30 / 40

第30話

【番外編】秋たけなわ ◆  夕べから雨が降っていて雷と風の音も強かった。台風が近づいているのだと、トラは言っていた。朝起きてみたら、風は止んでいたけれど、まっすぐに強い雨が降っていた。  リビングへ行き、ぼんやりと外の様子を眺める。窓をほんの少し開けると、しっとりとした、意外なほど冷たい空気が入ってきて、寒いほどだ。 「おはようございます」  そのまま雨の音を聞いていたら、背中がぬくもりで覆われた。振り返るまでもない。僕は腕組みを解いて、腰を抱き寄せるトラの手に触れた。トラは僕の肩のあたりに顔を摺り寄せて、身体が冷えますよ、と囁いた。 「うん……結構涼しくなってきたな。何度ぐらいだろ?」 「閉めましょう。ほら……ここ、冷たいです」 「暑い暑いと思ってたのに、やっぱり秋だな」 「ですね。風邪ひくって」 「ひかねぇよ」  トラの長い腕は、片方は僕を包んだまま、もう片方で窓を閉めた。途端に、冷たい風は消え、雨の音が遠くなる。その代り、トラのキスが首筋に落ちてきた。今日はブラウスを着ていて、きちんとボタンを留めているので、それ以上中までトラの唇に辿られることはない。 「コーヒー飲みますか?」 「うん。僕がする。お前、今日は学校行くのか」 「すっげぇ雨……さぼっちゃおうかな」 「好きにすれば」  トラは院試と学部の卒業が近いので、土日も関係なく学校へ行っているし、たまに帰ってこない。バイトはほとんどしてないようだ。どうしても小遣いが足りない時に、日雇いのような仕事はしているようだけれどよく知らない。  今日はトラが家にいるのかと思ったら、嬉しくなった。身体を後ろに傾けて……トラがぴったり貼りついてるからまったく傾かないけど、顎を上げて上を向くと、唇にキスしてくれた。トラは、僕がして欲しい時を逃さず察してくれる。前に、俺はいつもしたいんで、と笑って言っていた。 「昨日も遅くまで起きてたんじゃないのか」 「ま、受験ですから。多少は無理して努力します」 「うん……疲れてる?コーヒー、甘いほうがいい?」 「いえ。ブラックでいいです。甘いのは、こっちで」  トラは僕を腕の中で振り向かせて、しっかりと唇を塞いで、甘いキスをした。気障な奴だなと、よく思う。だけど、もうずっと、映画やドラマみたいな恋愛を妄想するのに夢中だったから、トラの気障なセリフは理想通りで、恥ずかしいけどものすごく嬉しい。  誰かとラブラブに過ごすという憧れが、現実になっているのが、夢みたいだ。想像以上のしあわせを伴った現実。 「わかんないとこ、教えてやるぞ」 「え?そうですか?」 「大学で学んだことを活かした仕事をしてるんだから、知識は衰えてない」 「…………やめときます。頭ン中、危ない妄想で溢れそうなんで」 「へ?なんで?」 「あーそっかーもっと余裕のある時期に、家庭教師ごっことかすればよかったーしくったー」 「……トラってさ、僕よりよっぽど変態だよな」 「俺も史織くんも、別に変態ではないと思います」  その後、トラは何度も僕にキスをして、僕はトラにしがみついて、そうしていたらやっぱり身体冷えていたんだと気が付く。トラの体温が高いのは、筋肉量に由来する代謝のよさかな。ブラウス一枚じゃ寒いから、カーディガンを着ておこう。  コーヒーを飲みながら少し一緒に過ごして、だいたいの昼飯の時間を決めると、トラは自分の部屋に戻っていった。僕は、そのままリビングで映画を観ることにする。  付き合いを始めてだいぶん経つし、その前から一緒に住んでいることもあって、今はもうそれほど、そばにいられない時間を持て余すことはない。  こういうのが、落ち着くっていうんだろうか?なんか、すごく嬉しい。  もちろん喧嘩もするし言い合いにもなるけど、それを乗り越えて仲直りするたびに、距離が縮まる気がする。  トラはよく僕をかわいいと言ってくれるけれど、トラのほうがよっぽどかわいいと思う。これは、トラがあまり嬉しそうじゃないから言わないようにしている。僕がトラをかわいいと言うと、子ども扱いとか、年下で頼りないとか、そういう風に聞こえることもあるらしい。そんなことを、いちいち未だに気にするあたりが、年相応でかわいいと思うのだけど。  映画を観終わっても、トラが出てこない。呼びに行くのも躊躇われる。多分、きりのいいところまでやってしまおうとかそういう感じだろう。  僕は部屋からラップトップのパソコンを持ってきて、リビングでネットショッピングを始めた。ブックマークしているお店のページをいくつか開いて、色々と物色し始める。  スカートが欲しいんだけど、形が決められない。ジャンパースカート、流行ってるよな……でもさすがにちょっと子供っぽいか。トラは、子供っぽいのよりもクラシックだったりトラッドだったり、そういう方が好きっぽい。