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第47話

夢を見ていた 柔らかい色彩の中でたゆたう夢 あたたかさに包まれて 身体の中もあたたかくて 愛しい声が優しく自分を呼んでいる 返事をするのを躊躇う ずっと呼んでいて欲しい 愛してる ディラ、俺の――― 「グリフー!!」 「ぐぇっ」 楽しそうに自分の名前を呼ぶ声は現実のものだ それを聞いたと思ったらドカンと身体に衝撃が走った 驚いて目を開ければ 満面の笑みの愛しい人 「ぅお、おはよ……」 「おはよう。そろそろ目が覚めただろうか?」 「だな……」 ディラはグリフのことをよほどのことがない限り痛みを感じないと思っているフシがある 無敵で頑丈でビクともしないと そんなことはない 無防備に無警戒にお腹を出して大の字で寝ているところを襲われれば 流石に痛いしびっくりする もちろんディラだって本気のフライングアタックをブチかましてくるわけではないからイテテくらいで済むけれど 「用意はできた!行こう!!」 「ん、ああ……わかった。今、起きる……いま……」 「馬で行くのか?」 「……ん……」 「グリフ!寝ている場合ではないのだ!!」 グリフは無意識にマディーラを腕に抱え 再び眠りそうになっている マディーラはグリフの頬をぺちぺちと叩き 鼻を摘んだりして起こしにかかる 「そんなに寝ぼすけで、よく軍人が務まるものだ」 「家にいるときは完全に弛緩しているからな……常に緊張していては疲れてしまって、いざというときに仕事にならない」 「そういうものか」 「俺はな」 「勤務中は、寝起きがよいのか?」 「それも仕事のうちだからな」 「ふーむ」 グリフォードが身支度をする間 マディーラはそれを長椅子に座って眺めていた 寝起きのよいグリフなど想像できない こっそり確認する手立てはないものだろうか 「それで、馬で行くのか」 「どちらでも。荷物があるのなら馬車を呼ぶが」 「うむ……馬がいい。景色が見たいのだ」 「では、そのように。お待たせ、ディラ」 「よし!では参ろう!!」 「待て待て。朝餉はどうするのだ」 「食べねばならぬ」 「では、一緒に」 二人で仲良く朝餉を囲んでいると 料理人がニコニコしながら お弁当はお楽しみにしていてくださいと告げる 昨日ジリーから貰った料理もあるし 今日の昼餉は豪勢になりそうだ 「ディラ、馬での遠出はどのくらいぶりだ?」 「遠出……王宮から出るほどの遠出は経験がない」 「そうか。では首都を出るのも久々だな」 「あの日以来だ」 「ディラ、愛してる」 唐突にそう言われて マディーラは顔が熱くなるのを感じた 嬉しくて胸がドキドキする 無言でひとつ頷くのが精一杯 あの日も同じようにドキドキした グリフはそれを見て笑っている 「のんびり行こう。道中を楽しむのも遠足の醍醐味だ」 「うむ!」 「なんだかんだと荷物があるから、供の者は馬車でついて来るそうだ」 「承知した」 それぞれの馬に跨って ゆるゆると歩き始める 二人が連れ立っているのを見て村の人が声を掛けてくれる マディーラはいつも歩いて移動しているので 馬上から見る村は新鮮だった 「おでかけかーい!」 「ええ、少し遠くへ」 「気をつけて行っておいで!」 「はぁい」 グリフと笑い合いながら 馴染み始めた村を出る 首都の外へ通じる道は東西南北へ一本ずつ 関所では首都警護部隊が目を光らせている グリフォードはどの道を選ぼうか考えた 目的地は南にある 首都のほぼ真ん中が現在地 普通に考えれば南の関所へ向かう道を採るべきだけれど 南を管轄する部隊はうるさいのが多い 東か西に迂回して 首都を出てから南を目指した方がいいだろう 「ディラ、東と西はどちらが好きだ」 「……東、だろうか?陽が昇るな」 「では、東へ」 「行き先も決まっていなかったのか?」 