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第22話

 総大将が去り、薄暗い部屋には三人だけとなる。テナシテはラヴィソンと向かい合うのが嫌になったのか、騎士のほうにだけ話しかけるつもりのようだ。それは大変ありがたいことだったので、騎士は出来るだけおとなしく従順に見えるような態度で彼の話を聞くように努めた。ラヴィソンよりは少し背が高いものの、テナシテは小柄で、うっかりすると威圧してしまいそうだ。 「シャルルー将軍閣下が、お前たちの世話をしろとおっしゃるのでそうしてやる。感謝しろ」 「ああ。ありがとう」 「密入国者め。罪人は通常、こんな軍施設に匿われたりはしないんだぞ」 「ああ。ありがとう」 「国王陛下にお会いしたいなど、僭越な望みだ。僕はそんなの叶うとは思わない。だけどそうならないとお前らがいつまでも居座るらしいから、しょうがないから手伝ってやる」 「ああ。ありがとう」 「お前たちのような罪人は、もう二度とシャルルー様にお会いしないかもしれないが」 「ああ、そのようなことを聞いたな」 「もしお会いするなり、言伝を頼む機会があれば」 「ああ」 「僕にすっごいよくして貰ったって言うように!これは命令だ!」 「…………承知した。それは、必ず」 「よし!」  テナシテは気が済んだらしく、騎士たちにここでの過ごし方を指図し始める。基本的にこの部屋の鍵を開けられるのはテナシテだけで、食事は小窓から差し入れられるのだという。続き間に簡易な水周りがあるので、出なくても不自由はしない作りになっている。 「いくら僕が有能でも、王宮とやりとりなんて出来ない。シャルルー様からの指示待ちだからお前らもおとなしく待っていろ」 「わかった」 「……ずいぶんと従順じゃないか。報告とは違うな」 「どのような報告があったんだ?」 「手は出してこないものの、反抗的で激昂しやすく油断すれば制圧されかねない要注意人物」  殺してやろうかと思ったあの取調べの男が脳裏を過ぎる。騎士が何か取り繕うべきかと口を開こうとするよりも先に、ずっと黙ったままだったラヴィソンが言葉を発した。 「その報告は間違いである。私の護衛はそのように野蛮なことはなく、冷静でおとなしい」 「子供は黙ってろ。ちょっと綺麗な顔してるからって図に乗るんじゃない」 「我が主への暴言は控えて欲しい」  騎士はラヴィソンの言葉をありがたくかみ締めながら、冷静でおとなしくいるように必死で怒りを押し殺し、ラヴィソンを背に庇いテナシテを見た。睨んだつもりはない。しかし、先ほどまでと目の色が変わっているだろうという自覚はある。そしてテナシテはどうやら優秀な軍人らしく、視線が絡んだ瞬間に彼もまた目の色を変えた。小奇麗な顔に似合わない、ひどく好戦的な目つきで唇の端を吊り上げる。 「……なるほどねぇ。ご主人様がそれほど大切?」  騎士の矜持をせせら笑うように形のいい顎をあげて、テナシテは極めて軽く問う。こいつは鼻持ちならない嫌なやつだが、協力者として利用する必要がある、だから関係を拗らせてはいけない。騎士は自分に言い聞かせ、グッと腹に力を込めて溢れる怒りを押さえつける。 「大切だ、何よりも誰よりも。テナシテには、そういう人はいないのか」  自分の命に代えても守りたい人は。  騎士にとって今それはラヴィソンであり、家族の他にそういう人は今までいなかった。大切な大切な人だ。誰かに傷つけられることは耐えられない。綺麗なままで生きていて欲しいとこころから願う。そのためならなんでもできる。  騎士の静かな目を睨みつけ、しばらく黙っていたテナシテは、鼻を鳴らして舌を出す。 「いたとしても、罪人に教える義理はない」 「そうだな。本当に大事なことは言葉にする必要はないのかもしれない」  ラヴィソンは二人のやりとりを黙って聞いていた。  そしてテナシテが去り、二人は先の読めない停滞の時を過ごすこととなる。  時間は徒に流れていった。  ラヴィソンと騎士は毎朝起きると食事を摂り、ただひたすらテナシテが呼びに来てくれるのを待つ。昼餉を与えられ、夕餉が運ばれてくる頃には今日も動きがなかったと諦めの息を吐く。  