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第71話

そして翌々日 ガッチガチに緊張したグリフと共に ディラは大陛下のところへ参上した 大陛下は何もしていないのに汗みずくなグリフを見て 恐れ多い事に懐から手拭を出され これを使うがよいと下賜された あまりに恐縮しすぎてグリフが受け取ることもできず ディラが代わりに頂いてグリフの汗を拭いてやった 「まるで夫婦のようであるな、ディラ」 「はい。ディラは、グリフの妻のように振舞っております」 「さようか。しあわせそうであるな」 「はい。とてもしあわせでござます」 僅かに頬を染めて ディラは嬉しそうにそう言った グリフはそれを見て天に昇るような気持ちだった 喉が渇いてギクシャクしながら 出されたお茶を一気に飲み干す 「グリフォード隊長には、先日大変世話を掛けたと、ミラ国王が申していた」 「とっとんでもございません、大陛下。あのような結果は、失態です。お叱りを頂戴すべきことです」 「さようか。しかし、……クノレを捕らえたのも、そなたと副隊長のスペラであろう」 「は……」 グリフは思わず頭を下げ言葉をなくした 自分のあとをミラ様に継がせた事が遠因で クノレ殿下は暴挙に及んだのだとお考えであれば 大陛下のご心労は察するに余りある いずれも、ご自分の血を分けた子なのだから 「気に病む事はない。クノレは私も手を焼いていた。私と、本人が招いたことだ」 「いえ……至らず、申し訳ないことでございます」 こんなことになる前に止められていればと 後悔はいくらでも湧いてくる 確かに恥ずべき所業ではあるけれど 親の子に対する気持ちを思えば 切って捨てられる話ではない 「時に……王兵を廃したようだな」 「は。実戦を積む機会の少ない王兵を置くよりも、第一隊を広く登用するとの陛下のお考えと伺いました」 「そなたは、私が何故そのようにしなかったか、疑問ではないか?」 「……恐れながら、さようにございます」 「で、あろうの」 大陛下はマディーラににこやかにお菓子をすすめ 傍にいた従者がグリフの茶杯を満たしてくれた さり気なく細長い硝子の杯に水も入れてくれた 緊張は随分マシになり汗は止まったけれど 喉が渇いていたのでとても嬉しかった 「長い時代であった。私の父が、早くに亡くなって……なかなか波乱万丈であった」 「は」 「拙い私を、周りはよく支えてくれた。だから、少しずつよくない考えを持つ者が出てきても、それは私の不徳の致すところであるので、国民に累の及ばぬうちは咎める事もせずに置いてしまったのだ」 「……僭越ながら、ご心労をお察し申し上げます」 「息子もな。不出来な親が育てるので、大した器にはならぬ。私から離れて生きていたミラがよい証拠じゃ。あの子には……辛いことを負わせてしまった」 「ミラ国王陛下には、本当にご立派な王であらせられると存じます。私は、ミラ国王陛下に忠誠を誓うことを、大変な栄誉と受け止めております」 「グリフォード隊長は、優しい男であるのだな」 「いえ、そんな」 「ディラは、本当に見る目がある」 恐縮するグリフの隣で ディラは美しい笑顔でさようでございます、と答えている ディラ、すっげー 「世を儚んだわけではないがな、わが身を護ってもらおうなど、考えなかったのだ。まあ、若いうちはわが身は自分でと粋がっていたし、年老いては好きにせよと鷹揚になったのだ」 「さようでございましたか」 「我ながら、あまり小うるさくない王であったのでな、そうそう恨みも買わずに来たのだろう」 大陛下はおどけて笑い ディラは顰め面で首を振っている グリフはそんな二人を見て ディラが後宮で大事に愛されてきたのだなと嬉しく思った 「このたびのこと、クノレはもうよい。ミラを支えてやって欲しい」 「はい。