5 / 40

第5話

 次の日も、同じような感じだった。  朝起きると、人の気配は消えていて、キッチンのシンクにマグがひとつ。コーヒーを飲んで行ったんだなと知れる。  佐川は神坂が飲むコーヒーが、インスタントなのかドリップなのかを探り、コーヒーメーカを発見し、傍に置かれていたコーヒーの粉を携帯電話のカメラで撮影する。残りが少なくなっていたからだ。同じ場所にスティックシュガーも置いてある。ミルクはポーションタイプだ。牛乳の方がおいしいんじゃないだろうか?佐川は"トマトジュース・無塩"と書いてある買い物メモに、コーヒー豆と牛乳も追加した。余れば一気飲みすればいい。  パンと、失敗したゆで卵を食べながらテレビを見ていたら、某衣食住すべてお洒落にシンプルに網羅します系チェーン店の、かけるだけでおいしいパスタソースの特集をやっていた。  米を炊くのは面倒だけれど、パスタを茹でるくらいならできる。佐川はそれもメモに足した。スーパーにも類似品はあるだろう。 「おかえりなさい」 「……ただいま」 「マリちゃん、パスタ食います?」 「は?」 「かけるだけって、手軽なのがあって、食べてみたら意外と美味くて」 「あのさぁ、トラ吉」  神坂は大きなため息をつきながら、昨日の晩と同じように背中を向けて座り込んで、靴紐を解く。佐川は彼の鞄を手にリビングに戻り、それを置いてキッチンへ移動した。  蛇口から出るお湯を沸かせば、一人分のパスタぐらいすぐに用意できる。ソースのパウチを水洗いして、鍋の中に放り込んで一緒に温める。  神坂は背後の冷蔵庫からビールを取り出して、その様子を黙って見ていた。 「王道のミートソースにしました」 「あっそ」 「ボロネーゼって書いてて、なんだそれって感じですよね。肉だろ!ミートだろ!?って」 「トラ吉、自分でやるから、いい」 「ですか?ああでも、火傷でもしたらかわいい服、着られないでしょ」  佐川は時計を確認して、鍋の中身をシンクに置いたざるに空ける。一気に立ち込める湯気と、多少は飛び散る熱湯。パスタに執拗に絡まれているソースのパウチも熱い。 「僕は女じゃない」 「知ってます。でも、女の服を着こなすのに、火傷は駄目でしょ」  佐川が使って洗って、水切りカゴに入れたままだった皿を出し、パスタを移してソースを掛ける。フォークとその皿を神坂に渡すと、佐川はおとなしく引き下がった。明日は土曜日だ。朝からみっしりバイトを入れている。夜更かしをするつもりはない。ってまだ十時前だけど。 「おい」 「はい」 「付き合え」 「飯にですか?」 「僕の趣味に。これ食ったら、するから」 「……はい」  神坂はフンと鼻を鳴らし、キッチンと続きになっているダイニングに移動して、パスタとビールという夕食を始めた。佐川はそれを見ているわけにもいかず、リビングに戻ってソファに座り、神坂が来るのを待っていた。  ちょっと緊張するけど、大したことじゃない。佐川はそう考えて、のんびりしたものだった。 「トラ吉」 「はい……い!?」 「お前はそこに座っとけ」 「え、待って、マリちゃん!?」 「なんだ」 「いや……」  佐川は神坂のネグリジェ姿くらいしか、女装を知らない。それを見て、大した衝撃じゃないなと思っていた。  しかし今目の前にいるのは、太ももの真ん中辺りまでの丈の、ふわふわした感じのセーターを着て、肩につくほどの髪を頭の後ろでひとつに括り、リボンをつけた女の子……に見紛う神坂だった。  予想外の衝撃だ。余りの衝撃に反対方向に吹っ飛びそう。佐川が案じるべきだったのは、笑ってしまうほど女装が似合わないということではなく、とんでもなくかわいく変身してしまうことだったようだ。  大きな襟ぐりからは鎖骨が全部見えて、片方の肩がするんとむき出しになる。袖が長いのか、手は指先しか見えていない。顔だけは変わりなかったけれど、元々かわいい顔なのだから始末に悪い。 「いいねぇ」 「はい?」 「無表情で」 「はぁ……」  佐川の狼狽は顔には現れていないようだ。大きなソファの端っこに座っていた佐川の前を横切って、神坂は反対側に置かれた一人がけ用のソファに腰を降ろす。細くてまっすぐな脚は、膝の上まであるソックスに覆われている。見える肌には産毛ひとつ見当たらない。なぜか彼は尻の下にシートのような物を敷いた。 「トラ吉」 「はい」 「見るだけだ。声を出すな。いいな」 「……はい」  神坂は、手に持っていたボトルといかがわしい形をしたオモチャを、ドン!ドン!とテーブルに置いた。  佐川は混乱した。  チンコ擦るんだよね?そのグッズはなんですか?しかし声を出すなと釘をさされた以上、何も聞けない。  