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第15話

浜中と三人でなら何度か来たことのある ちょっとお洒落な和食メインの飲み屋さん いつ来ても店内は静かで でも今日は静まり返っているようにさえ思える 沈黙が、重すぎるっ 「適当に頼んどいてくれ。電話だけ一本かけてくる」 個室の座敷に通されて 六人は入れるそこに一人で残されて 俺は注文を聞きに来てくれた店員さん相手に 会話の練習をした もうやだ 帰りたい…… 適当に食べ物と飲み物を頼んで 名残惜しい気分で店員さんを見送った 俺はため息をついてはおしぼりをたたみ ため息をつきながらおしぼりを広げた 広がったおしぼりを見てまたため息 それを何度も何度も繰り返していたら スラッと襖が開いて大森さんが戻ってきた おしぼりはちょうど半分にたたんだところ 手を拭くのを忘れている 「……仕事です?大丈夫ですか」 「見積もり送ったよって連絡だけな」 「注文、適当に」 「ああ」 お願い、店員さん! 早くどんどん持ってきて! なんなら俺が厨房に立つよ! この気まずさを誰かぶち壊してー!! 「おまたせし」 「ありがとう!!」 再び襖が開いてビールと焼酎が運ばれてきて 俺はものすごく彼女を歓迎した だけどここにいてくれるわけではない 「お疲れさん」 「おつかれさまでーす……」 俺はビールのジョッキを軽く上げて 目の前に座る大柄な先輩のネクタイの結び目当たりを見ながら呟いた ああ、食欲も飲む気もわかない…… そう思いつつも沈黙が怖くてグイグイ飲んでしまう 「おま」 「ありがとうね!!!」 料理が来ればなんか会話が生まれるよね! 一品ずつちょくちょく持ってきて! 何度も襖を開け閉めしてね! 「和弥、ちょっと落ち着け」 「っはい!」 「……仕事、頑張ってんなぁ」 大森さんは目を細めて俺を見る 面と向かって褒められたのは久々だ 昔はこの一言が欲しくてこの笑顔が見たくて 必死に仕事していたときもあった もうずっと昔の話だけれど 「……頑張ってます、よ。もう、若手でもないんで」 「そうか?何年目だっけな」 「七年目です」 「もうそんなになるかぁ……俺も歳取るよなぁ」 「おじさんくさいですよ、大森さん」 「はは。おじさんだからな。……もう、安心かな」 「え?」 「俺な、会社辞めるんだ」 「……え?」 カランと氷がグラスで踊る その音が大きく響くほどの静けさ これって俺の妄想だっけ? まさか現実じゃないよね? 「ちょ……すみません。何ですか?」 「お前な、大事なこと言ったのに聞いてないとかどんだけ」 「聞きたくないから!!」 俺は大きな声を出した 聞きたくない 風間君に仮定で言われたときさえ嫌だった それを本人から本当に聞かされるなんて耐えられない 辞めるって 俺はどうしたら 「……悪いな、急で。結構前から決めてて。でもなかなか進まなくてな」 「なん、で」 「転職」 「じゃなくて」 「ああ、人が足りないからって慰留してもらって、無下にも出来なくてズルズルと」 「じゃなくて!」 「和弥?」 「なんで……っ」 「おい、泣くほどのことかよ」 「ことですよ!好きなんだから!!」 行かないで 俺の理想の人 好きだって言いたいんじゃない 好きだっていう一言であなたを捕まえたい だってずっと好きだったから 「……お前、な、に言って」 「好きなんです。俺、大森さんが好きなんです。俺、ずっとそうなんです」 「なんで泣くんだ」 「俺、本当はずっと大森さんが好きで、辞め、る、なんて……!」 涙が零れる 目が熱い もうちゃんと話せないくらいしゃっくりが出て止まらない 今本当に思い知ってる 小阪さんの異動を聞いた時 こんな気持ちにはならなかった 俺が好きな人はこの人だけなんだ なのにどうして離れて行くの 「す、好きっ、なんだも、もんっ」 「泣くな」 失礼します、と声が掛かって 襖が開いて店員さんが入ってくる 号泣している俺をきっと不審に思うだろう 俺はできるだけ静かにしようと思ったけれど しゃくりあげるように喉が鳴る 涙はどんどん溢れてテーブルを濡らす 「あ。これ、俺が好きなやつ。お前嫌いだろ」 「うっ……ううっ……」 「ああ、ちゃんと好きなものも頼んでるか。相変わらず偏ってんなぁ」 「ふ……うっ、ひっぅ……」 「和弥。顔上げろ」 俺は綺麗にたたんだおしぼりでゴシゴシ顔を拭いて 唇を噛み締めながら顔を上げた 情けない ようやく出来た告白なのに こんな泣き顔しか見せられないなんて 「すげぇ顔だな。