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第48話

「ええっと……ディラ、顔を上げてくれ」 「う、うむ……」 伏せていた顔を上げて ディラはグリフを見つめた グリフは両手でディラの手ごと箱を持ち 少し首をかしげる 「……開けてもいいか」 「うむ」 グリフは片手はディラの手と箱を掴んだまま もう片方の手でそっと蓋を外した 中に入っていたのはグリフの好物だった グリフは驚きのあまり固まってしまった これをディラが作ってくれたのだろうか お茶を一杯淹れるのさえあんなに不慣れだったのに? なぜ自分の好物を知っているのだろう 食事の時にそんな話をしただろうか 考え込むグリフに慌てたようにディラが説明を重ねる 「あの……見た目は、その、不出来だが、味は悪くないと」 「ディラが……作ってくれたのか?」 「う、うむ。だから、その、このような出来で」 「俺の、ために」 「うむ。グリフが遠足に行こうと言ってくれたので、お弁当が作りたかったのだ。でも、全部は、やはり難しかった。ひとつだけ、作れるように」 「ディラは後宮で料理を嗜んでいたのか」 「いや、昨日、ハルト様に教えていただいた」 「何故これを?」 「グリフが……好きかと思った」 グリフの大きな手がディラの頬を包んで 反対側の頬に自分の頬を寄せた そして囁く 嬉しいよ、と 緊張していたディラはその一言に息を吐いた 「こんな……嬉しい。俺はしあわせ者だ」 「グリフ、食べてから」 「ん?そうだな……でも、嬉しい。嬉しいよ」 「……秘密にしていてすまぬ」 ふふふとグリフが笑う 自分のためにディラがこっそり奮闘してくれていたと思うと 喜びがわいてくる ディラは申し訳なさそうにグリフを見ている 「秘密……そうか。これがディラの秘密か」 「うむ。少し、その、驚かせたかった」 「ああ。すごく驚いた。ディラは何でもできるのだな」 「いや……ハルト様に習ったからだ」 「俺は習ってもできないよ。ディラだからできるんだ」 「……で、あろうか」 「ああ」 グリフに褒めてもらえて喜んでもらえて マディーラはドキドキした 同時にこころが満たされていくのを感じる 自分のしたことで愛する人を喜ばせられるなんて きっと自分の方がしあわせ者だと思った 「食べるのがもったいないなぁ」 「日持ちはしないと聞いている」 「そうだな。では、ディラ」 「うむ?」 「食べさせて」 「う、うむ」 ディラはキブカからフォークを受け取ると 自作のおかずを乗せてグリフの口元に運んだ 「召し上がれ」 はにかみながら少し首を傾げるディラは掛け値なしにかわいい グリフは思わず相好を崩して彼の髪を撫でた 「ありがとう、ディラ。ひとつ、お願いが」 「何か」 「ディラの手料理がさらに美味しくなるおまじないがあるのだ」 「おおっ。それはやらない手はない。是非教えて欲しい」 「召し上がれ、も、大変結構だが、こういう時は、あーんして、と言うのだ」 「ほほう」 「はい、あーん、でもいい」 「あーん、に意味があるのか」 「元来の意味は、口を開けてという幼児語みたいなものだが、愛しあう者同士が使うと、絶好の調味料となる」 「ふーむ……奥が深い言葉なのだな……それは食べさせる側が唱えるのか」 「ああ。食べる側は、あーん、と返しながら口を開ける」 「やはり、あーん、に威力があるのだな」 嘘は言っていないけれどなかなか自分勝手な解釈だとは思う いやーでもさ 初めての手料理だよ? 食べさせて欲しいでしょ? かわいいディラに「あーんしてぇ」とか言って欲しいでしょ! グリフのくっだらないこだわりに 彼の従者が俺の主人は馬鹿なんだろうかという顔をしている ディラについてきたキブカは半眼で無表情だ 舞い上がっているグリフは気づいていない 「では、改めて」 「うんっ」 「グリフ、はい、あーん」 「あーーーーーん」 たいそうな間抜け面でグリフは大きく口を開け ディラに差し出されたおかずを食べる 塩気と甘さが絶妙においしい 惜しむように大げさなほどモグモグを繰り返し 喉を鳴らして飲み込む 「うまい!!」 「そうか。口に、合っただろうか」 「最高だ」 「よかった……」 「ディラは素晴らしい。