騎士は何度となく、見回りに来る者に状況を尋ねたけれど、彼らは一様に何も知らないと言って取り付くしまもない。ラヴィソンは内心の焦燥感をひた隠しにしてじっと座して待ち続けた。騎士はそんなラヴィソンの毅然とした佇まいに敬服し、しかし彼の心中を察すればどうにかして差し上げたくて落ち着かない。  窓のない部屋に閉じ込められて、もうこのまま出ることは叶わないのではなかろうかという猜疑心さえうまれる。太陽も星も見えないので時間の経過がわからなくなっていき、騎士は苛立っていた。ラヴィソンはただひたすら、祈り続けた。 「久しぶり」  待ちわびたものは、こちらの気持ちなどお構いなしになんの気負いもなくやってきた。この部屋に入ってからどのくらいの時間を浪費したのか。騎士は言いたいことがありすぎて、何も言えずに、しれっと現れたテナシテの両肩を掴んだ。  頼むから、俺を出してくれ。待っているだけなど耐えられないから、何かさせてくれ。  そう言いたくて言えなくて、騎士はやはり無言のままでテナシテを揺さぶり、縋るような目で見つめる。どうなんだ、親書は渡せるのか渡せないのか一体いつまで待てばいいのだこのままでは早晩自国が隣国に云々の思いを込めて見つめ、揺さぶる。 「わ、わるか、悪かった、悪かったって!揺するな!舌噛んじゃう!」 「すまん」 「なんなんだよ、お前は!いくら僕がかわいいからって気安く触るな罪人め!」 「すまん」 「僕を誰だと思ってるんだ!この首都の」 「首尾はいかがだろうか、テナシテ。我々にはあまり猶予がない」 「僕の話を遮るんじゃない!」 「ああ、それで」  テナシテは撚れてしまった襟元を直しながら、僕にそれ以上近づくんじゃないと騎士に言い、次の瞬間には真顔になって今すぐ準備をしろと促した。 「我が国王陛下が間もなくここへ見えられる」 「……え?ここに?」 「この部屋ではないが、この建物に。運がいい罪人だとは聞いていたけれど本当らしいな」 「我々に会いに、わざわざ?」 「そんなことがあるわけないだろう。思い上がるな」 「では、なぜ」  騎士はそう問いつつも、大慌てで荷物の中からラヴィソンの正装を引っ張り出す。その服は大切に、肌身離さず持ち運んでいたおかげで流失は免れたけれどシワシワになってしまっていた。しかしそれを親切な母親が他の衣類と同様に綺麗に洗濯してシワも伸ばしてくれたので、ラヴィソンはみすぼらしい風体にならずに済む。騎士のものも同様だ。騎士はあの優しい家族のことを思い出し、感謝を新たにした。 「テナシテ、申し訳ないが我が主の着替えがあるので出ていてくれないか」 「ふざけるな。今から陛下の御前にお前らを引き立てるのに、身体検査なしだと思うか?」 「……では、先にこの服を検めてくれ。そしてテナシテの目の前で着替えるから、我が主に触れることはどうか勘弁して欲しい」 「甘いな。何かあってからでは遅い。僕は罪人を信用しない」 「しかし我々はこの部屋に入る前にすでに危険物は手放している。それに」 「よい。その者の好きにさせよ」 「しかし!」 「時間がない。はよう、致せ」  ラヴィソンは唇をかみ締めて、椅子から立ち上がる。あの屈辱をもう一度味わうのかと思えば脚が震えそうだったけれど、今回は一人ではない。同じ目に遭ったとして、あれほど動じることはないだろう。  テナシテは騎士の手から二人分の正装を奪って点検をし始める。そして二人に服を脱げと命令する。騎士は手早く自分の服を脱ぎ捨てると、ラヴィソンの前に跪き、何度も謝り許しを請うてから彼の服をそうっと脱がせた。平民の前に肌を晒し、嬲られることへの抵抗は、他に大切なことがあると自分に言い聞かせることでラヴィソンの中で押し殺される。 「我が主を、先に」 「僕に指図するな。お前は下がってろ。名乗らぬ子供、こっちへ来い」  最後の最後までラヴィソンの肩に掛けていた上着を取り、騎士は渋々ラヴィソンから一歩離れた。ラヴィソンはまっすぐ背筋を伸ばしてテナシテを睥睨し、恐怖と恥辱に震えそうになる自分を叱咤する。テナシテは点検の終わった服を騎士のほうへ放り投げ、ラヴィソンの前に仁王立ちして横を向け、後ろを向けと指図する。ただし、腕は自分の胸の前に組んだままだった。  