国王陛下の身辺は、必ず護ります」 強く答えるグリフの隣のディラは 細く白い指でお菓子を摘み じっと唇に当ててグリフを見つめていた グリフがその視線に応えると 可憐な微笑を見せてお菓子を小さな口に入れる 「グリフォードは、ディラの手料理は味わった事があるのか?」 「大陛下っ」 「は。ありがたいことに、何度か。未だ奮闘する姿は秘匿されておりますが」 「そうなのか、ディラ?」 「情けない姿は、愛しい人の目には触れさせたくないものでございますっ」 「ふーむ。睦まじいことであるのぉ」 のんびりと茶杯を手に取る大陛下の優しいお言葉に ディラはキュッと唇を引き結ぶと 赤い頬に手をやりながらいつもより早口で言い募る 「さようでございます。ディラは、グリフと睦まじく過ごしております。お料理が上手にできずにオロオロしている姿は、仲違いを招きかねませぬ」 「ディラ、俺はオロオロするディラを見ても、呆れたり嫌ったりはしないよ」 グリフはコソコソとディラに抗議した 大陛下の御前でなんちゃって痴話喧嘩などできない ディラもそれは承知しているようで んもう、グリフったらぁ なーんて態度は返してこなかった お家でゆっくりね 「グリフォードは、ゆくゆく将軍を目指すのか」 「……は。水陸で経験はございますが、やはりいずれは、正式に任せていただけるよう研鑽を積んでいく所存にございます」 「頼もしい限りだ。どこか、希望はあるのか?やはり得手不得手があろう」 「いずれも等しく国王陛下を頂き、護国を担う重要な軍隊です。陸軍に向いているという評価を受ける事が多くございますが、私自身はそのような自覚はなく、任務遂行に差はないように存じます」 「うむ。どこにあろうと、臆するところはないということか」 「……は。そのような気概で臨んでおります」 少し大きく出過ぎたか グリフはそう考えて いずれも真実であり今は第一隊の隊長なのだから 下手に遜れば隊の看板に傷がつくだろう そう思い直して頭を下げた 「いい男であるな、ディラ?」 「はい」 照れくさく思いながらディラの方へ目をやると 愛しい人が自分をみつめ 誇らしげな笑みを浮かべている グリフは自分の方こそ見る目があって 隣にあるこの男の値打ちは計り知れないのだと 大声で叫びたいような気分だった 「ああ……ディラ。珍しい鉢植が届いた。この年寄りでは枯らすやも知れぬので、そなたに預けたい」 「はい。大切に育てます」 「花が咲けば、見せに来ておくれ」 「はい」 大陛下の目配せと共に ディラは立ち上がり従者と共に扉の向こうへ消えていった 途端にグリフは落ち着かなくなる 今までも落ち着いてはいなかったけれど 「グリフォード」 「はっはいっ」 「ディラは、私にとって息子も同然だ。ディラのしあわせを、愛に溢れた人生を祈っておる」 「……は」 「任せてよいか」 グリフはわずかな躊躇いもなく強く頷いた 今この瞬間は 前国王ではなくマディーラの親代わりとして 我が息子を娶る覚悟があるのかと問われている グリフは自分以上に彼を愛せる人間はいないと揺るぎない自信があった 「大陛下のご期待を、裏切りません。ディラのしあわせは、私が、必ず護ります」 「頼もしいの」 「そうありたく存じます」 「さようか」 大陛下は優しく微笑まれ 以前ディラが作ったという庭に目を移された グリフもそれに倣って美しい庭園を眺める ディラの、花への愛が溢れているような気持ちがして グリフは緊張やおかしな興奮がすうっと醒めていくような感覚を覚える 涼やかな風が渡っていく 「……大陛下」 「なにか」 「……真に僭越ではございますが、ひとつ、お伺いしたいことがございます」 「かまわぬ。申してみよ」 「は。……なぜ、生前退位をなされたのでございますか」 「うん?