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第74話
門扉から玄関までの両脇だけを彩っていた花も
今は中庭にも裏庭にもたくさん咲いている
帰宅して
彼を呼びに行こうとする従者たちを止めて
グリフォードは中庭へ向かった
美しい人はそこで花に囲まれてしあわせそうに微笑んでいる
「ディラ、ただいま」
「グリフ!おかえり。早いのだな。夜また出かけるのか?」
「いや……今夜はもう、家にいる」
「そうか」
今宵一晩グリフが自宅にいるというだけで
ディラはとても嬉しそうな顔をする
そうでない時はきっと
「ディラ。大事な話がある。人払いを頼みたい」
「え?ああ……うむ」
マディーラがちらりと視線を流しただけで
傍にいた従者たちは頭を下げて姿を消した
穏やかな風に揺られる花の声と自分の心臓の音しか聞こえない
グリフはじわりと汗をかくような緊張を感じた
多分それがディラにも伝わっているのだろう
彼も顔が強ばっている
グリフは深く長い息をふう、と吐いて
意を決して美しい紫の目を見つめた
「ディラ。とても……大事な話だ」
「うむ」
「ここしばらく、ずっと考えていた。俺は、何のために軍人になったのか。どんな軍人になりたいのか」
「……うむ」
「愛するこの国を護るために、強くなりたいと思う」
「うむ」
「愛するあなたを、ずっとずっと、愛していきたい」
「うむ」
グリフはディラの白い手を取り
両手で包み込んだ
ディラは一歩グリフに近寄り
目を見上げてこくりと頷いてくれた
「嬉しい。私も、グリフをずーっと愛していくと約束する」
「ああ……ディラ、ありがとう。俺も嬉しいよ」
ドキンドキンと心臓がうるさい
握った手が震える
それでもちゃんと伝えないといけない
「……ディラ。俺は、首都を離れようと思う」
「……え?……命令が、出たのか」
「いや。自ら、陸軍か水軍に配属替えを願い出るつもりだ」
この世のどんな宝石よりも美しい目が
見開かれてグリフを見つめている
ふっくらとした赤い唇を結んだまま
グリフの言葉を、表情を何度も何度も確認している
「……逢えなく、なるのだな」
「すまん……すまん、ディラ」
グリフはディラの手をぎゅっと握って
自分の額に押し付けるように頭を下げ何度も謝った
グリフの告白でディラが冷静に悟った事実
そう
二人はほとんど逢えなくなるだろう
「グリフの決めた道に、否やはない。もとより……ずっと首都にいられるわけではないとちゃんと聞いていた。グリフに非はない」
「ディラ、自分勝手ですまんが、どうかそんな風には思わないで欲しい。決してあなたのためだなどとは言えないけれど、色々と……本当に色々と考えたんだ。もちろん、ディラのこともたくさん考えた」
「わかっている。グリフが、気紛れや酔狂でそんなことを言い出したのではないことぐらい」
「ディラ」
「逢えなくても、寂しくても、ここ最近のようなグリフのままであるよりはずっといい」
「え?」
ディラは自分の手を包んでいるグリフの手に
そっと唇を寄せて口づけた
この手が護りたいものになりたい
離れていてもグリフは護ってくれる
寂しさや辛いことからもきっと
だから大丈夫だ
「事件以来、なんだかグリフは元気がなかった。最初は、クノレ殿下のことを……気に病んでいるのだと思っていた。でも、違うのだろう?」
「……ああ」
「今のままでは、将軍にはなれないのか」
「いや……わからないけれど、少なくとも、今のまま|首都《ここ》にいても、俺はいつまで経っても将軍としては不適格だ」
「では、行けばいい。私に遠慮は要らない」
ディラは唇に微笑を乗せて
グリフにそう告げた
グリフはざっとその場に両膝をついて
ディラを見上げる
「ディラ。寂しがりやのあなたから離れることを、許して欲しい」
「うむ。いいのだ、それは」
「でも寂しいのはあなただけじゃない。ディラに逢えない日々を思うだけで、俺は挫けそうになる。この家で、ディラと睦まじく過ごす今を守ろうかとも考える。決して、ディラだけが、一方的に離れがたいと感じ、できるならば一緒にと願っているんじゃない。俺も、同じ強さであなたを求めている」
「グリフ……」
「だからディラがもし、俺の枷になりたくないと思って肯いてくれているのなら、どうかそう言って欲しい。俺は、ディラ以上に大切なものなどない」
あなたを蔑ろにはしない
離れても大丈夫だと
寂しくても俺を待てると思えないのなら
俺はあなたの傍を片時も離れずに生きていこう
俺のすべてはディラに捧げる
そんな人生を喜んで選ぶ
だけど
あなたは俺がいないと息もできないほど儚いのか?
