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第55話

「ずいぶん、形になってきたな」 「陛下!」 王宮の日当たりのいい一角 かつてマディーラの庭があった場所に 今はミラ国王陛下の庭を設えている 陛下はマディーラの庭だからマディーラに任せると仰せになった それに異を唱える者はなく マディーラの愛した庭は形を変えて 再び王宮に彩を添えつつある 陛下の趣向で珍しい花や庭木を集めているので マディーラにしても楽しい仕事だ 今が時期のものもあるので ところどころで花が揺れているけれど 大半はこれから花を咲かせるはずだ それを想像するだけで微笑がこぼれていく マディーラは目を細めて庭を眺める陛下の 斜め後ろに跪き頭を下げた 「陛下……またお一人でございますか」 「今頃、玉座の裏まで覗いて私を探しているだろうな」 「御側の方々の、御苦悩が目に浮かぶようでございます」 「王の家が、王宮だ。自分の家の庭を見に来るのに、一体誰に許しを請えばいいのか?」 ミラ国王陛下は楽しそうに笑いながら マディーラはいかが思うかと問う マディーラは膝をついて控えたままの姿で わかりかねますと答えた もちろん笑いながら 一緒に膝をついて控える庭師たちも肩を震わせている ミラ国王陛下の無頓着な行動は 即位わずか数日で王宮内に知れ渡り 今となってはあまねく国民が承知しているほどだ 彼を追いかける従者たちとのやり取りは 毎日面白おかしく伝聞される 陛下はそれを楽しんでおられるフシさえある 「しかし……やはり、美しい者が世話をすれば、美しく応えるものなのだな」 「滅相もございません」 「また、珍しい花の種が手に入った。そなた、見てはくれぬか」 「はい」 国王陛下は自分の胸元から紙包みを取り出し 無造作ともいえる所作でマディーラに渡した 王が手ずから何かを与えるなど通常は考えられない だからこそ 直接戴く褒章の類にさらなる価値が生まれるのだ 長く前国王陛下のお傍にあったマディーラでさえ ミラ国王陛下のなさることには面食らう その動揺を悟られまいと目を伏せ マディーラは紙包みを両手で受け取った ミラ国王陛下は軽く一つ頷いて視線を庭へ戻す 「……日参をと、申しつけたかと思うが」 マディーラはにわかに緊張した いくら気さくで親しみを覚えるお方とはいえ 国王陛下からの要望に従っていない自覚があるからだ ゆっくり慎重に息を吸い 腹に力を込めてさらに頭を下げる 「後宮を出てから生活が慌しく、ご無礼を働いております。何卒お許しください」 「まあ、よい。そなたの言うように、後宮を出た身を呼び出しているのは私だ。来られる日に来るがよいだろう」 「恐れ入ります」 ミラ国王陛下はずいぶんと王らしくなり その堂々としていて上品な立ち姿は 出自が卑しいなどと言いふらす口さがない連中でさえ黙り込む迫力がある 精悍な顔立ちに太い首と逞しい胸板 がっしりとした胴体に力強い四肢は闘う男のものだ 王族の戯れだと笑われながらも ミラ陛下は長年軍部にいた それは王位継承順位が限りなく最下位に近く 自分を産んで育ててくれたご母堂様も早くに儚くなられ そんな寄る辺ない身の上を自分でどうにかしようとお考えになった結果だ いずれは王族という身分さえ捨てる覚悟だったと聞く 他の王子様に比べて王宮から遠い生活を送っておられ なおかつお歳は最年少の部類に入る 前国王陛下の御世が長く続いたために それでもグリフォードよりも年上ではあるけれど あらゆる意味でミラ王子様が国王の椅子に座ることはないだろうと目されていた そんな彼をして自分の後継にと 前国王陛下がある日の閣議で口にされたとき ミラ様ご本人が一番驚かれたのではないだろうか そのときはまだ生前退位など誰も想像さえしておらず いずれ新しい王を選ぶそのときに 現国王の意向としてはミラ王子に継がせたいのだと