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第14話
密航屋が指定した場所は、この国とバルバの国との国境になる大きな河のほとりの一角だった。
二国間を行き来する正規の渡し船があるので、そのための桟橋も設置されているが、もちろんそんな真っ当な場所の周辺には、たとえ夜であっても後ろ暗い部分のある人間は寄り付かない。
民家もなく河のほとりに自生する木々で鬱蒼とする一帯。昼間でも暗く陰気で、何もないその辺りは、深夜になるとにわかに賑わいを見せる場所だった。
人がたくさんいるのに街中の市場のような熱気はない。夜が深まるにつれてどこからともなく現れた商い人が手慣れた風に自分たちの城を組み立てていき、その軒先に灯す控えめな光が徐々に増えていく。壁のない、柱と屋根だけの小さく粗末なものもあれば、きちんと建てられたように見えるほど立派で大きなものもある。どれもが密やかな佇まいで、なのに妖しく人を誘うような雰囲気を持っていた。吸い寄せられるように、続々と客が集まってくる。
そのほとんどは、娼館だ。個人で客を取るものもいれば、見世の態を保っているのもある。つまり密航屋と同じ。組織であれ個人であれ、とにかく彼らはここで商いをして生計を立てている。娼館の次に多いのは、春をひさぐもの達が我が身を飾るための装飾品や化粧品、着物などを扱う店だろう。客が彼らに渡すためのちょっとした手土産物屋もよく見る。そして、ここで遊ぶ金を作るための質屋も多い。
街中の質屋で金を作ってくれば済む話だけれど、ここの質屋は娼館と繋がっていたり、反物屋と繋がっていたり、「ここで落とす前提」であれば少し割高に質草を預かってくれるのだ。そしてそんな質屋の中には、変わったものを買い取ってくれる店もある。
大きな河の流れに沿うように、しっとりとした闇をほのかに染めてお互いに程よい距離を保って、様々な建物が並ぶ細い道を、騎士はラヴィソンの肩を抱いて歩いていた。サージュとエギュは馬具を外した状態で、小さくまとめた荷物を載せておとなしくついてくる。非合法の歓楽街だ。おかしな客も多いし馬を連れている客は珍しくないので、騎士達は目立たない。ラヴィソンの肖像画がこんな敵国の田舎にまで広まっているとは思えないけれど、もちろん二人とも外套のフードを深く被って顔布を巻いて、その容姿を隠している。
「サンソム、少しだけ待っていて」
騎士はふと、ある店の前で足を止めた。そしてラヴィソンに小さく声をかけながら彼を抱え上げると、エギュの背に乗せる。馬具がないので尻の座りが悪いだろうが、移動するわけではないので我慢してもらう。ラヴィソンは声を発さずに頷き、エギュの鬣に美しい指を立ててその毛を梳いてやることで、待っていられるという意思を騎士に示す。
騎士はさっさとその粗末で小さな店に入ると、待つというほどの時間も待たせずに出てきた。なんの店なのか、何をしてきたのか、目的は達せられたのか、ラヴィソンにはさっぱりわからなかった。
「行こうか」
騎士はラヴィソンを抱えて降ろし、彼と馬達に変化がないのをきちんと確認して歩き出した。誰もが遊びに来ているこの場所で、彼らはそういう意味では少し異質だったのかもしれない。それ以降、騎士はどんな店も人も一顧だにすることがなく、外套に包まれた小柄な人間を庇いつつ無言で、だけど周囲を警戒しながら前を見ている。執拗な売り込みや呼び込みに耳を貸さずに先を急げば、徐々に簡易な建物は減っていき、それとともに闇の勢力は増していき、夜な夜な出現するかりそめの歓楽街は背後に遠くなっていった。
騎士はおもむろにランタンに火を入れた。それを片手に持ち、相変わらずラヴィソンの肩を抱き、慎重に辺りを見回しながら約束の場所を探す。そうしていると、ラヴィソンが騎士の袖を引いた。騎士は身体を折るようにして、ラヴィソンの方へ耳を寄せた。
「……先ほどは」
「は」
「先ほどの店は何か」
「ああ……少し、荷物を減らす必要がありましたので、不要なものを金に変えておりました」
「さようか」
「大きな河ですが、一晩で渡ります。明日からはバルバの国。あちらで野営は難しいようので、旅装よりも現金の方が役に立ちます」
「宿を泊まり歩くのか」
