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第8話

「佐川君、すっごいいい身体してるね!スポーツしてるの?」 「鍛えるのが趣味なだけだよ」 「え!そうなんだー!腕とか、超太いよね!逞しー!」  甲高い声で褒められて、小さな手で腕を撫でられて、佐川はご満悦だった。  学部の友達に誘われて、友人主催男女混合展示即売会に出席している。誘われても毎回断るのだけれど、毎回金は要らないから来てくれと言われる。タダで飲食ができるので、バイトや予定がないときは、佐川も出席する。  以前は佐川も展示品であり、展示品を持ち帰った事もないこともないけれど、最近はずっと非売品扱いだ。それでも事情を知らない女子に、大抵こうやって褒められて、撫でられる。ありがたい会だ。 「佐川君って、かっこいいよね。彼女さんとかいるの?」 「別にかっこよくないよ。彼女さんもいないし」 「えー!超かっこいいよ!?眼鏡似合うね。私、眼鏡してる人、結構好きかもー」 「そうなんだ。眼鏡萌え?」 「あはは。佐川君、古-い!」 「古い?何が?」  顔はそれほど可愛くはないけれど、愛嬌のある巨乳ちゃんは、楽しそうに笑っている。席替えで隣に来た、大人っぽい美人さんにもわき腹を撫でられて、顔と筋肉を褒められた。ビールが進むぜ。 「じゃあ、これで。メアドとか交換するなら、しようぜ」  主催者がそう声を掛けると、佐川の方へ女性たちが、一斉に自分の携帯端末を差し出す。求められるままに連絡先を交換し、佐川君って下の名前なんて言うの?と聞かれて、ふと我に返る。  時間は九時を過ぎたところだ。 「二次会、行くよね?佐川君、声もかっこいいし、歌うまそうー!」 「あ……ごめん。俺もう帰るわ」 「えーーー!!!」  元々、友達からは一次会だけでいいと言われている。お前の顔と筋肉で、女子をあっためてくれという依頼だからだ。筋肉はともかく、この顔で女子があったまるとは思えないけれど、懲りずに誘ってくるのだから効果があるのだろう。  しかし佐川は、そんな約束を抜きにしても帰らなければと思った。 「佐川君、じゃあ今度、一緒にご飯してくれる?」 「ああ、そうだね。えーっと、カズミちゃん?」 「違うよ!ミカだよ!」 「ごめんごめん」 「もー!」  私のこと気に入ったでしょオーラでまとわりついてくる女子には、名前を間違えろと昔習った。たいていは自尊心を傷つけられて、離れてくれる。  佐川はもう一度時計を見て、友人たちに片手を上げて、家路を急いだ。十時前に家に着いたけれど、神坂はもう帰宅してしまっていた。 「早かったな」 「え?どこがです?」 「友達と飲みに行ったら、普通もっと遅くなるだろう」 「はあ」 「……何お前。煙草吸った?」 「え?」 「すげぇニオイ。僕、苦手なんだ」  佐川は慌てて、自分の二の腕辺りに鼻を寄せる。煙草と、香水の臭い。 「や……居酒屋だったんで、移ったっぽいです。俺、煙草は吸いません」 「風呂入れ」 「はい」  佐川がそう返事をすると、神坂は手元の雑誌に視線を戻した。  今日の神坂は髪を二つに分けて、耳の横で結んでいる。足元はいつものモコモコしたスリッパで、フカフカした素材の丈の短いパンツと、同じ素材の長めのパーカーという、パジャマ?なんとかウェア?を着ている。柔らかいソファなのに、膝はきちんと閉じて座っている。脚のほとんどを露出しているけれど、毛は一本もない。  女装癖があるとはいえ、神坂の服装はそれほどハイテンションなものではない。当たり前だけれどバストが膨らんでいないから、女の子にも見えない。可愛さだけは、今日会った名前もわからない女子たちが、足元にも及ばないほど飛びぬけている。それでも、中性的だけど、男だ。  佐川が風呂から出てリビングを覗くと、神坂はまだそこで寛いでいた。明日は休みだからだろうか。 「マリちゃん」 「なに」 「ビール飲みますか?」 「お前、飲んで帰ってきたんだろ?」 「まあ」 「……ちょうだい」 「チーズ食います?」 「うん」  佐川がビールを二本とチーズを手に、リビングのソファに腰を下ろす。神坂はいつも、一人掛け用の方に座る。佐川はいつも、それと直角になるように置かれた、三人掛け用に座る。少し詰めれば四人は座れるそのソファの、最近は一人掛け用に近い方の端に座るようになった。 「どうぞ」 「ありがと」 「あれ、何すか?」 「お前にやる」  テーブルに、つるっとした素材の無地の紙袋が置かれている。佐川は神坂に断って、その中を探った。出てきたのは、有名なサプリメントだった。こういうものはピンキリで、ピンは結構な値段がする。だから佐川はほとんど飲んだことがなかった。 「え!?なんで!?」 「会社の後輩に、筋肉バカにつける薬はないかって聞いたら、それが出てきた」 「マリちゃん、薬屋さんに勤めてるんですか?」 「いや。それくれた奴のチームは、中身じゃなくて、包材の研究。僕は、建材」 「ケンザイ?」 「建築物用の資材」  聞きながら佐川は少しドキドキしていた。この質問は余計な詮索に該当しないだろうかと。幸いにも神坂は気にしていないようで、ごく簡単で素っ気無くはあるけれど、佐川に自分の仕事の話をしてくれた。 「色んな仕事があるんですね……知らなかった」 「お前、進学組だろう。時間掛けて調べて検討すれば」 「はい。あの、ありがとうございます、これ……すごく、嬉しいです」 「あっそ」  興味なさそうに、神坂はビール缶を引き寄せてプルトップを開けている。グラスに注いで一気に飲み干す仕草は、女の子っぽくはない。当たり前だ。神坂は女ではないのだから。佐川も倣ってビールを飲む。 「コンパだったんじゃないの」 「ですね。でも俺、前座なんで」 「前座?」 「えーと。頭数?座ってればいいって、言われてます。適当に話合わせて、一次会で帰るんです。だからいつも、あんまり遅くはなりません」 「……ふぅん」 「明日もバイトなんで、もう少し早く帰るつもりだったんですけど、ちょっと捕まって」 「モテそうだもんな、お前」 「へ?全然ですよ?」  神坂さんだってモテるでしょう?仕事もできて給料もよくて、そのルックスで。  佐川はそう聞きそうになって、口を噤んだ。自分が聞けばきっと詮索になる。  モテるでしょう、女の子に。モテるでしょう、男にも。どっちが嬉しいですか?今まではどうだったんですか? 「明日も、朝から晩まで?」 「あー……ですね。マリちゃんは休みですよね」 「いや、僕も明日は会社に出る」 「そうですか。帰りは?」 「わからない」 「俺も帰る段取りついたら連絡するんで、マリちゃんも連絡ください。俺が早かったら飯とか買って帰ります」 「……うん」 「あー……ちょっとやっぱ飲みすぎたかな。すみません、俺、もう寝ます」 「うん、おやすみ」 「おやすみなさい」  佐川は自分の部屋へ戻って、少し暗いような気分になった。  ここにいるためには、神坂の機嫌を損ねるわけにはいかない。余計な詮索はしてはいけない。 だから、彼に興味を持ってはいけない。

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