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第64話
グリフは家に戻る時間を作るために
いつもと違ってその日の夜明け頃から昼近くまで
スペラと交代して警護に当たり
それの後をもう一人が引き継いでくれた
「ゆっくりして来ていいよ」
スペラは気安くそう言ってくれた
グリフは二人に礼を言い
それでも昼餉時までは駐屯所にいた
人間が多いので報告も増える
それらを分析するのは隊長の仕事だ
いつまでいるつもり?とスペラに呆れられて
ようやく愛馬に跨った
そしてそっと懐に手を当てる
ディラは喜んでくれるだろうか
グリフにしてみれば最高の品だけれど
ディラのような人生を過ごしてきた男からすれば
それほどのものではないだろう
だけどきっと
そうあの美しい花のような笑顔で
グリフはそう考えて自宅へ急いだ
途中で花屋に寄った
家にはたくさんの花が咲いているけれど
ディラに花を贈った事がないような気がした
顔見知りの花屋の親父は
マディーラさんにはこれが似合うと
背の高い細長いような形をした花を勧めた
変わったその花はグリフは見た事がなく
確かに凛とした佇まいがディラに似合うと思った
色は幾つかあったけれど
迷わず純白を選ぶ
親父も納得したように頷いている
「で?なーんか物騒な感じだね?」
「ああ。でも、みんなを危険には巻き込まないよ」
「まあ、俺たちは軍を信じているからね」
「ありがとう」
グリフはひと抱えもあるその花束を
愛しく優しく受け取った
綺麗だ
ディラはなんて言うだろう
その時
背後でおかしな気配を感じた
一瞬遅れて耳が捉えたのは低い振動音
それより先に身体が、直感が、異変を知る
グリフは花を親父に押し付けると
手綱を引いて愛馬に飛び乗った
駆けだそうとしたその矢先
さっきまでいた王宮の空に
最大の危急を知らせる赤い閃光が打ち上る
愛馬は嘶き
グリフォードを乗せて戦場へ疾走する
そう
ここへ至って王宮は戦場と化したのだ
駐屯所へ着くと愛馬を飛び降り
スペラを大声で呼びながら執務室へ走る
途中で隊員たちが口々に状況を報告する
舌打ちをしつつ執務室へ飛び込んで防具を身につけ
隊員たちに指示を出しながらまた廊下を走る
スペラも途中で合流した
「大宮殿で爆発だ」
「冗談じゃない。そんな事はあってたまるか!」
「俺たちが行かない場所、陛下の近寄らない場所だ」
「どこだ!!」
「王兵の詰め所」
「クソっ!!」
グリフは再び愛馬に飛び乗ると
スペラと共に大宮殿の中まで駆け込んだ
大混乱の宮殿では
グリフたちの所業を見咎める人間はいない
火の手は大きく
部下たちが手際よく消火に当たっている
取り乱しているのは突然の有事に動揺する官僚たちだ
爆発が一発で終わるとは限らない
消火に当たっている以外の人間は
彼らの迅速な避難の誘導に尽力している
そんな中
スペラとグリフだけが流れに逆らい
宮殿内を疾走して行く
火の元を確認し
国王陛下の無事を確認する
王兵の詰め所は宮殿内でも人気の少ない場所にある
国王陛下を始め
普通の官僚は近づかない
だからこそグリフたちは捜索しなかったし
ミラ陛下もご無事だった
警護に当たっていた水軍からの応援要員は優秀だった
今は絶対に安全だと言いきれる私宅の方へ避難を促し
そこで離れず警護しているという
爆発の煽りを受けたらしい職員を見つけ
自分の代わりに馬に乗せて
愛馬に外まで連れていってくれと言い含めて尻を叩く
よく弁えた彼は間違いなく怪我人を安全なところへ運ぶだろう
スペラも馬を降り
グリフに目配せをして周辺の隊員と共に
他の仕掛けがないかを急いで捜索した
広い広い大宮殿内
数人ではとても探しきれるものではない
それでも止めるわけにはいかないし時間との戦いだ
焦燥感に煽られながら
グリフは懸命に走り回った
途中でミズキ将軍の部下と鉢合わせ
彼らがグリフたちとは反対方向から虱潰しに同じ事をしてくれていたと聞き
ようやく息がつけた
爆発からどのくらい経ったのだろう
火は消え
陽は傾いていた
興奮でまだ動悸が治まらない
まるで戦場にいるときのようだ
身体が熱いのに頭が冷える
走り回ったのに疲労を感じない
