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第41話
「後宮には十数人しかいなかったのだったか」
「そうだ。グリフは百人?千人?そんな風に思っていたのか?」
「ああ。大体みんなそのように思っているな。根も葉もない噂か」
「そうでもないのだろう。何代も前の国王陛下であれば、それだけの寵姫がいても不思議はない」
「豪気な時代の話だな」
「うむ」
お茶を飲むのにグリフの膝から降りたけれど
手は相変わらず繋いでいて身体はくっついている
マディーラは穏やかなグリフの声を心地よく感じながら
後宮の話をした
「何もかも、私はあそこで学んだのだ」
「ああ」
「辛いこともあったけれど、あの世界が私のすべてだった」
「そうだな」
「あんな閉ざされていた環境で、違和感も感じずに二十年も」
「国王陛下の、ご寵愛の賜物だろう」
マディーラはグリフを見上げて微笑んだ
どれだけ陛下の寵愛を得ようと
私は何も求めなかったし差し上げたいとも思わなかった
もとより自分は首都に拾われた身の上で
何かを差し上げるなど思いもつかないことだった
幼い私を後宮に入れてくれて
あらゆる意味で不自由など感じた事はない
それどころか身に余る役割まで与えてくださり
怠惰に漫然と過ごすのではなく
毎日すべきことがあるという楽しさを教えてくださった
愛するこの国を統べる国王陛下のお傍にある事は嬉しかった
だから自分は陛下を愛しているのだと疑わず
陛下のお役に立つためであれば何も厭わなかった
陛下のお傍を辞するときに
「愛する人を愛せよ」とのお言葉を賜り
グリフォードを陛下のように愛しているだろうかと考えて
根拠もなく違うような気がすると思った
自分の知る唯一の愛情は陛下へのもので
それ以外の愛の形などよくわからなくて
だから
自分はグリフォードを愛していないのではとさえ危惧した
陛下への敬愛の念と
長年淡く想い合っていた男への気持ちは違うものだと
そして自分はまさしく彼を愛しているのだと
今なら揺るぎなく理解できる
グリフォードへの愛に気づかなかったから
あそこでの生活に違和感がなかったのだ
「グリフ」
「ん?」
「私はグリフに、あげたいものがあるのだ」
「今?」
「もう少し、待って欲しいのだが」
「ああ……なんだろう?贈り物か?」
「……そのつもりだ。でも、グリフが喜んでくれるかはわからない」
「喜ぶよ。話を聞いただけで、嬉しくてたまらない」
「うむ」
「楽しみだな」
優しく愛情深い婚約者は
その逞しい腕でマディーラを抱き寄せ口づけを落とす
まだ何もあげていないのに
言葉そのままに嬉しそうに笑いながら
「俺もディラにあげたいものがあるぞ」
「なんだ?」
「俺もまだ用意ができていない。待っていてくれるか?」
「うむ」
形のあるものもないものも
いつか消えてしまうものもずっと残るものも
相手を思うだけであげたくなる
こころをこめた言葉
美しく咲いた花
自分の身体
大した価値がないものでも
彼なら受け取ってくれるだろう、笑顔で
「きっと嬉しい。私も」
「だと、いいのだが」
「嬉しいに決まっている」
「そうか。可愛いディラ……愛してる」
「うむ」
「うむ、では、困るぞ」
「で、あろうな」
クスクス笑い合いながらくっつき合うのが嬉しい
ディラは誰かに甘えたいと思ったことはなかった
もちろん周囲は甘やかしてくれたし
きっと知らないところで甘えてはいたのだろうけれど
少なくともこんな風には
「ええっと……ディラ」
「うむ」
「後宮では、閨房の諸事を学ぶほか、如何な事を」
「色々していた。私は後年、あそこでは最年長だったから、下の者の面倒も見ていた」
「そうか……ディラが面倒を……」
「うむ」
「……すまん、まったく想像ができないのだが、何の面倒だ?」
「仲たがいを仲介したり、勉強を見たり」
「へぇ」
「様々なことを様々な先生に習うが、やはり得手不得手があるのでな」
「ディラは何が得意だったのだ」
「やはり薬学だろうか」
天真爛漫で世事には疎いけれど
聡明なのだろうと思う
慰み者にされていたのならばともかく
お傍近く控える役割を馬鹿が務められるはずがない
薬学のほかにも歴史も文学も経済も学び
いろんな教養も身につけるのだという
「女性はいたのか?」
「私が後宮に入った当時は何人かいらっしゃったけれど、みな出て行かれた」
「出て……?」
「陛下は随分前に、もう後宮の者に夜伽を望まないとおっしゃられたのだが、だからと言って早急に身寄りのない者を追い出すことはないと」
「ああ」
「それで、縁談があれば目立たないように嫁に出したり、やりたい仕事があれば外での職を世話したりして、男も女も、望めばいくらでも出られた」
「そうか」