こんな料理を作れるだなんて」 「うむ……グリフに喜んで欲しかったのだ。少し、張り切った」 テレテレと頬を薄く染めて眦を下げ ディラは恥ずかしそうではあるけれど 褒められて満更でもないようだ 安心したように自分の胸を軽く押さえている 彼の素直な性格ゆえだろう 変に謙遜する事も誇張する事もなくて それがまた好ましく微笑ましい 従者たちの顔もさすがににこやかだ 「ディラは自分で食べたか?」 「うむ。心配で、作る途中に何度も味見をした」 「そうか」 「……グリフ、私にも食べさせて欲しい」 「え?」 「おまじないを」 「あ、ああ」 ディラにフォークを渡されて その小さな口に入るようにしてからディラの口元に運ぶ 「ディラ、あーんして」 「あーん」 少し顎を上げて伏し目がちに口を開けてみせるディラは 別の状況を髣髴とさせる いかんいかんっ グリフは邪念を振り払い 丸く開いたディラの口へおかずをそっと差し入れた 赤い唇がパクリと閉じられる様さえ、エロい 「ん……おいしい。すごい効き目だ」 「そうか」 「味見のときよりずっとおいしく感じる。グリフの言う通りだ」 「ディラが料理上手だからだよ」 今さらだけど 相手に手ずから食事をさせるという行為はなかなか扇情的だ 欲に直結するからだろうか フォークを伝わる唇の動きが新鮮で 指という器官が性感帯だと思い知る 晴れ渡る空の下 健康的な遠足の道中で グリフの脳内は犯罪的に破廉恥な色に染まる 「グリフ、ジリーの料理もあるのだ」 「……え?……ああ、うん、食べよう」 「うむ。私も少しずつ料理を覚えようと思う」 「そうか……料理人もいるし、俺は伴侶に家事をしてもらう志向ではないから無理はしなくていいよ。もちろん、嬉しいけれど」 「無理ではないし、務めだとも思っていない。ただ、グリフを喜ばせたいだけだ」 「ディラ、愛してる」 「うむ、私もだ」 甘く唇を啄ばみあって微笑みあい 従者も交えて和やかで賑やかな昼餉となった 時々じゃれあうように食べさせあいっこをする二人に 従者たちの視線は優しかった 「ぅあー食べた……」 「うむ……少し食べ過ぎた……」 ジリーの料理はグリフの口に合う 幼い頃から親しんできた味だからだ それを抜きにしても美味しいので 五人ともが喜んで食べた 料理人が用意してくれた分も平らげ ディラの手料理も少しずつだけれど行き渡った キブカはそれを味わいながら涙ぐんでいたほどだ 五人とも腹を撫でて腰紐を緩め 満足のため息を吐き出す 「よっ」 のんきな掛け声とともに グリフはドカンと寝転んだ キブカに淹れて貰ったお茶を飲んでいたディラは目を丸くしている 「まさか、また寝るのか」 「一服だ」 「……遠足で寝るものなのか?」 「さて?ディラもおいで」 首から上だけをヒョコと起こして グリフはディラに笑いかける ディラは首を傾げながら茶杯をキブカへ戻して グリフの隣に横になる 「わ……温かい。地面が温かいっ」 「いい天気だからなぁ。お日様で水も土も温む」 「地面なのに、柔らかい……?」 「地面は柔らかいんだ、ディラ」 「知らなかった。毎日立っていて、柔らかいなんて思いもしなかった」 「そうか」 グリフは眩しそうに目を細めながら 隣のディラを見つめる 本当は自分の上に抱き上げるなり腕枕をするなり 密着して寝たいところだけれど ディラの初めての外での昼寝を邪魔しては無粋だろう ディラは楽しそうに声を上げて笑い 敷物の上を転がっている 手のひらと頬を敷物越しに地面に押し当てて温かいと言い てんてんと叩いては柔らかくて気持ちいいとはしゃぐ 「ディラ。両手も両脚も投げ出して仰向けになるのがいい」 「うむっ」 木陰とはいえ木の間越しに射す陽は強い その光がふと和らぐ 見上げれば従者たちが薄布を立ててくれていた ますます居心地が、寝心地がよくなる 目をやれば ディラも気持ち良さそうに仰向けになって目を閉じていた 軽く指を触れ合わせているだけで お互いの存在に安心し お互いの感じている心地よさが流れ込んでくる 二人は少しの間 吸い込まれるように眠り込んだ

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