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第66話

「完成か」 「はい」 爆破事件から数日後 しばらく止まっていた作業は再開され 程なくミラ国王陛下の庭は完成した 悪事の全容が知れたためか ミラ国王陛下は相変わらずの単身だった 庭師たちはすでに陛下の労いのお言葉を頂いて辞している 幾分涼しい風が 蕾をつけた花々を優しく撫でる 「咲くのが、楽しみだな」 「はい」 今までも 王族の方々に請われて庭を作ったり花を育てたりするお手伝いをしてきた 今度の庭は本当に思い入れが強い マディーラ自身も見たことのない花が咲き きっと陛下のおこころを癒す眺めになるだろうと思う 「……そなたがここへ来るのも、もう最後だろうか」 「何かお手伝いできることがございましたら、いつでもお召し下さい。陛下のお役に立ちとうございます」 「では……そなたをそばにと、私が望めばどうする」 「……え?」 マディーラは思わず伏せていた顔を上げ 国王陛下の背中を見つめた 耳にした話によれば この度のことで陛下は王宮内のあちこちに手を入れ 新しいことをたくさん始められたということだ 国に安泰を求めるならば お世継ぎの恵まれやすいように後宮を置くのは意義がある もちろんその役目は女性にしか果たせないけれど 陛下の望まれる人を集めるのが後宮の第一義だ 自分はそこに呼ばれるのか? 「……ようやく自由を得たそなたを、後宮に入れたりはせん。そもそも、後宮を置くつもりはない」 「あ……ご無礼を致しました。お戯れに驚いて、お返事も」 「戯れではない」 ミラ国王はゆっくりとマディーラを振り返った 堂々とした威厳はそのままに しかしそのお顔には疲れが見えた マディーラは慌てて顔を伏せる 「……少し、昔の話をしようか」 「はい」 「そなたを初めて見たのは、父陛下の何度目かの即位記念の晩餐会だったな」 「はい。皆様方が揃われて、大陛下も大層お喜びでございましたね」 「あの時私は、軍部でひよっこでな。向いてないなぁと思っていた」 「さようでございましたか」 「ああ。あの時そなたを見て、この国にこれほど美しい人がいるのか、ならば護らねばと発奮したものだ」 「……」 ミラ国王陛下は独り言のように淡々と マディーラへの想いを言葉にされた 今度こそ マディーラは驚きのあまり言葉を失くす 「それからずっと、そなたを想っていた。王宮から距離を取っていた私は、そうそう逢いにはいけない。ましてや父の、国王の後宮にいる人だからな」 「……陛下……どうぞ、風が出てまいりましたので」 「マディーラ。顔を上げてくれ」 聞きなれた声は風を越えてマディーラに届く その声に彼の想いを感じる マディーラはおずおずと顔を上げた 「……ずっと私は、父がお隠れになったら、王族の立場を捨てようと考えて生きてきた。父上を愛しているし、長い御世を願ったけれど、自分が解放される日を待ち望んでいた。何故だかわかるか」 「いえ……私にはわかりかねます……陛下!」 ミラ陛下の腕がマディーラを捕らえる もちろん抱き寄せたりはしないけれど ディラの髪が風に揺れれば触れるほどの距離 ミラ陛下の鳶色の目が幾分細められて じっとマディーラの顔を見つめる 目を逸らすことが不遜に思えた こんなに真剣にみつめられては 「マディーラ、そなたが申したのだ」 「はい……なんでございましょう」 「いつまでも後宮を出ないのは何故だと問う私に、陛下のおそばにありたいからですと答えた」 「はい。そのように、申し上げたかと存じます」 「自分が解放されるとき、そなたも解放されるのだと考えた」 「陛下……」 風が二人を包みこむ いくつかの早咲きの花々が花びらを散らす マディーラは自分がミラ国王に想われているなど 考えもしなかった 自分の態度や言動が 彼を傷つけたのではあるまいかと案じた 「信じられるか、マディーラ。父上が生前退位を口にされた時、私が考えたのはそなたの事だ。そなたが後宮を出ていく。自分も、王族という柵から逃れる。そうしたら、……そうすれば私の愛は」 「陛下。どうぞ、それ以上は」 「マディーラ」 「私は、幼い頃からずっと、一人の人をこころに……ですから」 「知っている。その気持ちもわかる。私もそうだからだ」 「陛下……」 「父上は、私に王になれと言われた。自分の行く道を閉ざされた思いだった。人の役に立ち、一人の男として、愛する人を護りながら慎ましく生きていきたかったのだ。私は、そなたと」 「陛下っ」 知らずにミラ陛下の腕は力がこもり マディーラは痛みを感じるほどだった 詫びる言葉は口にできない 彼を強く退ける事も どうしたらいいのだろうか 愛にはこんなに種類があるのか 報われない愛はどこへいくのだろう 「マディーラ、またここへ参れ」 「……陛下の御許しがいただけるのであれば、季節ごとの花を見に参りたく存じます」 「私は……私は、季節が変わるのを毎日毎日待ちわびるだろう。一つの季節に一度、マディーラ、そなたがここへ来てくれる日を。その日だけでいい。