不思議か」 「不思議……さようでございますね……いえ、私は、陛下ほどの愛された王が玉座を降りる、その理由はよほどのことであろうと、浅薄な考えに至ります」 この国は安定していた それは長く一人の王が統べていたというところが大きい そして国民のほとんどが自分の王を愛していた 王も国民を愛していた だから いったいどれほどの理由があれば 愛するこの国を慈しむ立場を離れるに至るのか グリフは今、恐れ多くも国王の話を参考にしようと思っていた 人の上に立つことに手こずり 自分への自信やこれからの道を見失いそうだから 「約まるところは愛であろう」 「……は」 「愛に溢れるこの国で、私はありとあらゆる愛を受け、また、授けてきた」 「は」 「年老いて、いずれこの世を去るときに、王として見送られることは大変名誉なことだ。ずっと歴々、そのようにされてきた。しかしふと、この命を散らす前に、王冠を、愛しい者に捧げるのもよいかと考えた」 「ミラ国王陛下……大切なご子息様へ、そのお立場を譲られたかったという事でございますか」 「そうだねぇ……」 大陛下は眩しそうに楽しそうに庭を愛でられる それほどミラ様を大切に思われているとは知らなかった グリフはさようでございますか、と目を伏せる 「ミラは、私が死んで、例えばクノレがひと時玉座に座ろうとも、いずれ王になるのではなかろうか」 「はあ」 「ミラにはそういう力がある。本人は無意識にそれから逃れようとして、平穏で静かで慎ましい人生を欲しがるけれど」 「僭越ながら、私もミラ国王陛下は、王に相応しい御方と存じます」 「ふ……親の欲目ではないのならよかったことだ」 「は」 「あの子は強くて、この国を背負って行くことはできるだろう。私などより、ずっといい王になる。だけど、ミラを愛してくれる誰かがいればいいと願うのも親なのだよ」 「親の愛というのは、かくも偉大でございますね」 「王になれと、私がミラに言った時、あれは嫌だと申した。自分にはこころに決めた人がいて、その人と静かに暮らしていきたいのだと」 なんと 伴侶のないミラ国王陛下にそのような想い人がおられたとは 急に陛下に親しみを感じる 大陛下は茶杯を干し ディラに用意された席を眺められた 優しく慈しみ深い目だ 「私はね、グリフォード。ミラをその柵から解放したかったのだよ。恨まれるかもしれないけれど、そうだな、目を覚まして欲しかった」 「……大陛下は、ミラ国王陛下と早くから離れて暮らしておられたと伺っております。離れていても、親子であればわかるものなのですか。お相手を、ご存知でおられるのでしょうか」 「ミラは素直だからね。見ればわかる。そして一途だ。あれが王座の主になるのは必定だ。辛い運命を背負わせる代わりに、早く真実の愛を見つける手助けをしてやりたかった」 グリフォードはよくわからなかった ミラ王子が隠しきれないほど一途に想うお相手 なぜその愛を柵だと言えるのだろう それこそが真実の愛ではないのか グリフの訝しがる気持ちが顔に出てしまっていたらしい 大陛下はおかしそうに笑った 「もちろん私の見込み違いということもあるが……年の功だ。本当の愛は、ああいう形ではない」 「はあ……」 「しかしまあいずれにせよ、いつまでもいつまでも、王子だか軍人だか民間人だかわからないような立場でグズグズとジメジメと、想いも告げられないなど辛気臭いのでな」 「……」 「私が退けば、あいつも動かざるを得まい。腹を括れということだ」 グリフは少しミラ国王陛下に同情した 別にずっとひっそり好きでもいいじゃん! そんな急に相手呼び出されて引き合わされて背中押されて 言うことあんだろ?言えよ、ほら みたいな仕打ちは結構堪える 陛下、私は陛下の味方ですっ 「ミラ国王陛下は、腹を括った……のでしょうか?」 「知らぬ。