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第18話

 翌朝、騎士は早朝に目が覚め、ラヴィソンも同じような時間に起き出した。二人して部屋を出たら、フリックがそこで寛いでいた。 「おはよう。気分はどうだい?」 「……まあ、悪くない」 「何よりだ。とりあえず、朝飯を頂いてから話をしようぜ」  フリックはまるで自宅のような佇まいでラヴィソンたちに椅子を勧め、この家の純然たる住人である母親が笑顔で三人の前に朝食を並べていく。ラヴィソンは騎士の引いた椅子に優雅に腰を降ろすと、フリックに向かって口を開いた。 「我々は明日の未明に出立する」 「何で未明?」 「人目を憚るからである」 「ふぅん……我が国の王は、ここから離れた場所にある王宮の中だ。いかにして謁見するつもりだい?」 「そなたの協力を望む。我々を信じて、地図を用意してくれ。悪いようにはせぬ」 「うーん……なんだろう、この威圧感のない圧力……」  ラヴィソンは言いたいことを言い終え、気が済んだとばかりに匙を手にしてスープを口に運び始める。その様子を確認してから、ラヴィソンの後に立ったままだった騎士はフリックに目をやる。 「地図があれば、あとは自力で移動する。なんとか、頼みたい」 「この国では馬は登録制だ。まともな身分証明の出来ない人間には売ってもらえない。徒歩で行くには遠すぎる」 「……では、馬車を。金がかかるのはかまわない。呼んでもらえないか」 「国王から国王への親書だろう。通常であれば、君らみたいな状況はありえない。事情を話してくれれば手伝えることもあるかもしれない」 「色々と、あるのだ」 「君の国は戦争中だ。それと何か関係が?」  騎士は驚いた。遠い異国の、中心部から離れた地方の保安を担うだけのただの男が、我が国の戦争を知っているとは。底の知れない国、なのかもしれない。無意識に警戒心が沸き、騎士はラヴィソンの後ろから離れることが出来ない。フリックはそんな騎士を横目に、ラヴィソンに倣って朝食を食べ始める。意識だけは、騎士に向けたまま。 「昨晩、俺の上官に報告した」 「……」 「俺は警察組織の人間だけど、その上にあるのは国軍だ。軍部は地方の治安維持にあまり口を出さないけれど、異状の報告には神経質でね」 「そうか」 「君たちが河に流れ着いたってのも、面倒なことの一つだ。うちの国の河は軍が管理してるから。ほら、国境じゃん?」 「巧妙に国境を突破した、油断ならない危険人物であると告げたか」 「いや、運がいいやつらみたいですって言っといたんだけど。まあ、自分たちの警備警戒に隙があったのは事実だし面白くないんだろう」 「……で、どうなる」  フリックは食事を終えたようだ。ラヴィソンはまだ食べている。フリックは視線と仕草で騎士に席に着けと促した。騎士はそれを真正面から無視した。 「連行する」 「…………」 「運がいいね、君らは。この近くの軍の駐屯所に、水軍の指揮官がいた。だからこんなに判断が早い。その指揮官が今日、首都へ移動する。その隊列に君らを護送させるそうだ」 「…………」 「他の村ならこうはいかない。国境付近でなければ軍施設はないし、国境付近なんて辺境に指揮官は滅多に来ない。指揮官でなければ、密航者を首都へ移送するなんて判断は下せない」 「…………」 「あとで、その指揮官か、補佐の人間がここへ来る。顔を見て、話をして、覚えがめでたければ晴れて首都へ。そうでなければもう一度あの河を流れることになるだろう。今度は舟はない」 「会おう。その者に」  食事を終えたラヴィソンは、スッキリと背筋を伸ばしてフリックを見た。フリックは騎士からラヴィソンに視線を移し、これで地図も馬も要らないねと笑った。 「でもな、名もなきお坊っちゃん」 「…………私のことか」 「ああ。首都へ行っても、王宮へ入れるわけじゃない。そもそも、まず水軍の人間に会い、自分たちのことを説明しなけりゃいけない。それで納得させられないと、河へ逆戻りだ」 「…………つかぬ事を聞くが」 「なんだい?」 「あの河は、どこへ流れ着くのか」 「ここから先、いくつもの村のほとりを流れて海へ」 「さようか」  ラヴィソンは立ち上がり、この家の母親に礼を言って部屋へ戻っていった。