「首都に保護された子どもは途切れないから、後宮に入る者も皆無ではなく、結局十数人はいつも残っていたのだ」
保護された中には
行くあてのない子もいたのだろう
|そこ《傍》におればよい、と
陛下はいつもおっしゃったのだそうだ
後宮で手に職をつけて独立する者もいたそうだ
「私は、陛下に最期までお仕えることを選んだ……すまぬ」
「なぜ?俺も国王陛下に仕える身だ。ディラの気持ちはわかるつもりだよ」
「……うむ」
グリフは顔を伏せてしまったディラの髪を撫でると
肩をさらに抱き寄せた
待たせたということを負い目に感じるのであれば
グリフこそまだ将軍に届いていないのだから
ディラが気に病む事はないのだ
「ディラは毎日陛下とご一緒だったのか?」
「いや、そうでもない。ご公務のお手伝いをさせていただく時だけ」
「では他の者は」
「ちゃんと陛下が会いに来て下さるのだ」
ディラが嬉しそうに微笑む
自分が仕えていた方の自慢をするのが嬉しいのだろう
グリフも笑顔で先を促す
「私は、長く居たということもあって、よく陛下や王家の方々のお傍に寄せていただいたけれど、やはり全員がそういうわけにはいかぬのだ」
「ああ」
「陛下はお心のお優しい方なので、だから忙しくとも必ず週に一度は後宮へお運びくださって、我々とお話をしてくださった」
「そうか」
「みな、陛下をお慕い申し上げていた」
「そうか」
平常であれば朝は一緒に食事を摂って
そのまま勉強や仕事をし
昼食後もしばらくはそれが続いて
夕餉以降は比較的自由らしい
もちろん何もない午前もあれば
忙しい夜中もあるそうだ
強制されることはないそうだが
各々で自己研鑽をするのを厭う者はいなくて
つまり、日中に得た知識を自分の身体で云々……
なかなか刺激的である
「閨房の諸事を教えてくれる先生は、どこから来られるのか」
「王宮だ」
「ふーむ……」
「元は後宮の方で、陛下に召し抱えられる形で官僚に。表のお仕事もされておられて、忙しい中を|こちら《裏》へ来て下さるのだ」
「年配の方か?」
「お父上様ぐらいであろうか」
「では、その、お役目を果たされたことのある方ということか」
「もちろん。でないと、教えられぬだろう」
「まあ、だな」
経験者ならもうちょっと実用に堪える知識を教えるべきだと思うのだが……
グリフはそう考えたけれど
座学では限界があろうし
陛下の寝所へ上がることのない者たちだとわかっていたから加減されたのだろうと思い直した
いずれ外へ出たときに
本物の愛情をもって教えてもらえばよいだろうと
「ディラ」
「ん?」
「道具ってどんなだ」
「見たいか?」
「見たい。ついでに教科書とかも見たい」
「そういうのは、みな処分してきた。頭に入っているのだから」
「そうか」
えー残念ー
図解とか注釈とか読んでみたかったのにっ
ディラは従者に頷いて
彼はディラの部屋から箱をいくつか持って戻ってきた
どれも目立たないところにではあるけれど王族の方の紋が入っていた
「実際に使ったことのあるのはひとつだけだ」
「そうなのか?」
「残りは、頂いたものの、よくわからなかったり」
「見てもいいか」
「うむ」
グリフはワクワクしながら紐を解いていき
次々に箱をパカパカ開けていった
そして、黙り込む
「……ディラ」
「うむ」
「どれを、使っていたと」
「こちらだ」
「……そうなのか」
「これは私だけが頂戴したのだ」
確かに特別に下賜されたのだからドヤ顔にはなるかもしれないけれど
手のひらサイズの小ぶりの張型
しかも金張りというのはいかがなものか……
先端には紫の石が埋め込まれていて
もちろん綺麗に処理されているので凹凸はないけれど
それでも趣味がいいとは思えない……
前国王陛下、あなたの別な一面を覗いてしまったことをお許しください
「グリフ?」
「え?」
「それほど珍しいだろうか」
「まあ……一般的ではないな。金も紫水晶も高価だし、こういうものには使わない素材だろうと思う」
「そうか」
「これはディラだけだと言うが、他の人は?」
「知らぬ。教材で使ったのは木でできたものだった。それぞれに賜ったものを、みだりに見せ合ったりはしない」
「そうか」
「うむ」
「妬みだ嫉みだで喧嘩になるからか?」
「いや?」
「しかしさっき仲たがいの話を」
「喧嘩の原因はたいていもっとくだらないことだ。若い者も多い」
「ふぅん」
グリフはディラが使うと言うその張型を
ディラに断ってから手に取った
恐らく中は木だろうと思える程度の重さ
張られた金は厚いらしく硬質で滑らかだ
これで夜な夜なディラが自慰を……
「自慰ではない」
「……は!?」
「グリフ、声が出ていたぞ」
「面目ない……」
「自慰ではない」
「わかった。謝る。務めであったな」
「うむ」
これってまさか原寸大?
