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第26話

「グリフ」 「ああ、ディラ。もう大丈夫」 「うむ。アルム将軍閣下は、少し強引なのだな」 「絶対にあの人と口を聞いてはいけないし、身体に触れられようものなら至近距離から撃っていい」 「あいにく飛び道具は持ち合わせが」 「用意させよう。重くとも肌身離さず」 「……う、うむ」 グリフの真剣な勢いに飲まれるように ディラは戸惑いながらも頷いた スペラも深く頷いている おお、そういえば彼も被害者だった 「マディーラ殿、あの人はホンモノだ。用心されるに越したことはない」 「お気遣い痛み入ります、スペラ副隊長殿」 「お。俺のことをご存知だなんて光栄だ」 「お噂はかねがね」 「こちらもだ。違わず……いや、噂以上の美しさだな」 「とんでもないことでございます」 ディラは穏やかに微笑んで軽く目を伏せて会釈を返す その優雅な所作はいかにも王家に近い者のそれだった スペラもため息をついて感心している 「ご婚約おめでとう……というのは、遅すぎるかな。なにせ二十年以上前のことであるとか」 「ありがとうございます!そのお言葉を下さったのは、スペラ殿だけです」 ディラは顔をあげ ものすごく嬉しそうに頬を赤らめて笑った そうだ 誰もが婚儀はまだかとせっつくばかりで 二人の結婚の約束を祝ってくれてはいなかった スペラの優しさにグリフォードも感動して彼をぎゅっと抱きしめた 「ありがとう、スペラ」 「いや。しかし将軍には困ったものだ」 「ああ……とりあえず、噂が回るのに任せるまでもなく俺がリズにチクる。今すぐチクる」 「おお。今のところそれが一番堪えるだろう」 「グリフ、リズ殿というのは」 「アルム将軍の……うーん……将軍に、想いを寄せている男だな。かな?」 「ま、そんなもんだろう」 「他人様の愛情を、いたずらに」 「いいのだ、マディーラ殿。あの変態将軍に釘を刺すにはそのくらいしか手はない」 「はぁ……」 リズというのは水軍の若い料理人だ 本当に若い まだ二十歳にもならないだろう 将軍とは親子ほども歳が離れている リズは志願して水軍の飯場を預かる軍人となった 非戦闘員だが戦地へ赴く船の中で食事を供するのも彼ら軍属の料理人だ 料理の腕は大変よいらしく 入隊後まもなく始まった闘いで乗船し それが運悪くアルム将軍と同じ船で さらに運悪く目をつけられてしまいお手つきと相成った まあ目新しい人間は全部味見する人なのだけれど いかに変態のアルム将軍とはいえ 年端もいかない新人を本気の変態行為につき合わせることはなく 至極まっとうな性行為に及んだ 至極まっとうというのは常人に思いつく程度の変態行為と言う意味で 決して本当に普通の性行為と言う意味ではない そんな面白みのないことで愛情を無駄にはしないというのはあの馬鹿将軍の弁だ いかに限界を越えられるかを試しているのかもしれない 主に相手の限界だが 「想いあう仲になったのだな」 ディラはそう言って微笑みながら頷くけれど 実際はちょっと事情が違う アルム将軍は一分の隙もない完璧な変態ではあるけれど 行為の是非はともかくとして愛情溢れる軍人だ 度を越した変態丸出しの倒錯的な性行為であっても 相手が大声で泣き叫ぶほどの快感を伴う だからあれは変態行為ではなく高度な愛情表現だというのはあの腐れ将軍の弁だ その恐ろしいほどの絶快も足枷にならないほど彼の行為は常軌を逸しているために ほぼ全員が逃げ出す 冗談じゃないと恐怖する 結局はただの変態だからね リズは幸運にも身体は小柄で見るからに軟弱で アルム将軍は手加減したのだろう おそらくは変態度の低い夜を過ごし 彼の身体は与えられた快感にどっぷり嵌ったのだ 若者の適応力は時として想像の上をいく それに気をよくしたアルム将軍は当然リズを可愛がろうとした 変態的な意味で しかしリズは普通の被害者ではなかった アルム将軍の変態行為を断固として拒否し 