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第58話
その翌日
マディーラは約束どおり王宮へ出向いた
庭師数人と一緒に国王陛下の庭を造っていく
マディーラの手に土がつくようなことはないけれど
様々な植物の知識と独特のセンスで
庭全体が常に美しくあるように考え抜くのは
誰にでもできることではない
マディーラは自分の考えを庭師に話しては
このようなことは可能でしょうかと尋ねる
庭師たちはそれに慣れることもできずに
赤い顔でしどろもどろで頷く
それを見たマディーラの嬉しそうな笑顔に
また赤くなるの繰り返しだ
今日は朝早くにここへ来た
グリフは当然まだ眠っていて
そんな彼に小声でいってきますと言うと
パッと目を覚まして甘い口づけとともにいってらっしゃいと微笑まれる
それがとてもしあわせなことのように思えた
昼餉をみんなで囲み
その後マディーラは今日の簡単な片づけを手伝い
お茶の時間にはグリフの待つ家へ戻ろうと考えていた
グリフに逢いたい
「マディーラ」
「陛下!またお一人でございますね」
「もうみんな呆れてしまって、誰も私のお供はしてくれないのだ」
「恐れながら、陛下。それは大変深刻な事態かと存じます」
「さようだ。だから今日はみんなの機嫌を取りたいのだ。マディーラ、助けてはくれぬか」
「なんでしょうか」
「茶会を。そなたも同席してくれ」
「……しかし」
「身分不相応だなどということは考えずともよい。庭師のみなもいかがか」
「あの、陛下」
「何か」
頭を下げてマディーラは迷った
今までこういう事態がなかったからだ
後宮にいた頃は何もかも陛下のために
自分の予定などあるはずもなく
誰かとの約束でさえ相手は後宮関係者だ
どちらを取るべきかなど誰も疑問にさえ思わなかった
陛下のお誘いを断ることはできないのだ
でも
私はもう王宮に縛られてはいないのに
「マディーラ?」
「……あ、いえ」
「恐れながら、陛下」
「何か」
戸惑うマディーラの後ろから
キブカは手膝をついて声を掛けた
いつも外出する時はキブカが一緒に来てくれる
「わが主人は、驚いておられるのでございます」
「……続けよ」
「は。国王陛下におかれましては、このようにお近くからお声を戴くことも大変有り難く、後宮に長くあった主人でさえ、戸惑うのは致し方ないことかと存じます」
「そうだろうか」
「国王陛下の催されるお茶会とありますれば、十全な支度をもってお応えするのが」
「かまわん。美味しいお茶とお菓子で、日々の労をねぎらうだけだ。マディーラ」
「はい」
「時間があれば、同席を。そなたがいればみな喜ぶ。……私も嬉しい」
「ありがたく、ご相伴させていただきます」
「さようか」
陛下は目元に笑みを滲ませ
その場にいた者たちに等しく視線を遣った
「手が空いたら、参れ」
ミラ国王陛下はそう言い置いて踵を返した
マディーラはもちろん
そこにいた庭師たちも従者たちも
頭を深く下げて陛下の足音が遠ざかるのを聞いていた
「マディーラ様」
「ありがとう、キブカ。家に戻ってくれないか」
「はい」
「……これを」
マディーラは休憩の時に使うテーブルの上の花器から
蕾が綻び始めた小さなバラを一本抜き
その薄い青の花弁に口づけをした
「グリフへ。……できるだけ早く帰ると」
「はい」
「……」
「マディーラ様。キブカにお任せください」
「うむ。頼む」
「はい」
颯爽と庭を出て行くキブカの背中を見送る
何かもっと言伝をと考えたけれど
うまく言葉にならなかった
キブカはそれを汲んでくれている
少し遅くなっても
私はグリフのいる家に帰るのだから
ちゃんと目を見て手を取って言えばいい
こころから愛していると
マディーラはそう自分に言い聞かせた
お茶会は和やかだった
王宮の一番大きな広間に面した中庭に
マディーラたちが到着した時には
いつも陛下を追い掛け回している側近や