んなわけないよな、こんな短小……
失敬な想像を働かせた私をお許しください、陛下
陛下の御逸物はこんな粗末ではないともちろん信じております
「もう使う必要はないよ、ディラ」
「うむ」
「他のは、確かに……装飾的だな」
「で、あろう。しかし、こちらはそうでもなかったな」
ディラの白く細い指が触れたのは
一番大きな箱に入った木製らしい張型だ
誇張されつつも妙に詳細な模倣
大きさは確かに現実のものに近い
俺のよりほんのちょっとだけデカいけどっ
「こちらで励んでいれば、もう少しうまくコトが運んだかもしれぬ」
「いいやっ。それはよくないっ」
俺はきっぱり言い放った
冗談ではない
こんなもので慣れてしまってイザという時に
「あれ?小さくね?」とか思われたら
きっと立ち直れない……
「もしこちらを使っていても、苦労はしただろうけれど」
「え?」
「グリフのは、もう少し、その、逞しいというか」
「……ありがとう、ディラ。でも世辞は」
「え?世辞ではないぞ」
「残念ながら、俺のはこんなに立派ではない」
「そうだろうか?」
ディラは首を傾げながら
件の張型を手にとっておもむろに顔に近づけると
あーんと口を開けて咥えようとした
「うわー!!!待て待て待て!!」
「え?なんだ?」
「何する気!?」
「大きさを確かめようと」
「なんで口!?」
「なんでとは」
「いや、いい!言わなくていい!とりあえず置きなさい!」
「? うむ」
あああ、焦った!!
なんつぅ卑猥なことをするんだ!
あなたの大きさ、お口で覚えてるから……ってか!?
バカバカ!ディラのエッチ!!
「グリフ、顔が真っ赤だぞ?」
「真っ赤にもなるだろう……」
「すまぬ。私がまた、おかしな事をしただろうか?」
「ディラはおかしな事なんかしたことないよ」
「でも、少し世間からズレているのだろう。自覚は、ないのだが……」
「それは個性だ。おかしくはない」
「グリフ……」
「確かに時々びっくりする。でも、おかしいとは思ってない。ディラも思わなくていいし、俺に教えるぐらいでかまわない」
「……うむ」
ディラが嬉しそうに美しい顔をほころばせて
グリフの頬に唇を寄せた
「もちろん、小さいとは思っていたのだが」
「ええ!?」
「え?この、使っていた張型だ」
「あ、ああ、これの話か……」
「自分のと比べても、ああ、実用的ではないなと」
「まあそうだろうな」
「多分、現実味がなかったのだ。誰も本当にそういうことをする日が来るなんて思っていなかったし、だからこういったものを宛がわれても、あまり疑問もなかった」
「そうか」
「ないがしろにしていたわけではないけれど、成果を求めてはいなかったから」
「ああ」
同じようなものが自分にもぶら下がっているのだから
与えられたこの「道具」で励んだところで
準備にはならないのは明白で
多分そういうのも儀式的だったのかもしれない
だから若干装飾過多なのだろう
後宮にいる者の務めとして
形だけはそのようなことに備えているという態で
戦に縁遠くなった国の武器が
鈍らなくせに妙に豪華になっていくのと同じ
そんなもので国を護るなど噴飯ものだ
「この辺りになると、何がなんだか」
「すべて陛下から?」
「いや、皇太子様……現国王陛下から頂いたものもある」
「ふぅん」
宝石箱のように凝った意匠の入れ物
その中に収められているのは紅玉で作られた環
親指と人差し指で作る輪のような大きさで
どこにどう使うか、わからなくはないがこれもまた実用的ではない
細長い箱には恭しく金属の棒が収まっている
片端には繊細な細工の花が咲いていて
全体を茎に模したその棒を
どこへ入れるかなんて
入れたときを想定しての花の細工だなんて
ディラは知らなくていいと思う
検分していくと
どれもこれも上品で上等で豪華ではあるけれど
使う場面を想像すれば何の事はない
万年水軍の変態将軍の遊び道具にしか思えないものばかりだ
真面目に密やかに
こんなものを作らせる王宮の人間は
結構欲求不満で汲々とした日々を過ごしているのかもしれない
願わくば贈りあうだけで使ってませんように
「グリフ」
「ん?」
「処分した方がいいだろうか?」
「好きにしていい。頂き物だから、粗末にすることはないし、大切にしていてもなんとも思わないよ」
「うむ」
「……使いたければ、使うが」
「すごいな、グリフ。使い方がわかるのか」
キラキラした目で見つめられて
グリフは自分の首を絞めたなと後悔した
使って見せろと言われては困ってしまう
「ディラ」
「うむ」
「寒くないか」
「え?ああ、少し」
「俺もだ。暖めあおう」
「……うむ」
それを機にグリフはディラを抱えあげて
寝室へ戻っていった
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