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第37話
翌日は朝から二人で照明を買いに出かけた。照明が欲しい理由が理由なだけに妙に照れくさいのだけれど、光の強さが三段階に調節できる、まるいライトを買った。二人で買い物をするのも久々で楽しかった。
佐川が住む辺りは繁華街にも行きやすい場所で、最寄り駅そのものも大きめだ。ちょっとしたショッピングモールが併設されているので、そこでだいたいの用事は済む。目の前の駅から電車ですぐに大阪へも行ける。
まだ昼ご飯には早い時間に買い物は済んでしまい、佐川は神坂を促して自宅とは反対方向へ歩いていく。住宅と小さな会社が混在するエリアを抜けて、人通りのまばらな場所を進んでいくと、何の変哲もないビルが現れた。
神坂は佐川との散歩のようなデートに夢中だったので、気づかずに通り過ぎるところだったけれど、さりげなく佐川に腕を引かれて、え?え?と戸惑っている間にビルの中へ連れ込まれる。そこがホテルだとわかったのは、ロビーのような広いスペースにソファセットが置かれていて、壁に小さくホテルのロゴが入っていたからだ。どうして誰もいないのだろう。
「……想像と違う」
「そうですか。部屋、史織くんが決めますか?」
「え?あ、いい……トラが、決めて」
「はい」
壁にずらっと並んだパネルから、入りたい部屋を選ぶようだ。ラブホテルなるものを利用したことのない神坂は、せっかくだから満喫しようと思っていたのだけれど、いざ入ってみたら、雰囲気にのまれて俯いてしまう。
誰にも見られていないのに、恥ずかしい。だって、もしも今誰かに遭ったら、自分たちが付き合っているんだと、エッチなことをする関係なのだとばれてしまう。それが猛烈に恥ずかしかったのだ。佐川との付き合いが恥ずかしいのではなく、こんなところに来てでも佐川に抱かれたい自分が、恥ずかしい。性欲を我慢できない自分は、浅ましくて恥ずかしい。
「トラ、あの」
「こっち」
羞恥に戸惑う神坂に気付かずに、佐川は神坂の手を取ってエレベータへ連行する。どうしていいかわからず神坂が俯いていると、佐川がわずかに手に力を込めた。
「嫌でしたか?」
「いやじゃ、ない」
「……もし嫌だって言われても、無理やり連れ込んだと思います。すみません」
ゆっくりと上昇を始めるエレベータの中で、神坂は隣の佐川を見上げた。わずかに頬が赤いような気がする。神坂は、佐川の手を強く握り返した。
「トラ」
「我慢できません。猿って言われても、否定できませんね」
「僕も、猿かも」
「ふ……かわいい猿がいたもんですね」
「う、うっきー?」
恥ずかしいのは変わらないけれど、消えてしまいたいような居たたまれなさはなくなった。自分だけじゃないと佐川が教えてくれたから。佐川は独り言のように、こういうサービスがあってよかったと呟いている。そう、サービスなのだ。料金を払って利用すればいい。神坂は少しだけ、開き直ることができた。
「わ……広いんだ……」
初めて入ったラブホテルの部屋は、神坂が想像していたような淫靡で陰気な雰囲気は全くなかった。清潔そうな広いベッドは、ゴールドとブラウンのシックなシーツと枕で飾られ、大きなテレビがあって、ふかふかしたソファセットまである。しかもそれらの家具を置いても、広々としている。ソファセットからベッドのほうがすぐには見えないように、間仕切りの壁さえある。佐川に聞けば、最近できたばかりの新しいホテルなのだという。
「すみません。焦ってたから、こんな部屋で。ちゃんと選べば、もっとかわいい部屋があると思うんですけど」
「いい。……焦った?」
「はい。俺もあんまり、こういうホテルとか、使ったことないんで」
「そう、なの?」
「風呂、見ます?」
「うん」
綺麗に掃除されている浴室を見ても、普通のホテルと変わらない。それどころか、バスタブが大きくて全体的に広い。神坂が佐川にそう言うと、二人で入るためですから、と返された。そうか、そうだった、と神坂は納得した。佐川はその場で神坂の洋服に手をかける。
「え、ちょ、トラ」
「一緒に入りましょう」
「や、だ。ちょっと、待てって」
「ダメです。認めません」
「はぁ!?」
「ラブホテルルールです。風呂は一緒に入って、洗いっこして、エロいことをする場所です」
「僕が何も知らないと思って、テキトーなこと言いやがって!」
「はい、ばんざーい」
あっという間に神坂の上半身は剥かれ、キスをされている間にベルトも抜かれる。佐川は神坂の手を自分のベルトに触らせて、「俺も、脱がせてください」と囁く。神坂はついて行けずにプルプルと首を横に振りながら、佐川のバックルを握りしめる。
「こんな、昼前から」
「パネル、結構埋まってたでしょう?」
「え?」
「ライトが消えてる部屋は、使用中なんです」
「タクシーみたい……」
神坂は一階の風景を思い出す。そういえば、パネルの照明が消えているところがたくさんあったような気がする。恥ずかしくてまともに見ていないけれど、佐川の話で行くと、みんなこんな時間から楽しんでいるということなのだろうか。
神坂が困ったような顔で首を傾げて、目を逸らす。ここに来たのは、自分たちだってそういうことをしたかったからだと思いだす。恥ずかしがっている場合じゃない。きっと一時間とか二時間とか、時間制限があるはずだし。
「トラ、僕」
「……無理だな」
「え?」
佐川の小さな呟きが落ちて、神坂が不思議に思った次の瞬間、神坂の身体は抱え上げられた。
やばい、虎化した!!
