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第12話

暑い土曜日だった 俺が昼飯を食べてからジムへ行くと エレベータを降りてロッカールームまでの短い廊下に人だかりができていた 俺は顔見知りの人に声を掛けた 「どうしたんですか?」 「小阪さん、異動なんだって!」 返ってきた声が理解できなくて俺は首を傾げた ……今、なんて? 「……え?いどおって?」 「隣の県の店舗に。やだぁ~私、小阪さんのファンだったのに!」 「私だって!ってゆーか、みんな好きよね。エアロもステップも筋トレも教えるのうまいし」 「そうそう。小阪さんならって、来る人も多いのに」 「ねー!」 みんなの口々の話は耳に入らなかった やがて人気のあるクラスが始まる時間になって 掲示板の前にいた人たちはスタジオへ向かい それでも俺はそこに立っていた 【おしらせ】 私 小阪克彦は、今月末をもちまして異動することになりました。 会員の皆様方には、この五年間大変お世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。 異動先でも楽しい運動を――― 貼り出されたA4の書面 恐らく本人が作っただろう、丁寧な文章 右下には署名とともに彼の顔写真が載っている 「……小阪さん……」 いなくなっちゃうんだ あんな素敵な人、どこでも引っ張りだこだろう 今だって俺はたくさんの客の中の一人で あの人はきっと俺のことなんてすぐに忘れる 高木様、とさえ呼ばれなくなって 大丈夫ですか、と気遣ってくれることもなくなって もしもどこかで会っても もう本当に赤の他人で関係なくて 帰ろう 俺は踵を返してエレベータに乗り込み そのまま家へ戻ってしまった 今日は土曜日だから小阪さんがいる 夕方のクラスの時間以外は 個人レッスンの人のためにマシンフロアにいて 俺を含めた顔見知りの人にも声を掛けてトレーニングのフォローをしてくれる 今頃きっとみんなに別れを惜しまれている その大勢に紛れたくはなかった 疑いようもなくその他大勢のくせに プライドだけはいっちょ前だよなぁ…… とぼとぼと家に帰り着き 着替えやタオルを詰めたボストンバッグを肩から床に滑り落としながら 俺はソファに倒れこんだ 「はぁ……」 会えなくなる 大人で優しくて逞しい理想の人 出逢った瞬間、運命の王子様だと思った ずっと男を見る目が無くてハッピーになれなかった俺を 小阪さんがハッピーにしてくれるんじゃないかって期待した なのに年下に慕われて調子こいちゃってるダメな俺…… パーカーのポケットに突っ込んでいた携帯を取り出す ソファにうつ伏せになりながらするすると指を動かし メールを送信してゴトンと携帯を床に転がした 話があるんだ そのメールを読んでくれた年下イケメン王子様は 夕方遅くに俺の家に来てくれた 「どうしたの?具合悪いんですか?」 「……ううん。ごめんね、急に呼び出すような真似して」 自分がされてイヤだったいくつかのこと 相手の都合に振り回されて急に呼び出されるのは その最たるものだった気がする それをしている自分に泣けてくる 風間君が相変わらずの笑顔で全然でーすと言ってくれるのが 救いではなく追い討ちに感じてしまう 「ご飯、食べました?」 「あ……ごめん!何も用意してなくて、おなか空いてるよね!えっと、すぐ」 「いいですよ、そんなの。久々に外で食べます?話、しながら」 「……そう、だね」 外にいれば 少なくとも流されてしまわずにいられそう 風間君の優しさと好意に甘えて まあいいか、と唇や身体を重ねることもないだろう 「じゃあ、居酒屋?なんか新しいお店出来てましたよね」 「うん。そこにしようか」 「はーい。了解です」 明るいキラキラの王子様スマイル 俺は彼をじっと見つめて どうしようもなく情けなくて申し訳なくて こころの中で何度も謝った そんな俺を見て風間君はふと微笑む 「告白する気になっちゃいました?」 「なんで!?」 「高木さん、わかりやすいですよ」 「……ごめん」 「謝らないで。高木さんは悪くないでーす」 「俺が悪いんだよ。俺しか、悪くない」 「そんなことないよ。ほら、行きましょ!」 風間君はまた俺を助けてくれた 言い出しにくいことをあっけらかんという風に口にしてくれて きっとすごく嫌な思いをさせているだろうし 今から話す事は聞きたくないはずなのに どうしてそんなに俺に優しいの? 「そんな顔、しないでくださいよ」 「……ごめん」 「ゆっくりご飯食べましょうね」 「ありがと……」 新しく駅前に出来た店は 全部の席が個室の作りだった 時間が早いこともあって広めの部屋に通されて 俺は風間君と向かい合わせに腰を降ろす 「俺、今日は飲みますからね」 「存分にやっちゃって下さい」 「高木さんもつきあってよね」 「どこまででも、お供します」 ありがちな飲み放題メニューを選んでビールを頼み 腹ペコ男子はいきなり炭水化物を注文した もちろん定番の揚げ物も次々に読み上げて 繰り返そうとする店員を制してビールを催促している 「か、風間君、あのさ」 「はい?」 