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第9話

 研修は四つのグループに分かれて行われる。風間のようなアルバイトと入社二年以下の新入社員たちと、新しく社内のインストラクタの資格を目指す社員たちと、藤田さんのように長年いるけど上級者ではない社員たちと、僕のような上級者クラスが担当できる社員たちだ。食事休憩とちょくちょく入れる短い休憩を除いて、夜の九時過ぎまで研修は続く。  風間はグループが違うのでどうだろうかと少し気にしていたけれど、昼食休憩のときは同じグループの若い子達と楽しそうに話していたから打ち解けたようだ。僕らのグループは水泳の研修まであって物凄くハードなので、風間のことを気にかけていられる余裕は、午後になった頃にはなくなっていた。研修を担当する人ってどうしてこんなに楽しそうなんだろう。  研修の終わりも見え始めた七時前。軽い夕飯のための休憩が設けられて、今夜の飲み会の話があちこちで盛り上がっている。今回自費で参加しているのは風間だけなので、ほぼ全員が同じホテルに宿泊するのだから、飲むな集まるなというほうが無理がある。本社にいる内勤者たちも、近隣店舗の研修には参加していない社員・アルバイトたちも、今夜の盛大な飲み会に参加する気満々だ。毎回、本社の近くのでかい和風居酒屋の宴会場を借り切って、もの凄い規模の飲み会になる。  もちろん、それに参加しない人間もいるけれど、そう人たちは別の集団を作って飲んだりするので、二日目の研修はみんな寝不足の二日酔いで受講するのが通例だ。 「風間君も、参加するよね?」 「え?あー……」 「あれ?未成年?」 「いえ、二十歳です。でも俺、社員さんじゃないですし、お邪魔かなって」 「そんなことないよ!歓迎歓迎。な、小阪?」 「……だね」  僕の隣でお茶を飲んでいる風間に、いろんな人が声をかけてくる。藤田さんとのやり取りは、幸い彼の評判を落とさなかったようだ。風間はいい子だし、きっと研修も真面目に取り組んだんだろう。だけど、飲み会に行くのを渋っているようだ。僕や藤田さんに遠慮しているのかもしれない。僕はできるだけ不自然じゃないように彼から視線を外しつつ、参加の後押しをした。 「風間。来たければ来たらいい。無理はしなくていいけど、みんな誘ってくれてるんだし」 「……ですかー」 「ほっとけ、克彦。子供が混じると酒が不味くなるだろう」  いつの間にか僕の傍に立っていた藤田さんが、低い声で挑発的に、風間を標的にして冷たい台詞を投げつけてきた。さすがに周りも口を閉じて、すうっと空気が沈んでいく。風間はその整った顔で緩慢に、藤田さんの方を見た。間に挟まれた僕の頭上で、もしかしたら火花が散ってたりするんだろうか? 「藤田マネージャー、俺、さっきも言いましたけど二十歳です。子供ではないでーす」 「猫被ってちやほやされて、いい気になるな。誘われたんで来てあげましたとでも言いたいのか?めんどくさい奴だな」 「……突っかかんないでくださいよ。俺、なんかしました?」 「お前のくそ生意気な態度が気にいらないね」 「えー?言いがかりじゃないですー?俺、いい子にしてるんですけど」 「ふざけんな」 「ああ、それとも俺が克彦さ……」 「風間っ!」  風間は綺麗な色の柔らかい唇の両端を吊り上げたまま、獰猛な目で藤田さんを睨みながらゆっくりと立ち上がる。僕は咄嗟に椅子を後ろに飛ばして、藤田さんを背に庇うようにして風間の前に立った。 「……藤田マネージャーに謝りなさい」 「……」 「君の態度に問題がある。わかるな?謝りなさい」 「なんで?先に言いがかりつけてきたのは藤田さんの方でしょ?」 「いい加減にしろ!」  