身の危険を察知して、神坂はバタバタと暴れて逃げようともがくけれど、佐川の筋力に敵うはずもなく、ちゃんと抗議もできないままに、部屋の奥にある大きなベッドに落とされる。
「わー!!待て、トラ、着替えはないんだからな!?脱いでから」
「はーい」
年に一度あるかないかの、佐川の突然の虎化においては、神坂の抗議も抵抗も歯牙にも掛けない。しかも、落ち着いた後も本人に反省がないのだから治るはずがない。
佐川は虎化して然るべきタイミングにしかそうならないらしいので、だって仕方ないでしょう、ってなもんだ。神坂にはそのスイッチングが、イマイチ理解できないのにもかかわらず、だ。そして、虎化したら、止めようがない。
神坂は神坂で、レアな佐川の出現に胸キュンしちゃうんだからどうしようもない。神坂が虎化と呼ぶ佐川の豹変は、決して乱暴になったり粗野になったり無茶をしたりするわけではない。むしろ、おとなしい。ただし、手加減がない。神坂に想いの丈をぶつけるという明瞭な目的のためには、事後の面倒事など当然のように一切合切度外視される。その男っぽさに、強引さに、神坂はときめいてしまうのだ。
「っ…………!!」
「史織くん、声出して。我慢しないで」
「う、く……」
夕べさんざん我慢したから、神坂は癖のように声を噛み、息を詰める。佐川の身体に抱かれて、溶けそうな熱と快楽に浮かされつつも、無意識に静かにしようとしてしまう。
「……どこまで我慢できるか、試しますか?」
「や……やだ、や……トラ、や……!」
「名前、呼んで……俺を見てください。史織くん、こっち見て」
「それ、だめ、んあ……ああ……!!あああ!」
「俺を呼んでよ……おねがいだから……!」
神坂は涙を滲ませながら、必死で佐川を見つめ、佐川の名前を呼ぶ。深く神坂の身体を貫く佐川は、その声に満足した。感極まった時の神坂の声は、何度聞いても佐川の気持ちを湧き立たせる。
興奮はますます強まり、苦しいほどの渇望を覚える。ただひたすら、好きだとしか言えなくて、できることなら残りのすべてが、身体で伝わってくれないだろうかと、神坂を抱きしめ、突き上げる。
久々のセックスは、二人を夢中にさせた。そのための場所にいるということも、遠慮や躊躇いを放り投げるのに一役買った。
片方が休憩しようと身体を離せば、片方が無言で腕を引く。当然、拒絶はなく、何度でも何度でも、お互いを強く抱きしめあった。ほんの僅かな隙間さえ、今の二人には受け入れ難いものに思えた。
「おなか、減ったぁ……」
「何か食いますか?カラオケ屋レベルのものなら、ルームサービスがありますが」
「え……」
「恥ずかしい思いはしません。大丈夫ですよ」
「……うん。ありがと」
「はい。食べます?」
「うん、でも、何時までここにいていいの?もう結構、時間経ったよな」
「えっと……五時までですね」
「五時!?長っ!」
「はい。五時までは均一料金なので」
「……ますます、カラオケ屋さんみたい……」
「ですね」
佐川はルームサービスメニューと一緒に、料金表を神坂に見せる。一時間いくら、という課金システムだと思っていたので意外だと神坂は言う。いればいるほど料金が上乗せされるのだと思っていたのだ。そもそも、神坂のイメージするラブホテルとは、最初からまったく合致していないので今更驚くことではないのかもしれない。一時間いくら、という時間帯もあるのだと佐川が説明するけれど、空腹と倦怠感で、あまり神坂の頭には入っていかない。
「鏡張りの部屋はあるのか?」
「鏡……全面?」
「天井から、壁も全部」
「さあ……」
「回るベッドは?」
「回りたいんですか?」
「回ったら楽しそうだろう?ガラス張りのバスルームは?」
「それはありますね」
「…………へぇー。佐川君、くわしー」
「え!?全体的にトラップ!?」
「冗談だ、バカトラ」
「ひどいっ……!」
神坂はケラケラ笑いながら、佐川の太ももに手を載せて、乗りかかるように身体を寄せて頬にキスをした。間近で目を合わせて笑い合うと、また少し、身体がうずく。
「はは……うっきー」
「俺も、うっきー」
「でも、おなかがすいた」
「はい」
簡単なものをおなかに入れて、飽きもせず広いベッドで抱き合い、もちろん広いお風呂でルールに則り、神坂の初のラブホテル体験は終了した。
時間の余裕があると思ってのんびりしていたら、タイムリミット間際になってしまって慌てて飛び出す体たらく。危うくせっかく買ったライトを忘れて帰るところだった。なので、出るのが恥ずかしいとかそういうことを考える暇もなかった。
「くくく……バカみたい」
「猿みたい?」
「バカ猿とバカトラ?そうだ。お前、急に虎化するなよな」
「仕方ないでしょう」
「出た……開き直るな!」
「あー腹減った。美味しい飯食いに行きましょう?」
「うん」
夕暮れ時の、何の変哲もない街並みを、二人でのんびり歩く。右も左もわからない見知らぬ土地で、神坂は目をつぶったとしても不安がないと思った。
佐川さえ隣にいてくれたら、何もかも、どうでもいい。
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