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第3話

 朝目が覚めた時、今日が休みでよかったと、僕はこころから思った。昨夜のことは、できることならなかったことにしたいけれど、どうやら無理らしい。  多少アルコールの残っている、重たい頭を振りながら、とりあえずシャワーを浴びて、ちょっと昨日のことを思い出しちゃって狼狽した。いかんいかん。さっぱりしたところで簡単な食事をしながら、ラップトップをテーブルの上で開いて立ち上げる。  僕は鞄から、昨日片岡さんにもらった名刺を取り出した。タクシーで帰る途中に自分の携帯電話に登録して、片岡さんにメールを送った。彼もタクシーの中だったからか、返信はすぐ来て、「日野の登録名はビッチちゃんだぞ」と書いてあった。  このまま片岡さんと一緒にいるためには、僕は正真正銘のビッチ受にならないといけない。もちろん、ビッチは一日にして成らずということはわかっている。しかしいきなり経験値を上げるための実践トレーニングは難しい。とりあえず、定義から頭に叩き込んで、それらしい振る舞いを演じつつ、誤魔化しながらがんばろうと思う。僕は昨日貰ったメールを消えないように設定して、決意も新たにキーボードを叩く。 「『ゲイ ビッチ』検索……っと」  そもそも僕は、ハッテンしたりしないゲイなので、あまり事情がわかっていない部分が多い。男性経験の少ない女性と同じで、今まで付き合った彼氏とのやり取りと、僅かな知識がすべてだ。彼氏?あ、うん。若干二名だよ……いいだろ!!  一秒以下で表示される膨大な検索結果は、ちょっと、アヤシイ。取っ付きやすそうなところからとリンクを開くけれど、あまり有益な情報が得られない。英語のスラングとか、結局男女の絡みとか、一大市場を形成しているBLと呼ばれる作品とか。やはりここは、BL作品を参考にするべきだろうか?だけどたくさんあるし、普段小説も漫画もほとんど読まないから、どう拾えばいいのかもよくわからない。  そんなことを考えながら検索結果を適当にクリックしていたら、とあるホームページに行き着いた。サイト名は「ビッチ受のススメ」だ。お?と興味が湧いて、ENTERのマークをクリックする。 次に現れたのは、目次のようなページだった。淡いブルーのグラデーションの背景に、読みやすいフォントでリンク先が並んでいる。全部日本語だったし、おかしな宣伝広告バナーも一つもない。明瞭で簡潔なそのページに好感をもった僕は、まず【このサイトについて】という文字のあたりをクリックした。 ■ いらっしゃいませ。 ここは管理人である青たん痛子が、ビッチ受を考察・解説するサイトです。 ビッチ受という言葉がピンと来ない方でも、お気軽にご覧ください。 何もわからず迷い込んできただけの方でも、お楽しみいただけるかもしれません。 ただし、男性同士の性行為に寛大な方に限ります。 初めての方は、【ビッチ受とは?】からお読みください。 青たん痛子 拝 ■  僕は万歳した。これこそ僕が捜し求めていたサイトだろう。嬉々として、その【ビッチ受とは?】というリンクに進む。  そのページも、シンプルにまとまっていて、チカチカ動くアイコンや、マウスポインタにまとわりつくキラキラというような、読み手の目を疲れさせるものは何もない。 「えーっと?ビッチ受とは……?」 ■ 【ビッチ受とは?】 管理人による、このサイト内でと限定した定義です。 ビッチ受とは、男性同士の性交において、女性役を好み(これを受と呼ぶ)、自身の快楽をとことん追及する男のことをいう。 ビッチ受は、下記の四種類に大分される。 A 職業ビッチ受~僕の身体にいくら出す? 生業として、積極的に男性を誘惑し、セックスに持ち込む男性。彼らの場合、セックスは過程であり、自身の身体及び性技は道具である。セックスによって金銭や情報、人脈などの対価を得る。 趣味と実益兼ねてます☆というタイプもいるが、大半は悲しい過去や止むに止まれぬ事情があって、「必要とあらば誰とでも寝る」という職業を選択しているに過ぎず、真実の愛に出会ったり、その状況から抜け出した場合、往々にしてビッチではなくなる。 