騎士はハラハラしながらそのやり取りを見守り、結局テナシテはラヴィソンに触れることがないまま騎士のほうに向かって、次はお前だと顎をしゃくった。   「ありがとう」  騎士がそう言うと、テナシテは心底嫌そうな顔をした。騎士はとりあえずラヴィソンに上着を掛けて、少しだけお待ちになってくださいと頭を下げてからテナシテの検査を受ける。テナシテは騎士に対しても腕を上げたり脚を開いたりという簡単なことで終えてくれた。 「それで、親書ってのは」 「これである」  騎士は自分は素っ裸のままで早速ラヴィソンに正装させている。そのラヴィソンのたおやかな手には綺麗な布に包まれた親書らしきものがある。テナシテがそれを寄越せと言うと、ラヴィソンはこれまでにない真剣な表情でならぬと応えた。 「何度も言うが、罪人に拒否権はない。僕の命令に従え」 「ならぬと申した。これに触れれば、そなたの腕が燃え上がる。私は私に親切を働くものに不幸が起こることを望まぬ」 「は?腕が燃えるって何」 「馴染みのないものに、呪いの説明をするのは難しい」 「は?呪いって何」 「テナシテ、本当に申し訳ない。しかし我が主の言葉は真実だ。名乗ることもままならないのも呪いで、新書を護る呪いも存在する」 「そんな危なっかしいものを、陛下に渡させる訳にはいかない」 「この国の真の王におかれては、その呪いは発動しない。これは間違いなくアンソレイエ国王陛下に親書を託すための措置である」  ラヴィソンに着替えをさせている間中、テナシテは胡散臭そうに親書にまつわる呪いの話を聞いていた。慣れない礼服をなんとか着せ終えると、騎士は自分の礼服を身につけ、こういう服は帯剣しないのであれば格好がつかないものだなと考えた。  テナシテは異国の正装を物珍しそうに眺めてから、今からの段取りを説明し始める。呪いを理解するのは諦めたようだ。 「陛下は間も無く首都の外へ移動される。その際にお通りになるのが僕の隊が預かる関所だ。大人数が一度に動くと人目に付くから、幾つかの集団に分かれて城壁を抜ける。陛下は一旦この建物の中でお待ちになられる。その僅かの時間に、お前らが謁見の名誉に浴するということだ」 「陛下は、なぜ人目を憚られるのか」 「異国の罪人には関係ない。ただ一つ、陛下とこの国の名誉のために言うが、お前たちのように他国へこっそりと入り込むような卑しい行為ではない」 「……無論、そのようなことは考えもしないことである」 「だったらいい。いいか、何が起こっても、たとえ謁見が叶わなかったとしても、絶対に僕の指示に従え。僅かでも勝手を働けば、僕がかばうよりも先に僕の部下がお前らを止めるだろう」  その手段は優しいものではない。  脅しではなく事実を述べているだけに、その言葉は二人に緊張を強いる結果となった。長く辛い旅だった。こうして正装し、アンソレイエ国王陛下に親書をお受け取りいただき、自国へ救いの手を差し伸べてもらう。それが使命だ。いよいよだと思えば、テナシテの言葉がなくとも二人の顔はこわばったかもしれない。  久々に部屋の外に出ることができた。ずっと薄暗いところにいたので、照明の少ない廊下でさえ明るく感じる。そこにはテナシテの部下が三人待機していて、ラヴィソンと騎士は彼らに囲まれるようにして移動した。たどり着いたのは小部屋で、装飾は少ないが重厚な椅子と机が印象的な応接間だった。部下のうち二人は去り、テナシテの指示でラヴィソンと騎士が壁際に片膝をついた状態で控えていたら、大きな足音とともに数人の男が入ってきた。この雰囲気でよもや陛下ではあるまいとラヴィソンが顔を上げると、案の定テナシテと同じような服を着ていた。彼らも軍人らしい。ラヴィソンの斜め後ろで膝をついていた騎士も、穏やかではない気配を察して静かに彼らを観察する。最初は誰かがテナシテに耳打ちをし、テナシテがそれに怒り出した。段々と口調が荒くなり、あっという間に言い争いになっていく。 「話が違う!シャルルー将軍閣下からは、ここで国王陛下に謁見を許されたと聞いているぞ!」 「気でも違ったのか?陛下を頂き、首都を護る軍人自ら、罪人を陛下の御前に引き立てるなど許されるわけがないだろう!」 「そんなことは百も承知だ!