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第83話

貴賓室は広い 尊い人や身分の高い方が お独りでここに泊まるときにお手を煩わせないように 部屋はいくつか繋がっているけれどどこにも扉はない そんな大きな部屋に入って薄布を抜ければ 高そうで柔らかそうな長椅子が広々とした空間に置いてある ミラ国王陛下は太い腕を胸の前で組むとそこへどっかりと座った こうして対峙するのは久々で スペラは跪いて頭を下げ陛下の指示を待った 「……グリフォード隊長は、なんと」 「は。例年と比べても諸事問題ないので、この雨は突発的であるとの事でございます」 「さようか。旧交を温めてこなくてよいのか」 「冷えておりませんので」 あ しまった 緩みすぎるにもほどがある うっかりフザけた口を聞いてしまった しかし陛下は相変わらずご機嫌がいいようだ 顔を見なくともわかる 「そなたの冷静な判断で、みなが辛い思いをせずに済んだ。感謝している」 「滅相もございません。陛下の軍の成果でございます」 「相変わらず、グリフォード隊長は優秀らしい。隊員らの溌剌さが、それを証明している」 「彼は人を大切にする男です。部下たちはそれに報いたいと思うので、訓練にも任務にも励むのです」 「さようか」 グリフのことを褒められて嬉しい 尊敬する軍人は何人もいるけれど やはり同僚であった男は別格だ スペラは知らず微笑んでいた 俯いているので陛下の目にとまることはないけれど 「雨も風も雷も、ひどくなる一方だな」 「は。近隣の村々は、荒天に慣れております。水害に対する施策も万全であるそうです」 そう知ってはいても 大きな窓を叩く雨の音は凄まじく 樹が飛んでいきそうなほど激しく揺れている 稲光はあまり見えないけれど 低く響く雷鳴はひっきりなしだ 近くの村は本当に無事なのだろうか 「スペラ」 「は」 「……食事は、したのか」 「先ほど御一緒にさせていただいております」 「ああ……そうだったな。湯浴みは」 「グリフォードたちが用意をしてくれて、官僚の方々も、そちらで湯をもらったようです。このような土地では大変な作業であるのに、ありがたいことでございます」 「そなたも疲れているだろう」 「いえ。陛下、お疲れでございましょう。予定とは違う場所での寄留となりましたが、安全に間違いはございません。どうぞ、ごゆっくりお休みください」 「そなたはどうするのか」 「陛下のご安心のために務めます」 「……顔を、あげよ」 「は」 陛下のご尊顔をまっすぐに見るのは久々だ 平民が尊い方を間近に直視するなど無礼千万 広い部屋の中で距離を取っているとはいえ 緊張するのは仕方のないことだ 「……スペラの顔を見るのは、久しぶりであるな」 「……は」 「近くに寄ってはくれぬのか」 国王陛下の声が甘い スペラは鼓動が早まるのを感じた 落ち着け 非日常の事態に陛下がお戯れになっているだけだ 「スペラ」 「恐れながら、陛下。明日の昼までこちらへ滞在する事による遅れを、首都へ」 「その辺りの手配は、係りの者が計らっている」 「は」 「スペラは、それほど私の近くに寄るのがいやか」 陛下が長い脚を組む その動きだけでスペラは落ち着きをなくす 今まで一度もこんな風な雰囲気にはならなかった あの夜に確かめ合ったきり お互いそれぞれの道を進んでいた いつも通り、振舞わねばならない 俺はあの夜がすべてなのだから 今さら陛下のお傍に侍るなどありえない もし陛下がお戯れにそのように仰せになられても スペラは深く息を吸い込んで腹に力を入れた 「陛下。もし、私にご配慮下さっておられるのでしたら」 「配慮?そうだな。遠慮はしているかもしれん」 遠慮か スペラは申し訳ない気持ちでいっぱいになった 自分の存在は国王としての務めの妨げになっているのか 唇を噛み眉間に皺を寄せる なんと言おうか迷っていると 陛下はのんびりと脚を組みかえて小さく笑った 「スペラがあまりに全力で私を護ろうとするから、その邪魔はできないと遠慮していた」 「……え?」 「途中から、まるで我慢比べのようだったな。そなたはいつも"仕事"に集中していて私の方など見ない。私はそなたを見れば誘惑しそうになるので見るに見られない」 「ゆー、わく」 「視線で誘って傍に寄らせ、甘言で籠絡しようと画策していた」 「……ゆーわくで、ございますね。間違いなく」 「そなたはあの日から……あの夜以降、ものの見事に私を警護対象者として扱った。昼餉も夕餉も一人で摂り、湯浴みさえ自分でしているのだぞ。どこまで隙を作り、二人になればよいのだかもうわからぬ」 「……ご高配に、気が至りませんで……もーしわけな、く……?」 スペラは混乱したまま 弱い声で非礼を詫びてみた よくわからない 俺、謝るとこ? なんか悪いことしたっけ? 俺はただ一心不乱に陛下の警護に だってそれは、愛の証だったから 「裸で踊ろうか」 「恐れながら。色気はまったく感じないかと存じます」 「踊りは得意ではないのでな」 「は。私が申し上げたいのは踊りの部分ではございません」 「裸に異存はなかろう」 「陛下のお考えに、異存のあろうはずもございません」 噛みあわねぇ…… 仕方がない 二人でこんな風に会話をするのはあの晩以来なのだから あの時愛を与えられて スペラはそれだけで他に何も要らないと本気で考えていた この夜がすべてだとミラが言って スペラは彼の目を見つめて頷いた あれ以上のものはなくて 何もかもが満たされた夜 だから後は愛する方をお護りしたい 愛を、あなたに 「スペラ」 「は」 「あの夜は、すべてだ。私のすべてだ。あの夜以上に、スペラに渡せるものは何もない」 「何も、望みません」 「それでも、同じことでも同じ言葉でも、何度でも伝えたいし触れたい。スペラの顔が見たい」 「私は……ただ、あなたの傍に」 誰でもなく俺が、あなたを護りたい それはスペラの自我に等しい たった一つの望みは あなたをすべてから護りたい それができるように毎日備えて おかしな事がないようにいつも緊張して 国王陛下が憂いなく執務に没頭できるように 「今日のスペラは本当に、かわいい」 「はい?」 「それがグリフォード隊長のおかげかと思うと、まったくあの男はどれだけ私の愛を虚仮にするつもりなのだと、些か腹立たしくもあるが」 「はい?」 「いつも敵陣への突撃任務直前のような思いつめた緊張感でいたスペラが、久しく見ないほど緩んでいるのがかわいいと申している」 「……はい」 「ここは、安全だ。我が軍の内部であり、何よりあの小憎らしいグリフォード隊長がいるのだから」 「……先ほどからちょいちょいグリフォードへの恨み節が聞こえるのですが」 「だから、スペラはここにいる間、仕事をするな。私もしない」 「……具体的には、如何な」 「俺と愛しあっていればいいと言ってる」 陛下は立ち上がり スペラの腕を掴んだ スペラは無意識に敗北を悟って服従した

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