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第75話
マディーラを妻にした翌日
ミズキ将軍へ異動を申し出るとものすごく嫌な顔をされた
挙句、忙しいと執務室を追い出された
日を改めて再度参上するとまだ言うかとまた追い出されそうになった
さすがに今回は踏みとどまる
「閣下」
「そんなに私の下で働くのが苦痛か」
「そのようなことは決してありません」
「ならば首都にいろ。何が不満だ」
「……」
「首都は平和で、退屈を感じるかもしれんがな」
「いいえ」
「首都警護部隊の要である第一隊を、グリフォード隊長が率いているから平和なのだ。間違えるな」
「……ここで、のうのうと過ごすことに悔しさを感じます」
ミズキは太い腕を胸の前で組み
大きなため息をつきながら椅子の背に身体を預ける
のうのうと過ごしているのか
第一隊の任務も訓練もそんな生易しいものではない
水陸で活躍した精鋭であっても音をあげて退役する者はザラだ
どんな任務を与えても偏らず務められる人間は稀だ
だからこそミズキは
自分の後釜にグリフォードを据えようと策を弄し
目の届くところに置いて徹底的に鍛えてやろうと考えていた
いずれ首都では異例な将軍くんもやらせて
自分の知るすべてを与えよう
真に人の上に立つとはどういうことなのか
大局を見極めるにはどうすべきか
しかしグリフォードは自らの意志で道を決した
ミズキが与えてやりたいものなど
自分の力で得て進んでいくのだろう
きっと、いい将軍になるのだろうな
「優秀な部下と最愛の伴侶は、手放さないのが私の信条だ」
「……閣下の信条に否やはありません。むしろ、その格言を引き継ぎたい所存です」
「マディーラ殿が悲しむのではないか。もう話したか」
「は。行けばよいと、言ってくれました。ご高配痛み入ります」
「ふん。では、その作戦も使えぬか。マディーラ殿が止めてくれれば、軍が行けと言っても行かぬだろうが」
「……勝手を申しまして、本当に」
「まったくだ」
少し意外だった
可憐で儚げな印象の強いマディーラが
行けばいいなどと言うとは思わなかった
また、グリフォードが彼をおいて行くと言い出すとは
ミズキが考えるよりもずっと
二人の絆は強く愛は深いのかもしれない
「ど変態とどスケベと、どちらがいい」
「……」
「選ばせてやると言っている。筋金入りのど変態のアルムの下で、夜な夜な身の危険を感じるのがいいか、むっつりどスケベのカラウの下で、四六時中下半身に視線を感じるのがいいか」
「どっ」
「ど?どちらもどがつくが」
「……どちらでも、結構です……」
「さようか。ではあいつらにそのように言っておく」
「できるだけ、穏便に」
「グリフォード争奪戦だぞ。全軍挙げての死力戦になろう」
「……閣下は、どちらがお好きですか」
「あいつら二人か?どちらとも関わりあいたくなどない。アルムは見た目はよいがうっとおしいし、カラウは静かだが目が怖い」
道を誤ったかもしれない
アルム将軍のほうが気さくで親しくお話させていただいているけれど
その変態ぶりは寒気を覚えるほどだ
おとなしく寡黙なカラウ将軍だって
気に入った者があれば静かにじっと視姦し続けると聞く
襲い掛かってくるようなことはないらしいけれど
油断して一度距離を詰めてしまえば
その後の結果は多分アルム将軍と変わらない
ど変態プレイにつきあわされるか
どスケベの境地を見せつけられるかのどちらかだ
「……役職も、任地も問いません。ただひたすら、軍人として雑念なく仕事にまい進できればと思います」
「それはお前のこころがけと覚悟次第になるだろう」
「は」
「この話は預かった。以降、現行どおり首都の安穏のために尽くせ」
「は!」
グリフは腰の後ろで手を組み直立していた姿勢から
ピシリと踵を揃えて最敬礼をして本部将軍執務室を辞した
そのしばらく後に
首都での任務を解かれ陸軍への配属命令を受けた
役職は隊長で、任地は首都からは数日かかる僻地
マディーラにそう告げると
彼は清廉とした佇まいで頷き、どうか存分にと応えた
それから大騒ぎになりながら仕事を引き継ぎ