なんで泣くんだ」 「だ、て」 「俺が辞めるからか」 「そっ、そう、ですっ」 会えなくなる 離れて行ってしまう 俺は残り少ない後輩という立場さえ 自分の感情を抑えきれずにぶち壊した せめて最後まで可愛い後輩でいたかったのに もう和弥って呼んでくれない 大丈夫かって聞いてもらえない 俺の斜め前の席に誰もいなくなる 涙が頬を伝う 「泣かなくていいだろ。俺も好きだよ」 俺は首を振った 大森さんの好きとは違うもん 俺は浜中じゃない 大森さんの好きな女の子じゃない 「なんで首振るんだ。好きだって」 「も、いいですっ」 「はぁ?またお前はワガママだね」 「ワガママで、いい!」 「そうかよ」 そして頭を撫でられた グローブみたいな手 広いテーブルの向こう側からでも届く長い腕 俺を見つめる優しい目 大好きな笑顔に見とれる 「好きだぞ。俺の好みをちゃんと覚えてくれているところも」 「……うそ」 「嘘じゃねぇよ」 「大森さん、ノンケだよね?」 「ちげぇよ」 「彼女いるって言ってたよね?」 「言ってねぇよ」 「言ったよ!俺、聞いたもん!」 「そうか。じゃあ、俺が悪いな」 「そうだよ!だって、俺ずっと大森さんのこと見てたし聞いてたしっ」 「ずっとってな。どんくらい?」 「会社入ってからずっとだし!すごくない!?」 「俺なんか、お前が会社説明会に来た時からだぞ。すげぇだろ」 「……うそ」 「嘘じゃねぇって」 信じられない どうしたらいいの 本当に好きな人に好きだって言われて それが俺の気持ちに呼応するものなら 俺は今世界で一番ハッピーなのかもしれない 何も言えなくて俯いた 涙が止まらない 「……大森さんのばか」 「お。そのばかが好きなのはどこのどいつだ」 「俺ですよ!なんで!?なんでそんな長いこと、す、すき、とか!?」 「なかなか、言えなくてな」 「なんで!?言ってよ!」 「だってお前、男切れなかっただろ?いつも誰かいる雰囲気でさ」 「そんな、の」 「最近なんか、ジムだ筋トレだって浮かれてるし」 「浮かれてたけど!」 「転職でもすれば、忘れられるかなって思った」 「……大森さん……」 大森さんは片肘をつきながら 焼酎のグラスを手慰みにして呟く 大きな手はいつも俺を助けてくれた手 「もちろんそんな後ろ向きな気持ちだけじゃないけどな。試しに勉強して、MR試験受かって、転職先探したら結構あるんだなって。じゃあ辞めるかなって。今のままだと……結構しんどくてな」 「やだ」 「もう決めたんだよ」 「やだよ!」 「お前、最近出来た彼氏はどうした?」 「彼氏なんかいないもん……!!」 俺は再び泣きだした もっと早く伝えていればよかったの? そうしたら俺はこの人に好きでいてもらえた? 寂しさに勝てなくて傍にいてくれる人を選んだ ノンケだと信じて違う人に恋してるふりをしていた そんな俺なんてもう好きじゃない? 「そうか。てっきり新しい彼氏捕まえたんだと。次は大事にしてくれる男かなって心配してた」 「大森さん、見る目ないんじゃないすかっ!」 「だな。お前が俺を好きでいてくれてるなんて思わなかった」 「俺だってそうだし!」 「両想いだなぁ」 ガタン!! 大きな音は俺が思いっきりテーブルに膝をぶつけたから 驚きのあまり意味もなく立ち上がろうとして失敗した テーブルの上の食器が踊る 大森さんがぎょっとしている 「おま、あぶねぇな。大丈夫か?」 「俺、見る目あるから!」 「ああ」 「大森さんも、あるんじゃない!?」 「かな?」 「だよ!」 「もう、泣くな」 「ひざ!痛いの!今おもいっきり打ったし!」 「わかったよ。……泣くな」 大きな手が今度は俺の頬を包む あたたかさに気持ちが溶けていく ゆっくりまぶたを落とすと涙がいくつも流れて 大森さんが笑いながら拭ってくれる 両想い、なの? 今も俺を好きでいてくれてるの? 俺を置いて離れていかないで下さい 「和弥」 「……なに」 「俺って、どこに住んでたっけ」 「……ここから歩いて二十分のマンション」 「走ったら」 「十分」 「ジム通いの成果、見せろよ」 「……ついて来れんの?」 俺たちは料理に手をつけないまま 五分後には大森さんの家にいた 移動時間が短すぎてタクシーの中でドキドキする暇もなかった

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