「終点は決まっているが、道程は未定だ。急ぐ必要はないし、天気もいい」 「……」 「不安か?道なら熟知して」 「楽しくて、身体が震える……」 「そうか、よかった。では行こう」 王宮から四方の関所へ伸びる道はどれも広い 二人は並んで馬を歩かせながら楽しく進んだ ディラは物珍しそうに辺りを見回し アレはなんだソレはなんだと何にでも興味を示す そのたびにグリフォードは馬を停め アレは水を溜めておく施設だ、とか ソレは髪を切ってもらう店だ、とか マディーラの気の済むまで説明した 「楽しいか」 「楽しい!!」 「そうか。何よりだ」 「グリフは、つまらないか?」 「いいや。多分ディラよりも楽しい」 「私のほうが楽しいと思う!!」 関所へ向かう道はどれもとても賑やかだ 東道は美術品の行き来のあるルートなので 並ぶのはそういったものを扱う店や 美術商が好きそうな個性的な店が多い 他の道もぜひ行ってみたいとディラは目を輝かせている 東の関所に詰めている第三隊の隊員たちは さすがにグリフとディラに気づいたけれど それほど大騒ぎをする事なく通してくれた 「……首都を外側から見るのは何年ぶりだろう……」 城壁をくぐり マディーラは振り返ってその壁を見上げた 敵を阻むための壁だから この国の国民はこの壁を外から見ても疎外感などは感じない それでも 「外にいる」ことを実感する事はあるかも知れない 今までずっと「外」を見ずに過ごしてきた人間ならば 「……ディラ」 「うむ」 「疲れていないか」 「問題ない」 「そうか。では、南へ」 「うむ!」 美しい手が手綱を操ると 彼の愛馬が優雅に鼻面を南へ向けた 首都を出て進路を南に採る ずっと首都の城壁を見ながら進むのもつまらないので ほどほどに首都から離れながら この国は南と北西に大きな河が流れている 北西にある河はそのまま隣国との国境になる 南の河は両岸が領地内なので 近隣の村人はもちろん 国内の人が遊びにやってくる 首都の場所が南寄りだということもあるのだけれど 「ああ……なんだか懐かしいな」 「ん?」 「あまりよく覚えてはいないけれど、小さい頃過ごした村は、こんな雰囲気だったように思う」 「俺もそうだ。この国の村は、どこも同じようなものなのかもしれないな」 マディーラは穏やかに微笑みながら 首都とは違う雰囲気を楽しんでいるようだ 首都の外の居住区に基本的に軍関係者はいない 水軍と陸軍は侵入者に対して警戒する護国任務を帯びるので 必然的に国境地域や辺境に駐屯するからだ 首都以外の国民生活の場の治安維持は 警察組織の管轄になっている したがってグリフも首都の外の普通の村に馴染みは薄い 水軍にもいたから大きな河の流域に関しては 地形や人口まで把握しているけれど 「ディラ、休憩しないか」 「まだ、疲れてはいないが」 「この辺りは、お茶がうまいんだ。茶屋へ入ってみよう」 「うむ!!」 今日もいい天気だ ハルト様が晴れるとおっしゃったそうだから 間違いなく今日一日はこうなのだろう 日光に当たっていると体力を消耗する 自覚はあまりしないけれど 二人で馬を降りて手近な店へ入る 軒先に無造作に置かれた長椅子に座って お茶と茶菓子を頼むと 店の親父はディラを見て固まっていた ディラは板を組み合わせて布を掛けただけの長椅子を しきりに撫でては関心を寄せている グリフは親父を揺り起こして注文を繰り返した 「外で、店で、飲食するのは初めてだ」 「そうか」 「グリフは外で食事をするのか?」 「うーん。駐屯所と……ああ、仕事仲間と酒場へ行ったりする」 「酒場か……みんなが酒を飲んで、歌ったりしているのだろう?」 「そうだな。楽隊が来たり、酔っ払いが歌ったり」 「楽しそうだ……私も酒を飲めるようになったら」 「酒を飲まなくても入れてくれるよ。