身の回りのお世話をしている女性たちが
笑顔で談笑しお茶とお菓子を楽しんでいた
中にはマディーラの顔見知りの人もいる
「マディーラ!」
「お待たせを致しまして、申しわけございません」
「かまわん。さあ、みんな。マディーラが来てくれたぞ」
国王陛下はあろうことか自ら立ち上がって
自分の隣の椅子を引き
青ざめてかたくなに首を振るマディーラを座らせた
「なりません、なりませんっ!」
「そこでよい。お茶を飲むくらい、隣が誰であろうと気にせん」
「しかし、陛下!」
「私の隣は嫌か、マディーラ?」
「そのような、ことは」
「さようか。疲れただろう。何が食べたい?みんなが集まると言ったら、私一人のときよりも豪勢なお菓子が供されるのはいかがなものか?」
ミラ国王陛下は楽しげに
たくさんお菓子の載った皿をマディーラへ引き寄せる
実に卒なくマディーラの前に茶杯が置かれ
香りの高いお茶が注がれた
マディーラの意識の中には
自分はもう王宮に出入りすべきではないという思いが強い
前国王陛下に長く仕えた身は
主を失いその役目を終えた
だから
勝手のわかっている王宮内でも
みだりにうろついたりしないし
ましてや建物や部屋の中には入らない
どこへ行くにも必ず王宮の人間に許可を求める
それが位の高くない人でも雑事をこなす小間使いの人でも
とにかく自分のような"民間人"ではない人に
なのにミラ国王陛下は
気安くマディーラを傍に寄せる
そしてひどく屈託なく振舞う
まるで昔のように
「……陛下」
「何か」
「……いえ。おいしゅうございます」
「さようか。なによりだ」
お寂しいのかもしれない
まだ伴侶のいない陛下は
後宮の設置にも積極的ではないと聞く
ミラ国王陛下自身を王と認めない人間が
彼に跡継ぎを望むはずもなく
陛下はそういうところにも配慮して不要だと仰せなのだろう
無駄な諍いを避けるために
「陛下」
「何か」
「……とても綺麗なお庭ができますでしょう。どうぞ、お楽しみになさってください」
「ああ。とても楽しみだ。あの庭ができたら、あそこでみんなでお茶を飲もう」
「はい」
「マディーラ。感謝している」
「滅相もございません」
茶会はマディーラが考えていたよりもずっと楽しく
陽の傾くまで続いた
普段眉間に皺を刻んでいる側近らも笑っていて
国王陛下の周囲に優しい人がいることにマディーラは安堵した
「マディーラ。夕餉を共にせぬか」
「恐れながら、陛下……そのような栄誉に預かるには」
「ただの食事だ。……まあ、あまりそなたを困らせるのはよそう」
「ご高配、恐れ入ります」
「明日も、来るか」
「明日は庭師の作業が主でございますので、暇を戴きたく存じます」
「さようか」
隣り合う椅子に座る距離で
あろうことか国王陛下と目線を同じにしてお言葉を戴いている
退位なされた大陛下のお相手でも大変に緊張したものを
それほどご縁のない現国王陛下とあっては
さすがにマディーラの溌剌さも鳴りを潜め
いくらか目を伏せて陛下のお言葉にお答えするのみだ
「今日は本当に楽しかった。そなたのおかげだ」
「とんでもないことでございます」
「父陛下の頃から、仕えてくれている者はあまり変えていない。だから彼らは私よりもずっとそなたのことを知っていて、王宮へ来るのを心待ちにしている」
「いえ、そのような」
「私もだ。そなたの都合もあろうが、計らって欲しい」
「……承知いたしました」
俯いたことで銀の髪がするりとマディーラの横顔を覆う
ミラ国王はそれをみつめ
一つ頷いて立ち上がった
「みんなも、感謝している」
陛下はその一言を残して中庭を後にされた
残された者は目の前の皿と茶杯を空け
三々五々散っていく
マディーラは深い息を吐いてその場を辞すると
自分の馬を繋いでいる離れまで歩いて戻った
少し疲れた
グリフに逢いたい
マディーラはそう思いながら見えてきた馬のほうへ目をやった
そこには愛しい男が立っていた
「グリフ……!」
「おかえり、ディラ」