従って彼らはビッチには分類しないこととし、このサイトでは取り上げない。 B 趣味ビッチ受~だって気持ちいいんだもん 趣味はセックスです!男に突っ込まれるのが三度の飯より好きです!と明るく言える男性。 程度の差はあれど、性交で得られる快楽のためには手段を選ばない。 ビッチ受の中の多数派であり、男性に性器を挿入される快感を得ることが、その他の事項、すなわち一般常識や羞恥心、相手の都合などより優先される場合は、本人の自覚の有無に関わらずこれに該当する。 望む快感を手に入れるために講じる手段や性格によって細分化される。 C 真正ビッチ受~お願い、僕をめちゃくちゃに抱いて! 自身の趣味嗜好に関わらず、男に突っ込まれずには生きていかれないという特異体質の男性。 先天性と後天性があるが後天性真正ビッチであっても、先天的な要因があるというのが一般的な見解である。真正ビッチの大半は、男性同士の性交を好む男性(男役・攻)を惹き付ける風貌をしている。 彼らは自分の体質を持て余して、職業ビッチとして生活する者も多い。 ビッチとしては最高ランクに位置し、訓練や調教、本人の心意気で到達できるレベルではない。 ここでは彼らの生態の紹介のみとする。 D 隠れビッチ受~こんなの僕じゃない 普段は男性との性交を好まない、もしくは女役をしない、受けても至ってノーマルなやり方を好む、などの嗜好にあるが、ある一定の条件下でビッチ化する男性。 奇跡的に相性のいい相手との性交、アルコールや薬物による誘導、衆人環視などの外的刺激によって発露する場合が多い。 繰り返しビッチ化させられることで、真正ビッチや趣味ビッチに近づく傾向にあるが、たまに見せる淫乱ぶりが隠れビッチの真骨頂とされる(ギャップ萌え:別窓が開きます)ため、その加減を間違えないことが有能な攻か否かの一種の試金石となる。 この辺りの考察に関しては、姉妹サイト「攻のたしなみ」に詳しい。 ■ 「奥が深いなぁ……。僕、真っ当なビッチ受になれるかな?」  不安を覚えて、思わずため息が出る。その時、そばに置いていた携帯電話が震えた。昨日登録したばかりの番号と名前が表示されている。  僕は慌てて画面をタップして、震える声で応えた。 「は、はい!」 「あ、俺……寝てた?」 「お疲れ様です!寝てません!起きてます!」 「お疲れ様って……仕事の電話じゃないんだけど。昨日結構飲んでたし、まあ、無理させたから、ご機嫌伺いだよ」 もしかして、心配して連絡くれたのかな?片岡さん、優しい……!! 「全く問題ないです!大丈夫!!」 「そうか。……ところで、今日か明日、暇か?」 「え?」 「ゆっくり飯でもと思ってさ」  デートだ!!デートのお誘いだ!!  もう何年、このトキメキを忘れていただろう。あーキュンキュンする。僕は嬉しくて、天にも昇る気持ちでイエス!と叫ぼうとした。  そんな僕の目に映る、ディスプレイ。  …………ダメだ。僕はまだビッチ受考察中の身で、片岡さんのお相手ができる実力を持っていない。 「……すみません。ちょっと、予定があって……」 「……二日とも?」 「はい」 「そうか。じゃあ、いいよ。邪魔したな」 「あ、あの!!」  どうしよう。なんて言えばいいんだろう?ビッチ受らしい台詞が出てこない。当たり前だ、僕はまだビッチ受じゃないんだからっ!えーと、えっと!!?? 「こ、今回は、ごめんなさい。また僕から誘いますね?」  片岡さんのお誘いを何度も断りたくはない。僕がビッチ受的教養を身につけたら僕から誘うので、待っててくださいって気持ちなんだけど……伝わったかな?  電話の向こうで、片岡さんが笑う気配がした。 「わかったよ……大人しく待ってりゃいいんだろ?浮気性のビッチが可愛く焦らしやがって……次会ったらお仕置きだな」 「え、あの、僕……」 「じゃあな」  機嫌を損ねてしまっただろうか?でも、片岡さんの声は楽しそうだった。お仕置き……?浮気はしてない。よくわからない通話だったけれど、とにかく、片岡さんの気が変わらないうちにデートができるように、僕は気合を入れてマウスを握った。

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