「は。国から持参している地図にも、旅路で集めた情報でも、バルバの中心部にはあまり森や林といった、今まで幕営できていたような地理的条件は期待できそうにありません」
普通の民家の立ち並ぶ町や村で、普通に人の通る生活道路の端で、火を起こし天幕を張るような行為は珍妙だろう。目立って仕方が無いと想像できる。なぜ野蛮な国に人の手が入っていない場所が少ないのかは理解できないけれど、他の人間と同じ、普通の旅人と同じように振る舞う必要があるのは間違いない。
バルバは大河を接したこの隣国の他に、地続きにあと三つの国と接していると聞く。旅人も多く、異国人との交流も盛んらしい。短い期間のただの物見遊山で来る人間さえ気軽に受け入れるという。事前に手に入れられた情報は、そんなあまり役に立たないものがほんの少しだけ。騎士よりもよほど博識であるラヴィソンにしても、かの国を訪れる前の心構えとできるほどの知識は持ち合わせていないという。
「仕方があるまい」
「は」
野蛮であるという評価だけだ。直接に国境を接しているわけではないし、儀礼的な書簡のやりとりはあるのだろうけれど、お互いをよく知るものはお互いの国におらず、また知ろうとも思わないまま、ただの近隣諸国の一つであるという認識できたのだ。そんな得体の知れない国に助けを請うのが一体どれほどの狂気の沙汰か、今更案じても仕方が無いことであると、騎士ももちろんわかっていた。
人がほとんどいないからだろうか、先ほどまでよりも河を流れる水音が耳に着くほどの静けさの中で、騎士は目標を発見した。少し向こうの道端に、ランタンを持った女が立っていた。
密航屋の女房だろう。騎士はお互いの顔がわかるほどまでは近づかないで立ち止まる。ランタンの灯りが浮かび上がらせるのはそれぞれの手元だけ。騎士はその光の中に紙切れを差し入れるようにして女に示した。女はそれを確認してから、騎士との距離を二歩詰めた。その結果視認できたのは派手な化粧の綺麗な女だった。確かにこの国の人間とは顔立ちが違うように見えるが、騎士にとってそんなことはあまり興味がない。
「馬が二頭に、男が二人。その小さいのも男なんだね?」
「ああ」
「顔を見せて」
「俺だけなら」
「二人ともだよ」
「こっちはダメだ」
「二人ともだ」
「そんな話は聞いていない」
騎士はゆったりとした物言いで女の指示を拒絶した。そして、ラヴィソンを自分の背中に隠す。こういう取引は相手を信用するしかないのだ。しかし、信用に足る人間かどうかを見定めることは難しい。作戦実行の直前に新しい話を持ち出して来る人間に、まともな考えのものはいない。それは死線を彷徨ったこともある騎士の勘だ。この女はまずい。
「うちのが言い忘れたんだよ。見せて」
「そうか。ならもういい。この話はなしだ」
本当に河なのだろうかと思うほど、薄気味悪い轟音を立てて水が流れていく。こんな流れの速い場所だからこそ人目につきにくく、密航に向いているのだろう。馬を二頭載せられるだけの船であればまだしも、小舟は耐えられるのだろうか?それとも、こころに巣食う不安が、ただのせせらぎを不穏に思わせるのだろうか。
「……じゃあいい。あんただけ見せな」
女は憎々しげに顔を歪めて、吐き捨てるようにそう言った。騎士はすぐには動かず、たっぷりと女を威圧するように沈黙し、やがてゆったりと外套のフードを後ろに外して顔布を顎下まで下ろす。女は騎士の顔を見て、仕返しのように時間をかけて舐め回すように眺めた。
「いい男だね。だけど、その頭は何?みっともない……自分で切ったのかい?」
「さっき売った」
ラヴィソンは騎士の言葉に、思わずそっとフードをずらした。目の前にそびえる大きな背中から徐々に上に視線を動かして、騎士の太い首の上にある後頭部を見た。いつもうなじの辺りで一つに結ばれていた柔らかそうな白金の髪の尻尾はそこにはなく、髪全部がひどく短く刈られていた。しかもそれは不揃いで、見苦しいものだ。
驚きのあまり、ラヴィソンは目を瞠って固まってしまい、その露わになった目元を女が騎士越しにまじまじと見ていることに気づかなかった。もちろん顔布はしているけれど、類稀な美貌であることは容易に知れただろう。そして、そんな女の視線に気づかないほど騎士も愚かではなかった。瞬時に外套のたっぷりとした袖と身頃を広げて女の視線を遮断する。ラヴィソンはようやく自分が無防備であることに気づいてフードを戻した。もちろん遅すぎるけれど。