無表情なまま焦る佐川にお構いなしに、神坂はティッシュペーパの箱を引き寄せている。 「嫌なら逃げていい。ただし、荷物をまとめて明日出ていけ」 「……逃げません」 「あっそ」  神坂は躊躇いなく膝を曲げ、細い両脚をソファの肘掛の外に投げ出すようにして股を開いた。セーターの裾が捲くれあがり、神坂の下腹部が丸見えになる。  神坂が身につけていたのは、予想していた下着ではなかった。 「……!?」  実家で何度か目にしたことのある、化繊でできているヒラヒラしたパンツ。面積は極力小さく抑えられ、可積量超過の男性器を抱え込んで膨らんでいる。その小さな布を支えるのは、頼りないほど細いヒモだ。神坂の浮き出た腰骨に辛うじて引っかかっている。  そのピンクとグリーンの薄そうなパンツを、思わず食い入るように見てしまう佐川。そんな佐川に冷ややかな一瞥を投げつけて、神坂は持参したボトルの中身を股間に垂らした。 「んっ……」  佐川はビク!と身体を揺らした。聞こえた声が、とんでもなく甘かったからだ。神坂の普段の声は、不機嫌そうに低い。同じ声帯から発されたとは思えないような可愛い声に、佐川は我が耳を疑った。  神坂は相変わらず、自分のペースで趣味に勤しんでいる。 「ふ……」  ボトルの中身はローションだったらしい。ねっとりとした水音とともに、下着を濡らしてその中身をくっきりと見せつける。神坂の手はゆるゆると、下着の上から自分のを触っている。そして、佐川の目の前でそれがだんだんと大きくなっていく。先端は下着からはみ出しつつある。神坂はさらにローションを追加した。 「はふ……んうっ……」  佐川は動揺していた。正直逃げ腰だ。何故なら、神坂の指は下着の上からとは言え、明らかに佐川なら自慰に使わない場所を探っている。尻の孔だ。ようやく大量のローションと、バイブだかディルドだかの意味を知る。  どうしたらいいんだ!?想像してた話と全然違うぞ!?  顔を引きつらせながら、それでも逃げることは愚か微動だにできず、自分の意志とは無関係に神坂の股間から目を離せない。心臓の音だけは耳のすぐ傍で響いていた。  佐川が逃げないと知り、神坂の手の動きは大胆になっていく。とうとう小さな下着の中に指を滑り込ませると、疑いようもないほどはっきりと尻の孔を弄っている。  佐川はようやく視線を神坂の顔に向けた。かわいい神坂の顔には、結び目から逃れたらしい髪が幾筋もかかり、白い頬を赤くして、ほんの少し眉間に皺を寄せて、薄く口を開いている。その口から時々赤い舌が見える。  ヤバイ、と佐川は思った。どうも耐えられそうにない。だけど、逃げたくはない。ココは勝負だ。今こそ鍛え上げた肉体に宿る精神で、この窮状を耐え抜かねばならない。  佐川は現実を見定めようとブリッジを押し上げ、首を傾げて目を眇め、神坂をゆっくり観察した。敵を知り、己を知れば、百戦危うからず……ですよね、孫子先生!今の所、敵も己も皆目見当がつかないんですが、大丈夫でしょうか、俺!? 「あ……ん!」  少し大きな声と共に、神坂の身体が跳ねた。その拍子に、下着のヒモが解けてペロリと股間が露わになる。驚いたことに、毛がなかった。真っ白い肌に、濃いピンクの性器。小さな臍と、脂肪がないがために浮き出た腹筋。そして何より、神坂自身の指が根元まで入った彼の尻の孔まで見えた。その尻の孔にも毛はなく、性器と同じ濃いピンクをしていた。 「あ……ん……あん……」  神坂は何度も何度も自分の尻孔を指で拡げ、やがてテーブルに載せてあったものを手に取った。それは佐川の最大時より大きいように思えるほどの太さと長さで、そんなものがあんな小さな孔に入るのだろうか、入れても大丈夫なのだろうかと心配になる。  しかし神坂は慣れた手つきでそれをローションまみれにすると、荒い呼吸を繰り返しながら自分の尻に挿入した。  ゆっくりだったけれど、確実に。佐川は信じられないものを見るような気分でその様子を見守った。バイブではなかったらしく、神坂はそれをゆるゆると抜き差ししている。時々彼の、肘掛に乗った細い脚が跳ねる。 「あ……いぃ……はん……!」  神坂は自分の下半身を凝視していた。自分の手で、自分の尻孔を犯しながら興奮している。全く理解できなかった。なのに何故か、目が離せない。  時々神坂は、キュウッと目を閉じて身体を震わせる。気持ちいいのだろうか。手の動きはだんだん早く、大きくなっていく。広いリビングには、彼の甘い声と、ローションのネチャネチャという音が充満している。 「あ、いい、気持ちぃ……!あん!あぁ……!」  神坂は激しくディルドを動かし、切羽詰った声をあげ始める。イクのだろうか。