僕もそうだから、趣味が合うんだなって、嬉しくなったりする。 「チェックのプリーツスカートか、巻きスカート……」  そんな気分だ。タータンチェックがいい。色は、赤だとさすがに派手だし、もう少し落ち着いたカラーがいいかな。トラは何色が好きだろう。あんまり地味なのはかわいくないし、短いのか長めにしようかも悩む。  自分の好きな格好は、自宅でしかしない。だから、あまり似合わなくても、「着たい」という好みを優先することも多かった。だって、完全に趣味だったから、誰かによく思われようとも考えなかった。あり得ない希望なんか、持ったって仕方ない。  トラのほかに、何人かの後輩と一緒に暮らした。金にものを言わせた同居だ。金銭的なメリットをちらつかせて、無理やり従わせていた。だから、誰も長続きしなかった。  汚いものを見るような目で見られて、それでも、押さえつけてでも、誰かをそばに置いておきたかった。あの頃の自分が何を求めていたのか、よくわからない。高圧的に命令する僕のわがままを、手越がよく聞いてくれたのは、僕がいろんな意味で心配だったかららしい。  仕事のストレスが、趣味と実生活とのバランスを壊したんだと思う。思う、というのは、最近ようやくそれに気づいたからだ。  落ち着いた、というのは、トラとの関係もだけれど、自分の精神状態もだ。過度な性欲はなくなり、見られたいという焦燥も減り、かわいいと思われたいという気持ちが大きくなった。  そして今は、どこかの誰かではなく、トラにそう思われたい。そう願ってもいいんだっていうのが嬉しい。  しあわせなことにそれは日々、言葉で聞かされる。かわいいですよ、とトラに言われるたびに、たっぷりの甘い優しさを感じる。 「……こっち、かなぁ……」  トラはなんで僕を好きになってくれたんだろう?  ぼんやりと自分の気持ちに気付き始めても、絶対に叶わないと思った。そしてトラが、もうこの家にはいられないと言ったとき、ほら見ろ、と自分で自分に失望した。期待する方がおかしいのだと。  僕は自覚していたよりもずっとずっと、トラが好きだったんだ。彼は去り、淡い片思いは砕け、消失感は大きく、絶望した。  きっとこの先、こんなに優しい人には出逢えない。僕は一生、誰にも理解されず、受け入れてもらえない。  だけど、トラは帰ってきてくれた。そして、僕が生まれて初めての告白をしたら、それに応えてくれた。僕を好きだと、かわいいと言ってくれた。好きな人が、自分を同じように想ってくれる。両想いって、本当に楽しい。 「あーこれ、トラに似合いそう……」  いつまでも決まらない自分の買い物から、僕はいつの間にかトラに似合う服探しに移行していた。実際に買ったりはしない。我ながら、生活費のほとんどを面倒みているのはやりすぎだとわかっているからだ。服まで貢ぎ始めたら、トラが困るだろう。  あいつはよく僕に金を渡してくるけれど、理由をつけては突き返し、受け取ってしまった分は開封もせずに引き出しに入れている。まとまった金が要るタイミングで全部返すつもりだ。  ああ、でも、このストール…… 「史織くん、ご飯食べましょう。遅くなってすみません」 「んー……いい……」 「うどんでもいいですか?」 「うん。手伝うから」 「いいです。すぐだし」  トラは律義で真面目だ。どんなときでも、一番最初に提示した条件を守ろうとする。僕の食事を調え、家の中の仕事をこなす。それでトラの気が済むのならと、好きにしてもらっているけれど、最近はちょっと甘えすぎかなと反省もしている。  でも、好きな人に甘やかされるというのも、ずっと憧れていたことだから、やめられないんだけど。  リビングのドアを開けたまま、トラはキッチンへ行ってしまった。雨はまだ降り続いている。僕はパソコンをスリープモードにしてソファの座面に置き、少しまくれ上がっていたスカートの裾を直す。  トラを追いかけようとして、ふとテーブルの上のカレンダーが目に留まった。  そういえば、再来週は泊りの出張があるんだった。まだトラに言ってなかったはずだ。忘れないうちに、カレンダーにも書いておこう。  すれ違いが少なくなった今でも、お互いカレンダーに予定を書き込んでいる。トラはたまに、全然関係ないことも書いている。例えば今月の最初の火曜日には、「史織くんの居眠りは、かわいい」。  その日、トラと一緒にリビングでテレビを見ていた。たいして遅くもない時間で、疲れていたわけでもないのに、僕は気が付いたらトラに寄りかかってウトウトしていた。 「もう寝ますか?」 「うう」 「おやすみなさい」 「う」  トラはドラマの後に勉強をするから、まだ寝ない。だから僕は自分の部屋に戻って、一人でベッドにもぐりこんだ。そしてそのまま爆睡……するはずが、あっという間に目が冴えた。  意味が分かんない。