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第11話
国境に近づくにつれて、時々不審な人間とすれ違うようになった。隣国の人間かこの国の者か判然としない格好で、騎士達よりもずっと念入りに素性を隠しているように見える。そういう輩たちが集まる、この国の果てにある森を抜ければ関所だ。森は広く深いけれど、人間の気配がそこかしこにある。誰もが誰かと顔を合わせることを避け、そのために自分の気配を消さずに縄張りを主張して野営している。騎士はうまい具合に川べりの拓けた場所を見つけ、大木の根元にいつも通りラヴィソンの寝床を設えた。食料を調達するために歩き回ることはためらわれるので、夜ではあるけれど簡素な食事で済ませる。スープだけは直近の村で仕入れた野菜で作った。
「殿下」
「なにか」
「……明日は、朝早くに国境を越えます。何があっても、お声を出されませんようにお願いいたします」
「そうか。どのように誤魔化すのだ」
「商人のフリをいたします。殿下はエギュにお乗りになり、私の後ろをお歩きください。通行証はございます。余程のことがなければ問題なく隣国へ」
「ああ」
騎士はさらに言葉を重ねようかと思ってやめた。もうこれで、この国から去るのだと、騎士が言わなくともラヴィソンには嫌という程わかっているだろう。ラヴィソンは何も言わずに揺れる炎を眺めていた。薪が燃え、消し炭になり、やがて何もかもが灰になって散り散りになっていく。その様子を、なんの感慨も抱かずにずっと見つめていた。
翌朝、陽の出とともに森全体が動き出す。
国境越えのためにみんなここに寝起きしていたのだ。目の前の東の関所が開くのは三日おきで、早い時間に隣国の何処かへ移動してしまいたいので、開門と同時に人が殺到する。その混在に乗じて抜けるが吉だ。騎士とラヴィソンもまだ薄暗いうちに野営の跡をできる限り消してから他の旅人風情と一緒になって列を作る。小さく、隣国の中心部に出るには遠回りになるこの東の関所は、だからあまり警戒が強くない。その情報は持っていたし、軽薄な宿屋の亭主からも聞かされた。
周囲は得体の知れない者で溢れている。騎士はしばらくはラヴィソンに隣にいてもらい、万が一にも襲われたりすることがないように警戒していた。やがて関所が開き、人が蠢き出すと、ゆらりゆらりと列が崩れ、隣に並んでいることが難しくなる。騎士はエギュについて来い、はぐれるなと言い聞かせ、その上に跨るラヴィソンには、昨日のうちに打ち合わせておいた偽名で呼びかける。
「サンソム、はぐれないように」
騎士がそう小声で言うと、ラヴィソンの外套のフードがふかりと縦に動いた。頷いたようだ。彼の馬術が達者ではないことは承知しているが、海千山千の集まる関所で、馬に二人で乗るのは人の目を集めすぎる。騎士はエギュが自分の馬の尻を追って来てくれるのを祈るのみだ。
緊張とともに順番を待ち、ようやく騎士とラヴィソンが呼ばれた。サージュはもちろんだけれど、エギュがおとなしくしていてくれたことは僥倖だった。実際はただひたすら、至近距離なのをいいことに鼻面を押し当てるようにして、サージュの尻をガン見していたからなのだけれど。
関所の役人に促され、二人と二頭は柵の中へ入る。背後で柵を閉める音がして、退路が立たれたことを知る。しかしそんなことを憂いている暇はない。騎士は黙ってフードだけを外しながら二人分の通行証を役人に差し出した。役人はじっと通行証と二人を見比べて、おもむろに質問を始める。
「隣国へ、何をしに?」
「商売だ」
「商人には見えないな。身体は立派だし、馬も大きい。兵士か、騎士の風情だ」
「荷物を検めりゃわかる」
役人たちは全部で四人。この国と隣国の両方から二人ずつ派遣されている。そのうちの二人が、サージュとエギュに括られた荷を解く。中からは馬具や武器や武具が出てきた。それも大量に。