ディラはグリフに突進した
ぶつかってもグリフはびくともせず
逞しい胸にディラを抱きとめてくれる
嬉しくて嬉しくて
ディラはいつもよりずっと強くしがみつく
「逢いたかった、グリフ……逢いたかった」
「俺もだよ」
「私のほうが、逢いたかった」
「そうか」
優しい手が優しい声が
ディラの疲れをあっという間に消してくれる
愛してると囁きあって口づけを交わせば
何もかもどうでもいいとさえ思える
「迎えに来てくれたのか」
「いや……すまん。仕事に呼ばれた。でも、ディラの顔を見たかったから」
「私が、早く帰るという約束を違えたからだな……すまぬ」
「ディラ。ディラは何も悪くないよ。俺だってこうして突然出動する。すまん」
「グリフは悪くない」
グリフは夕陽を受けて輝くディラの髪を撫で
白く滑らかなおでこに唇を寄せる
マディーラは目を伏せてそれを受ける
そのまぶたにもグリフは口づけて
そっと腕を解く
ディラは目を開けてグリフを見上げた
「もう少し」
「すまない、ディラ。行かないといけない……許して欲しい」
「……私のほうこそ、すまぬ」
「この花は、いただいていく。いいか?あなたを想うよ。離れている間もずっと」
「もちろんだ。グリフ、気をつけて」
「ああ。なるべく早く帰る。俺を待っていて」
「うむ」
「愛してる」
「私もだ」
グリフは胸に挿したバラにそっと指で触れて
ディラに微笑むと
自分の馬に跨って駐屯所のほうへ駆けていってしまった
よほど急いでいるのだろう
彼の大きな背中はあっという間に夕闇に紛れていく
「マディーラ様」
「キブカ……ありがとう」
「お疲れでございましょう。馬車を呼びましょうか」
「かまわない。グリフが、疲れを消してくれた」
「さようでございますか」
でも寂しさは消せない
ディラは自分を省みてため息をついていた
今日は家にいればよかったのかもしれない
茶会を辞退すればよかったのかもしれない
もっと早く中座してでも帰宅していれば
ほんのわずかでもグリフと一緒に過ごせたのに
「マディーラ様」
「帰ろう、キブカ」
「はい」
「キブカの言うとおりだ」
「何がでございますか?」
「私は、戸惑っている」
ディラはそう言って
待ち続けてくれていた愛馬を撫で
その上に軽やかに乗った
馬の鬣はディラと同じく銀で
同じように夕陽に染まっている
「ミラ国王陛下にですか」
「いや。自分に」
「ご自分に?」
ディラはこっくりと頷いて手綱を引いた
愛馬はゆっくりと家へ足を向ける
この馬が生まれ育ったのはこの王宮なのに
帰ろうと言えば躊躇いなくディラをグリフの家へ連れて行ってくれる
「私は、仕える事はあっても、仕事をしたことがない」
「後宮での諸事も、ご立派なお仕事です」
「そう……だな。しかし、あの頃私が愛していたのは大陛下だ。お仕えする方と愛する方が同じだった」
「はい」
「今は、違う。一時のこととはいえ、ミラ国王陛下のお言葉どおりに仕事を、職責を果たそうと思うのに、陛下のお力になりたいと思うのに、グリフに逢えないのがとても寂しくてたまらないのだ」
「はい」
「国王陛下や、仕事をないがしろになどできない。してはいけないとわかっている。でも、そのことでグリフの傍にいられないのが辛い」
「……きっと、グリフォード様も同じでしょう」
「寂しい思いをさせているだろうか」
「ええ。そして、マディーラ様が寂しがっていないだろうかと案じておられるでしょう」
「同じか……」
「同じでございますよ。どうか、マディーラ様だけが気に病むことのございませんように」
家へ戻る道の途中に
首都警護部隊の第一隊駐屯所の敷地を知らせる赤い柵が点在する
これを越えて行けば愛しい人に逢えるのに
柵の向こうの広い敷地は
人影もなく夕闇と夕陽が混ざり合い
まるでディラのこころの中のように複雑な景色だった
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