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第20話
見張りとして同乗する男は、軍人としてはずいぶん人当たりのいい物腰の柔らかい男だった。総大将もそうだったので、この国の軍人はそういう者が多いのかもしれない。馬で隊列を組んで行軍しているのは屈強なものばかりではあるけれど。
「首都まで、どのくらいかかるのか教えてもらえないか」
騎士はしばらく走って民家が見当たらなくなった頃、目の前に座る男に質問した。ラヴィソンは深く外套のフードを被ったままで窓の外を眺めているようだ。
「……お前はこの子の護衛だと聞いているが」
「こちらの方は子供ではない。そう、俺は護衛を仰せつかっている」
「軍人ではないのか」
「馬に乗った、ただの男だ。我が国に軍はない」
「……長く、傍仕えを?」
「みんな同じようなことを聞くんだな。この旅を長いと思えばその通りだが」
「親書を届けるこの旅のための任務ということか」
「ああ。そのためにお供させていただいている」
「……」
総大将という男は殺しても飽き足らないけれど、信用できそうだった。その総大将が首都へ連れて行くというのだから、目の前の男の独断で突然処分されるようなことはないだろう。だから何とか、刺激しないように情報が欲しいのだけれど、中々難しい相手かもしれないと騎士は考えた。どうもこちらのことを訝しく思っているようだ。
「その子供は名前を名乗らないと聞いている。お前はどうなんだ」
「こちらの方は子供ではない。俺の名はフォールだ」
「そうか。俺はジュリだ。首都までは四日ほど掛かる」
騎士は驚いた。まさか向こうに名乗られるとは思っていなかったからだ。おかしな国だとつくづく思う。それはラヴィソンも同じらしく、フードの端っこを美しい指で少し摘んで視界をひらき、ジュリと名乗った男を一瞥したようだ。もちろんすぐさま元通り窓の外へ顔を向けたけれど、小さく息をついたのは多少の安堵の表れかもしれない。護衛が傍にいるとはいえ、もう一度自分自身を嬲られるかもしれないという恐怖は簡単には消えないものだ。
「……四日か。ずっとこのまま移動を?」
「もちろん夜は幕営か、軍施設に逗留する。あいにくお前たちを大きな寝台のある部屋に招待することは出来ないが、食事も出すし湯も渡せる」
「……なぜ?」
「なぜ、とは」
「罪人として連行されているのだ。そんな客人のような扱いは不可解だ」
「同感だ」
「だから、なぜかと」
「知らない。総大将の指示だ。極悪非道である様子はないから、通常警戒で護送、相手は幼いので要配慮であると」
「通常警戒とは」
「身体の拘束なしで、見張りの装備が通常であり、私語を装った情報収集が許可される」
「なるほど」
「幼い相手を怖がらせないようにと、俺が選ばれた。他のはなかなか厳ついのでな」
「何度も言うが、こちらの方は成人しておられるので、子供ではない」
「子供のふりをしておけばいい。この国の人間は、子供に甘い」
「それは……そのようだが」
世話になった家族のことを思い、しかしあれはラヴィソンが若く見えたからという理由だけではなかったように思う。こころの底からの同情と親切、それが出来るだけの優しさあふれる一家だった。だから、どうか。
「……ジュリ」
「なんだ」
「罪を犯したものを匿うことは犯罪か?」
「ああ。場合によっては同等の償いをさせられる」
「あの家の方々は、俺たちが密航者であるとはご存知じゃなかった。知っていて匿ったわけではないし、その親切に対して対価を得たわけでもない。だから」
「……?そうだろうな。まあ、発見の様子を聞く限り、密入国は承知していただろうが」
「いや、きっと知らなかったはずだ。何も知らないままで、ただ俺たちを不憫に思って」
「……あの家族は、それほど虚けではないと思うが?」
「あ、うん……そう、いや」
「別にあの家族を罪に問うたりはしない」
「…………そうか」
「当たり前だ」
騎士にはその当たり前が理解できない。しかし、自分たちのせいで不幸になることがないのだとすればそれは本当にありがたいことだったので、騎士は黙って頷き、少しはラヴィソンの気持ちが安らいだだろうかと考えた。
馬車は陽が暮れても走り続け、いよいよ月が天中に輝くほどの夜半になって森の中で幕営となった。もちろんラヴィソンや騎士に予定は知らされていないので、ただの休憩なのだろうかと思っていたら、しばらく経って馬車の扉が開き、食事が差し出された。それをジュリが受け取り、騎士に渡して、俺は仲間と外で食べると言い残して出ていった。要配慮とはここまでしてくれるのか。狭いながらもランタンの灯りもつけたまま、風に凍えることもなくあたたかい食事にありつけるなんて出来すぎで逆に恐ろしく思える。
「……殿下。食事だそうです。私が先に試しましょうか」
「よい。殺す気があればすでにこの世にはない」
「は。では、熱いようですからどうぞお気をつけください。御足の上に乗せましょうか?」
「うむ」