母親は言葉がわからないのに通じたようだ。笑顔で頷いている。騎士は先回りをして扉を開けて頭を下げ、本日のことについてフリックと話をするのでと暇乞いをする。ラヴィソンは鷹揚に頷いて部屋へ入った。騎士はその扉を慎重に閉めてから、フリックの前に腰を降ろす。母親が騎士にあたたかいお茶を出してくれる。 「君んとこのお坊っちゃんは、河に戻ることを心配しているのか?なんだか首都へ行くのが当たり前みたいな態度なのに、あの河にこだわってるな」 「時間がないから聞きたいことを先に聞く。ここへ来る人間は言葉が通じるのか」 「ああ、それは問題ない。公用語が出来なければ公職には就けない」 「その人間に、危険ありと見做されれば国外追放ということだな」 「そうなる。俺に意見を求めてくれれば陳情できるが、許されるかどうかはわからない」 「……仮にそのように見做され罰せられることになった場合、この家の方々やあんたの母上に累が及ぶのなら」 「え?ないでしょ、そんなの。悪い人だって知らなかったんだし、悪い人でも怪我してたらさすがに助けるよね?」 「……そうか?」 「うん。誰にでも優しくあれとは言わないけど、常識的に考えて、そういうのは」 「……そうか」  もうすぐとはいつなんだろうか。わからないけれど、もしも万が一面会で危険人物の烙印を押されたら、本当に河へ放り込まれるのだろうか。騎士は、ラヴィソンはどこまで事情を話すのだろうかと考え、考えたところでわからないと思った。 「連行ということは、拘束されるのか」 「さあ?移送用の馬車に乗せられるんじゃない?そうだとしたら、内側から開けたり出来ないから、自傷の危険がなければ拘束しないだろうね。武器を持っているならさすがにそれは没収だよ。あと、荷物も検められるだろう」 「……」 「何を心配してる?お坊っちゃんのことか?」  通常、取調べを受けるとなれば丸裸にされるものだ。ましてやラヴィソンたちは密航者。国境を護る者にとって、それを脅かし、挙句突破したとあれば執拗に調べられるだろう。その上で、自分たちで押さえ込める程度だと判断されれば移送され、危険が大きいとなれば殺される。ラヴィソンに、そんなことが耐えられるだろうか。あの美しく気位の高い人に。騎士は暗澹たる思いだった。  フリックはそれを見て、気の毒そうな顔をする。恐らく、実情も騎士の想像とかけ離れてはいないからだろう。騎士はラヴィソンをそんな目に遭わせるくらいであれば、隙を見て脱出し、今までの旅路と同じく自力でどうにか道を見つけるべきではないだろうかと思案した。  自分はその顔さえまともに見られないほどの高貴な人に、命をかけて守り続けてきた大切な宝物に、誰ともわからない者の手が触れ、暴かれ、かの人の矜持が踏みにじられるのは耐えられない。    苦々しい顔をして黙り込んだ騎士に、そっと皿が差し出される。顔を上げれば、ふくよかな笑顔が身振りで早く食べろと伝えてくる。騎士は食欲などなく、この急展開にどう対処すべきかで頭が一杯だったけれど、おなかが減っていると色々うまくいかないと言っているとフリックに通訳されて、騎士はあたたかい朝食を腹におさめ始める。母親はそれを見て密かに安堵の息を漏らし、何度か慈愛の頷きを繰り返して、そっと彼らを二人にした。     「……水軍は、その……乱暴だろうか?」   「一応さ、うちの国じゃ軍人って子供にとって憧れの職業なんだ。国民からも尊敬されている。大切な国を守ってくれる連中だからな。だからもちろん節度もあるし規律も重んじられる。だけど、まあ、ね」   「我々は密航者であり危険人物だ。そんな異国人に紳士的な振る舞いをする軍人なんかいないだろう」   「率直に言えばそうなる。だけどあんたの国ではどうなんだ?護衛さん」   「我が方に正式な軍はない。騎士団と、その下に兵団があるだけだ。それらをまとめて軍力と呼びはするが」   「違いがよくわからない。国のために、国賊と戦うということではないのか」   「国の起こりが違うから、軍事の系統も違うのだろう」   「この期に及んでまだ、そちらが上等だというつもりか?」   「いいや」   「あっそう。騎士って、響きはかっこいいな」   「響きだけだ。