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第30話
本編です
◆
グリフが自宅に戻ると
その知らせを聞きつけたディラがパタパタと走ってくるのが見えた
歩くのは遅いけれど愚鈍なわけではないので
走る姿も転ぶぞと心配になるような無様な感じではない
ただなんとなく可愛いと思うだけだ
間違いなくグリフォードの気持ちの問題だけれど
夜の闇が落ちる庭には見張りの者が番をする松明がいくつも輝いていて
その灯りが廊下を渡ってくるディラの姿を照らす
相変わらずひらひらとした衣の裾を翻している
「おかえり、グリフ」
「ただいま、ディラ」
グリフは胸に挿していたまだ元気な紫の花を手にとってそれに口づけをし
そっとディラの髪に飾った
「待たせてしまったか?」
「うむ……待ったけれど、かまわない。それより」
「ん?」
「……あとで、また」
「ああ。着替えてくる」
「うむ」
「……一緒に来るか?」
「うむ!」
ディラがグリフの腕にしがみつくように身体を預け
グリフはそれを心地よく思いながら自室へ向かった
一緒に部屋に来たからといってディラに手伝わせるはずもなく
用意されていた湯で汗を拭いて寛げる服に着替えるだけだ
ディラはそれを長椅子にちょこんと座って眺めている
「……たくさん傷があるのだな」
「まあ、軍人だからな」
「痕を見ているだけで痛そうだ……」
「痛くないよ。もうどこも痛くないし、首都に来てからこういう怪我はない」
「そうか」
「……触ってみてもかわまないが」
グリフが上着を手に持ったままディラの隣に座る
裸の上半身には大小たくさんの傷跡があって
大きな傷は胸や横腹にあった
ディラの指が恐る恐るといったように触れる
「狙う場所は、そういう場所だからな」
「……」
「言ったか?俺は短剣をよく使うから」
「いつも差しているのは知っている」
「そう、だから接近戦も多い」
「……危ないのだな」
「遠くにいても、やられる時はやられるよ。被弾すれば遠くにいても致命傷を負う」
「うむ」
「大丈夫だ。心配要らないよ。首都でそんな戦闘は起こらない」
「ずっと首都にいれば、グリフは安全なのだな」
「そう……だな。少なくとも敵国と戦闘状態の前線には行かない」
他軍に人員を融通する場合でも、隊長が動くわけがなく
今の立場でいる限り以前のようにこういう傷を負うこともない
もちろん首都で暴れる悪党がいれば絶対ではないけれど
「でも、このままずーっと首都にいるわけじゃないんだ」
「……そうなのか?」
「俺もまだ若いからな」
水陸両軍で将軍をやらせてもらったのは試用みたいなものだ
その間実際に将軍にふさわしい人は「総大将」などと呼ばれて
覚束ない「将軍くん」を文字通り援護してくれる
「総大将」は役職ではないのでその人は組織上は一兵卒になるのだけれど
「将軍くん」のお試し期間が済めば将軍職に復帰する
そうやって軍の頂点に立つ重責に耐えられるかどうかを試されるのだ
見込みがあれば何度も
グリフは多分近々またどちらかに呼ばれるだろう
いつかどこかの「総大将」になるために
「嫌か?ディラ」
「……わからない」
「そうか」
「将軍になるのは大変なのだな」
「そうだよ。だからこそ、みんなが憧れる」
「グリフも、私との約束がなくとも、……仮に私が困ると言っても、将軍になるのだろう?」
グリフは驚いた
ディラは自分を咎めているのだろうか
職業上の満足と愛する人の気持ちのどちらかを選べと迫っているのか
グリフの様子に気づいたらしいディラは
きゅっと眉根を寄せて辛そうな顔を見せる
「……ディラ、俺は」
「すまぬ。今の私はおかしいのだ」
「いや、何か思うところがあるのであれば教えて欲しい」
「なんだか……遠くて」
「え?」
長椅子の背もたれを掴み
ディラに詰め寄るような姿勢になったグリフを避けるように
美しい白い顔が伏せられる
銀の髪が主人の横顔を隠そうとさらさらと流れていく
どうしようかと逡巡して
グリフはディラの手を握った
ここにいる
遠くなんかない
「今日は、仕事の邪魔をして本当にすまぬ」
「それを気にしているのか?確かに立場上歓迎はできないけれど、俺の気持ちとしては嬉しかった」
「……行かなければ、よかったのだ」
「うん?」
「グリフはいつもあんなに大勢の人に囲まれて、愛されているのだな」
「……まあ、あんな感じではあるけれど」
「隊長、隊長と、みんながグリフを慕っていた」