僕は不機嫌になってリビングに戻った。トラはどうしたんですか?と不思議そうに聞く。 「眠くなくなった」 「そうですか」 「続き見る」 「はい」  トラの隣に座って、見逃した部分を聞きながら、ドラマを再び一緒に眺めていたら、すぐに眠気に襲われた。  訳が分かんない。フラフラする僕を、トラは笑いながら支えた。 「眠いんですよね?」 「ベッドに行ったら目が冴えるんだって……」 「なんでですか?」 「知るか」  トラはまだドラマが終わっていないのにテレビを消し、僕を自分の部屋へ連れて行った。そして、ベッドに転がされる。 「トラ」 「史織くんは、俺がそばにいないと寝られないんじゃないですかね」 「はぁ……?んなわけねぇだろ……」 「そうですか。そうだったらよかったのにな」 「も……ねみぃ……」 「はい、おやすみなさい」  布団を被せられて、優しくポンポンと叩かれる。照明が数段落とされ、トラのにおいを感じていたら、僕は本当にそのまま寝てしまった。トラは薄暗い中で、デスクスタンドをつけて勉強したらしい。  もちろん、トラがいないと寝られないなんて特異な体質に変わったはずもなくて、きっとただの偶然だろう。だけど、僕はトラのことがすごく好きなんだって実感できたのは確かで、安心できる男がそばにいてくれるのが嬉しかった。  そんな、二人の日記みたいになってきているカレンダーを、手元に引き寄せる。再来週はもう月が替わっている。パラリとカレンダーを捲って、次月にしたつもりが多く捲れてしまった。いつも書き込む予定は早くて二週間前だ。だから、カレンダーはまだ真っ白なはずなのに。 「史織くん、飯、できました」 「あ」 「あ……見ちゃいました?」 「……おう」  呼びに来たトラが、眼鏡のブリッジを押し上げながら手招きをする。僕はカレンダーを元に戻して、急いで立ち上がった。トラに近づき、その丸太みたいな腕にしがみつく。 「うどん?」 「はい。しかも、関西風」 「へぇ、そんなの売ってるんだ」 「ね。今日涼しいから、買っといてよかったです」  用意されていたのはアルミの鍋に入った簡易な鍋焼きうどんだ。ダイニングで向かい合わせで、ふーふーしながら食べる。トラの眼鏡が曇って面白い。 「休憩しよーっと」 「あ、じゃあさ、ちょっとこれ見て」 「はい?」  うどんの後のコーヒーをリビングで飲みながら、僕はいそいそとパソコンを膝に乗せて、さっき眺めていたスカートのページを次々に開いてトラに見せた。 「スカート、買おうかなって」 「はい」 「えっと、トラはどんなのが、好きだ」 「俺、センスないですよ」 「いいから言え。短いのと、長いの、どっちがいい?」 「うーんと……」  スカートだけを見ても、トラは決められなさそうだったから、僕はコーディネートの画像をいくつか見せた。多少はイメージが湧くらしくて、ふーんとか、へーとか言ってる。  さりげなく抱き寄せられて、手のひらでお尻を包まれて、トラの頭が僕の肩に軽く乗せられる。そんな風に、僕に密着して、トラはパソコンを覗き込む。バカトラめ!ドキドキするじゃんか!! 「あ、これ、好きです」 「え?どれ?」 「これです。あーこれも好き」  トラが指差したのは、赤が基調になった、典型的なタータンチェックの巻きスカートだ。そのスカート以外はトップスのニットもジャケットも、タイツも靴も真っ黒っていうコーディネイト。もうひとつは、グレーのプリーツスカート。あいにくその画像のはグレンチェックで、僕がすでに持っているスカートと似ている。 「どういうところが好きなんだ」 「この赤と黒のは、ポニーテールしてて、リボンが赤なのが好きです」 「……」 「で、こっちのグレーのは、上の服との色の組み合わせが好きです」 「……」  つまり、両方ともスカートはあんまり関係ないんだな。僕、スカートが欲しいんだって言ったんだけど!?聞いた手前、トラの意見を無下にはできない。じゃあ、と、僕は自分がブックマークしていたスカートを画面に呼び出す。 「こういうのは?」 「……さっきまでのとの違いが、あんまりわかりません」 「なるほど」 「でも俺は、こういうのより、さっきのこっちが好きです」  こういうの、っていうのはブルーとグリーンがメインのプリーツスカートだ。上に白いシャツを着たら、制服っぽくてかわいいかなと思って選んでいた。グレーのカーディガンを着て、赤い伊達眼鏡とかかわいくない?  でもトラには不評らしい。いや、不評というほど積極的な感想もないっぽい。多分、一緒に掲載されているコーディネイト画像が好きじゃないんだろう。それともモデルの髪型が、ショートカットだからかもしれない。  その後もいくつか一緒にチェックのスカートばかりを見て、どうやらトラは、プリーツスカートよりもすとんとした巻きスカートで、膝丈に萌えるらしいことが判明した。