しかしそれを閣下が」 「いい加減にしろ!第三隊を任された立場で戯れの片棒を担ぎ、陛下を危険に晒すつもりか!?貴様の任務は一体なんと心得る!」 「口が過ぎるぞ、デュール!将軍の判断を戯れとは」 「戯れでなければ凶行だ!名前も名乗らぬ密航者だぞ!?我々第一隊は絶対に応じん。我々の指揮官であらせられる首都の将軍閣下におかれては、通常通り陛下の安全を死守せよとの指示だ。その任務遂行に関する判断は俺がする。陛下の安全よりも大切なものなどない!」  どうやら話が行き違っているようだ。水軍総大将だと言ったシャルルーという男は多分本当に尽力してくれて、僅かながらも国王陛下の時間を与えられる約束を取り付けてくれたのだろう。テナシテはそれに協力してくれている。しかしその異例過ぎる話を周囲は受け入れなかった。特に国王の最も傍で身辺警護を任される者にとっては応じ難い異常事態。優先順位を考えれば彼らの拒絶は当然だ。騎士には彼らの心情が、激昂が、まるで我が事のように理解できる。しかし、それでも、この機会を逃すことはできないのだ。騎士が必死でどう突破すべきか考えていると、目の前の薄い背中がゆらりと動いた。軍人たちは当然それを見逃さない。 「動くな!」 「どうか、話を聞いて頂きたい」 「罪人にかける情けはない。後ろの大きいのと一緒に、密入国の罪で通常の扱いとする。我が国王陛下との謁見など、あるまじきことだ」 「承知している。そなたらの憤りも察するに余りある。しかし」 「黙れ!卑しい罪人が、わかった風な口をきくな。いいか、何もかも間違い、手違いだ」 「私はこの親書を、アンソレイエ国王陛下にお渡しし」  男たちの動きが、気配が、急速に不穏になっていく。このままでは危険だと判断して、騎士はラヴィソンを守るべく彼に腕を伸ばそうとした。しかし一瞬で取り押さえられ動きを封じられる。  自分の背後の状況に気づかないまま、ラヴィソンは熱弁と熱意の余り思わず立ち上がろうとした。その時、彼の頭部を誰かの持つ棍棒が襲った。騎士がいかに優秀であっても数人に押さえつけられていては動きようもない。目の前で起こった出来事に、騎士は思わず我をなくして叫んでいた。 「殿下!」  ラヴィソンを殴った男は少し驚いたようだった。殿下と呼ばれる立場は数える程だ。  ラヴィソンは生まれて始めての巨大な痛みに目の前が半分暗くなって意識が遠のいた。しかし失神している場合ではない。床に手をつき、自分を支え、必死に目を開けて誰ともなく周囲に訴えかける。 「迷惑であることはわかっている。今の私は国王陛下に拝謁できる身分ではない。しかし、決して退けぬのだ!」 「抵抗すれば容赦はしない。諦めろ、我々は貴様らを陛下のお近くには絶対に寄せない」 「退けぬ!」 「殺されたいのか!」 「殺すがよい!」  ラヴィソンは毅然と叫び、目の前の男を強く見つめる。 「殺すがよい。この命も尊厳も、好きにするがよい。私の全てを捨てる覚悟だ、命など欲しければくれてやろう。事切れるまで好きなだけ打て。ただほんの一時、陛下にこの親書をお渡しし、陳情させて欲しい。それさえ全うできれば、私に思い残すことはない」  声を震わせることもなく、一気に言い放って、息を吸ったと同時にラヴィソンは恐怖に襲われた。自分は殺されるのだ。今感じるこの酷い痛みや吐き気などよりももっともっと大きな苦しみを得て、その果てに。死を賭して、身を呈して。そんな風に自国の役に立つと覚悟を決めて進んできた。与えられた使命を、どんなことをしても、きっと果たしてみせると。それでも実感はなかったのだ。殺される。もしくは、それと同等の目に遭う。ひたりと間近に迫るその現実の影に、恐ろしさに、悲鳴をあげてしまいそうだった。  すぐそばにいる騎士の声が、何だか遠くに感じる。彼も巻き添えにしてしまうのだろうか。親書の返事は誰が故郷まで。 「何事だ、騒々しい」 「陛下……!」  部屋の中の空気が一気に色を変えた。グラグラと覚束ない視界に現れたのは、堂々とした威厳を漂わせる壮年の男。拝謁を待ちわびた、アンソレイエその人だった。

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