どうか、私の傍に」 「私は、陛下の愛に応えることはできません」 胸が痛い 涙が零れそうになる 閉ざされた環境で暮らすマディーラに 笑顔で逢いに来てくれた優しいミラ王子 これほど素晴らしい人に求められて 切実で真摯な愛を感じるのに それに肯くことはできない そう告げなければならない苦しみ 陛下は顔をゆがめ 耐えきれないようにマディーラを抱き締めた 愛しい男ではないのに 愛されるあたたかさだけは同じだった 「マディーラ。放したくないのだ。そなたは私の生きがいだ」 「陛下……陛下」 「愛しい人一人得られずに、何が王か」 「得られましょう。どうか、マディーラをお放しください」 「ならん」 「陛下に寄り添う相手は、私ではございません。ですから」 一層強く抱き締められて マディーラは息が止まりそうだった 攫われそうな熱さに ミラ国王は名残惜しそうにそっと マディーラから身体を離す 望みを失くした男の声はこんなにも暗いのか 「マディーラ……そなたは、残酷だ。移ろいゆく季節ごとにたった一日。それさえ私に与えられぬと申すか」 「どうぞ……陛下。移ろいゆく季節をご覧ください」 「……そなたがいないのなら、それはただの過ぎてゆく時間に過ぎぬ」 「僭越ながら。陛下はきっと、お気づきになっておられないだけでございます」 「私が、何に気づかぬと」 「美しい花。優しい人。包まれる愛にでございます」 「マディーラ……」 マディーラはその場に跪き 美しい王を見上げて微笑んだ 何故だか自信があった この人はきっと誰かに強く愛される 「私は陛下の無二の伴侶ではございませんでした。ですが、必ず巡り合うのです。お互いがお互いを、同じ強さで求め、同じ優しさで愛しむ相手に」 「私には、そなたしかおらぬ」 「いいえ、陛下。油断は大敵でございます。御用心召されますよう」 「用心?」 「巡り合いは、一瞬かもしれませぬ。陛下の不可分のお連れ合い様……どうぞ、見逃されることのございませんように」 「マディーラ」 「私では、ございません。陛下……」 長年こころに秘めてきた想いは 打ち明け、拒まれたからといっておいそれとは消えてはくれない 諦められるとは思えない 他に誰も欲しくない ただずっとマディーラだけを愛してきたのだから 「グリフォード隊長との婚儀は、如何致すのか」 「……いずれ、折りをみて」 「私が認めると思うか」 この国の婚姻は 国王陛下の承認という名の祝福をもって成立する 王宮から離れた二人にも 届けを出せば必ず陛下から祝福の手紙が届く なるほど こういう気持ちなのか マディーラはようやく腑に落ちた そして微笑を深くする 「お待ちします」 「……」 「陛下の祝福がいただけるまで、お待ちします」 「……馬鹿な」 「私は陛下をお慕い申し上げております。グリフォードもきっとそうでしょう」 ひどいことを言っていると思った 実際ミラ国王は目を閉じて顔を背けられた マディーラは悩み それでもやはり口を開く 「陛下に、祝福されとうございます」 「そなたは……実に強い。そして、手厳しい」 「申し訳ございません」 いつか言われた「祝福されたい」という言葉が頭に蘇る あの時マディーラは周囲の祝福を何故それほど求めるのかわからなかった 今それが理解できた 愛には色んな形があって 将来を添い遂げたいと思う相手との愛も大切だけれど 周りに溢れる愛も同じくらいかけがえがないのだと 「……失恋する王というのも、なかなか珍奇であるな」 「……で、ございましょうか」 「親子二代、そなたへの愛でてんてこ舞いだ」 「滅相もございません」 「マディーラ」 「はい」 ミラ国王はマディーラをじっと見つめた マディーラも目を逸らさず見つめ返した 優しく聡明な国王陛下 色や形は違うかもしれないけれど 私もあなた様を愛しています 「……そなたのような美しい人が待つ家に帰るというのは、どれほどしあわせであろうな」 「わかりかねます。もう何日も何日も……待ちぼうけでございますので」 「罰当たりな男だ」 「で、ございますね」 「しかしよい男だ。マディーラ、そなたを護るのに相応しかろう」 「……お褒めに預かりまして、鼻が高こうございます」 「私なら、そなたをあんな風に寂しさに溺れさせることはしない」 あの日 この庭で久しくグリフの姿を見て 動揺して息が止まりそうだった すぐにでも触れ合い確かめたくて それができなくてただ彼を見つめた 離れて過ごす辛さが身にしみてこころが折れそう だけど 彼のくれた青いバラが あんな小さな花が救ってくれた これからもきっとそうやって寄り添っていける 「……陛下の御伴侶は、きっとおしあわせであられると存じます」 きっとあなた様にも マディーラは顔を伏せて頭を下げた 素晴らしい庭に、感謝する ミラ国王はそう言い置いて ゆっくりと庭を出て行かれた どうすればよかったのだろうか マディーラは 誰かの愛を退けるという辛さで その場からしばらく動けなかった

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