国軍に属する軍人のように常に決まった金が払われるわけでもないし、実力主義でもないし品性を求められもしない」   「……そうなの?」   「護国などという高尚な理念を胸に秘めているものなどほとんどいない」   「わからないね。じゃあどうしてそんな危険な仕事に就くんだ?身分が高くなるのか?」   「さあな」      騎士は本当に答えられなかった。貧しくとも家族が食べていくことの出来る家庭環境にあって、仲も睦まじいのに、なぜ騎士を目指したのか。  最初はきっと、馬に乗りたかったのだと思う。農耕馬ではなく、颯爽と駆ける駿馬に。戦いに赴いて戦果を挙げ、"強い"と言われることにも憧れた。騎士がその道を歩み始めた頃はまだ国は国の態を成し、また若かったので闇の中の泥沼には気づかなかった。訓練を経て見習いとなり、馬や戦備品を借財をして揃え、初めて戦場へ行った日のことはまだ鮮明に覚えている。何も出来なかったけれど、騎士団の末席に名を連ねてその地位を得、いずれは名実ともに立派になる。そんな理想を思い描いて戦地を奔ったのだ。    同じ職業の中には怠惰な者も下劣な者もいたけれど、騎士は手にした"騎士"という称号に恥じないように訓練を重ねたし、多少なりとも戦果を挙げ、時として他の騎士を率いる立場も任された。しかし支払われる給金は出自のいい者には遠く及ばない。  そもそもこの国の最初の統治者である貴族のための、中流貴族らによる警備部隊に端を発する騎士団という制度において、そこは歴然とした階級社会であり、実力で登り詰めるなど意味がない。登り詰めたところでそこは低いハゲ山の頂に過ぎず、一歩も登ることなく麓で寛ぐにいる騎士らのほうがよほど騎士らしい装いと報酬を得ているのだから。彼らは如何にしても綺麗な騎士のままなのだから。  更に言えばそういう者たちの中の一部が、甲冑を身に纏い騎馬することさえ放棄し海軍という名の集団を作っている。歴史上何度か名将が現れたらしいけれど、今現在は船が立派なだけの烏合の衆だ。何せ隣国とは海を接していない。この長く続く戦においては何の役にも立たず、危険もほとんど及ばない。    それでも馬を駆り幾ばくかの報酬を得て、騎士として生きてきた。今の世において、大儀は自国の国王にある。騎士団を召集できるのは王であり、集められ、戦地へ向かう際には王に忠誠を誓う。繰り返されるその宣誓の儀式の重さが、騎士には感じ取ることが出来なくなっていた。そんな矢先にこの任務を言い渡されたのだ。    先行きの暗い旅路を行く第三王子の護衛など、取るに足りない話だと思っていた。しかし、久々に、こころの底から忠誠を誓った。そしてその気持ちはどんどんと強く尖り、何物にも変えがたい信念となった。  かつてこれほどまでに、誰かを守りたいと思ったことはない。役に立ち、僅かでいいから安らぎをと必死に足掻く。見返りなど何もいらない。契約時に提示された巨額の報酬は、きっと嘘だろう。だけどそれでも、ラヴィソンに随行するこの旅が無駄だとは思わなかった。  美しく、しかし生きる術をもたない王子の、その人生を賭す旅だ。国のために便利に使われているだけなのだと騎士もわかっていた。ラヴィソンも思い知っているだろう。しかし彼は一言もこぼさず、けなげに前へ進む。この旅が終われば二人ともが果てるのだと、二人ともが覚悟していた。ラヴィソンを不憫に思う気持ちに溺れそうになるとき、騎士は彼の背中を見て奮い立つ。ラヴィソンは誰よりも強くて美しく、そんな王子を守るこの任務は今までのどんな戦いよりもよほど価値があり誇れるものなのだから。     「……ここは、いい国なのだろうな」   「え?うん、多分ね」   「多分?」   「他国を知らない。だけど、豊かで強い国だ。そしてそれは国民の犠牲の上に成り立つものではなく、国王陛下の慈愛によるものだ。…………と思う」   「そうか」      騎士はそれをうらやましいとは思わなかった。今の自分にとって、大切なのは国という集合体ではなくラヴィソンただ一人だからだ。ただ、あのお方がこんな国に生まれていれば、もう少しおしあわせであられたかもしれないと、ただそのことを無念に思った。

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