今度一緒に行こう」 「うむ!歌は歌えるのだ」 他愛ない話でディラは心底嬉しそうな顔をする ディラの歌か きっと素晴らしいのだろうとグリフは彼の肩を引き寄せて額に口づけた 程なく運ばれてきたお茶は この国では珍しい薄い桃色をしていて 甘酸っぱい香りがするものだ もちろん普段飲むようなお茶もあるのだけれど せっかくなので特産品を出してもらった 「はぁ……おいしい」 「こ、これは疲労回復に効果がございます。むかし、首都を目指して遠くから来た旅の者が、ここで疲れを癒したのでございましゅ、でしゅ。でござりゅ」 「なるほど。元気が出るのだな」 ディラは頬を染めた店の親父のしどろもどろの説明に 紫の目を輝かせながら頷いている グリフは親父に頼んで茶葉を少し分けてもらった 今日、家に戻ったら一緒に飲もう ディラにそう言うとまた嬉しそうな笑顔を見せてくれた 「行こうか」 「うむ」 初めての茶屋にすっかりご満悦のディラは 自分でと懐から紙入れを取り出し代金を支払う 最近覚えたのでディラはすぐに支払いをしたがる マディーラの美しい手に触れて 店の親父は禿げたデコまで真っ赤だ 「ディラは最近、なんでもできるのだな……」 「まだまだだが、精進している」 「俺が教えることがなくなって寂しい気がするよ」 「今度はお礼に、私がグリフに色々教えたいのだ」 「そうか……では、それを楽しみにするとする」 「うむ」 もちろん後宮にいたときから金銭のやり取りはあったらしいが 頻繁ではない上に金額が大きい 衣装や宝飾品や豪勢な日常品 庶民とはその感覚が違うので贅沢をしているという意識はなかったようだ そしてその金額ゆえに手ずから支払うことはまずない だからディラは例えば家の近所でお菓子を買ったり 髪に飾る細い組紐を買ったり そういう小さな額の支払いに新しい現実感を見出しているらしい そもそも小銭を見た事がなかったと言うから やはり後宮は浮世離れしているのだろう 「後どのくらいだろうか?」 「もう、河のほとりに出る」 茶屋を出てトロトロと馬を歩かせて ディラとそんなやり取りをしながら村を一つ抜けると 目の前が突然開けた 陽の光を受けてキラキラと輝く川面は広く その青さから深さが知れる 向こう岸は遠くあまり見えないけれど こちら側は咲きほこる花と点在する木に彩られていた 「素晴らしい……綺麗だ」 ディラは馬を停めて ため息と共にそう呟いた うっすらと赤みのさした頬と 笑みを形作る柔らかそうな唇 ディラは今日も花よりも美しい 見とれていたグリフをディラが振り返り 改めて美しく微笑む 「綺麗だ、グリフ。見られて、嬉しい」 「そうか。俺もだ」 愛しい人が喜ぶ顔はこの世の何よりも価値がある グリフは嬉しそうに笑いながらディラを見つめた 「もう少し進もう。知り合いが舟を出している」 「うむ」 河を下るように馬を進める 元々広い河幅は下流に行くへ従いますます広がり 同時に流れが穏やかになっていく 河岸で憩う人を見かけながら ディラはあの方々も遠足だろうかと楽しそうに笑う 「地元の村の人だろう」 「そうか。こんなところに住めるとは贅沢だなぁ……」 「そうだな」 あの人達にそう言えば驚くだろう 後宮での生活を知る人に贅沢だと羨まれるだなんて グリフはディラを愛しく眺めた ディラは馬を停めて大きな木を眺めている 「あれは何の木だろうか?」 「さて……俺はそういう知識に乏しい」 「グリフでもわからないのか」 私と同じだな、とディラはニコニコしている そんな笑顔を見てグリフも相好を崩す 「うちの庭の花や木の名前も知らんよ。武器になる木ならわかるが」 「そうか」 馬に乗るからと小さくまとめられた髪に飾られた花が ヒラヒラと揺れている その花と同じような薄い橙色の花をすべての枝に咲かせて 見事な存在感を見せる大きな木 確かに見た事のない木だな 「……どなたかに、お声をかけてもご迷惑にならないだろうか」 「ああ。