ふーん。 「えっと?そんで、最初の、この色の組み合わせが好きなんだっけ?」 「そうですね。ま、俺、服の事よくわかりませんけど。史織くん、こういう色した服、着てたでしょ?」 「ああ、持ってるな。でもあれはちゃんとした、男の服だぞ」 「旅行のとき着てましたね。あれ、すっげぇ似合います。男物の服だったけど、きれいな色でした」 「……ありがと」 「だから、このグレーのスカートもきっと似合います。あの服と一緒に着て欲しい感じです」 「……考えとく」 「あとね、史織くんは髪、ひとつに結んで、リボンしてるのも似合います。このモデルみたいに長くないから、結んだ尻尾?あれがピョンピョン揺れるんです。ピコピコ、かな?それがすっげぇかわいい。史織くんも自分では見えないから、俺しか知らない。それ見て俺、ニヤニヤしてるんです」  トラがニヤニヤしているところなんか、見たことない。僕の見てないところで鼻の下伸ばしてるのか。しかも局所的な興味で。やっぱりトラは、変態だと思う。  でも、そんな変態なところも好きなんだから、僕も始末に終えない。赤くなる頬に手のひらを当てて、僕は努めて冷静な声を出した。 「……つまり、こういうモーヴ系の色のトップスに、グレーのスカートで、ポニーテールにしてリボン結べば、トラの好きな感じなんだな?」 「ですかね……でも俺、なんでもいいんですけど。史織くん、いつもかわいいんで。男の服でもかわいいです。すみません」 「あっそ!」  僕はさっさとブラウザを閉じた。ドキドキして、買い物に集中できない。後でゆっくり、グレーの膝丈巻きスカートを探そう。  スカートに、トラの言ってる男物の服を合わせるというわけにはいかないから、似た色のニットとか、あとリボンは赤はちょっと浮くから、グレーか黒がいいかな。それを身に着けて、トラがかわいいと言ってくれたら嬉しい。  すべてのウィンドウを閉じたので、壁紙の画像が目に飛び込んでくる。我ながら上手く撮れた、クラゲの写真だ。真っ暗な中に白く浮遊するクラゲが、いつ見ても綺麗で気に入っている。  トラはコレをスマートフォンの壁紙にしている。僕のは、今いるリビングの写真だ。いつも座っているソファとテーブルの上のカレンダーが写っている。無人のリビングでも、目にするとあったかいような気分になる。 「……史織くん」 「んあ?」 「大事なお願いがあるんですけど」 「なんだ」 「史織くん、たまに、エロ動画の話するでしょ」 「うん」 「お気に入りの動画とか、ありますよね?」 「うん」 「それ、見せてくれませんか?」 「なんで?」 「…………史織くんがどういうのに興奮するのか知りたいので」 「お前は巨乳だろ」 「違いますっ」 「別に巨乳好きに偏見はないから隠さなくていい」 「俺は巨乳好きではないです。史織くんと付き合って以降、揺れるおっぱいを求めたことはありませんっ」 「ふーん」  求めてもいいと思う。ムカつくけど。でも、僕だってオカズは何ですかと聞かれたら、トラにされたことのないことを、トラにされている妄想だったりするし、トラは女の子と付き合ってたんだし、丸みとふくらみが好きでも仕方がない。  僕は自分のローカルフォルダを開こうと、ディスプレイに視線を戻す。すると、本当です、信じてください、とトラがしがみついてくる。 「わかったって」 「何がわかったんですかっ」 「え?トラがすごく優しくて、……僕のこと好きだって」 「はい。すっごい好きです」 「うん」 「俺はまだわかんないんで、史織くん、言ってもらえます?」 「わかんないなら黙っとけ」 「史織くーん……」  トラがしょぼくれながら、フニャフニャ言ってる。かわいい。しかし重い。僕は筋肉の塊にホールドされた状態で、動画を置いてるフォルダを開けた。 「何が見たいって?」 「史織くんの理想の、してみたいセックスってどんなのですか。セックスして、どんな風になりたいんですか?そういうのが知りたいです」 「作り物と、現実をごっちゃにはしない。そういう意味なら、僕はお前とするのが一番好きだし理想的だ」 「でも、参考にしたいです。俺は、史織くんの彼氏でしょ。史織くんのされたいこと、全部してあげたい。初めての時、俺聞きましたよね?」 「本当に、お前にもっとこうして欲しいとかは、考えられないんだ。気持ちいいし、僕は、……僕はお前の方こそ、僕に不満があるんじゃないかって」 「ないです」 「おっぱいないし?」 「要りませんっ」 「爆乳カテゴリ、検索してんだろが」 「してませんっ」  本気で怒りだしそうなので、からかうのはほどほどにしてトラのほっぺたにキスをした。トラは気が収まらないらしく、ちょっと強く腕を引かれて、たっぷりしっかりキスされる。大人げないぞ、トラ!いや、まだ子供だしな。 「お前はどうなんだ」 「不満はないです」 「僕もそうだ。