僕は珍しく大きな声を出した。風間が目を見張っている。何を考えているんだ?ここで何を言うつもり?お前は自分をもっと大事にしてくれ。  僕は風間から目を逸らさなかった。 「今は研修中だ。仕事中なんだ。バイトも社員も関係ない。君の態度は、目上の人に対するものじゃない」  冷静に考えてほしい。何がどうなったって、今の風間は不利だ。彼はアルバイトで、辞めたければ辞めればいいし、評判が悪くなったからと言って給料に影響するわけでもない。だけど僕には我慢が出来なかった。うちの、川辺店のホープは、こんな無礼な単細胞じゃないんだ。そうだろう?僕が好きになった、年下の優しい王子様には、こんな見苦しい真似は似合わない。 「…………申し訳ありませんでした」  僕を射るような目でじっと見て、不意にその視線が外れたかと思うと、風間は身体をずらして藤田さんの正面に立ち、深々と頭を下げた。  僕も藤田さんを振り返って、同じように頭を下げる。 「うちのが失礼なことを言いました。申し訳ありません」 「…………うちの、ね。もう、どうでもいいわ。さ、研修始まるぞー」  どうやら藤田さんは、笑顔を作ってくれたようだ。おかげで凍り付いていた周りも安堵の息を吐いて、バタバタと食事の後片付けをして、次の研修への移動を始める。  僕は頭を上げて、隣でまだ俯いている風間の肩をポンと叩いた。 「……驚かすな」 「……」 「行けよ。遅れるぞ」 「克彦さん」 「なんだ」 「……」  風間はそのまま黙り込んだ。あいにく時間がなくて、彼の沈黙には付き合ってあげられず、結局そのまま各々の研修に戻って行った。  怒涛のスケジュールがようやく終わり、芋の子を洗うような混雑の中でシャワーを浴びて汗を流し、僕がスーツに着替えている最中に、風間がやってきた。全員が一度に終えると風呂場の収拾がつかなくなるので、彼ら新人グループはいつも他よりも少し長く拘束されるのだ。 「お疲れさん」 「……お疲れ様です」 「なあ、風間」 「さっきはすみませんでした。藤田マネージャーにも、もう一度謝りました」 「……そう」  風間はおそらく意図して、少し大きな声で僕にそう告げた。それを聞いた周りは、よしよし、なんだやっぱりいい子じゃないかと相好を崩し、口々に慰めや冷やかしを言っている。僕の心配なんて、要らなかったみたいだ。少し呆れて、だけどほっとして、僕は苦笑いを浮かべながら、もういいよと言った。 「飲み会、来るんだろ?」 「はい」 「早くしないと、開始に遅れるぞ。遅刻したらモノマネしないといけないんだよ」 「は?無理です」 「でも、しないといけないんだ」 「無理だって。克彦さんは出来るの?」 「僕?結構いろいろネタはあるんだよね」 「嘘!?」 「お先ー」  僕は笑ってボストンバッグを肩に掛け、同じく準備の出来上がった同僚たちと一緒に、宴会場へ向かった。風間はものすごい勢いで風呂場に走っていった。  飲み会は相変わらず盛大だ。店全部を貸し切るわけではないので、当然他にもお客さんはいて、その中に会員さんも混じっていたりするから、会社からは絶対に羽目を外しすぎるなと厳命されている。それでも肉体自慢が大勢集まっての飲み会は、非常に賑やかだ。  風間はギリギリセーフだったけれど、何人か遅れた新人たちはきっちり前座のようにモノマネをさせられて、酒を飲む前から盛り上がる。酒瓶が次々に転がっていく中、僕は最初の一杯だけグラスでビールに口をつけ、あとはウーロン茶にして料理をつまんでいた。  入り口の付近の若いグループの中にいる風間は、早々に酒に強いとバレたらしく、呑み助の諸先輩方に囲まれている。あーやっぱり美味しそうに飲むなぁ。 