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第49話

「ディラ」 吹き抜ける風や流れる河の音 大樹と従者たちの心遣いに護られた空間 温かく柔らかい地面と愛する人 マディーラは名前を呼ばれるまで 自分が眠っていると気づかなかった それほど穏やかに心地よく眠りに落ち 優しく起こされて目が覚める 「……寝てしまった……」 「ああ。気持ち良さそうだった」 「うむ……なんだか……」 「ん?」 「とてもしあわせだ」 ホワンとディラが笑う グリフはその笑顔にしあわせを感じる ディラの手を取り優しく身体を起こしてやる 「どのくらい寝ただろう?」 「わずかだよ。ほんの少し寝るのが気持ちいいんだ」 「うむ。スッキリした」 「ああ。じゃあ少し歩こうか」 「うむ!」 手を取り合って立ち上がり 従者たちに見送られて散歩に出る 大樹を背に川沿いを歩く キラキラ光る川面もユラユラ揺れる花々もとても綺麗だ ディラはほとんどの花を知っていたけれど 知らない花を見ると熱心に眺めて目を細めている 傍に人がいれば躊躇いながらも声をかけ 花の名前を聞いては嬉しそうに笑っている 「グリフ、この花はこの方がお世話をなさっているそうだ」 「そうか。とても綺麗に咲いていますね」 グリフはまるで夫のような態度で応える そんな自分が照れくさくて恥ずかしくて嬉しい 「株を分けていただいたらどうだ?」 「うむ……そうしたいけれど、多分この花はあの庭では育たない」 「そうか」 「見られただけでもよかったから、満足だ」 「ああ。恋しくなれば、また来ればいいよ」 「うむ!ありがとう、グリフ」 そんな風にのんびりと花と景色を満喫しながら河を上っていく やがて小さな船着場が見えてきた 「舟だ!」 「ああ。一緒に乗ろう」 「お知り合いだと言っていたが」 「以前、同じ隊にいた事がある」 「退役された方か」 「そうだ。この河は水軍の管轄だから、あらゆる意味でこの河に携わるのは、元水軍の人間に限られる」 向こう岸へ行くための渡し舟も 川遊びを楽しむための遊覧船も すべて水軍の持ち物だし運営は水軍だ すべての実務に現役を配置はしないけれど 年に数回の掃除ですらその範疇にある 河岸で憩うことに制限はないけれど 民間人が気づかないだけで監視の目は行き届いている 「大きな船にみんなで乗るのと、小さな舟とどちらにする?」 「小さい方がいい。私が漕ぐのだ。魚も見るのだ!」 「承知した。では、小舟を借りよう」 ディラは漕いだことはないがうまくできると思うと 根拠のない自信とともに拳を握り グリフにやる気を見せている あまりの可愛さにグリフの顔面は崩壊寸前だ 「なんだぁ?珍しいやつがいるじゃねぇか」 「ご無沙汰しております、ランズ様」 船着場には一人の男がのんびりと座っていた グリフよりも痩身ではあるけれど 上背は引けをとらない大きな男で よく日に焼けていた 歳は将軍たちと同年輩ぐらいに見える 「この……マディーラが、舟に乗りたいと」 グリフは隣に立つ愛しい人の背に手のひらを当て 誇らしいような気分で紹介した ランズは目を丸くしてまじまじとディラを見る 「……マジか。あの、マディーラじゃねぇのか」 「マジです。あの、マディーラです」 「マディーラでございます、ランズ……様」 「たまげた!すげぇな、グリフォード!やるねぇ!!」 「は。殊これに関しては、我ながらよくやったと」 「だよなぁ!!」 ランズと呼ばれた男は大きくて硬い手のひらでディラの手を握り この流域を任されているのだと言った 元々はやはり水軍で隊長をしていたらしい 「遊覧船なら、もうすぐ戻ってくる。待つか?」 「いえ。小舟を拝借いたしたいのです」 「そうか。マディーラさん」 「はい」 「舟は漕げるか?」 「……経験がございません」 さすがにドンとこいですとは答えなかった そんなディラが可愛くて グリフはまたデレデレと笑っている ランズは軽く頷いて口ひげを弄びながら ディラに優しく声をかけた 「そうか。何かあってもグリフォードが護ってくれるだろうが、舟の上で立ち上がってはいけない。漕ぎたければ教わればいいけれど、無理はしないことだ。どれほど浅く穏やかでも、河は人に優しくはない」 「はい。グリフの言うことをよく聞いて遊びます」 「素直だな。いいなぁ、グリフォード。付き合って長いのか?」 「いえ、まだ日は浅く」 「そうかそうか。いい思い出になるといいがなぁ」 ランズは鼻歌混じりに桟橋に係留していた小舟の太い綱を まるで寝台の上掛けで捲くる様に軽やかに外した 小舟とはいっても長さも幅もあって 軍用であれば五人は乗る形だ 「これでいいか?あまり小さいと揺れるしな。少し風が出てきたから」 「はい。ありがとうございます。ではしばらくお借りいたします」 「乗り終わったら、下流の桟橋に停めといてもいいぞ。マディーラさんにいいとこ見せたきゃ、訓練さながらに上ってくるんだな」 「もちろん、上ってきますっ」 「負けず嫌いだねぇ、相変わらず」 グリフは慣れた様子で颯爽と船上の人となり にっこり笑ってマディーラを振り返って手を差し伸べる マディーラは逸る気持ちを抑えながらも グリフの手を取ったかと思うと一足で舟に飛び乗った 怖がらないまでも恐る恐るとか慎重な動作を予想していたグリフは 「ぅえ!?」と声をあげてディラを抱きとめた ディラは嬉しそうに大きな声で笑っている 「揺れるのだな!」 「飛び乗るからだ!」 舟はグラグラっと左右に激しく揺れ バランスをとろうと踏ん張ったグリフのおかげですぐに収まったけれど 水しぶきが二人の足元を濡らすほどだった 「ディラ、危ないのだとさっき聞いただろう」 「うむ。すまぬ、気をつける」 「マディーラさんはなかなか男気のあるお人だな」 慌てるグリフを指差して笑いながら ランズはディラに満足そうに頷いている ディラは少し恥ずかしそうに微笑んで そこに座りなさいと促されて簡易な渡し板に腰を下ろす 「ディラ」 「わかっている。立たぬ」 「頼むぞ、本当に……」 「うむ!!ランズ様、では、行ってまいります」 「気をつけてな」 「はぁい」 ランズに舳先を蹴り出されて グリフは見事な舵きりであっという間に流れの穏やかな河の真ん中まで漕ぎ出した

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