お前のお気に入り動画はどうなんだって聞いてるんだ」 「どうもしません」 「なんだそれ」 「アンアン言ってて、何度もイッてて、中出ししてたらなんでもいいんで」 「……中出ししたいの?」 「史織くんにはそんなこと、しません。大事な人ですから。遠慮じゃなくて、大事にしたいから」 「ありがと。でも、して欲しいわけじゃないけど、中出し動画は僕も好き。なんか、満足感あるよなー達成感かな?」 「……あのね、史織くん」 「なに」 「………………いえ」  トラは微妙は顔をしている。そして、耳が赤い。おかしなことは言ってないはずだ。むしろ、エロ動画でも趣味が似てて、親近感が持てたんだと思う。  トラはわざわざ保存するほどの動画はないと言う。そうなんだ。火事騒ぎで無くなっただけかな? 「史織くんの話です」 「うん。……って、僕、結構一杯保存してて。全部見るのか?勉強しろよ」 「こんな機会ないので、勉強なんか後回しです。雨降ってるし」 「天候を言い訳に使ってんじゃねぇよ」 「一番、理想に近いのから見ます。どれですか?」 「理想ってな……うーん……理想……?」  なんだか恥ずかしくなってきた。トラに出会う前からエロ動画を漁ったり、むしろ自分が提供したりしていた。恋愛なんかしたことがなかった自分が選んだ動画なんて、トラにとってはつまらないかもしれない。  トラと付き合い始めてからは、エロ動画よりもトラとの現実のエッチの方がずっと好きだから、自然と探すことも、保存しているファイルを見ることも減っていた。  チラリと様子を窺うと、トラは真剣な顔をしている。じゃあまあ、僕も一応、本当に好きなやつを見せようかな。 「これ、短いんだけど。好き」 「はい」  ファイルをカタカタとクリックすると、プレイヤーが立ち上がって、動画が始まる。音は抑え目にした。わずか数分の再生を終えて、久々に見たけどやっぱりこの動画好きだなと思った。 「……史織くんは、この動画のどういうところが好きなんですか?」 「イチャイチャしてて、チュッチュしてて、メロメロなとこ」 「………………」 「僕、無理やりとか調教とかオラオラとか、好きじゃないんだ。ラブラブ甘々がいい。好きだから中に出してってのも好き」 「………………」 「あ、でも、オモチャとかで色んなことされて、気持ちよすぎてもう許してってなってるのも好き。ラブラブ限定だけど」 「………………」 「あと、してる最中にかわいいって」 「わかりました」 「何がわかったんだ」 「俺、史織くんのこと大好きで、俺らラブラブだから、あとは史織くんにメロってもらえるように努めます」 「なってるだろ。わかんないのか」  トラは時々、自信なさげなことを言う。馬鹿じゃないの、僕はめちゃめちゃ感じてて満足してるんだから、そんなこと思う必要ないだろって、何回も言った。  でもトラはまだ足りないらしい。これ以上、僕がどうなっちゃえばいいと思ってるんだろう。正直、あとは怪しい薬か苦手なバイブでも使われない限り、先にはイケないくらいまでキテるのに。  もしトラがそうしたいって言ったら、僕はいいよって言っちゃうんだろうか。  ラップトップを膝からどけて、トラのほうへ身体を向き直し、じっと見つめる。トラは眼鏡のブリッジを押し上げて、僕を見る。 「妄想ですけど」 「なに」 「史織くんが、俺なしじゃ一晩も過ごせないようにならないかなって思います」 「…………困るだろ」 「妄想です」 「あっそ。現実、僕はお前がいないとだめだ。それじゃ足りない?」 「はぁ……超嬉しい……」  トラの筋肉パンパンの胸に抱きこまれて、ちょっと苦しいけどしあわせを感じる。トラはほどほどに気が済んだらしく、それ以上、秘蔵動画を見せろとは言わなかった。まあ、トラ曰く、面食いだから史織くんくらい綺麗でかわいくないと見てられない、ってのが本当のところらしい。あまりに真面目な顔で言うから、別にそんなに綺麗でもかわいくもないっていう反論は言い忘れる。だいたい、あっそ、で終わりだ。 「勉強するんだろう」 「ですね……でもちょっと、新しい扉が開きかけてて」 「閉じて鍵かけろ。試験が終わるまで開けるな」 「史織くんのせいですよ。責任取ってください」 「なに……ほかのも見る?」 「あの、嫌ならいいんですけど」  トラがためらいがちに僕を腕から出し、顔をのぞき込んでくる。トラは本当に男前な顔だ。鼻が高くて細いのが、眼鏡と相まってかっこいいし、目も涼しげで強くて、だけどほんのり緩まると優しい。口が少し大きいから、無表情でも冷たそうとかいう印象は薄い。髪が伸びていて、目元にまでかかるのが、ドキッとするほど色っぽい時もある。 「マリちゃん動画が、見たいです」 「……うん、見れば?」 「見ればって」 「言っただろう。