「怒ってる?」 「なんでですか?全然でーす」 風間君の全然でーすって結構怖い気がする 俺はドンと置かれたジョッキを両手で掲げて頭を下げた 「……ごめんなさい」 「ま、とりあえず、かんぱーい」 「かんぱぁい……」 とりあえずって言ってますよ! でも俺も覚悟を決めなきゃならない ぬるま湯にちゃぷちゃぷするのはもう止めるんだ 決意を新たにジョッキの半分ほどを一気に流し込む 「高木さん?ツブれる前にお話しましょうか」 「うん!」 「ねぇ、泣かなくても」 「うんっ!」 俺はジョッキを握り締めたまま涙をこぼした ぎゅっと目を閉じる ごめんね、風間君 そう口に出せないほど申し訳なくて 残りのビールを飲み干した 「えーまじー?高木さん、ちょっと待って?」 「うんっ!!」 「お返事は上手なんですけどね……」 風間君はいい匂いのする小さいタオルをバッグから引っ張り出して俺に渡してくれた 俺はそれをほめんなはい……と言いながら受け取り顔を埋める 「ねぇ、高木さん。俺の話を最後まで聞いてくださいね?」 俺は必死で頷いた 聞きます 正座しますか!? 「俺、言いましたよね?高木さんの恋愛の邪魔はしないって」 俺はまたコクコクと頷く 風間君はゆっくり優しく話を続けてくれた 「俺は高木さんのこと好きだけど、恋愛しなくていいですよって事です」 うんうん! 俺が小阪さんに片想いしてるからだよねっ 「恋愛しなくていいけど、気持ちいいことだけはしたくて誘ったんです」 うんうん! せめて身体だけでもって思っちゃうよねっ 「高木さんが、他に好きな人がいてややこしい事にならないってわかってたからですよ」 うんうん! 俺ってすぐややこしい事言い出しちゃうタイプ…… 「……へ?」 「ね、俺が悪いでしょ。エッチさせてくれそうだから誘ったの」 「……へ!?」 「好きだからですよ、もちろん。でも恋愛したかったわけじゃないんです」 「へえええ!!!???」 どういうこと!? 俺ってこんな年下に遊ばれてたの!? ハナから身体のつきあいしかしたくなかったってこと!? それってそれってアレだよね!? 口にもしたくないけどヤリ友だよねーー!! 「……マジ、で?」 「マジでーす。高木さん、年上なのにかわいくて、色気あったし」 「色気なんか……待って!?まさか俺を病院で助けてくれたのも作戦!?」 「あれは偶然」 「あ……そう」 「でもあのおかげでキッカケ掴んじゃって、行動に移しちゃったんですよね、俺」 「そう、なの?」 「経験少ないんで、高木さんみたいに色んな男に泣かされてる人としてみたかったって言うか」 「泣かされてますけど……経験豊富でしょ、風間君」 「全然でーす」 「上手じゃん」 「ふふふ。高木さんがさ、感度もいいし身体も柔らかいしエロいこと好きだからでしょ」 「返す言葉もございません……」 そうだよね 色に狂った三十路手前の寂しい男が たまたま好意を持ってくれた若い王子様をくわえ込んだんだよね 色んな男に泣かされながらも色々されたおかげで 一応色々できる身体で得したなぁ……と思えばいいのか 「そっかぁ……俺、風間君にもそんな感じかぁ」 「え、待って。ごめんなさい、でも絶対ヤリ捨てとかじゃないから!」 「わかってるよ。そんな風に思ったことないよ。いつも優しかったもん」 「や、ほんと……高木さん、俺」 「いいのいいの。俺も悪いしさ、年上なんだし」 風間君を傷つけるのが憂鬱だった 彼を手放すのもイヤだった でも少なくとも俺に執着が薄いなら 残念だけどよかったのかもしれない 天秤にかけるような真似はしたくないし 二人の王子様を手玉に取れる甲斐性もないからね 俺はなんだか気が抜けてしまって ふぅ、と息を吐き出した 馬鹿みたい こんなんで小阪さんに告白とか、馬鹿みたい 「高木さん……」 「あ、やめて~風間君は何にも悪くないからね!はい、飲んで飲んで!」 風間君の大事な王子様オーラが翳ってる!! 俺は慌てて酒を勧めて 客が少ないからなのか どんどん運ばれて来る料理を風間君に寄せる 「ほらほら。おいしそうだよ~」 「ですね……」 ああっ お願い風間君、ため息とかつかないで! 俺は風間君のタオルを握り締めたまま 祈るような思いで彼を見つめた かっこかわいい顔は今日も素敵で 初めて俺を案内してくれたあの時よりずっと好きだ その顔が暗い表情で眉間に皺がよっている ごめんね 俺がちゃんと気づいてあげて 大人の対応していればよかったんだよね 「そんなに見てると、ここでしますよ」 「は!?」 「個室だし、高木さん相手ならソッコーで勃つから」 「いや、その瞬発力は披露してくれなくていいし……」 「じゃあ、見ないで」 「はい」 風間君はジョッキをぐいぐい空けながら 俺の方を見ずに言い放つ なんか……怒ってますか?

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