「……船はこっち。その前に前金を貰うよ」
「船を見てからだ」
「冗談」
「お前の相方は、馬を乗せるのを渋っていた。本当に馬が二頭乗れる船を用意できたのか信用できない」
「顔はいいけど性格の悪い男だね」
大きなため息と派手な舌打ちとともに、女は踵を返してガサガサと草を掻き分けてさらに河の方へ移動し始める。騎士はラヴィソンの背中をそっと撫でると、馬二頭にも声をかけて、女と十分に距離をとって後に続く。
「なぜ」
「サンソム、今は話せない。顔を、見せないで、声をどうか抑えていて欲しい」
袖を引くラヴィソンの方を向く余裕もなく、女の背中を睨みつけながら、騎士は口早にそう告げた。
ラヴィソンは動揺していた。髪を売るなど、考えたこともなかった。身体の一部を切り売りしなければいけないほどに困窮している現状を目の当たりにして、のんきだった自分を恥じる。しかし本当は、旅費が枯渇しているわけではなかった。騎士とて別に、自分の髪を売ろうなどとは考えていなかったのだ。ただ、今後持ち歩くことが困難な一部の荷物を金に変えようと質屋に入ったら、髪を褒められて意外なほどの高値だったから売っただけだ。金はあればあるほどいい。目や指を切り離す訳にはいかないけれど、髪など切るのにためらう理由がないからだ。思いのほか根元から刈られたのは驚いたし、大きなよく光る鋏を握る店主は少し怖かったけれど。
だから騎士は至って冷静で、落ち着いて女を観察していた。そして、周囲の暗闇の状況にも気を配る。
「……この辺はお前たち夫婦の縄張りか?」
「なんで?」
「大きな河とはいえ、流れを読んで効率的に渡ろうと思えば、いい係留場所というのは限られる。取り合いにはならないのか」
「そりゃなるわよ。あんたの言う通り、いい場所は限られている。組織立ってやってる連中には叶わないけど、個人どうしで融通しあったりね。私たちみたいなのは毎晩船を出すわけじゃないし」
「そうか。今夜運ぶのは俺たちだけか」
「そうだよ」
ではなぜ、さっきから水の音に紛れて近づいてくる気配があるのか。おそらく男女。しかし男は密航屋ではない。馬たちは、気づいていない。しかし確実に近づいてきている。騎士は躊躇いなく腰から長い剣を抜き、ラヴィソンを片腕で抱くと、大きな一歩で一瞬で女房に追いついた。そしてラヴィソンをそっと降ろして女房の首元に背後から腕を巻きつけ、切っ先を美しい顔に突きつける。
「きゃ……!」
「騒ぐな。騙したか」
「クソったれ!触るな!放せ!」
なかなか肝の座った女のようだ。びくともしない騎士の腕をガツガツを殴り、半分宙ぶらりんの足で騎士の脛を蹴る。何が起こったのかわからないラヴィソンは呆気にとられ、ただ騎士の傍に立っていた。身体が浮いたかと思ったらふわんと移動して、次の瞬間にはまた自分の足で立っていた。とにもかくにも騎士の動きに合わせて、彼の手の届く範囲にいるということだろう。まだ状況が理解できないラヴィソンだったけれど、憤ったのはその直後だった。
「おい、その女を放しな!」
姿を見せたのはやはり中年の男女だった。おそらくこちらも夫婦で、二人ともがほどほどの長さの剣を持っている。普段から扱い慣れていて、自分の身の丈にあったものだと知れる。だとすれば、やはり仕組まれた襲撃だ。女の方は、その剣をサージュに向けている。それを見たラヴィソンは思わず声をあげていた。
「その馬に触れるな!」
「女を放しなって、お前の連れに頼むんだな!」
騎士にとってこの状況は特別恐怖することではない。ただ、ここで騒ぎを大きくして、バルバへの道が遠くなるのが困るのだ。詳しくないこの敵国から、ほとんど情報のないバルバへ、夜陰に紛れて自力で密航を遂げるなど骨が折れる。船を探すところから始めるなら絶望に近い。
騎士はとりあえず女の喉をさらに締め、対峙する男女に何が目的だと聞いた。
「金か。俺たちを殺して身ぐるみ剥ぐつもりか」
「はっ。大した金も持ってない旅人なんか、襲ったって割にあわねえよ」
「では馬か」
その可能性も低い、と騎士は思っていた。と言うよりは、すでに検討はついていた。邪魔をしてくれるなよと苦々しく思いながら、騎士は頭の中で策を巡らせ、じっと暗闇の中で男女を睨めつけている。腕の中の女は、もうほとんど意識がないようだ。あまり時間をかけていては、密航屋が怪しむだろう。
