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第31話

 新しい住居に移って随分と日が経ち、家の中……つまり、自分の部屋の中を動き回る分にはほとんど問題が無くなった頃。ラヴィソンは与えられた猶予という名の無為の時間を持て余すようになっていた。  何もしないくせに、食事をし、夜眠る。それはとても罪深いことのように思えた。自分が祖国の役に立ったのだという実感がないのは、それと引き換えのはずの覚悟していた過酷な境遇に堕ちていないことと、祖国の現状が聞こえてこないせいだ。しかしアンソレイエ国王陛下に、約束は果たしていただけたのですかなどと確かめることはできない。疑ってもいない。だから、きっと上手くいって、あの国は輝きを取り戻しただろうと踏ん切りをつけるより他はなかった。フォールとその家族の無事を祈ったけれど、それも叶わないだろうと諦める。  側にいる三人は時々、躊躇いがちに、控えめに、あなたはあなたの役目を立派に果たしたんですよと言ってくれる。それは確かにそうなのだろう。だからラヴィソンは、もうあまり考えないことにした。  そんなラヴィソンを見かねて、ジョワイはある提案をした。 「ただ飯食いは、肩身が狭いでしょう」  そう言って、ラヴィソンに小さな役割を与えた。文官の相談に乗るというものだ。そもそもこれは、かつてラヴィソンと面会をした彼らの方からの要望だった。まだこの国に留まっていて、時間があるのであれば、彼に意見を聞いてみたい。そういう話があちこちから出始め、アンソレイエも好きにしていいと許し、ジョワイは我が国の発展のためならと笑った。  反発は、それを告げられたラヴィソンの側仕えたちから出た。ただでさえ神経の休まることのない異国で、目の不自由な彼に見知らぬ人を引き合わせるなど絶対に承服できない。彼が逆らえない弱者だからと言って足元を見るような真似をするなど暴挙に等しい、と。  これにもジョワイは笑って応じた。 「彼は弱者である前に、我が国王アンソレイエ陛下に額づき慈悲を乞うた者です。わずかでも役に立てるのならそれが本望というもの。外野がとやかく言うのは止めに致しましょう」 「……ではせめて、こちらへ来られる方々の素性等を、前もってお知らせいただきたい。我々は、彼にこころ穏やかでいて欲しいのです」 「ふむ。いいでしょう」  ジョワイは、そのままの笑顔で三人を見渡し、せっかく来たのですから美しいラヴィソンの顔を見て帰りましょうと言った。ラヴィソンがジョワイを好いていないので、三人も彼を好きではない。だからジョワイを素直にラヴィソンに会わせることはない。さっさと帰れという視線をもろともせず、ジョワイはラヴィソンのいる庭へ向かった。 「ラヴィソン、久しぶりですね」 「……誰か」 「なかなか可愛い反抗ですね。先ほどこの家の者には伝えましたが、これからここに、来客があります」 「いつか」 「うーん。難しい質問ですね。あなたと面会した文官たちが、意見が欲しい時にここに来ます。噂を聞きつけて、初対面の者も来るかもしれません」 「……なぜ。私に何を聞くつもりなのだ」 「さあ?本人たちに聞いてください。あなたは、あなたのできる限りのことをすればよろしい」  ラヴィソンはそれに、首を振ることなどできるはずもない。陛下のおこころのままに。そう答えるしかできなかった。  それからしばらくして、王宮から時々来意が伝えられるようになった。ゼンは絶対に、予定のない来客を家に入れることはなかった。ラヴィソンに必ず事前にお伺いを立て、彼が断ることは一度もなかったけれど、とにかく予期せぬことが起こることを極力避けるようにした。  一人で来たり、二人で来たり、短い時間だったり長居をしたり、彼らの様子は様々だった。ラヴィソンは以前経験した試されるような連日の面会よりはマシだけれど、緊張を強いられて、来客の後は疲れを感じる。それでも、陛下の御恩に比べれば、この程度の力添えはささやかだと自分に言い聞かせた。そしてそんなことが珍しくなくなるほどには繰り返されていった。    ある日、王宮からの来客が帰ったあと、部屋を片付けるアンに、ラヴィソンは小さな声でダンを呼んで欲しいと頼んだ。いつもと様子が違ったので、アンはその場のすべてを放り出してダンを呼びに走った。呼ばれたダンも、初めてのことだったので何事かと大慌てでラヴィソンの元に急ぐ。その様子を見たゼンも一緒に駆けつける。     「お呼びでございますか、坊ちゃん。ダンはここに」   「…………いつも、忙しく働いているところをすまぬが」   「何なりとおっしゃってください」   「…………部屋に、居てはくれまいか。