グリフォードは若い隊長だ
副隊長であるスペラもグリフと同年代で若いので
今の第一隊は活気があるとよく言われる
しかしもちろん退役間近の熟練の軍人もいる
若いのばかりが集まってキャッキャとやっているわけではない
世代を超えて雰囲気がいいのだろう
だから今日のようなことがあれば寄ってたかってお祭り騒ぎになるし
厳しい訓練も上の者がよく下の面倒を見るので落伍者は少ない
それに今日みんながグリフを連呼していたのは
ディラのことを聞き出したくてのことだ
それでも少しふざけ過ぎていただろうか
ディラは今までほとんど後宮にいたのだから
ああいう雰囲気を知らずにいたのだとしたら愉快でなかったかもしれない
「ディラ、確かに今日はなんだか楽しそうに見えたかもしれないけれど、普段はもう少し節度のある態度だ」
「でもグリフはスペラ殿を抱き寄せた」
「へ?」
「スペラ殿も、驚きもせずに、それがまるで普通のように」
「ま、待て、ディラ」
「……こんなこと、言ってはいけないとわかっている」
「そうじゃない。ええっと……」
「呆れたか……?」
長く濃いまつげに縁取られた紫の目がじっとグリフを見つめる
わずかに潤んでいるように見えるのは錯覚だろうか
誘われているように思うのは間違いなく錯覚だろうが
これは、アレか
とうとうアレなのか
「ディラ、ヤキモチか?」
グリフがでれーんとだらしなく鼻の下をのばす
言われたディラは一瞬きょとんとしてからぱああっと頬を染めた
うひょーかわいー!!
「ヤキモチ、ヤキモチって、嫉妬だろう。私は、そんな」
「そう。愛し合う者の間には必須要件だ」
「……そうなのか?」
「そうだよ。愛がないと、ヤキモチなんか妬かないだろう」
「……わからない」
「そうか?俺は今日、ヤキモチ妬きまくりだった」
「なぜ?」
「みんながディラに取り入ろうとするから」
「誰もそんなこと……アルム将軍閣下は、その」
「してたぞ。見惚れて、手を取って、跪いて」
「でも、抱擁はしてない」
「ディラ……」
スペラには気も身体も許してしまっているもので
迂闊な行動を取ってしまったようだ
もちろんディラが来てから愛を交わすような事はしていないけれど
頬が赤いままに
グリフをキッと睨むディラは綺麗過ぎてめまいさえ誘う
グリフは握ったディラの手をそっと口元へ引き寄せてその指先に口づけた
そういえばまだディラと口づけしてない
出迎えてくれたときも胸に飛び込んでも来なかったな
「……すまない。傷つけたな」
「私は、こころが狭いのだ」
「ディラのその狭いこころは、俺でいっぱいか?」
「そうだ。だから、少し今日は変なのだ。グリフのせいだっ」
「変じゃない。愛してる、ディラ」
妬いていて拗ねているらしい
早口にかわいい事を言い募るディラの口を優しく塞ぐ
いつものように貪るようなものではなく
ぱく、ぱく、と唇や舌に柔らかく噛みついては舐めるのを繰り返す
抱き寄せられたディラはグリフの背中に腕を回して
回りきらないほど広い背中を頼もしく思っていた
そして触れる素肌が気持ちいいとも
「……将軍になったら、グリフがもっとみんなに愛されるんだろう」
「だといいな。国民に愛されない将軍など無意味だ」
「……そう、だが」
「俺がこころを込めて愛を返すのはディラだけだ。将軍になろうがなるまいが」
「……」
「愛してる。俺のこころもディラでいっぱいだ」
「うむ……」
「傍にいて……俺が何になろうとどこへ行こうと。離れないでくれ」
「ん……」
「ディラ、どこへも行かないで。愛してる……俺を離さないと言って」
「んん……」
囁くように祈るように
誓いを強請りながら何度も口づけし
最後にグリフはディラの額に自分の額をくっつけて笑った
ディラも少し笑う
「ディラ、かわいいな」
「……ヤキモチなんて、自分が妬くと思わなかった」
「そうか。俺のせいだな」
「そうだ。全部、グリフのせいだ」
「責任は取ろう、いくらでも」
「うむ……」
「行こう。お腹が空いただろう」
「うむ」
二人は仲良く夕餉を一緒に食べて
今日一日の出来事を聞かせあった
ディラはハルト様の事を
グリフは自分の駐屯所のマディーラパニックの顛末を
ディラはほとんど理解できなかったらしくきょとんとしながら聞いていた
グリフはそんなディラが愛しくてたまらなかった
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