そう思っていた矢先、彼は息を呑むように何度か痙攣し、ズボッと勢いよくディルドを抜いた。次の瞬間、堪えきれないような大きな声と共に、彼の性器から透明な液体が噴き出た。 「ア……!アァ……はぁ……」  ひくんひくんと身体を震わせて、口は半開きで唇は唾液で光っている。肩で息をしながら、なのに神坂はもう一度、そのディルドを自分の尻孔に突っ込んだ。  さっきと同じように、だけどなんだかさっきよりも水っぽい音をさせながら、何度も何度も出し入れを繰り返して、今度はソファの背もたれに乗り上げそうなほど仰け反り、高い声をあげる。  ズボッと、また勢いよくディルドを抜き去り、彼は性器から液体を噴き出した。さっきより長く、さっきよりも多く。 「は、ん……あー……あー……!」  再びディルドを自分の中に収めると、さっきまでソファに爪を立てていた手がスルリとセーターの中に隠れる。  もぞもぞとした動きから、乳首を弄っているらしいと知れる。尻孔はもちろん、佐川には未経験の性感帯だ。気持ちがいいのだろうか、あんな役に立たない突起が? 「ふ……んん……うん……い、く、いく、あ、いく……!」  どうやら気持ちいいらしい。何度も穿たれて赤くなりつつある尻の孔は、ディルドを抜けば中が見えるほど拡がっている。  神坂はソファの中で身を捩り、身もだえし、自慰の域を越えた快感を貪り、最後の最後にディルドを奥にねじ込むようにして入れたまま達した。  性器の先端からは透明の液体が少し出て、その後に白い精液が糸を引きながらボタボタとあふれ出てきた。  股座を大きく開き、太ももを痙攣させ、尻の孔に太くて長いディルドを突っ込んだまま、神坂は胸も腹も激しく上下させて事後の余韻に浸っている。しどけなくソファに預けた頭は、ズルズルと滑り、かくりと彼の肩で止まった。  佐川は言われたとおり一言も発さず、約束どおり見といた。見とけって言われたのだから、見といた。  目の前で行われたオナニーも、激しくよがる女装した男も、佐川にとっては初めての経験だった。 「は……久々に、興奮した……」 「……そうですか」 「ありがと、トラ吉」  呼吸が落ち着き、神坂の声は元の低さに戻り、赤かった頬は白さを取り戻していた。自分の尻からディルドを抜くときに少し眉を顰めただけで、神坂はこの数十分の乱れを消し去っている。  それでも抜いた後の尻孔はヒクつき、ゆっくりと収縮し、その窄まったところからとろりとローションが零れていた。 「……床、拭きますか」  神坂が半分仰向けになるような格好で自慰に耽っていたので、液体の大半は彼自身の腹にかかり、尻の下に敷いたシートに流れ落ちたらしい。それでも、彼の座るソファの周りには、転々と滴下跡が見える。佐川の申し出に、神坂は一瞬目を見開いて、すぐにその表情を戻す。 「後片付けは僕がやるから、トラ吉はもう寝ていい」 「そうですか」  神坂は何もなかったかのように脚を閉じ、敷いていたシートに尻を擦りつけて、ローションをある程度拭いている。裾を直して立ち上がれば、少し髪が乱れただけの、可愛い男に戻っていた。 「わ……」  だけど、神坂はカクンと膝を折った。力が抜けているようだ。佐川は驚いて立ち上がり、とっさに腕を伸ばして彼がテーブルにぶつかるのを辛うじて防いだ。腕にかかる衝撃は、やはり男を抱きとめた相応の大きさだった。頑健な筋肉がギュッと収縮して耐える。 「大丈夫ですか」 「触るな」 「座っててください」 「触るな」 「座っててください、危ないから」 「……予想以上の冷静さだな。逃げなくていいのか」 「逃げません」 「……あっそ。放して。落ち着いたら僕がする。お前は寝ろ」 「はい」  多分これも、彼が引く見えない線の向こう側なのだろう。佐川は神坂をとにかくソファに戻し、彼の言うとおり自分の部屋へ引き取ることにした。それでも放ってはおけなくて、キッチンから水のボトルを持ってきてテーブルに載せた。 「おやすみなさい」 「……ありがと。おやすみ」  部屋で一人になった佐川は、ようやく顔を顰め、深い深いため息を吐くことができた。  衝撃は大きかった。想像以上と言うか、想像したこともないことをしていた。  男のオナニーなのに、チンコほとんど触ってませんでしたよね?とか、ケツ孔だけで気持ちよくなるのって、開発ってやつですか?とか、毛がないのはそういう体質ですか?趣味の一環ですか?とか、プシュプシュ噴いてたのは潮ですよね?男でも噴くんですね~とか。 「……疲れた」  疑問は山ほど生まれたけれど、聞くわけにはいかない。  佐川はぐったりとベッドに倒れ込み、そのまま寝ることに専念した。

ともだちにシェアしよう!