その、人がいる間でよい」      ラヴィソンは疲れきった顔をしていた。その様子を見て、三人は怒った。今日来た誰かのせいで、ラヴィソンは大変な心労を与えられたのだ。ダンはその場で、来客中の坊ちゃんを一人にすることは金輪際ありませんと力強く約束した。  理由を何も聞かないで自分の言うとおりにしてくれる彼らは、ラヴィソンの部下でもなければ使用人でもない。彼らに聞けば否定するだろうけれど、ラヴィソンは最初にジョワイに言われたとおり、彼らを陛下よりのご厚意で遣わされた親切な者たちという認識でいた。だから、説明が必要だろうと考えた。何も言わずに従わせるのは気の毒だと思ったからだ。   「本日の来訪者の中に、……その……」   「坊ちゃま」      言いよどむラヴィソンに、アンが優しく声を掛ける。そして、何も言わなくて結構ですと伝えた。他の二人も頷いている。     「坊ちゃまの、お気持ちのよいようにさせていただきとうございます」   「……では、そのように」   「承知いたしました」  委細を問わずに計らってくれることに、ラヴィソンは安心することが出来た。彼らに妄りに甘えてはいけないと戒めてきたけれど、いつもこころぼそくて申し訳なくて、今回のこともどうにかして自分で我慢できないものか悩んだけれど、緊張のあまり会話も疎かになりそうで、恥を忍んで申し出たのだ。   「私たちが坊ちゃまに平穏にお過ごしいただけるように努めさせていただくことを、何卒お許しください」   「……許す」   「どうぞお任せください」      丁寧な丁寧なゼンの言葉は、ラヴィソンのこころの強張りをほぐしてくれる。ダンは大丈夫ですよ、何の心配も要りませんから!と明るい声で請け負った。アンはニコニコしながら、犯人を特定してお茶に毒物を仕込んでやろうかしらと考えていた。あくまで、考えただけだけれど。  本当は、誰も悪くないのだ。少し前から、時々王宮から客が来るようになった。それはジョワイから聞いていたし、ゼンが必ず前もってどういう人間が何をしに来るのか教えてくれるから、こころづもりをしてから面会していた。目が見えないけれど、それほど恐ろしいような思いはしなかった。しかしある日訪ねて男の声を聞いて、心臓が止まりそうになった。ラヴィソンに無体を強いようとした破廉恥漢とそっくりだったのだ。全身の肌が粟立ち、震えが止まらなかった。別人であろうとは思う。だけど、あまりに似て聞こえる。最初の面会を恐慌をひた隠してやり過ごしたけれど、本日再びやってこられて、受け答えさえままならなかった。目が見えなくて、近づかれてもわからないかもしれない。そう考えたら、この者に悪気もないし非もないのだと承知していても、怖くて面会どころではなくなった。また、あの時のようなことになったらどうすればよいのか、あんな思いはもう二度としたくない。  相手はラヴィソンが非常に寡黙なのだと思ってくれたようだけれど、わざわざ足を運んだわりに実にならない時間だっただろう。それも気の毒だったし、何より、もうこんなことに耐えられない気がした。叫びだしたくなるほどの不安。誰かが側にいてくれたら。そう考えてしまったら、もう、こころは折れてしまった。   「本日はお疲れ様でございましたね。さあさあ、アンが特に腕によりをかけましたよ。甘いお菓子とお茶を召し上がってくださいませね」   「うむ……」   「お嫌ですか?」   「いいや。そのように所望する」   「はい。しばしお待ちください」  アンが努めて明るく振る舞い、ダンは運ばれてきたお菓子をおいしそうだと褒めちぎった。そうしたらラヴィソンが、ではそなたが頂くがよいと言い出し、それはいけません、これは坊ちゃんのですからと慌て、結局ゼンが、今回だけですよと四人でアン特製の甘くてフワフワしたお菓子を囲む。ラヴィソンは、どこか懐かしいような味と、彼らの優しさを噛みしめていた。      翌日、ゼンは王宮まで出かけていき、ジョワイに面会を申し出た。忙しい彼とは中々会えなかったけれど、政務の合間を縫ってゼンの待つ部屋まで顔を出しに来てくれた。 「お待たせしてしまいましたね。何かありましたか?」   「今後、ラヴィソン坊ちゃまのもとへどなたかが来られた場合、うちのダンがその場に同席いたしますことをご承知おきいただきたく存じます」      ゼンは柔らかい物腰で、許可を求めに来たのではなく、決定事項を受け入れるようにと迫った。ジョワイはきょとんとして、もう一度何かありましたかと尋ねる。     「坊ちゃまにおかれましては、見ず知らずの人と二人きりになるのが、精神的に負担が大きいようでございます」   「ふむ。