「馬なんか邪魔になるだけだ」
「邪魔とはなんだ!無礼である!」
「有り金全部やるから、この密航屋の女房も連れて去れ」
「あんたがそんなに勘が鋭いのが予定外だが、俺たちの目的はそもそもあんただ。そのガキも、思いがけず上玉だったから儲けもんだな」
「俺みたいなむさい男に需要が?」
「あんたみたいにむさい男に抱かれたがる女は多いからな」
騎士は自分の予想と少し違っていたのでおかしな気分だった。大方ラヴィソンを隣国の第三王子とは知らずに拉致する腹だろうと想像していたのだ。
密航屋は何も知らずに仕事の話を持って帰ってくる。女房はその依頼人の性別や風貌の情報を裏で繋がっている娼館に流し、欲しがるのであれば金を貰って待ち合わせ場所で襲わせる。旦那にはすっぽかされたと言えばいい。先に前金を受け取っていればそれは全て女房の独り占めだ。かわいそうな密航屋。今頃船で待ちぼうけだろう。しかし、自分のような男に目を付けるとは、国が変われば価値観も変わるというとことだろうか。
サージュは見知らぬ女に剣を向けられていても、暴れることなくじっと騎士に注視し、指示を待っておとなしくしている。ただし、彼の中に闘志が滾り始めているのは騎士にだけは感じられた。元来、暴れん坊な馬なのだ。エギュはもちろん、サージュの尻を眺めているのでおとなしい。
騎士は剣を仕舞うと、腕の中ですでに失神している女房をひどく雑に娼館の亭主の足元に投げ捨てた。そんなところまで人間が飛んでくると思わなかったのか、男女は揃っておかしな声を上げた。
「交換だ。エギュ、来い」
騎士がエギュにそう言うと、彼はひどく残念そうに名残惜しそうにサージュの尻に鼻面を押し当ててから、不満タラタラにこちらへ来た。一度時間を作って、しっかり話して聞かさなければならない。サージュの尻より大切なことが、たまにはあるのだと。
騎士は寄って来たエギュの背にラヴィソンを乗せた。そして、エギュの首にしっかりとしがみついてて欲しいと頼む。
「落ちてしまうといけない。わかる?」
ラヴィソンは声を出さずに頷き、エギュの背に腹這いになるように身体を預けてギュッとしがみついて見せた。騎士はそんなラヴィソンの背をトントンと叩いてから、自分の外套を脱ぎ、それを彼に被せた。外套はとても大きくて、彼ごとエギュの胴体全部を隠すほどで、ラヴィソンはあたたかい暗闇の中に守られた格好だ。両手はエギュに回しているので、跳ね除けることさえできない。
ラヴィソンはまだ怒りが収まっていなかった。大切なサージュを傷つけようとした、あの不届者の狼藉が許せない。しかし、きっと騎士が何とかするのだろう。全てが終わてからではあるけれど、一言言うくらいで許してやってもいい。そんな風に思って目を閉じ、騎士が自分を呼ぶのを待つことにした。
騎士はラヴィソンをそのように外界からできるだけ遮断しておいて、さらに少しだけ離れた場所にエギュを移動させてから、改めて女衒夫婦に向き直る。
「そう簡単に、大の男を誘拐などできないだろうし、連れて行ったところで貴様らの思い通りに働くとは思えんが?」
「そうでもない。どうにかして館へ連れて行きさえすれば、あとはどうとでもなる。股の間のモノさえ使えればいいんだ。人格など、どうでもいい。そういう男を求めて、客は群がるのだから」
「ほう。この国の女はなかなかに餓えているのだな。あいにく、そんな女どもに俺の下半身は仕事しそうに無いが」
「心配するな。たっぷり薬を飲めば、女の中で果てることしか考えられなくなる」
どこでも同じか。結局薬や金で縛るしかない。騎士は自分がそんな職業につくのもごめんだけれど、そのような場所に、命よりも大切な第三王子も連れて行かれるところだったのかと思えば、こころが冷たく凍てついていく思いだった。そして決して許せないなと考えた。
「このクソ女のおこぼれ貰ってるのはお前らだけか?」
「あ?この辺りの娼館で、この女の紹介で目ぼしいのを引き取っているのはうちの見世だけだろうな。うちが拾わなかった質の低いのは知らんが」
「そうか」
では、お前らだけとしよう。
騎士はそう言うと、その言葉がどういう意味か、女衒の夫婦が理解する前に彼らの首を胴体から切り離した。重たいものが地面に落ちる音と液体がばら撒かれる音がしたけれど、両方そう大きくはない。夫婦は悲鳴を上げる暇さえなかったので、ラヴィソンには何が起きたのかわからないはずだ。