ネットにいくらでも転がってる」 「そういう風には見たくないので、検索除外ワードにしてます」 「マリちゃんを?」 「マリちゃんも女装も自慰もです」 「なんで?」 「……嫉妬するから。俺が検索してヒットするやつは、誰でも見られるんですよ?しかもその頃の史織くんは、俺以外の人間に見せてもいいと思ってたんでしょう」 「ごめん」 「違う、そうじゃないです。とにかく、勝手に検索して見るのは嫌だったから避けてました。でも、気にならないわけないです。そんなの、好きな人のこと、全部知りたい」  トラは早口にそう言って、気まずそうに顔を背けた。あまりよくわからないけれど、トラが僕を大事に思ってくれているんだってことは伝わった。  いろいろ奔放すぎた過去の自分を反省する。でも、とっくにいろいろ見てるんだと思っていたから意外だ。だからこそ、おっぱい大きい女の動画を探してるのが余計ムカついたんだ。マリちゃん動画でも見て抜いとけクソガキ!!って思ったことが何度あったことか。 「このパソコンには入れてない。USBメモリに保存して仕舞ってある。それごとお前にやる」 「いいんですか?」 「別にもう、要らないし。多分お前も、一つ二つ見たらもう要らないって思うと思うぞ」 「どうしてですか?」 「あの頃の僕はおかしかった。誰でもよかったしどうでもよかった、かもしれない。自覚はなかったけどな。あれは別人だ。史織じゃない。多分、お前にもそう映ると思う」 「……」 「僕がためらいなく、見ればいいって言えるのは、本当に別人だと思えるから。あの拡散してる動画の中にいるのは今の僕じゃない。価値もないし意味もない」 「史織くん」 「ちょっと待っとけ」  僕が部屋からメモリを持ってきて、トラの手のひらに落とすと、無表情に神妙な顔をしてそれをじっと見つめている。  SMというほどではないけれど、自分で手足を縛ってたりもするし、そもそも色んなグッズで遊んでいるわけで、公開しているという点を除いても、ありふれた趣味とは言いにくい。それでももう昔の事で、今はしてないのだからトラも受け流してくれるだろう。今のトラとの関係を信じられるから、何を知られても構わない。 「見るんなら、一緒がいいです」 「自分の自慰を見ても、僕は興奮しない」 「えっとね、俺も興奮材料にしたくて見るんじゃないので。なんていうか、そう、卒業アルバム見せて欲しい感覚?」 「卒業アルバム見せて欲しい感覚……?」 「出会う前の史織くんが知りたいってことです」 「ああ。うん。そう。じゃあ一緒に見る?」 「はい」  あいにく僕のラップトップのポートが塞がっていたので、トラの部屋でトラのデスクトップで見ることにする。友達に作ってもらったという高性能機は、こんな事のためにあるんじゃないと思うのだけど、まあいいか。 「何があるかわからないから、ネットに繋いでいるマシンに保存しないでくれ」 「はい。ちゃんとします」 「うん。ありがと」  トラが自分で、どこからか運んできたデスクとチェアは、立派なものだ。誰かに貰ったらしい。さすがに何年も引越し作業をしているだけあって、持って帰って来たのを見たときは入るわけがないと思ったのに、どこにも当たらずにするすると部屋に収まった。手品みたいで感動して、手を叩いてすごいすごいと騒いだら、トラは無表情に照れていた。かわいいやつだ。  そんな大きくて重厚なデスクの前のチェアは、左右両側に肘掛があるので一緒には座れない。トラ一人で座ってちょうど……それでも、僕の部屋にあるデスクチェアより大きい。トラは僕を膝に乗せようとしたけれど、太い太ももの上はあまり座り心地がよくない。第一、座高が高くなりすぎておかしい。 「しょうがないですね」  トラはそう言って、ディスプレイの向きと角度を変えて、ベッドに座っても見えるようにした。ちょっと遠いけど、細かいところまでガン見されるのは、さすがに恥ずかしいのでコレくらいでちょうどいい。  僕はスリッパを脱ぐと、トラのベッドに上がってぺたりと座り、マシンをいじる大きな背中を眺めた。本当に大きい。何が入っているんだ? 「音でかいと、まずい感じですか?」 「音?声は入ってないし、でかくしても別に何も聞こえない」 「はい」  トラはファイルを再生し、カーテンを引いてモニタに当たる陽射しを遮ってから、同じようにベッドに上がり、僕を自分の身体の前に抱きこんだ。あったかい。おさまりのいい位置を探って身じろぎしていたら、見慣れた、だけど懐かしい映像が流れた。  背景はここに引っ越す前の部屋のリビングだ。だから相当古い。映っている身体は自分のものだけど、今よりも痩せている。そういえばこの頃、ネイルにはまっていた。我ながら白い肌の色に、真っ赤なペディキュアが映えている。 「この家じゃないですよね?」 「ん……そ……だな。何年か前に引っ越したから」 「何年前ですか」 「えー……?