真っ当なことしかさせないらしい この真っ当、というのはどこまでかは不明だけれど 少なくともアルム将軍が満足できる程度でないのは確かで お構いなしにいつものように強引にそういうことをしようとすると 泣くのだそうだ ものすごく豪快に泣くらしい ではもう閨はともにしないと将軍が言うと これまた泣くらしい 仕方がないので他の部下を手篭めにしようとすると もちろん泣くらしい ということでアルム将軍はここ最近新規開拓をおおっぴらにできず 前から関係のある男と細々と変態行為に耽るしかなく 今日のように目ぼしい獲物を捕らえようとすれば あっという間にリズに聞こえてまた泣かれるのだ 人でなしの下劣将軍なのに なぜかリズの泣き顔には弱いらしく 本人も自分でそれにウンザリしていて それでも結局は引き下がるので 彼の名前を出すと大体事は収まるようだ きっちりチクるけどな ちょっと盛り気味で ちなみにリズは将軍をやさしい人だと思っているらしい 人の価値観は千差万別だ 「軍人の方は、いつも馬で移動すると思っていたのだが、アルム将軍閣下は違うのだな」 「マディーラ殿。あなたのその美しい笑顔で言われれば、将軍もしばらくは寄ってこないかもしれない」 「え?」 「将軍は馬に乗れないのだ。超どヘタなの」 「……え?」 グリフとスペラはニヤニヤ笑う あの無敵将軍も弱点がある 恐ろしいほどに乗馬がヘタなのだ なので彼は最初から水軍を志願し 陸軍に異動になったと同時に水軍に戻された 致命的なほどに馬が扱えない 「そう、なのか」 「あの柵を軽く越えてしまえるディラには、理解しがたいだろうな」 「いや……それではご苦労なさるだろうな」 「だからあの人はいつも馬車で、いつまでも水軍なのだ」 「陸でも戦えなきゃ首都には来られないからね」 「そうだったのか」 「ああ。だから万が一襲われたら、馬で逃げればいい。あの人は乗れないことがトラウマになって、馬自体もお好きではない」 ディラが目をぱちぱちさせている それはそうだろう 軍人ともなれば戦闘時だけではなく 日々の警戒業務や移動や伝令でも馬に乗るし 市内を行軍する記念式典にも参加する そこでまさか徒歩と言うわけにもいかない そういうのっぴきならない事情の場合は 意を決して馬上の人となる ただし手綱を引く部下を二、三人連れる ぴしりと背筋を伸ばしたままずっと正面を向いて 真っ青な顔で騎馬隊に紛れるアルム将軍は滑稽ではあるけれど 降りた後に何をされるかわからないのでみな黙って下を向く 指をさして腹を抱えて笑うのはミズキ将軍くらいのものだ 同じような立場の陸軍将軍は寡黙で控えめな方なのでそんなことはなさらない グリフの放った馬ネタは諸刃の剣だったのだ 「まあ、馬に乗る暇があったら男に乗ってるって言う人だから」 「はぁ……」 「マディーラ殿も十分お気をつけられよ。あの赤い柵を跳び越すのはお勧めしない」 「はい。もう少し、低いところを」 「柵のない道をご案内しましょうね」 「それはどうもありがとうございます」 もちろんその案内人はグリフォードで 一緒に馬を歩かせながらゆるゆると散歩のように ディラが越えたという柵の傍には従者がやはり控えていて ディラはぐるりと大回りをして柵のないところを抜けて彼の元へ戻った 「では、グリフ」 「ああ。気をつけて」 「うむ。家で、待っている」 「……なるべく早く帰る」 「どうか……」 柵越しのしばしの別れ ディラは髪に飾ってあった大きな紫の花を取ってグリフに差し出す グリフが受け取ると美しく甘い笑顔で頷いた 「その花の、元気なうちに」 「承知した」 グリフはディラの後姿を見送ると 勢いよく愛馬を操って駐屯所へ駆け戻った もちろん仕事を早く片付けるために しかし待ち構えていた隊員たちの質問攻めに遭い グリフの帰宅は遅くなってしまった

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