「克彦」  喧噪とも言える盛り上がりの中、藤田さんが僕の隣に座った。一悶着はすでに和解していると誰もが思っているし、みんな楽しく遊んでいるので、僕たちを見咎める人はいなかった。僕は、緊張した。 「……お疲れ様です」 「お疲れ。久々に本気でトレーニングしたから、きっついわ」 「僕もです。やっぱり研修って」 「この後、俺の部屋来い」 「……」 「いいな」  混雑する風呂場で、まるで通勤ラッシュの電車の痴漢に遭ったかのように、僕は誰かに触られた。泡で滑る尻を、明確な意図をもって。飲み会が始まって、二度トイレに行ったけれど、僕を個室に引っ張り込んでキスしてきたのは三人だ。カウントおかしいだろ。トイレに着いてすぐさまされて、その人が開放してくれてようやくおしっこして、手を洗って出ていこうとしたら別の人が入ってきて。この世界にゲイが多いというのを、半年に一度思い知る。  みんな耳元で、この後自分の部屋に来いと囁いた。その全部に、僕は首を横に振った。先約有かよ。彼らはそう言って諦めてくれたけれど。  藤田さんは僕の返事を待たずに、またどこかへ行ってしまった。そして僕はため息をつく。身体はすごく疲れていて、筋肉はまだまだ熱くて、もう風間とは切れている。  投げやりになったわけではないけれど、今夜は藤田さんと過ごそうと考えた。きっとひどくされるだろう。だけど、今の僕にはそれがお似合いのような気がした。  あの騒動で、僕は少し期待したんだ。風間はまだ僕に優しくしてくれる気があるのかなって。だけどそう考えるのが、もう嫌になった。風間は本当は多分、優しくない。優しくした後に、いくらでも僕を突き落せる。だったら、優しくない人の方がずっと優しい。  僕は結局、優しくない人が好きなんだ。  久々に顔を合わせる同僚たちとの飲み会は本当に楽しかった。お互いに近況を伝えあい、社内の噂を暴露しあい、彼らは一様に風間を褒めた。僕は、風間の名誉が守られた気がして嬉しかった。当の本人を視線で探せば、さっきと同じ人と楽しそうに話し込んでいる。それを見ても、僕は傷つかなかった。今夜は彼に優しくするんだろう。僕よりもずっと小柄で、風間と同じくらい酒を飲んでいるその男を。  そろそろお開きという頃。  気の早い人は一足早く抜け出して、別の店やカラオケに移動している。ホテルに帰った人もいる。だから、どんな行動をとっても誰も気にしない。藤田さんの姿はすでになくて、さっき僕の携帯に部屋番号が送られてきていた。僕は適当にごまかしながらさりげなく、店の入り口の集団から離れて足早にホテルへ向かった。僕の足でおよそ十分。着くころには汗だくだろう。その時、携帯が震えた。 「今どこです?」 「……」 「聞こえてるよね?今どこ」 「……風間は?」 「ホテルです」  僕は苛立った。どうして風間はこういうことをするんだろう。僕は一層足を速めて、藤田さんの待っているホテルに向かう。 「話があるんです」 「なんだ」 「タクシー停めて。こっちへ来てもらえませんか」 「何の話だ」 「大事な話」 「もう切るぞ」  風間は僕らが宛がわれたのと、本社を挟んで反対側に同じだけ離れたホテルの名前を口にした。僕はそれを聞き流す。 「二一〇四号室です。待ってます」 「行かない」 「じゃあ、浚いに行きます」 「行かないって言ってるだろ!?風間は勝手すぎる!そんなのに振り回されたくないんだよ!」 「謝りたいから」  ホテルはすぐそこだ。人通りはあまりない。信号が点滅している。走れば渡れる。渡ったら、もうホテルの入り口だ。その交差点に、僕と同じくらいの身長の若い男が立っていた。

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