四年……や、五年かな……就職する前から住んでた部屋で」  トラは僕を包んでいるというよりは、羽交い絞め、もしくは拘束するような勢いで後から抱きしめてくる。ほとんど動けないままに、耳に唇をくっつけて囁かれるもんだから、くすぐったくて仕方がない。すぐ傍にある、これまたダムのように僕を囲う脚をペシペシ叩いて抗議をするけれど、まったく効果がない。ほとんど僕がトラをおんぶしてるみたいな状態だ。馬鹿でかいガキだな。  数年前のマリちゃんは、着々と準備を進め、音がないせいで淡々とした印象さえ与える。……と思っていた。でも、静かな部屋で冷静に見てみると、息遣いやちょっとした物音はやはり入り込んでいて、今さらながらに無防備な事をしていたものだ。  その動画はいたってシンプルなもので、トラの目の前でしていたのと似たようなものだ。ディルドを突っ込んで、何回かイッて、それでおしまい。ズームもないし、ずっと同じアングルだ。  動画が終わると、トラは手に持っていたワイヤレスマウスを太ももの上で滑らせて、別のファイルをクリックする。目の悪いトラに、マウスポインタがこの距離から見えているとは思えない。無作為と言えばかっこいいけれど、手当たりしだいなのだろう。  次のも、その次のも、程度や使うものの差はあれ、尻穴を晒した自慰でしかない。色々とバリエーションはあるし、人気にも差があったけれど、今見ればそれほど過激でもない……と思う。  自分の右手首と右足首、左手首と左足首を縛って、ローターとバイブ両方入れてるのは、さすがに刺激が強かったかもしれない。その時のマリちゃんにも、今見てるトラにも。  編集してカットしたけど、途中で身体がいうことを聞かなくなって、顔は映るわ声は出るわ潮は止まらないわ、でも上手くバイブが抜けないわで、オリジナルは見せられたもんじゃなかった。おかげでバイブは苦手になったぐらいだ。 「気が済んだか?」 「そうですね……インターネットがこの世からなくなればいいのに」 「……ごめん」 「責めてるんじゃないです。俺がもっと早く、史織くんを見つけていればよかった」 「……うん。ありがと」  あの動画の数々に未練はないし、価値があるとも思わない。ただ、自分だとバレたら困るという程度だ。だけど、トラの顔を見ていたら、本当に申し訳ない気持ちになる。僕はトラのために、自分をもっと大事にしようと誓った。トラに好きになってもらえた自分が、誇らしく思えるから。 「ほら、もういいだろ。そろそろ勉強しろ」 「……俺だけですか?」  トラがマリちゃん動画で興奮したとは思えない。だけど、目の当たりにして複雑な気分で、史織を手繰りたくなったのだろうとは、想像できる。覆いかぶさるように覗き込んでくるトラの目が、肌が、熱っぽい。力を込めてトラの腕を振りほどき、身体を翻して膝で立ち、トラの首にしがみつく。 「お前だけじゃない」 「はい」 「でも、勉強しろって」 「史織くんは、もっとやきもち妬いてもいいと思います。独占欲垂れ流して、勉強と僕とどっちが大事なんだ、基は僕のだ、って言ってください」 「うん」 「今」 「うーん」  はーちゃんはしーくんのなんだからね!とか言ったところで、かわいくも何ともない。むしろイタイ。やきもちは妬くけれど、それを表明するのは難しい。そもそも、今はあいにく満たされていて、やきもちは妬いていない。……でも、トラがやきもち妬いてプリプリしてるのは見てて楽しい。トラは無表情なくせに、感情がよく外に漏れている。そして、出会った頃は口数が少なかったのに、最近はよくしゃべる。主に文句や抗議や異議だけど。 「あのメモリやるから、ちゃんと勉強しろ」 「いや、あれが手に入って、勉強なんかしてる場合じゃないです」 「院試に落ちてもいいのか」 「よくないです。でも」  トラは慣れた手つきで、僕の太ももを撫で上げてスカートの中に手を入れてくる。とっさに身体を離そうとしたけれど、後の祭りだ。大きな手で尻を揉まれて、ため息が漏れる。好きだと何度も言われて、僕もだと何度も答えた。そのたびに、熱くて甘いキスをする。  結局、僕もその気になってしまって、夕飯までイチャイチャする羽目になってしまった。トラの勉強の進捗が気になるけれど、自分の管理ぐらい自分でできるだろう。もう知らない。遠慮なんかしてやらない。  角度的な問題で、トラのお気に入りの大きな鏡に、抱き合う自分たちが映る。トラは背中を向けているから気づいていないだろうけれど、客観視してみると、体格の差に驚く。トラの太ももに跨って下から突き上げられて、トラの肩に頬を預けている悦に入った自分の顔と、トラの背中にすっぽり隠れる自分の身体。トラのたくましい腰を挟む自分の脚は相変わらず白い。  作り物の動画に比べれば露出はないに等しい。なのに、よっぽどいやらしい。