慌しく婚儀を調え
今日を迎えた
空は青く澄んで晴れ渡り
祝言に相応しい日になった
「グリフ。待たせてすまぬ」
「……どう、言えばいいのか……」
「うむ?」
「美しすぎて、涙が出る。ディラ、綺麗だ」
「これから先もずっと、グリフに褒めてもらえるのが一番嬉しいだろうな」
そわそわと落ち着かずに玄関先でディラが現れるのを待っていた
待たせてすまぬと声がして
そこに立っていたのはめまいがするほど美しく、愛しい妻だった
「は……ディラはやはり、白が似合うな」
「覚えているか?グリフ」
「もちろん。ここへ初めて来た日の衣装だ」
「うむ。グリフが私を褒めてくれて、初めて口づけを」
「ああ……覚えているよ」
あの時は違うと思ったけれどやはりこれは花嫁衣裳になった
ディラの魅力を際立たせる白銀の衣装
腰に幾重にも巻かれた組紐は赤
片方にまとめて垂らした髪の根元には
色とりどりの花が飾られている
それでも、微笑むディラの引き立て役にしかならないけれど
「グリフの礼服姿も、間近で見ると格別だ」
「そうか?」
「ものすごく大きな声でチョーかっけー!!と言いたいが、花嫁には相応しくなかろうな」
「ああ。そんなことを言う花嫁は、うちの妹だけで十分だ」
「でも、見惚れる」
「ありがとう」
グリフの着ているのは軍人の最上級礼服だ
王宮で国王陛下に拝謁賜るときなどに着る
形はだいたい決まっているけれど自分の好きな色で誂えて
胸には授かった勲章等を飾る
グリフォードのは深紅だ
ディラと並べば、この国の婚礼の色彩になる
「ディラ」
「うむ」
「……他に、言葉が見つからない」
「うむ。私もだ」
「こころから、ディラを愛しているよ」
「私も、グリフを愛している……誰よりも、愛しい」
目を見つめて微笑みあい
数え切れないほど囁いた言葉を交わす
甘く唇を寄せ
今日この日を迎えられたことをしあわせに思う
「行こうか」
「うむ」
マディーラは穏やかに微笑んで
そっと懐の辺りに手をやった
その手には透明に輝く石のついた指輪が光っている
グリフはそんなディラの様子を嬉しくみつめた
彼の懐にはグリフからの手紙が入っているのだろう
ゆうべ手渡した、新しい手紙が
「字だけは、少しはうまくなったと思うが、文面は多分大差ないだろうな」
「うむ?」
「あの時は、離れるあなたに、なんとか自分を忘れて欲しくなくて手紙を渡した。今回は違うよ。確かに離れるけれど、これからもずっとあなたを想っていると……一緒にしあわせになろうという手紙だ」
何度も書き直して読み返していくうちに
言葉は端的に変わり長かった手紙はどんどん短くなって
ただただディラへの愛に溢れたものになった
最近ようやく二人の部屋を作って
独りであれ二人であれ毎日同じ寝台で眠る
婚儀を翌日に控えて
その寝台の上に向かい合って座り
グリフはディラに手紙を差し出した
いつまでも強く、あなたを愛しているという言葉とともに
ディラはあの頃よりもずっと美しい笑顔で嬉しそうに笑い
あの頃と同じようにその手紙をぎゅっと胸に抱いた
「私を選んでくれてありがとう、グリフ」
「いいや。俺のほうこそ、ありがとう」
「読んでもかまわないか?」
「ああ……でも少し恥ずかしいな……」
「嬉しくて、泣いてしまうかもしれぬ」
「だったら、俺の前で読まねばいけないよ」
「うむ」
グリフは愛しい妻を背中から抱き寄せて
髪や首筋に口づける
ディラは愛する夫の優しさとぬくもりの中で
そっと手紙を開いて
その内容にやっぱり嬉しくて泣いてしまった
グリフはその涙を全て唇と指先で受け取った
明日はいい天気だといいな
そう囁きあい抱き締めあって二人で眠りに落ちた
玄関を開ければ
花を手にした村の人たちが歓声を上げて出迎えてくれた
おめでとうの声に涙が滲む
隣のディラを見れば
今までで一番輝いた笑顔で嬉しそうにしている
ああ
あの日あなたを選んで本当によかった
「隊長ーーー!!!」
「おしあわせに!!」
「マディーラ綺麗!」
「お似合いだよー!」
村の人たちに何度もお礼を言い
握手を交わし
見送られて馬車に乗り込む
「本当にありがとう、みんな。行ってくる」