そこへ出席した各人にお示しになられた その御尊意にそれぞれの思うところはあれども 誰一人自分の意見を口にする者はなかった みんなが一様に心得ましたと頭を下げた 新しい王を選ぶとき 現国王はお隠れになっているのだと侮ったのだ 誰もが自分に近い王子か王女を玉座へと画策する 現国王陛下のお言葉は絶大な影響力はあるけれど それ以外に後ろ盾のまったくないミラ王子など脅威にならない 忠誠よりも大事なものを腹に隠し持つ人間は そう高を括った だからその日以来この国を統べる準備を始めたミラ王子への風当たりは強くなり まさか身の程も弁えずに本当に継ぐつもりではあるまいかと聞こえよがしに嘲弄され 取り巻きが増え 強硬な敵が増えた マディーラは彼に同情していた 後宮で過ごしていた頃に何度か顔を合わせ そのたびに贈り物が届き マディーラの庭を褒めてくださった優しい王子だ 他の王子様方よりは歳が近いこともあって 恐れ多いことに同じテーブルで食事をしたこともある その当時は前国王陛下がミラ王子を買っているなど マディーラにはわからなかった ただ王族の方の中にあって 誠実で視野が広いように思っただけだ そして何かの折に 自分はとても気楽で身軽な人間なのだと 楽しそうに それでも高い志を窺わせた時の笑顔が印象にある あの時のままでは きっと王には向かなかっただろう 涼やかな目元に微笑を滲ませて 後宮の人間に外界の話をしてくださり 血を分けた人を皮肉ることさえなく まるで気負いなく王族と分かつ道を進もうとしていた そしてそれはとても彼に似つかわしいように思ったものだ 知性と温情に溢れ伸びやかに育ったミラ様に 強い敵と強い味方の両方を身近に寄せる生活は きっと息苦しいものだろうと想像できる マディーラは国王陛下の後ろから 少しずつ形になりつつある庭園を眺める彼の背中に声を掛ける 「陛下」 「何か」 「この新しい種の花は、何色でございましょうか」 「さて……花が咲くかもわからぬが」 「恐れながら。マディーラが咲かせてご覧に入れます」 「ふ。さようであるな。そなたにみつめられて、綻ばぬ蕾もなかろう」 「口が過ぎました。お許しください」 「かまわぬ」 そうだな ミラ国王陛下は小さく呟いた そしてほんの少し思案されたようだ マディーラに背中を向けたままで彼の名前を呼んだ 「私は白い花だといいと思う」 「白でございますか」 「ああ。白だ。遠い異国では、真っ白い花びらのようなものが降り積もる季節があるそうだ」 「はい。私も本で読んだように記憶しております」 「とても寒い季節で、人々は家に閉じこもり、その白いものが誰も歩かない村や町を覆うとか」 「はい」 「見てみたいものだな」 「きっと、綺麗でございましょう」 「ああ」 真っ白に染まる人影のない村や町 家々の灯りが点り かすかに談笑の声が聞こえ それでも静かな寒い季節 彼はそんなところへ行きたかったのかもしれない この愛と花に溢れる祖国よりも 寒くて静かで綺麗なところへ 「……陛下」 「何か」 「この、陛下の新しい庭に、たくさんの白い花を咲かせてご覧にいれます」 「さようか」 あなたのこころが少しでも安らぐように マディーラは同情でも哀れみでもなく 強い意志でそう言った ミラ陛下は首だけでマディーラを振り返り 懐かしい笑顔で頷いた 彼の楽しそうな穏やかな笑顔を見たのは久々だった そう気づいたとき マディーラの胸は強く痛み できる限りこの庭を手伝おうと思った 「父陛下が、そなたを呼んでおられる。顔を見せて欲しいと」 「かしこまりました」 「マディーラ。明日はこちらへ来てくれるか」 「はい。マディーラは明日も参ります」 さようか 国王陛下は今度こそマディーラを振り返り 優しい笑顔を見せた

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