強く賢く美しい人
俺が傍にいなくても
あなたは毅然と立っていられる人だと思っている
例えお互いを想って切ない夜を過ごしたとしても
ディラはじっとグリフの目を見つめてしばらく考え
首を横に振った
サラサラと豊かな銀の髪が揺れる
愛しい人の枷にはなりたくはない
だけど
枷になりたくなくて我慢をしようと思ったのではない
離れていても変らず愛しているから
距離に潰されるほど弱くはないから
空いた隣をたくさんの愛で埋めて
あなたの帰りを待ちたいと思うから
ディラが無理をしようとすれば
グリフはちゃんとわかって助けてくれる
だから大丈夫だ
「ディラにふさわしい男になりたい」
「うむ。私は、大丈夫だ。グリフに愛されていると知っているから」
「そう、俺はあなたを愛している。ディラ……これを」
グリフは自分の首にかけていた細い紐を外し
結び目を解いて通してあった指輪を手のひらに載せた
それをじっとみつめ
なんて綺麗なんだろうと感激し
愛しい人に捧げる
「受け取ってくれ。そして……俺と、結婚して欲しい」
「えっ……」
「ディラと再び巡りあえて、一緒に過ごして、少し……離れてしまうから。あなたを今、俺のお嫁さんにしたい」
「グリフ」
「愛している。この世で一番、ディラを大切にする。どうか……俺の妻になってください」
目を見開いて驚いていたディラは
清冽な光を放つ指輪とグリフを交互にみつめ
きゅっと唇を噛んだかと思うと大粒の涙を落とした
「ディラ」
「…………い」
「え?」
「嬉しい、グリフ」
そう一言どうにか呟いて
ディラは自分の顔を両手で覆う
指の間から流れるほど
たくさんの涙が溢れているようだ
「ディラ、泣かないで」
「う、うれ、嬉しく、て、もう」
「聞かせて、ディラ……返事を」
「グリフの、お嫁さんになる……お嫁さんにしてくれ」
立ち上がったグリフに抱きついて
ディラはそう答えた
これ以上ないようなしあわせを感じて
グリフもディラを抱きしめる
愛しい愛しい俺の妻と囁きながら
「ディラ、手を貸して」
「うむ」
涙でしっとりとした手を差し出すと
マディーラはグリフの持っている指輪をみつめた
グリフはその手を自分の手のひらに載せる
「綺麗な指輪だ……」
「ああ。ディラの涙みたいだろう?」
「そうだろうか?」
「そう。ここへ、閉じ込めるから、もう泣かないで」
「嬉しい時の涙は、いいだろうか?」
「俺の前でなら」
いつでもどんな涙でも
俺のいないところでは零れませんように
グリフはディラの手の甲に口づけて
白く細い指に指輪をはめる
「ピッタリだ」
「そうだな。よかった。よく似合う」
「なぜピッタリなのだろう?」
「種を明かそうか?」
「……いや、いい。グリフの愛の力だと思っておいたほうが嬉しい」
「ふ……そうだな」
ヒラヒラと手を光にかざして
嬉しそうに笑うディラが愛しくてたまらない
グリフは愛しているよと言って
彼に口づけをした
これからもずっと、ずっと愛してる
「グリフ……なぜもう一度、求婚してくれたのだ」
「ああ……改めて、何もかもを話した上で、俺の本当の気持ちを伝えたかったから」
いくらでも待つと言い続けてきた
何もかもディラの好きにしていいと
その言葉に嘘はないけれど
自分の気持ちを素直に認めてしまえば
今すぐお嫁さんになって欲しい、それが真実だった
ディラはグリフの厚い胸板に頬を押し付けて
しあわせなため息をつく
「すごく……かっこよかった。グリフ、私はグリフに首ったけだ」
「そうか」
「あんな風に、跪いて、目をじっと見つめられて……妻に、などと言われて、もう、頷くほかはない」
「ディラ、愛しているよ」
「すごくすごく、嬉しかった。この指輪も、ずっと大切にする」
「ああ。喜んでもらえて、俺の方がきっと嬉しい」
「いいや、私の方が嬉しいぞ」
「そうか?」
「そうだ!」
ディラは甘く可憐な笑顔でグリフを見上げる
誰よりも愛しい人
あなたの夫になれたことを、こころから感謝している
ありがとう、ディラ
グリフは何度もそう言いながら口づけを繰り返した
「……グリフ、婚儀は、急ぐのか」
「え?ああ、急ぎはしないよ」
「そう……配属換えというのは、たちまち行われるのか」
「いや。まだ将軍へも伝えていないから」
「そうか」
「でも、今、俺の妻になってもらったのだから、そう遠くない日にお披露目したい」
「……うむ」
ディラはほんの少し心配そうな顔をしている
婚儀そのものに不安があるのだろうか?
