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第87話

王宮に着いたのは翌々日の昼下がりだった 陛下はすぐに議会を召集され 今回の視察の全貌を落とし込む 日常離れしていた旅の気分は一瞬で吹き飛び スペラはいつもどおり議場を確認して 国王陛下と入れ替わりに退場し重厚な扉を閉めた そしてスペラは隣の部屋で たまたま今日王宮へ来ていたマディーラと会った スペラの唯一の自由時間 それでもこの部屋を離れることはない 「お呼び立てをして申し訳ない、マディーラ殿」 「いえ。お久しぶりでございますね」 「ああ。しかし相変わらず……お綺麗でおられることだな……」 「ありがとうございます」 時々陛下がマディーラを呼ぶので 必然的に顔を合わせる そのたびにスペラは目を瞠る マディーラの美しさは天上知らずに拍車がかかっていき こうして間近に見るとこの世のものとは思えないほどだ 豊かな銀髪は輝き 大きな紫の目は表情豊かだ 上品な物腰は最近は色気と落ち着きが滲んでいる 「実は密かに、企んでいるのでございます」 「え?何を?」 「少しでも自分を磨けば、グリフがやきもきして帰ってくるのではと」 「なるほど……」 そう言ってちょっぴり悪そうな顔を見せて 小さく声をあげて笑うマディーラは 離れて暮らすグリフを毎日想いながら過ごしているのだろう それがきっとこの美しさと色気に変わっていくのかもしれない 「スペラ殿も、お変わりなく」 「うん。俺はあまり変わらないかな」 「ええ……でも、少し色が白くなられましたか」 「みんなに言われる。暇を見て、陽を浴びるよ」 マディーラは楽しそうに微笑んだ スペラはなんだか恥ずかしいような気分になって どうぞお座りになってくださいと粗末な椅子を勧める 「私の記憶では……もう少し、この部屋にも調度品があったかと」 「そうだね。俺が私的に使っていいとなったときに、全部除けた」 「さようでございますか」 「だから、こんな椅子と机ですまない。お茶とお菓子は、おいしいよ」 「お気遣いくださいまして、ありがとうございます」 マディーラは未だに王宮では人気者だ だから彼がいるかどうかはすぐにわかる みんなが浮き足立つからだ 彼を呼んでもらったとき スペラが頼まなくてもマディーラの好きなお菓子とお茶が運ばれてきたほどだ 「同盟国の視察に出ていたんだ」 「はい。ご苦労様でございます」 「その帰路に荒天に見舞われて、軍に保護を要請したら、たまたまグリフォードのいる駐屯所でね」 「グリフの……」 マディーラの赤い唇が 愛しさにほころび夫の名前を口にする ああ、やっぱりこういう表情になるんだな 想うだけで、満たされていく スペラはなんだか羨ましい気がした 「陛下も、大変世話になり感謝していると仰られ、実際保護してもらわなければ危険な状況だったし」 「軍を離れても、スペラ殿は大変な任務を」 「いや。俺のは、趣味に近いから」 「趣味」 「ま、それでね。マディーラ殿へと託けを預かってきた」 スペラは大事に持って帰ってきた書簡の束と花の種を差し出した マディーラは頬を染めて こんなにたくさん、と破顔している 「えっと……この袋は、近くの村の人に貰った花の種らしいよ」 「さようでございますか」 「マディーラ殿は、種を見たらどんな花が咲くのかわかるのか」 「知っているものでしたら。ですが、よく想像と違うものが咲きます。それも楽しくございます」 「そう。それは、わかる?」 「恐らく、芝生のように葉が広がって、その間に小さな花が咲くのだと思います」 「ああ。よく、庭とか、道の縁に植わってる」 「ええ……」 マディーラは小さな袋から種を一つまみ取り出して スペラにそう説明しながらとても楽しそうだ 自宅の庭のどこへ埋めようか考えているのだろうか それとも この花が咲く頃には、と そして束になった、大きさもまちまちの書簡を手に取っている 宛名書きは見慣れたグリフォードの大きな字 それを愛しそうに指先で辿っている 彼の指には清冽に輝く透明の石 「……寂しい?」 「はい」 「だよね、すまない」 「いいえ。ですが、気落ちしてはおりません」 「そう。何か困ったことがあれば、言ってくれ」 「ありがとうございます。こころ強い限りでございます」 もしグリフォードが帰ってきたら きっとマディーラはそばを離れず愛しいと口にし 肌を合わせて睦みあって過ごすのだろう 自分と国王陛下はそれとは少し違うのだと思った 愛には色んな形があるものだ マディーラと楽しく話をしている間に 議会の終わる気配がした いつもよりもずっと早い スペラはマディーラに断って中座し いつもの通り議場の扉を開けた 陛下がマディーラの顔を見ると仰るので スペラは隣の部屋へご案内する 「陛下」 「息災か」 「はい。陛下には、ご無事で何よりでございます」 「うん?ああ……スペラに聞いたか。そう、そなたの夫は相変わらず優秀であったぞ」 「恐れながら、それは承知いたしております」 「さようか」 陛下は楽しそうにマディーラに頷く そしてお抱えの庭師があの庭に立派な樹を植えたので見てみるといいと 少し自慢げに仰られた 「樹でございますか」 「ああ。この国では、恐らく数本しかない樹だ」 「はい」 「すごいのだぞ。一年の間に二度、違う色の花をつけるらしい」 「さようでございますか。花はもう?」 「今が盛りだ」 マディーラはにっこりと微笑んで 恭しく頭を下げて早速拝見してまいりますと言い 部屋を辞された 美しい人はいなくなってもその片鱗を残していくのだろうか 簡素な部屋にはキラキラした何かが充満しているような気がする 「陛下」 「ああ」 「執務室へ、戻られますか」 「いや。本日はもう部屋へ戻る」 「は」 スペラは部屋の扉を開けて廊下に出て 問題のないのを確認してから頭を下げた 陛下はゆっくりとした歩みでスペラの前を抜け そのままゆっくりとした速度で自室へ向かわれる 私邸への入り口には第一隊の隊員が一人 彼がびしりと最敬礼をかまして扉を開けてくれる スペラが陛下の後ろに従いその扉をくぐると 廊下の向こうから忙しなく従者が数人やって来るのが見えた 陛下は立ち止まられ 側近らは跪いて控えた 「首尾は」 「は。抜かりなく」 「さようか」 謎かけのような応答はスペラには理解できなかった 陛下は駐屯所の夜からずっとご機嫌が麗しく なんだか今は弾みそうな歩きかただ 何を浮かれておられるのか 些か疑問に思いながらも スペラは部屋の前で陛下を追い抜き いつもどおり先に部屋に入って検分し陛下に頭を下げた 「本日は、もうよい」 「は。では、失礼いたします」 「ああ」 ……そうなの? 駄々こねられるかと思ったのに 陛下はあっさりと頷かれて するすると薄布の向こうへ行ってしまわれた 拍子抜けしながらもスペラは部屋を出て 自分の巣へ帰った 帰ったけども 「……なに?」 扉を開ける前に違和感を感じた だけどそれは危険ではないと判断して慎重に部屋の灯りをつけた そこには何もなかった 「……は?」 部屋の床全面が見える すなわち、何も置いてない スペラの私物どころか調度品も何もない 部屋の中はすっからかんだった

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