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第13話

 また、神坂と二人の生活が始まった。  翌朝、寝心地のいいベッドで目を覚ますと、佐川は最高、と呟いた。ベッドを降りて、習慣になっているストレッチをしながら、夕べの出来事を思い出す。  神坂は、佐川が好きだと言った。佐川も、神坂が好きだと思って、そう伝えた。男女であれば、じゃあお付き合いしましょう、とか、今日から私、あなたの彼女ね!とか、そういうくだりがあるのだろうけれど、あいにく佐川たちにはなかった。  一応提案してみよう、と佐川は思った。神坂は佐川が考えるよりもずっと繊細で傷つきやすい男のようだし、ちゃんとひとつずつ言葉で確認したほうがいいように思う。それから、おかしな人間に付きまとわれているという話も、本当のところはどうなのかを聞いておいたほうがいいだろう。  もしも本当に厄介なことになっているのなら、対策を考えないといけない。  佐川はストレッチを終えて、リビングへ向かった。  時間は八時過ぎで、今日は土曜日だ。神坂は休日出勤だと言っていたように思うのだけれど、まだ起きていないらしい。少し気になったけれど、佐川はとりあえず自分の分のコーヒーを淹れて、リビングのソファで寛ぐ。  今日もいい天気だ。バイトは今日はゆとりのあるスケジュールで、昼前に出勤すればいい。ちらりと確認した時間は、そろそろ九時。会社に遅れないのだろうか?  少し考えてから、佐川は立ち上がった。 「……史織くん?まだ時間、大丈夫なんですか?」  軽く寝室のドアをノックして、声をかけるけれど返事はない。寝ているのだろうか?神坂はあまり寝坊だとか時間にルーズだとかいう印象がない。今までの経験上、休日出勤でも平日と変わらない時間に出かけていたように思うのだけれど、ゆうべ遅かったから寝過ごしてしまったのだろうか。 「史織くん、起きてますか?開けますよ?」  佐川は思い切って、神坂の私室のドアを開けた。夕べ初めて入ったその寝室で、神坂はまだ寝ていた。正確には、起きられずにいた。 「史織くん!?ちょ……大丈夫ですか?」 「……」  返事がない。そっと枕もとのカーテンを開けて、光の中で確認した彼の顔は真っ赤だった。苦しそうな呼吸をして、涙目で何度も瞬きを繰り返している。 「風邪ですかね。すみません……ちょっと待てますか?水をとりあえず……」  佐川は動転して、どうしていいかわからなかった。医者を呼ぶべきだと考えたけれど、往診など今時あるのだろうか?熱があるなら冷やさないといけない。脱水症状を防ぐために、水分を取って、汗を拭いて……それから? 「触りますよ?」  一言断ってから、佐川は神坂の額に手のひらを当てた。小さい彼の顔は、佐川の手で目元近くまで隠れてしまう。異常な体温を手のひらに感じつつ、神坂を見れば、力が抜けるようにまぶたをおろした。溜まっていたらしい涙が、一筋零れていく。かわいそうに……辛いのだろう。  自分が子供のころ親にされたのを思い出しつつ、佐川は神坂の扁桃腺の辺りを強めに圧迫する。痛いですかと聞けば、小さく何度も肯いている。腫れているらしい。だから声が出てこないのか。 「会社には行けませんね。連絡できますか?俺がしていいなら、します」 「………………し、て」 「はい」  枕もとの神坂のスマートフォンを手渡すと、震える指でゆっくりロックを解除して、何度も間違えながら誰かの連絡先を呼び出す。神坂の掠れただみ声は、彼の具合の悪さを如実に表している。やがて彼は、涙目を通り越してほとんど泣きながら佐川を見上げた。 「ん?この人ですか?コバヤシさん?電話しますね?」 「………………し、て」 「はい。お水取ってくるから、待っててくださいね、大丈夫ですから」  佐川はどさくさにまぎれて、神坂の頬と髪を撫でた。どちらもすべすべで、熱がこもっている。神坂は深いため息とともにまた目を閉じた。その吐息も、本当に熱い。佐川は神坂の電話を手にしたまま部屋を出て、キッチンに向かうすがらにコバヤシさんに電話をかける。 「うぃーす。おはようございまーす」 「コバヤシさんですか?」 「へ?はい、あんた誰?」 「神坂さんの代理の者です。実は、熱を出して起きられないらしくて」 「へぇ?史織さんが?だから無理すんなって言ったのになぁ」 「……」  いわゆる"いい声"をしたコバヤシという男は、神坂を史織さんと呼んだ。言葉の端々から感じる雰囲気もなんだか近くて、佐川は面白くない。冷蔵庫から水のペットボトルを取り出して、佐川は電話を終わらせにかかる。 「これから病院へ連れて行きます。会社のことを気にしていたので、連絡をしました」 「ふーん。で、あんた誰?」 「神坂さんの代理の者です」 「史織さん、電話できないくらいなの?」 「はい。扁桃腺が腫れているみたいで、喉が痛いんだと思います」 「しゃべれないんでしょ?よく、わかるねぇ」 「見ればわかります」 「えーっとね、とりあえず何時でもいいから、史織さんから俺に、電話してもらってくれる?」 「……はい」 「休むのは了解。そもそも、あの人の仕事は済んでるのに、俺らのフォローだし……って、あんたに関係ないけど」 「目を覚ましたら、伝えておきます」 「うん。よろしくねー」  佐川は忌々しいような気分で通話を終えて、冷えた水を手に神坂の寝室へ戻った。白くて細い指が、ふんわりした布団を必死で掴んでいる。寒いのだろうか?  その手をそっと握る。 「史織くん?水飲めますか?寒いなら、常温のほうがいいかな」 「…………さ……い」 「寒いんですね?カイロでもいい?ちょっと待っててください」 「や…………」 「嫌なんですか?ああ、俺の部屋にあるから、すぐです」 「………………」  神坂は安心したようにまた目を閉じて、小さく震えている。佐川は昨日自分の部屋に持ち込んだ荷物の中から、カイロを発見してパッケージを開け、自分のポケットに突っ込む。ついでに携帯電話を手にして、バイト先の先輩に電話をかける。 「おはようございます、佐川です」 「おう。どうした?」 「すみません。今日、休ませて欲しいんです」 「おー…………一日?」 「はい。すみません」 「なんかあったか?」 「好きな人の一大事なんです」  電話の向こうで派手に液体を噴く音と、豪快にせき込む音がしばらく続いた。佐川は辛抱強くそれらが収まるのを待つ。やがて、ヒィヒィ笑いながら、尾野が電話口に復帰した。 「ああそう。じゃあしょうがねぇな。わかった、休め」 「本当に申し訳ありません」 「好きな人だろ?一大事だろ?そりゃお前、そっちに行かなきゃ男がすたるわな」 「はい」 「よし。ま、頑張れよ……くっくっくっ」  よくわからないけれど、了承はもらえた。心置きなく神坂の傍にいられる。佐川は電話を切って、神坂の部屋へ急いで戻った。

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