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第45話

作ったお菓子は持って帰ればいいと言われ マディーラはハルトが作っていた別のお菓子でお茶を頂いた 固く焼いたのではなくふんわりと蒸し上げたお菓子は それはそれでとてもおいしい ハルトは笑ってまた今度教えて差し上げると言ってくれた 「ハルト様」 「なにか」 「ミズキ将軍閣下とご結婚なされたとき、お二人はどのようなお仕事をなさっておられましたか?」 「私は首都の本部で参謀長を。ミズキはフラフラしておったかの」 「フラフラ」 「フラフラだ」 「それは徘徊という意味しょうか。それとも今にも倒れそうということでしょうか」 「徘徊……マディーラ殿は面白いことを言うな」 「面白うございましたか」 「あの頃のミズキは水軍だ陸軍だ首都警護部隊だと、応援だか配属変えだかわからない状態であちこちへ」 「さようでございましたか……」 「何故そんなことを?」 「……以前グリフに、首都での仕事はそれほど危険ではないと聞きました」 「さようか」 「ハルト様は、如何お考えでございますか」 「危険の伴わない軍事活動などありえない」 伝説の参謀にきっぱりと断言されて マディーラは血の気が引いていくのを感じた グリフの言っていた事と現実は違うのだろうか 色をなくしたマディーラの顔を見てハルトは困ったように笑う 「すまぬな。脅すつもりはないのだが」 「いえ……私のほうこそ、不調法で申し訳ないことでございました」 「グリフォード隊長は、敵襲のことを言っているのだろう。確かに敵に首都まで攻め込まれるということは考えにくい」 「ええ……そのように」 「だからといって、首都に敵がいないわけではない。マディーラ殿にお話しするのを憚られるような血なまぐさい、汚い話もある。だからこそ、訓練された人間が当たるのだ。警察組織ではなく軍部が治安維持を担う」 「で、ございますね」 「グリフォード隊長の言葉に嘘はない。しかし、真実ではないように思うがの」 嘘ではない そう グリフォードが嘘を言うはずがない マディーラはドキドキと早まる鼓動をおさめようと 胸に手を当てて深く息を吐いた わからないことはあとでグリフォードに教えてもらおう そうすればいつも何でも解決する 「……私は、ずっと後宮という異世界に護られておりました」 「ふむ」 「そこよりも、今の暮らしがどうこうとは思いません。しかし、そんなに危ないことが起こりえるとも考えておりませんでした」 「それはよいことだ。|我々《軍人》にとって誇らしい」 「……ハルト様は、将軍閣下と離れ離れになることをお考えになったことはございますか」 「離婚か?」 「いえ。その……愛し合っていても離れてしまうこともあるのが世の中ってもんだと」 「そうだな。今でこそミズキは首都にいるけれど、ほんの数年前まで年に一度も会わないこともあったから」 「なんという……!」 「私も軍人の端くれだったのでな。事情はわかる。はらわたが煮えくり返る時もそう自分に言い聞かせて耐えた。それでも久しく逢うと抱擁よりも先に拳が飛んだがな」 「……それはなぜ」 「鬱憤晴らしだ」 「はぁ」 私もまだ若かったのだなと ハルトは茶杯を口にしながら笑っている 愛する人と久しぶりに逢えて 自分ならきっと嬉しくて走り寄ってしまうだろうと ディラは考えた 「貴様の段取りが悪いから、帰還できずにいたのだ!と。まあ、寂しさの裏返しだ」 「裏を返すとそんなことになるのでございますか」 「そう。ミズキも、その通りですと甘んじて私の暴言暴行を受け止めるものだから、つい度を越したものだ」 「度を」 「マディーラ殿はグリフォード隊長を殴り潰すことなどないだろうから心配はない」 「……考えただけで、手が痛いような気がします」 あんな頑丈なグリフを? 無理だ きっと道具を使っても無理だ だからどんな道具なら効果的かなど考える必要はない 「……離れていると、寂しいのでしょうね」 「しかし避けようがない。腹を括るしかあるまいな」 「はい」 「疑わないことだ、マディーラ殿」 「え?」 ハルトは杯に残ったお茶を飲み干して 何かを思い出すように抱きしめるように微笑む その横顔をマディーラは見つめた ジリーと同じ微笑 しあわせそうな優しそうな 「軍人は、危険な仕事で、家を離れる事も多い。それは仕方がない」 「はい」 「だが、必ず帰ってくる」 「……はい」 「一度だけ、ミズキが私に約束しなかった朝があった」 「え?」 「いつも家を出るときは、日帰りだろうが帰りが未定だろうが、必ず「ハルトさん、待っててくださいね。すぐに帰ります」と言って出かけるのだ」 「はい」 「でもその朝はそう言わなかった。どれほど過酷な任務なのか、退役していた私にはおぼろげにしかわからなかったけれど、覚悟がいるのかと察した。私の目を見て愛していますと呟いた、その一言が最後になるのかと」 「……」 「その日から私は泣いて暮らした。恐怖に勝てなかったのだ。子も不安がってな……今思えば最低の親だ」 「恐怖とは……閣下を失う恐怖でしょうか」 「そう、だな。あれだけではなく、何もかも。自分自身も」 あの人のいない人生なんて あの人に愛されない自分なんて 「怯えることにも疲れて漫然と時が過ぎていって、あれが帰ってきたとき、私は地面に手をついて頼んだのだ。嘘でもいいから約束だけは置いて行ってくれと」 「約束……でございますか」 「出来ない約束を口にするのは辛い。それでも、私にはそれしか縋るものがない。取り乱す私にミズキは謝ってくれて、どんな時でも「必ず帰ってきます」と言ってでかけるようになった」 「左様でございますか……」 「私はそれを疑わない。そう決めている。だから、続けていけるのだ」 約束 ジリーもそう言っていた 私はグリフと何か約束をしただろうか マディーラは考えたけれどすぐには思いつかない 「誓いは一人のものだけど、約束は二人のものだと」 「素晴らしい。隊長が?」 「いえ。グリフの妹君に教えていただきました」 「ほう。どの妹君か」 「リーズル殿でございます」 「ああ……彼女はよくできた人だ。軍部の優秀な人材の一人だ」 「で、ございましょうね」 「軍人はな、マディーラ殿。約束事が好きなのだ」 「はあ」 「条約、同盟、協定……いろいろあるからの」 「で、ございますね」 「信じられない者相手の約束など無意味だ。愛する人との約束に価値がある」 「私には……まだグリフと約束などしたことがないように思います」 「そんなことはない」 「ですが」 「明日、遠足へ。そう約束しているのだろう?グリフォード隊長と」 明日は晴れるぞ 伝説の参謀はそう請け負い にこりと笑った

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