「食い詰めた兵士や騎士は、自分の矜恃さえ金に変えるのさ」
「へえ」
「そしてそれを、平和ボケした農民や商人が飾り替わりに欲しがる。世も末だ」
「後ろのチビはなんだ。お前の弟か?」
「弟子だ」
関所で人相を見せろと言われることはない。手配のかかっている人間を、関所の役人が探すことはないからだ。だからフードも顔布も外す必要はない。しかし、それは絶対ではない。気まぐれにそれを迫られることがないとは言えない。もしも顔を見せろと言われたら、いくらなんでもバレてしまう。騎士はともかく、ラヴィソンはその容姿の美しさから、肖像画が出回っているのだ。
「弟子ねぇ。盗品商人が弟子を取るのか」
「盗品じゃねぇ」
「しかしガラクタばっかりだな。売れるのか?本当に。他に何か隠してるんじゃないのか」
役人は馬鹿ではないようだ。騎士が買い出しの合間に集めたのは、見かけはできるだけ派手な安物ばかり。騎士は仕方がなく、次の矢を放つ。できれば使いたくはない手だったのだが、背に腹は変えられない。
「お見通しか。確かにそれ全部を売っても、大した金にはならねぇ」
「だろうな。隣国の人間も、こんなもんに大枚はたいたりはしないだろう。別の目的があるのか」
「頼まれごとだ。うまくやれば結構な金をもらえる」
騎士はそう言いながら、胸元から小さな布切れを引っ張り出した。それをほんの僅かに、だけどそれが何であるかわかるように役人に見せる。役人はようやく納得したらしい。
「ふん。普段勇ましいことを言っている割に、騎士だの兵士だのはいざとなると女々しいな」
「全くだ」
騎士がそう応えると、目の前の頑丈な高い柵が開き始める。関所を抜けられるのだ。騎士はさっと布切れを仕舞い込み、手綱を引いた。軽く後ろを振り返れば、相変わらずスッキリとした佇まいでラヴィソンが馬上にある。
「それで、稼いだらまた戻ってくるのか?」
「さあ?この国に、未練はない」
騎士のその一言だけは真実本心からだった。それが多分役人に伝わったのだろう。それ以上詮索されず、騎士達は国を脱した。つまりは、敵国に入ったのだ。ラヴィソンにとっては、祖国との別れの瞬間だった。ただし、その感慨に耽っている時間はない。
この周辺の地図は騎士の頭に叩き込まれている。関所を抜けた他の人間をできるだけ避けて、とにかく街とは逆方向へ抜ける。そして、河沿いのできるだけ小さな村を経由しながらバルバの国へ渡る。渡し舟を調達できるまでは敵国に止まらざるを得ない。いろんな意味で、ここからは時間との戦いだ。
「殿下」
「なにか」
「この河の向こうにある、バルバの国を目指します」
「うむ」
「広く深いこの河を渡る手段の調達が、最大の難関です。しかし必ず無事に、殿下がこの河を渡れるように致します。何とぞ、私に時間をお与えください」
「……励め」
「は!」
何があっても必ず無事に、目的の地へ。そしてラヴィソンが親書をバルバの国王へ渡し、その返事を受け取るまでは必ず守り抜かねばならない。
敵国へ入ったのは、騎士にとって初めてのことだった。もっと言えば、バルバへの渡航手段の調達の伝手などもない。それでも必ず。何に代えても。
騎士はラヴィソンを先導し、二つの村を抜けて最初の晩は、小さく閑散としてはいるけれど宿場町の体裁を保った集落に宿泊した。
大抵の宿がそうであるように、一階部分は酒場と飯屋を兼ねている。そこにいる客は、どう見てもいわくありげなツラを下げている。多少の旅路でくたびれているとはいえ、騎士らの身綺麗さは隠しきれるものではなく、胡乱げな目で無遠慮に眺められる。しかし、怯んではつけ込まれる。騎士はその粗野な視線を大きな背中で撥ねつけ、何者からもラヴィソンを守り切るという気迫で悪意を遮断する。ラヴィソンはただひたすら、ここは馬小屋ではないのだろうかと訝しんでいた。
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