抱かれてる自分は、思っていたよりもずっと、ずっと、エロかった。  たまらなくなって、思わずトラの背中に爪を立ててしまって、トラが僕の視線に気づいてしまう。ふわんと身体が浮いたかと思うと、優しくベッドに押し倒されて、あちこちにキスが落ちてくる。 「余所見しちゃダメです」 「余所見じゃねぇだろ」 「俺しか見ちゃダメです」 「お前しか見てねぇし……!」 「俺はここです。ねぇ……こっち見て」 「あん、ん……!」  見てるよ。お前ばっかり見てる。僕が見ていられる場所にいて。僕の大事な、大事な男だから。  陽が暮れてから雨はやんだ。エッチの後は、身体が重い。トラにあちこちを掴まれたりすることもあるし、やっぱり生体を受け入れるのは結構重労働だ。トラは床上手で、僕はいつも何度もイかされて、だから終わったころにはヘロヘロになっている。 「ダメな大人だなぁ……」 「え?」 「お前に勉強させなきゃなんないのに、エッチしちゃってさ……」 「ちゃんと俺を息抜きさせないと、史織くん不足で襲います。そんなことにならないようにするのが大人じゃないですか?」 「知らねぇ……は、も、だるい……お前、本当に勉強進んでんのか?」 「はい。思いのほか、優秀です。心配しないで俺といちゃついてください」 「…………もうすぐ、忙しくなるんだぞ」 「そうですよ。覚えてましたか?」 「うん」  捲ったカレンダーには、あちこちにたくさんハートのシールが貼ってあった。どの日付も覚えがある。日付の枠なんか超えて、ありったけのシールを貼り付けた日。もうすぐその日を迎えるんだと、それを二人ともが楽しみにしている。 「夕飯、カレーでもいいですか」 「うん。何カレー?」 「キーマカレーと、チキンカレー」 「僕キーマがいい。ビールもつけて」 「はい」 「あと、トラも」 「え」 「……足りない、みたい。今日は勉強は諦めろ」 「了解です」  トラは僕を抱きしめて、嬉しそうに笑っている。トラが嬉しいのが嬉しい。風邪ひかないでくださいね、と言って、トラが僕にシャツを被せる。どんな時でも僕に優しいトラに、もっと優しくしてあげたい。実際、もっと優しくしろって言われるしな。 「再来週、僕、泊りで出張だから」 「そうですか。ああ、だからカレンダー見てました?」 「うん。予定書こうと思って」 「いつ気づくかなって思ってましたけど、結構早かったです」 「お前、いつからあんなシール貼ったりしてたの?」 「カレンダー買った日からですよ」  当たり前でしょう。そう言わんばかりの表情で、トラが眼鏡を顔に戻している。僕は、あのカレンダーが現れたころのことを思い出して、こいつはなんてすごいんだろうかと感動した。  胸が苦しいほどの、ときめき。恋愛って、すごい。過去も現在も未来も、全部繋がって、全部が大切になっていくんだ。  思わずトラの手を、ぎゅっと握りしめた。トラは目元を緩めて、大好きです、と囁き、僕の頬にキスをくれた。  未だに別々に入る風呂に、今日もぶーぶー言われながら、さっぱりと温まって一緒にカレーを食べる。宣言通り、その後も僕はトラから離れず、手を繋いで過ごした。もたれかかったり、抱きしめられたり、ほっぺたを抓ったり、指を噛まれたり。  やがてトラは、今日はもう寝ると言い出した。僕もそれに賛成する。エッチは昼にしたし、トラは連日睡眠が短い。たまには休息をとるべきだ。どちらのベッドで寝るかはその日の気分だけれど、僕はトラのベッドで寝るのが好きだ。だから今夜も、トラのベッドにダイブした。  お互いを抱き寄せて、暗闇の中で息遣いを感じながら、眠りが近寄ってくるのを一緒に待つ。 「カレンダー……来年の。買わなきゃな。まだ早いけど」 「はい。来月の中旬には出揃うそうですよ。確認済です」 「お前……だから、勉強しろって」 「勉強が忙しくてろくにデートもできないから、カレンダーを一緒に買いに行こうと思って。買い物デートです」 「……おう。シール、あれもお前が買ったのか」 「はい。かわいいでしょう」 「うん。まだある?」 「もうほとんどないですね。ありったけ、気持ちを込めて、貼りまくったんで」 「じゃあ、ハートのシールも買わないとな」 「はい」 「いっぱい」 「はい」 「いっぱいだぞ」 「はい。いっぱい買っても、足りなくなるでしょうね」 「基、僕はお前が好きだ」  ありったけ、気持ちを込めて、世界中のハートのシールを、僕の毎日に貼りつけたい。僕を抱き寄せるトラのおでこにも貼ってやろう。  トラに出会った季節がやってくる。どんなに寒くても、僕はもう、あたたかい場所を知っている。トラをあたためてあげられる。 「俺も、史織くんが好きです」 「うん」  明日も言ってね。僕のそばで、囁いて。その言葉の数だけ、ハートのシールを貼ってあげる。

ともだちにシェアしよう!