騎士は食器の載った盆の裏が熱くないことを手で確かめてから、慎重にラヴィソンの腿の上にそれを置いた。それから失礼しますと声を掛けて、外套のフードと顔布を取り去る。ラヴィソンはそうされてから、おもむろに食事を始めた。騎士はそれが終わるまで、じっと窓の外の軍人たちの動きを観察して待っていた。
ラヴィソンが食べ終えて、彼の顔布とフードを元通りにしてから、騎士は自分の食事を済ませた。途中でジュリが戻ってきて、その様子を不思議そうに眺めていた。
「……湯は?近くに綺麗な川があって水は豊富だから必要なだけ沸かす。隊の人間は地面を掘って簡易の風呂のようにしているが、子供はそこに入りたくはないだろう」
「身体を拭きたいから、桶に二杯分ほどいただけると助かる」
「ああ、そのくらいならすぐ汲んでこよう。ここじゃ狭いだろうから、外へ出てもいいが」
「気遣いはありがたい。外に出られるのであれば、俺は外で寝る」
「……子供は?」
「こちらで休まれる」
「…………あ、そう」
複雑な表情を浮かべたまま、ジュリはお湯を汲みに行ってくれてすぐに戻ってきた。手ぬぐいがないのなら一つやるよと言われてありがたく貰い受ける。ジュリはきちんと扉を閉めて車内に二人にしてくれて、だからラヴィソンは安心して騎士に身体を拭いてもらうことができた。
「熱くありませんか」
「うむ。よい加減である」
「は」
「彼らの、我々の扱いが丁重に過ぎて、少し不安に思う」
「恐れながら、同感でございます。何か裏があるのか、ただ単に罪人に対して厳しくない国なのか、判じかねます」
「……あの家族らに危害を加えないという話さえ真実であれば、他はよいとする」
「は」
ついさっき綺麗に整えられた髪をサラサラとよけながら、騎士はラヴィソンの地肌まで丁寧に拭き、うなじに掛かっていた髪もなくなっていることに少し安堵した。どうあっても美しいに違いない王子ではあるけれど、やはりいざというときは身奇麗でいられるほうが本人も気持ちがいいだろうと思う。
「……休むのか」
「は。御用がございましたらなんなりと。ここは狭いのでお休みになるのにも窮屈ではございますが」
「確かに狭いが眠れぬほどではない。もとよりこの移動においてこれほど快適であるとは想定外である」
「は。お疲れでございましょう。すぐに支度をいたします」
騎士はそう言いながらテキパキと荷物の中から馴染みの織物を取り出して、一つは小さく畳んで枕にし、もう一枚はラヴィソンの上掛けにしようと広げて持つ。ラヴィソンがまだ眠くないと呟いたので、騎士はラヴィソンの膝にその織物を掛けて、暇乞いをしてから馬車を降りた。すぐ側に隊員たちがいてこちらを窺っている。逃亡を監視されているのだろう。騎士はラヴィソンが彼らから見えないように扉をあまり開けずに、桶を二つ自分の足元に取り出す。
「換気を致したく、しばらく開けておいてもよろしいでしょうか」
「許す」
「は」
騎士は馬車の隣に立ったまま手早く服を脱いで自分の身体を拭き、この桶をひっくり返して椅子にして座って寝ようかと考えていた。そうするとわずかに、細く開けていた馬車の扉が動いた気がした。
「どうかなさいましたか」
「…………側にいることを許す」
「は。ありがたきしあわせでございます」
騎士は薄闇の中にジュリを見つけて、走って行って桶を返した。とても助かったという言葉とともに礼を言うのも忘れない。
「外で寝るのなら、毛布を貸そうか」
「重ね重ねありがとう。しかし今晩は、お側に侍らせて頂けることになったからそれには及ばない」
「侍る」
「馬車の中にいてもいいということだろう。狭いのに、おこころのお優しいことでありがたい」
「……侍る?」
「もちろん出来るだけ距離を作るが、同じ車内にあっては侍るといってよいかと思うが……おかしいか?」
「いいや。えーっと、夜通し見張られているから、そのつもりで」
「自分の立場は、もちろん理解している」
騎士はジュリに挨拶をして、大急ぎで馬車に戻り、ラヴィソンに声を掛けてから車内に収まった。移動中二人並んで座っていた席はラヴィソンが横になるので、騎士はジュリが座っていた対面の長椅子の、ラヴィソンの足側に小さくなって腰を降ろす。
「靴を、お脱ぎになられますか」
「うむ」
騎士は慎重にラヴィソンの靴を脱がせ、許しを得てからふくらはぎのあたりを少し揉み解した。座っていただけとはいえ疲労は溜まっているだろう。
「お菓子を、召し上がりますか」
「…………まだ、よい。明日食べる」
「は」
ラヴィソンはお菓子の包みをずっと大切に持っていて、ジュリにいい匂いがするなぁと言われたときにはこれを施すことは出来ぬときっぱり言ったほどだ。騎士に支えられて手足を曲げて横になったその頭の側に、今も置いてある。
ラヴィソンは目を閉じて、今日という長い一日を振り返った。過ぎたこととはいえ恐怖を感じ、また別れを経験した。空の青さと轍の音。そして今は夜露を凌げる場所にいて、自分を護る巨躯が近くに控えている。
だから、少し眠ってもいい。騎士は心得たようにランタンの灯りを小さく絞った。
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