「行ってらっしゃい!」
「おめでとうーー!!!」
家の前には四頭立ての豪勢な馬車が止まっていた
屋根や壁のない形なので
そこに乗る夫婦がみんなからよく見える
王宮までの道すがら
人々から祝福の声を掛けられ手を振られ
くすぐったいような気分で婚儀の行われる庭園へ向かう
二人は国王陛下のお言葉どおり
ディラが陛下のために作った庭で婚儀を執り行うことにした
このことを決めるのには本当に日にちがかかった
ディラはずいぶん悩んでいて
何が気がかりなのかを聞いても教えてはくれない
あまりに長く悩んでいて
このままでは祝言を挙げないままにグリフが赴任してしまいそうになった
グリフはディラに
スペラを自宅へ呼んで話をしてみては如何かと勧めた
グリフはグリフで異動に伴う諸般の業務で慌しく
ディラの話をゆっくり聞いてあげられないことを申し訳なく思っていたからだ
スペラを招いた夕餉の席で
グリフは席を外そうかと提案したけれど
ディラがかまわないと言うので三人で食事をした
ディラはスペラに
少し陛下のご様子を教えて欲しいと前置きして
しかしどう問えばいいのか、言いよどんでいた
聡いスペラは穏やかに
ミラ国王陛下は二人の結婚をこころから祝福しておられるし
マディーラ殿が庭を作ってくれた事を感謝しておられるから
そこでの婚儀を望んでおられると
そのご意向に他意はないと思われるので
お嫌でなければそのようになさっては如何かと
言外に何も心配は要らないだろうと告げてくれた
マディーラはスペラをじっとみつめ
あのお方は、おしあわせであられるのでしょうかと聞いた
スペラは少し困った顔をして
俺にはわからないけれど、少なくとも危険はないように努めるのでご安心をと笑った
「あの……スペラ殿は、本当に軍役を退かれるのでございますか」
「ええ。隊長と副隊長が一斉にいなくなるなど、馬鹿も休み休み言えとミズキ将軍には鉄拳制裁を食らってしまった」
「陛下の、護衛に当たられると」
「そうだよ。頭が二つあるといざというときに動きが鈍る。軍の指令に従いながら護衛をするのは難しい」
「……」
「大丈夫。わが国の軍組織は磐石だから、我々の後任も優秀な人間だ」
「ええ……さようでございましょうね」
スペラの退役に関しては
本人は何の未練もなく腹が決まっているし
グリフとももう話し合ってしまったことなので
この席であれこれと聞く事もない
ディラの視線を受けて
グリフは肩をすくめた
自分勝手ではあるけれどグリフは自分がいなくてもスペラがいると安心していた
隊長職は当然スペラに引き継ぐつもりだった
なのにあっけなく無理だよ、と言われた
「無理ってなんだ。お前まで首都を離れる気か?」
「首都にはいる。しかし、軍を抜ける」
「……冗談にしては、まったく面白くない」
「冗談でこんなことは言わない」
「軍を抜けて、どうするつもりだ」
「ミラ国王陛下の下へ」
スペラはさらりとこの国の王の名前を出した
首都警護部隊の隊員としてではなく一個人として
陛下の警護に当たると言う
「……ひとり王兵プレイか?」
「それって楽しくなさそうじゃない?」
「ああ。……どういうつもりだ」
「あのお方をお護りしたいだけだ」
気負いもなく呆気なくスペラはそう言う
グリフが目を見開いて黙り込むと
頬のあたりを撫でながら怖い顔しないでよ、と笑った
「軍人という職業に誇りを持っているし、辞めたいわけじゃない。でも、有事にどちらかを選択しろと言われれば、俺は軍部の意向よりあのお方をとるだろう。だから、もう軍人ではいられない」
「……どういう立場になるのだ」
「さあ?兵士じゃないし、騎士でもない。陛下の私設だから議会も国庫も関係ない。強いて言えば用心棒だよね。歩哨、かなぁ」
「……愛のためか」
「そりゃそうだよ」
グリフはスペラに手を差し出した
かたい握手を交わしてお互いを抱き締めあう
大陛下の仰った本当の愛はスペラが陛下に捧げるのか
なんて素晴らしい事なんだろう
護りたいと願うこの国には
いつも愛が溢れている
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