どこからか戻ってきたスペラも
目が爛々と光っていた
軍人にとって興奮は
時として常軌を逸する感覚を呼び起こす
スペラとグリフはお互いを見もせずに
同じ方へ黙って足を向けた
そこは爆破された現場だった
大量の水が滴り
見る影もなく焦げている
周囲は煙と臭いが漂い
その惨状を目の前にして
人的被害が出なかったことが信じられないほどだ
グリフはじっとその場に立ちつくした
陽が暮れて夕闇が迫る
遠くに喧騒が聞こえるけれど
事後処理に手を取られているのだろう
グリフとスペラ以外そこに人影はなかった
辺りがすっかり闇に覆われた頃
二人はようやく足音もなくそこを離れ
別々に物陰に潜伏した
虫さえ鳴かない夜だった
月は雲間に隠れ
それでも二人には十分な視界だ
まんじりともせずただひたすらに
二人は同じ感覚を持ちそれを信じ
噴き出しそうな怒りを消して潜み続けた
事態が動いたのは夜半過ぎ
燻ぶっていた煙も風に消され
ただ静かなだけの現場に影が差した
きょろきょろと警戒してはいるけれど
物音もさせずに立ち上がった二人に気づくはずもない
やがて人影は現場に踏み込み
ガサガサと何かを探し始めた
消火でぬかるんだ足元に舌打ちしながら
何度も辺りを見回してやがて提灯に火を入れて
さらに本格的に瓦礫を退け
必死に何かを探している
グリフとスペラが真後ろにいる事にも気づかないほど必死に
「は……あった……」
「何がです?」
「うわああっ!!」
人影は突然声を掛けられて悲鳴をあげた
自分の悲鳴に驚きすぎて
ようやく探し当てたらしい獲物を放り出す
薄い月明かりを受けて光るそれを
スペラは無表情に宙で掴んだ
「き、きさまら、ここで何をっ」
「お探しものを、お手伝い申し上げようかと思ったのです。クノレ殿下」
「わ、わ、わたしは、べつに」
「殿下。見苦しいですよ」
スペラの声は地を這うように低い
そして笑いを含んでいる
グリフはクノレが大人しくしていて欲しいと願っているけれど
スペラは逃げればいい、潰してやると思っている
どう出るのか
グリフとスペラは黙したまま
ぬかるみに尻をつけて腰を抜かしている男を見据えた
ほんの少し前まで
次期国王だともてはやされていた男を
二人の軍人に詰められて
逃げる気概がある人間は多くない
「ち、違う。ちがうちがう。何を勘違いしている。私はただ、そう、失くし物を」
「なるほど……大切でございましょうね?この章飾は」
スペラは汚い物を触るように
指先で平たい金属をかざした
大きな円に角が八つある星型が重なる意匠
炎に炙られ見る影もないけれど
間違いなく国王陛下を除く内の最高権力を形にしたものだ
これを持つのはこの数十年たった一人であることは
あまねく国民ですら承知している
「なぜこれが、ここに、あるのでしょう」
「しらんしらん!」
「なぜこれを、ここへ、探しに来られたのか」
「それは、貴様らに関係ない!軍人風情が無礼だぞ!」
「軍人風情ではあるが、この国を守る矜持だけは誰にも負けん」
スペラとグリフは同時に脚を振りあげ
情けない小悪党の後ろの壁を蹴り飛ばした
轟音を響かせて
業火に耐えたはずの壁が崩れていく
細かい瓦礫が降りかかり
地面に落ちた残骸が泥水を跳ね上げ
クノレをますます醜く汚していく
「ひ……たすけ、たすけて……!」
「もう一度お伺いいたします、殿下。何故、これがここにあるのでしょう」
「何故これを探しに、ここへ来られたのでしょう?たった一人闇に紛れて」
「それは、それは……」
スペラがもう一度脚を振りあげて
そばにあった提灯を踏み潰した
鋭い音と共にぱっと一瞬炎があがり
力尽きたように暗闇に還る
闇は軍人には味方になってくれるけれど
卑小なクズには恐怖しか与えない
二人がそれっきり黙りこんでしまえば
クノレが己のしたことを泣き叫びながら吐くのに
ほとんど時間は掛からなかった
グリフは装備している連絡用の発炎筒に火をつけて
空高く投げる
光が辺りを照らし
俗物と化した醜い男を二人に見せた
歪んだ欲望に取り付かれた男の末路はあまりにも惨めだった
そして雨が降り出した
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