いかに私がおせっかいでも、いかがであったか、まだかまだか、いったいいつ愛しいと伝えるのだと聞くわけにもいかぬのでなぁ」 けけけ、と大層愉快そうにお笑いになる大陛下が ちょっぴり悪い人に見える 絶対聞いてそうだもん 肘で小突きながら 「は……しかし、ミラ陛下からの愛を、受け取らぬ人などいますでしょうか。想いを告げられて、その長年の愛が成就するやもしれませんが」 「そなた、もしミラから望まれれば如何する」 「……浅慮でございました。何卒、お許し下さい」 ちょっと顔が引きつっているグリフを 大陛下がじっとみつめる 「他の息子どもや娘たちは、何某か愛を得、楽しくやったり自分に忠実に生きている。私にとって、ミラとディラは、最後の気がかりであったのだ」 「……え?」 「ディラは本当に私に尽くしてくれた。美しく聡明で、とてもおもしろい。もちろん知っておるだろうが」 「はい」 「長く私の後宮にいて、そなたのことをディラが口にしたのは一度だけだ。まだ幼かったディラは、お嫁さんになればと言ってくれた人がいると教えてくれた」 「……」 「とてもとても嬉しそうでな。なのに出て行こうとはしない。私も何も言わなかった。ディラの好きにすればよいと考えていた。しかし私も歳をとる。ディラの花嫁姿を見たいと思っても、許されよう?」 「……大陛下?」 「ディラはきっと一生美しいだろう。しかし、今の美しさは、あの大輪の花のような華やかな美貌は、私が老いぼれてくたばるまで後宮に閉じ込めておくべきものではない」 「あの」 「私は後宮を廃し、ディラを嫁に出したかったのだ。生前退位で、懸案が二つも解消される。なかなか妙案であろう」 マジで!? 奥手な息子の片想いに発破をかけたいだけじゃなく かわいい息子の花嫁姿目的も込みの生前退位なの!? えー!? 変な人ーー!! 動揺するグリフを他所に 大陛下は好好爺然としてホクホク笑っている 後宮を出てからのディラの美しさはますます冴え渡っている 私は本当によい決断をしたものだと大層な得意顔だ いやまあ、ありがたいけどもっ ぜんっぜん参考になんないね! 「……大変よいお話をお聞かせくださいまして」 「かまわぬ。私もそなたにこの話をするのを楽しみにしておったのだ」 「さ、さようでございますか」 「そなたは、本当に見る目があるのだな」 「……はい、さようでございます」 やがてディラは戻ってきて 本当に珍しい鉢植えでございましたと嬉しそうに言っている グリフは自分とこの人は 色んな人の愛で支えられているのだなとしみじみと考えた 「私のいない間、どの様なお話をされておられたのでしょう?」 「えーと」 「ふふふ。それは秘密だ。私とグリフォードだけの」 「……なんだか、少し悔しいような気がいたします」 ディラはかわいい顔でグリフと大陛下を交互に見やり 納得のいかないような表情で首を傾げた ディラが戻る直前に 大陛下は鷹揚に婚儀には呼べと仰られたのだ とんでもない話だ 一般の民間人の婚儀に王族の方が見えるなどあり得ない 軍幹部にでもなれば祝福の花が届くこともあるらしいけれど 将軍レベルの話だと聞いている 結婚を誓い合ってはいるものの まだ少し先になりそうなのですと グリフが慌ててご説明申し上げると はようせねば、この年寄りは死んでしまうぞと 絶対しばらくお隠れにはならないだろうと確信できる闊達さで仰られた グリフはただただ恐縮して頭を下げるほかなかった 「二人とも、今日はよく来てくれた。感謝する」 大陛下はそのようなお言葉を残し 従者を引き連れてお部屋へ戻っていかれた その背中に 一体どれだけの愛を背負っておられるのだろうか 「グリフ」 「ん?」 「愛している。陛下に一緒にお会いできて、グリフを褒めて頂いて、こんなに誇らしく嬉しいことはない」 「俺もだ。ディラ……帰ろう」 「うむ」 あなたの愛する花が咲く俺たちの愛の巣へ

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