随分人見知りなんですね」   「色々と我慢をなさっておられます。耐えかねてのことでございますので、何卒」   「我慢など、誰でもしますがね。それに彼は決して自由の身ではないし、面会でお話しするのは国の重要機密の場合もありますから」    やはり同席はご遠慮いただきませんとね、とジョワイは難色を示した。そしてあなた方は過保護に過ぎるのではありませんかと、やんわりと制した。ゼンはすいっと顎を上げ、目の前に立つ堂々とした体躯の宰相を見る。王の側近にしては視野が広く、話のわかる男で、だからこそ誤魔化しが通じない。言いくるめられてはこちらが正しくとも、彼の思うように事が運ばれてしまう。   「坊ちゃまは、国王陛下の御慈悲のもと、保護されておられるお方でございます」   「その通りです。彼は平民であり、あなた方が匿うべき者ではないし、上へ見る必要もないのです」   「そんな平民だと軽んじる者に、嬉々として自ら進んで国家の重要な案件の相談に来るのは、そちら様でございましょう」      ゼンの目は冷たい。ジョワイは肩をすくめてバレちゃいましたね、と笑った。油断ならない男だ。ゼンは年齢相応の落ち着きで、ジョワイの軽妙さを黙殺する。王の側近中の側近は、やれやれと大仰なため息をついた。 「ラヴィソンを頼ってしまっているうちの文官連中を、鍛えなおさねばなりませんね」   「さようでございます。そちら様のご都合のいいように、坊ちゃまを利用なさるのはお控えいただきたく存じます」   「でも、それで彼の気が、多少は済んでいるのかもしれませんよ?」      ゼンの言葉に詰められるだけではない。今度はゼンが詰められる。もちろん、この程度の嫌味は想定内なので、ゼンはにこやかに受け流す。     「我々は、坊ちゃまに心地よくお過ごしいただけるよう努めるのみでございます。王宮の方々の至らない部分を助けて差し上げることで、陛下のお慰めになればというお優しいお気持ちから、そちら様のお申し出を無碍になさらない寛大なお方でございますが、何事も限度というものがございますから」   「うーん。平たく言うと、陛下への借りがあるから直下のぼんくら文官の相手をしてやってるけど、それは彼の好意であっていつでも断りますけど何か?ってことですね」   「坊ちゃんのお気持ちではなく、このゼンの気持ちは、率直に申し上げてその通りでございます」   「ラヴィソンは本当に人気者ですね」   「お人柄のおかげでございましょう」   「うらやましい限りですね」   「でしたら、宰相殿もあのようなお振る舞いをなさっては如何でございますか」   「あはは。それでは国が立ち行きません。このヴィヴァンは、あの大国のような末路を辿るわけには参りませんのでね」      気高く清廉に、寛大でありたいと、誰もが望むだろう。だけど、それで万事が恙無く進むわけではない。矜持や自尊心を優先して、国が倒れるなど愚かなことだ。ゼンも当然それを承知しているし、ジョワイの当てこすりをまともに取り合う必要はないと理解しているけれど、まるでラヴィソンを貶められたように思えてむかっ腹が立つ。半眼になり、目の前の権力者に自分の不愉快さを無言で示した。ジョワイは楽しそうに笑っている。     「私の求められているのは、みんなに愛されることではなく、この国の王に尽くすことですから。ご理解いただけましょう?」      一瞬、ジョワイの目が和らぐ。彼もまた、自分の決めた道を究めようとしているのだ。その道理には、共感する。ゼンは慇懃に頭を下げた。     「宰相殿におかれましては、大変な人格者であられると存じます」   「いえいえ」   「では、同席の件、よろしくおねがいいたします」   「はいはい」  ジョワイはその身分に相応しい振る舞いで、ゼンの働きを労い、今後とも三人力を合わせてお坊ちゃんを頼みますよと言うと、呼びに来た者に急かされるようにして部屋を出て行った。  ゼンは邸宅に戻ると、ラヴィソンにダンが同席することは許可を得たので気にする必要はないということを報告した。彼の頬が、ほっとしたように少しだけ緩んだのを見て、ゼンはよほど辛かったのだろうとラヴィソンの心中を慮る。  そしてその後、ゼンは家への人の出入り全部をラヴィソンに報告するようにした。食材を持ってくるものやラヴィソンの服を納めに来るもの、手紙の受け渡しなど、とにかくラヴィソンが不安にならないようにとこころを砕いて彼をお世話した。

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