騎士は彼らの服で自分の剣を拭って仕舞うと、サージュを呼んだ。サージュは優雅な振る舞いで夫婦を等しく踏みつけてから騎士のそばに来る。騎士は大切な愛馬に傷がないかどうかを念入りに確認し、鼻面を優しく撫でて褒めた。たくさん褒めた。
騎士は失神したままの密航屋の女房の襟足のあたりを掴んで引きずると、ラヴィソンのそばへ寄り、自分の外套越しに状況を説明する。
「殿下」
「うむ」
「急いで河を渡ろうと考えております。今しばらく、このままで居てくださいますでしょうか」
「このまま、ここに」
「いえ。移動します。他に敵のないのを確かめながら動きますので、どうか、このままで」
「うむ。許す」
「ありがとうございます。エギュに、お掴まりになっていてください」
「あの不届きな輩は。サージュに触った、あの」
「追い払ってしまいました。サージュは自ら蹴り飛ばしておりました」
「さようか。では、よい」
ラヴィソンは騎士の言葉で機嫌が良くなった。サージュという馬が、本当に強くてよい馬であると改めて感心する。騎士はエギュに声をかけ、サージュを引き連れて女房を引きずり、密航屋の潜んでいる河岸を捜した。
それはそれほど時間をおかずに探し当てることができた。
「な……!?あんた、それ俺の女房だぞ!どういうことだ!!」
「こっちが聞きたい」
「ひでぇ!こんな……おい!おい!大丈夫か!目を覚ませ!死ぬな!」
「ちょっと気を失っているだけだ。それより、船を検めさせろ」
「冗談だろう!?女房をこんな目に合わせるようなやつを、乗せるわけが」
「船はどこだ」
騎士が腰から抜いた剣は月の光を受けて、白く輝き美しかった。それはもう、とても美しい風情だった。怒り心頭の騎士は見るものに恐怖しか与えないほど美しかった。
密航屋は鼻の先に触れた剣で小さな血の玉を作りながらガクガクと震えている。それでも騎士が静かに促せば、腰を抜かして這いつくばるようにして移動し、粗末な布で覆い隠してあったものを見せる。騎士は想定内だなと思った。全員は乗れない。大小二つの舟があるだけだ。
「馬が二頭に、男が二人。そして案内役のお前。どのように乗るんだ?」
「えっと、だから」
「お前の女房は、女衒に依頼主を横流ししていたぞ。危うく俺も、船ではなく女に乗せられるところだった。随分と働き者の女房だな」
「え?え……嘘だ」
「起きてから聞けばいい。それで、どうやって俺たちをバルバへ運ぶ?」
「嘘だ!こいつは本当によくできた女房で、確かに金遣いは荒いけど、いつも俺に優しくて、危険な仕事をしてくれてありがとうって」
「そうか。どうでもいいが、明日の朝、俺たちはバルバに入らねばならない。できるのか、できないのか」
話ができたのはそこまでだった。密航屋は取り乱し、あげくに騎士に女房を誘惑しただの侮辱しただのと食ってかかって来る始末だ。仕方が無い。できるかと聞かれればわからないと答えるが、やるしかない。騎士は騒ぐ密航屋の腹を蹴り、気絶させた。
改めて舟を検分すれば、小さい方に馬が一頭と、大きい方に人間二人と馬が一頭で分かれて乗るしかないようだ。幸い、二隻は太く丈夫な綱で繋がっている。絶対に安全とは言えないけれど、この機会を逃せば渡れなくなるのは間違いない。明るくなれば、女衒の夫婦が見つかり騒ぎになるのは目に見えている。
騎士はサージュを小さな舟に乗せた。余裕のない大きさだ。苦痛であるとは百も承知で、騎士はぐっとサージュの背中を押さえつけて、じっとしていろ、動かずに、低く伏せているんだ、絶対に立ち上がるなと何度も言い聞かせる。そしてラヴィソンに声をかけてから、自分の外套にくるんだ状態でエギュの上から降ろし、そのまま大きい方の粗末な舟に乗ってもらう。エギュをラヴィソンの隣に乗せて、サージュにしたのと同じように、何度も何度も言い聞かせる。騎士の乗る場所は本当にわずかであったけれど、あるだけましだと思った。
騎士は腰の剣で密航屋夫婦の首と胴体を切り離し、同じ要領で舟と岸を繋いでいた綱を切り離した。剣を仕舞うと同時に、片足で岸辺を蹴ると、二隻はゆっくりと真っ黒な河の流れに引き込まれるように旅に出た。
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