グリフは彼をあやすように背中を撫でて頬に唇を寄せる
「子どもじみた感情だけれど、ディラを俺の妻だと大声で自慢したい」
「それは私だってそうだ。この素晴らしい男は私の夫で、いずれ将軍になるのだと」
「ふふ……ああそうだ。婚儀は、国王陛下の庭で執り行おう」
「えぇ!?」
「いやか?」
「……」
ディラはひどくうろたえているように見えた
グリフは彼を落ち着かせるようと抱く腕に力を込める
「恐れ多いとは俺も思うが、直々にそのようにとのお言葉だ。あの庭はディラが作ったのだし、きっといい思い出になると思う」
「……グリフ、ミラ国王陛下とお話したのか?」
「いや。スペラに聞いた」
「なぜ、スペラ殿が?」
「実は、俺が失くしたのはその指輪なんだ。それを見つけてくれたのがスペラで、そのとき近くに陛下がおられて、そのように俺に言えと仰ったのだそうだ」
「……陛下は、どのようなご様子だったのだろう……」
ディラは眉根を寄せて目を伏せ
悲しそうな顔をした
その表情の意味がわからなくて
グリフは戸惑った
二人に、何かあるのだろうか
ディラが悲しむようなことが
「ディラ……」
「あ……いや、その」
「スペラが言うには、なんだか楽しそうだったと」
「え?」
「嬉しそうというか……しあわせそう?なんだかそのようなご様子だったようだ」
今度はディラが戸惑う番だった
あの庭でマディーラに婚儀を行えと言うそのご心中が
穏やかであろうとは到底思えない
ましてしあわせそうだなんて
緩く握った手を口元に当てて
ディラが思案顔をする
グリフはいてもたってもいられない
「国王陛下と、何かあるのか?」
「……わからぬ」
「え?」
「よく、わからなくなった。でももし、陛下がおしあわせでいらっしゃるのであれば」
あの日の陛下のお言葉が偽りだろうとは思えない
これほどわずかな月日の中で
あのお方の苦しさが消えるものだろうか
ずっと耐えて秘めてきた強さで、熱さで
マディーラを望み……失ったのに
「……ディラは今、悲しいか?」
「え?……いや」
「辛いか」
「いいや。グリフがいるから。私は、グリフの妻だから」
「なら、いい」
グリフに色々あるように
ディラにも色々あるのだろう
これから先、離れたとして
相手を疑いだせば不幸に堕ちていく
考えるのは、願うのは相手のしあわせ
ただそれだけだと決めた
グリフはすらりとした美しい妻を腕に抱く
「愛してるよ、マディーラ」
「私もだ。グリフォード」
「陛下は、俺たちを祝福する用意があるとも仰ってくださったそうだ」
ディラは目を見開き絶句した
祝福?
無理をなさっておられるのか
マディーラを恨んでおられるのか
それとも……ひょっとして
「……愛とは、あちこちにあるのだろうか」
「ん?この国には溢れているだろうな」
「失っても、また、得られるのだろうか」
「さて……自分にとっての真実の愛は一つだと考える。俺はディラの愛を失くして生きてはいけない」
「うむ」
「だが、愛する人を失って、その悲しみを癒してくれる愛に出会うこともあるだろう。それまで否定するつもりはないよ」
「……うむ」
「スペラは、この指輪を見つけたのは愛の力だと言っていた。愛には、不思議な力や廻り合わせがあるのだろう」
「うむ!」
あのお方も巡りあったのかもしれない
お互いを同じ強さで求める相手に
優しさで護ってあげたいと願う人に
そうであって欲しいとマディーラは祈った
本当に大切な人だからしあわせであって欲しい
自分たちを祝福などしなくてもいいから
グリフは力いっぱい抱きついてくるディラをじっと支えていた
「ディラ。近いうちに、ミズキ将軍へ事情を話そうと思う」
「うむ」
「後任人事や諸般のこともあるので、早々に首都を離れるということにはならないと思うが、異動の話を聞きいれてもらったら、同時に婚儀を調えてもいいか」
「……うむ。そのようにしよう」
「ディラの花嫁姿か……俺はきっと、泣いてしまうな」
「私はきっと、嬉しくて大笑いしているぞ」
「そうか」
ディラの愛で育った花が揺れる庭で
二人の永遠の愛を約束しよう
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