないで欲しい、どうか」 「私は、ミズキ将軍閣下やハルト様に、無礼を言うつもりは、なかったのに」 「ディラ」 「だけど、私が何も知らないから、グリフが恥ずかしい思いを」 「そんなことない。そんなことはないよ、ディラ」 「すまぬ……私が、あんな」 「ディラ」 グリフは少し強引にディラを自分の方へ向き直らせ ひらりとなびく銀の髪が落ち着くよりも早く口づけをした そっと唇を離して濡れた頬を指で拭い 何度も何度も優しく口づけを繰り返す ディラの手がグリフの衣を掴むまで 「愛してる、ディラ……どうか泣かないで」 「……うむ」 「泣き顔ももちろん美しい。だけど、笑顔の方が好きだ」 「うむ」 「愛してるよ。零す涙のひとしずくも」 「グリフ……」 ディラの涙は止まり グリフは彼を抱き上げてそのまま近くの長椅子に腰掛けた ディラを自分の膝から降ろすつもりは毛頭なく 腰を抱いたまま顔をディラの胸に寄せる ディラはそっとグリフの頭を抱いてくれた 「ディラ……許して欲しい。俺がディラにしてしまった過ちを」 「グリフは、……悪くない」 「そうか?でも少しは悪いだろう」 「……うむ。少しだけ……」 「謝ろう。ディラを少しでも傷つけた俺は、万死に値する」 「それほどではない!」 「ディラが流す涙は金よりも重い」 「……もう、泣いていない」 「ああ。よかった」 グリフの手がそっとディラの頬を包む 大きくて分厚くてごつごつした闘う男の手 ディラはその手が好きで好きで自分の手を重ねた 愛しい手 「……グリフ」 「ん?」 「今、少しだけ、グリフの気持ちがわかった気がした」 「ん?どんな気持ちだ?」 「……まだ、教えない」 「そうか。ではいずれ?」 「うむ」 グリフが目じりを下げて笑うと マディーラもようやく微笑んだ ディラがグリフの首にしがみつくとグリフはぎゅっと彼を抱き締めた ディラのぬくもりを十分に味わってから立ち上がり 先ほどまでディラが佇んでいたテーブルまで戻ると 彼を椅子に降ろした 「食べよう。腹は?」 「空いた」 「そうか。このお菓子は知っているか?」 「いや……優しそうな女性が持たせてくれたものか」 「そうだ。リンドンさんといって、彼女の店のお菓子はとてもうまい。これは新作だと言っていたからまだ誰も食べた事がない」 「グリフも?」 「そう、俺も。一緒に食べよう」 「うむ!」 従者が抜かりなくお茶を持ってきてくれた グリフへの視線は相変わらず冷ややかだけれど 笑顔の戻ったマディーラを見て安堵の表情を浮かべている 主人思いの従者なのだ その裏返しがグリフへの剣呑な態度なのだろう 「おいしい!おいしいぞ、グリフ」 「ああ。うまいな」 「リンドンさんか。覚えておこう」 「そうだな、ここで暮らすには大切な名前だ」 「ハルト様のお菓子も、……」 ディラはハルト様の名前を口にして 自分でまた少ししょんぼりしてしまった グリフは何も言わずに彼の髪を撫でる 「……本当に、悪気はなかったのだ」 「ああ」 「あのお二人はとても愛し合っておられて、ミズキ将軍閣下が、もし強い軍人でなくても、きっとハルト様の御こころを捕らえただろうと思う」 「そうだな」 「だから、あの時、私も言おうと思ったのだ」 「うん?」 ディラは食べかけのお菓子を置き 居住まいを正してグリフを見た 綺麗な紫の目は夕暮れに近い陽を浴びてますます輝き 顔を縁取る銀髪も陽の色に染まる 「グリフは、将軍になるから私にお嫁さんにおいでと言ってくれた」 「……そうだよ」 「だけど、あの時私はその言葉に頷いたんじゃないのだ、きっと」 「うん?」 花が咲きこぼれるようなディラの笑顔は グリフをしあわせな気持ちにさせる 「グリフのお嫁さんに、なりたかったのだ。あのわずかな時間で、それが私の望みになった」 「ディラ……」 「将軍にならなくても、もし軍人じゃなくても、私はグリフの所へ来ただろう」 「本当か、ディラ」 マディーラはゆっくり深く頷いた 髪に飾られた花びらが一つひらりと舞う 「私だって、グリフと仲睦まじいのです、お二方に負けないぐらいにと、そう言いたかったのだ」 グリフは目を丸くした マディーラは何も知らない男じゃない 賢く一番大切な事をすぐに掴みとれる そしてとても純粋なのだろう 「婚儀は、もちろん考えている。グリフが好きだし離れたくない。だけど、踏み切らない今を、満たされない日々だと思って欲しくないのだ。……私は自分勝手だろうか」 「そんなことはない!ディラが来てくれてから、俺はとても満たされているし、自分の中に愛が満ちるのを感じるよ」 「グリフはそれを、私にいくらでもくれるのだな」 「そうだ。いくらでも、望むだけ。愛してるよ」 「……きっと、私もだ」 「ディラ」 「まだ、うまく言えなくて、よくわからないのだけれど」 「ああ……」 「どうか、待っていて欲しい。グリフ……私を」 「もちろんだ」 指を絡めるように手を繋ぎ 優しい口づけを交わす 彼は無礼でも無知でもなく ただ愛情溢れる将軍夫妻にほんの少し妬けたのだろう そして自分もしあわせなのだと言いたかっただけ 「グリフは、少ししか悪くないと言ったが」 「ああ……何が悪かったのだろうか?」 「私の決死の告白を、途中で止めた」 「……すまん」 あの時グリフが止めなければ ディラは想いの丈をハルト様に語っただろう 何を言い出すのかと慌てた自分を恥じる きっと将軍ならハルト様が何を言い出しても途中で遮ったりはしないだろう まあ、それが許されそうにないということもあるが 「もう、二度と」 「うむ」 「それだけだろうか?俺がディラにしてしまった悪い事は」 「あと一つ」 「なんだ?」 「……これは、本当に、傷ついたのだ」 「すまん……教えてくれ」 「ままごとだと、言った」 ふいっと目を逸らしてぽつりとディラが言った グリフは今なら処刑されてもいいと思うほど後悔した 思わずディラの腕を引き 自分の膝に乗せて抱きしめ口づけた 「俺は最低だ……本当に、悪い事をした」 「ん……本心、か?」 「違う!ままごとだというのは言葉のあやだ。何よりも大切なあの思い出を汚すような事を……許してくれるか?」 「うむ……」 「どうしたら、償えるだろうか?なんでもする」 「本当に?」 「ああ。ディラのこころを癒すためなら、なんでも」 「では、口づけを」 「ディラ」 ディラは白く細い指を自分の赤く濡れる唇に押し当てて そしてその指でグリフの唇をそっと撫でる 小さく美しい顔を寄せながら嫣然と微笑んだ 突然の妖艶なディラの様子にグリフは固まってしまう こんな これはヤバイ どうしたディラ!? 何スイッチが入ったの!? 「私のこころが癒えるまで……」 「……どこにでもっ!いくらでもっ!!」 「唇でいい。グリフに全身に口づけされると思うと少し変な気分になる」 「いい気持ちに、なると思うのだ。試してみないか?」 「うむ……いずれ」 グリフとディラは夕餉に呼ばれるまで延々と口づけを続けた

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