一緒に行こうか」 「……自分で、聞いてくる」 道の端に馬を寄せて 少し待っていてくれと声を掛けて するりと下馬すると花の中を進んでいく グリフはその後姿をうっとりと見送る 綺麗だなぁ、俺のディラは…… ディラはまっすぐに木を目指し そこへたどり着くと幹に手を当ててその大樹の枝振りを見上げている やがてその木陰で車座になっていた女性たちに声を掛け 何事か話している 遠目にも女性たちが色めきだっているのがわかる そして彼女たちの子だろう ディラの周りに寄ってきては手を伸ばしている ディラは腰を曲げてその手を取ってやりながら笑っているようだ 「待たせてすまぬ」 「いや……話は聞けたか?」 「うむ」 「どうした?」 「……少し、緊張した。知らない人に声をかけるのは、本当にドキドキするのだ」 わずかに顔を強張らせて 紅潮しているのは緊張のためか 馬上に戻るとディラが深く息を吐いた そしてニコリと微笑む 「でも、とてもご親切なご婦人だった」 「ああ。そのようだな。ほら、子と一緒に手を振っている」 「うむ、とってもかわいい子たちだった」 振り返れば木陰から手を振って見送ってくれている ディラとグリフはそれに応えながら馬を進めた 「あの木は、ここに一本と、向こう岸に一本あるだけだそうだ」 「へぇ……そんな珍しい木が見られるなんて幸運だな」 「うむ。私もそう思った」 今は薄い橙色の花を咲かせているけれど 季節が変わると今度は赤い花をつけるのだそうだ 河のほとりに生えているので 花を落とす時期には両岸からたくさんの花が水に散らされて それはそれは綺麗だと言う 「では、ディラ」 「うむ?」 「また来よう。一緒に」 「……うむ!」 「愛してるよ、ディラ」 「私もだ」 腕に抱いて口づけたい だけどこの距離もまた新鮮で楽しい ディラもそう思ってくれていますようにと グリフはささやかな祈りを捧げる 「腹が減ったな」 「……うむ」 「ん?まだ食べたくないか」 「いや……その」 「何か気になるのか」 ディラの顔が俄かに強張る そう、さっきのように 緊張……? 緊張するようなことを言っただろうか 「ディラ?」 「……私も、お腹がすいた」 「ああ。では、ちょうどいい、あの木の下で休もう」 さっきのような珍しい木ではなく この国のどこででも見かける大きな木 馬が入れる道もあって うまい具合に誰もいない 一向はそこで昼餉を囲む事にした 後ろからついて来ていた馬車から従者が出てきて 大きな布を敷いて次々と弁当を並べていく グリフとディラはその間に馬に水を飲ませて あまり遠くへ行かないようにと言い聞かせて放してやった 「うーん、豪勢だ」 「うむ。これは確かに馬車が要ったな」 グリフの寝台の上掛けよりも大きいと ディラがはしゃいだ声でそこへ座る グリフはようやく腕の届いた彼を抱き寄せ 甘い口づけを交わした いくら愛情有り余るグリフでも こんな解放的な状況で性的な接触は控える なので優しく唇に吸いつくだけだ 「グリフ……」 「ん?」 「グリフは色んなことができるのだな」 「ディラのためなら何でもできる」 ディラはその言葉を聞いて たおやかな手を自分の頬に当てて首を傾げて見せた 可愛らしい仕草にグリフの鼻の下が伸びる 「マディーラ様」 「……うむ」 広い敷物はついて来てくれた従者三人も一緒に座ってもまだまだ余裕がある マディーラの隣に座ったキブカが そっとマディーラに箱を手渡した それを受け取ったディラは 俯いたままでグリフに勢い良く差し出した 「め、召し上がれっっ!!」 「え?」 グリフは反射のように マディーラの手ごとその箱を捕まえた

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