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第38話

グリフが自宅へ帰ることができたのは 実に四日後の夕方だった 疲労と睡眠不足で馬上にいても覇気がなく 出迎えてくれた馬番が心配するほどだった ディラに逢いたいなぁ 中毒患者の禁断症状に近い 仕事に没頭している間はまだしも 食事の際やふと息をついたときに 今頃何をしているのだろう 寂しい思いをさせているだろうか そんな風に考えては鬱々としていた 玄関を抜けて廊下を歩いていても ディラの姿はないし声も聞こえない グリフはそのまま自室へたどり着いて 汗を流して着替えを済ませた 「マディーラはどうしている?」 「お庭にいらっしゃいます」 「俺の留守の間は、どうしていた?」 「お留守の間も、ほとんどお庭に」 「左様か」 「はい」 従者がつつましく告げるその事実に グリフはため息をついた 塞ぐ心を癒すために庭で花を愛でているのではないかと思ったのだ そしてそれは事実だった 外出することもあったようだが 庭で花の手入れをしてはそのままそこで休み 風に吹かれて花の香りに包まれて一日を過ごしていたらしい 「……寂しがらせただろうか」 「私どもには何も。お食事の時もおいしいと笑顔でいらっしゃいましたが」 「そうか」 「おこころはそうそう誤魔化せるものではなく。マディーラ様は素直で純真で無垢な方なのでなおさらと存じます」 「……で、あろうな」 疑問など差し挟む余地もなく マディーラは寂しい日を過ごしたのだ ようやく愛を交わらせて なのにその翌朝起きてみればすでに姿はなく いつ戻るかも知れない婚約者 そんな男を待ちながら夜が更けていくのはどんな気持ちだっただろうか 一人で食事をすることさえ苦手な寂しがり屋なのに グリフは部屋の窓から中庭に目をやった もともと青々とした芝や樹木がほとんどで 花はそれほど多くない庭だったが 今そこには色とりどりの花が見事に植えられて 地面を彩ったり風に揺れたりしている 窓の傍には大きく白い花が飾られていた 「……ちょっと、庭へ」 「はい」 「夕餉は、いつごろ?」 「お二人様のお過ごし方次第でございます」 「いつも、すまん」 「いいえ」 穏やかに見送られながら グリフは夕暮れに染まる庭へ出た 美しい婚約者は花に囲まれて佇んでいた ひと目見ただけでため息が出るほどの喜びが満ちていく 「ディラ」 グリフの声に顔を上げてこちらを振り向く 笑顔でお帰りなさいと言ってくれるかと思ったのに ディラは近づこうとしたグリフを制した 「ダメだ!」 「え?」 「お」 「お?」 「怒って、いる。怒っているのだ、私は」 「すまん」 怒っているのか 意外だった 寂しいとか逢いたいとか そういう気持ちでいるのかと思ったのだ 二人の距離は大きく五歩 グリフが寄った分だけディラは後じさりをするので 一向に手が届かない 「なかなか戻れなくて、申し訳なかった」 「色々と、怒っている」 「許せぬほどに?」 「……わからない」 「どうしたらよいだろう、か」 「……」 「離れている間、ディラのことを考えていた。二人のこともだ」 「……」 「ディラも色々考えて、それで腹が立ったのか?」 「うむ」 「そうか……」 「……」 マディーラの美しい顔は怒っているというよりも困っているように見えた それどころか怯えているようにも思える グリフは躊躇いなくその場に跪く 「愛してる、マディーラ。誰よりも、あなたが大切だ」 申し訳なさもあるけれど 自分の非を詫びたいとも思うけれど 今はそう言いたかった マディーラの美しい紫の目を見つめて グリフォードはこころを込めて愛を告げる それなのに 愛しい唇は嘘だ、と動いた グリフォードは即座に否やを唱える 「俺は本当に至らぬ男だ。ディラに相応しくないかも知れない。しかしディラを愛していることだけは、神の前で誓う事さえ何ら臆することはない」 「嘘だ」 「ディラ。どれほどあなたを悲しませても、届かない独りよがりであっても、俺の愛に嘘はない」 それは愛するあなたであろうと斥けられはしない グリフの声は低く強くディラへ向かう 両の拳を固く握って立ち尽くしていたディラは 緩慢な動きでふらりと一歩を踏み出す 二歩、三歩と引き寄せられるように足を早め グリフの前に手膝をついて倒れこんだ 髪と衣の裾が踊り 柔らかい香りが揺らめく グリフはとっさに腕を広げて抱きとめた 「ディラ、汚れるから」 「大切なのは、何なのだ」 「ディラだ。さあ立って」 「それが嘘だと言っている。だから私は怒っているのだ」 「何よりも、ディラが」 「置いて行ったのに?」 「それは……」 グリフはディラの手のひらについた土を払ってやりながら なんと答えようかと口ごもった 間近にある美しい目は確かに怒気を孕んでいるようだ 心苦しくても目を逸らすなんて出来ない 「ディラ」 「グリフは、ずるい」 「ディラ……」 「私が大切だと言う。なのに、夜這いなんて、そんなもの、私にはどうでもよいのに」 「すまない」 「私たちの気持ちと、古いしきたりと、どちらが」 「もう……どうか」 グリフを責めるように詰るように 言葉を重ねるディラは辛そうで今にも涙を零しそうだ もう二度と泣かせないと誓った グリフは彼を強く抱き締めた 「ん……グリフ、苦し」 「俺は間違った。まもるべきは決まりごとでもないし、ディラの名誉でもない」 「私の、名誉?」 「いいのだ。俺は、さもディラを大事にしているかのように」 「よく、わからない」 「誰がなんと言おうと、どう思われようと、手を離すべきじゃなかった」 「グリフ」 何度も過ちを繰り返す 何度も彼を悲しませる それでも離れたくない お互いを愛してるから 「泣かないで」 「ディラ……俺は、ディラがいないと生きていけない」 「それはすごい」 「へ?」 グリフは泣きそうになっていたのに驚いて腕を緩め ディラの顔を覗きこんだ 妙に感心したような顔をしている 「すごいって、何が?」 「私も同じ事を思っていたのだ」 「同じ事?」 「グリフがいないと、生きていけない」 グリフが再び抱き寄せるよりも早く ディラはさっと腕を伸ばしてグリフの首にしがみつき 甘く蕩ける口づけをした

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