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第33話
いつになく、風の冷たい日だった。
ラヴィソンは大切に使っている織物を膝と肩に掛けてもらって、いつものように庭でお茶を飲んだりしていたけれど、もう部屋に戻ったほうがよさそうに思えた。この寒さで具合を悪くすれば、三人が悲しむのは明白だ。
肩の織物をそっと撫で、俯きがちに周囲の音に耳を澄ます。アンはラヴィソンの部屋の掃除をしているらしく、ゼンとダンは先ほど家への来客があって応接間にいるはずだ。終わればいつものように報告にどちらかが部屋へ来て声を掛けてくる。それまで待とうか。アンを呼ぼうか。
その時、声が聞こえた気がした。遠くから、誰かの話す声が。何を言っているのか聞き取ることもできないほど遠い。だけど、この声を知っている。だんだんと近づいてくるほどに、確信する。そして、足が震えた。
「……ああ……も、……いずれ────」
途切れ途切れの言葉。だけど、わかる。ラヴィソンは闇に手を伸ばした。行かないでと、叫んでもダメなのだ。この手で、しっかり掴まなくては、あっという間に離れて行ってしまう。届かなければ、置いて行かれる。思い出されるその恐怖と、今度こそは離したくないという強い思いがラヴィソンを奮い立たせる。
「坊ちゃま!?危ない!」
部屋にいたアンの声が悲鳴に変わる。ラヴィソンは立ち上がり、一人で石の階段を降りようとして、足を踏み外して転がり落ちたらしい。痛い。だけどそんなことは気にならなかった。ラヴィソンはハッと顔を上げた。声が聞こえなくなってしまったのだ。
行かないで……置いて行かないで。どこにいるの。僕はここにいるのに。
ザリッと砂で手を擦りながら、ラヴィソンはどうにか身体を起こす。どこにいるの。どこへ行ったの。ラヴィソンは必死に目を開けた。
最初の感覚は、眩しい、それだけだった。
閉ざされ続けた瞳に、陽の光は眩しすぎた。あまりのことにギュッと目を閉じる。瞼の裏にチカチカと光の輪が回る。涙がどんどん出てきてしまう。うっすらと開けては、眩しさに強い痛みを感じて閉じてしまい、それでも、涙を振り払って目を開ける。どこにいるの。瞼を擦れば、砂が入ってひどく傷んだ。そしてまた涙が止めどもなく流れてくる。
「殿下!」
待ちわびた声は、与えられた。痛みと眩しさを堪えて、ラヴィソンは声のする方を見ようとしたけれど、突き刺す光は容赦なく、ラヴィソンの目には周囲を白としか認識しない。ラヴィソンは再び手を伸ばした。闇にではなく、光へ。光は、その手を受け止めてくれた。
「殿下……ラヴィソン様。目を閉じてください、大丈夫です」
「フォール、であるか」
「はい、フォールです。どうか……目を閉じてください。無理をなさっては障りがあります」
「……届いた……」
「え?」
「手が……今度こそ。僕は、掴めた」
流れにさらわれていく馬たちを、今でも夢に見る。届かなかった自分の手を、何度も恨んだ。助けられなかったことを悔やんだ。大事なものは、離れそうになったら力一杯掴まなければいけないのだ。もしももう一度、逢えたなら、絶対に掴んで引き寄せるとこころに決めていた。その時が、今だった。
フォールは、随分と背が伸び、青年らしくなった美しい自分の主を抱き上げる。盲いてしまったと聞いていた。事実、ラヴィソンはうまく見えていないようだ。神は、何と惨い仕打ちをなさるのだろうか。フォールは辛そうに眉根を寄せているラヴィソンに大丈夫ですと何度も囁く。ラヴィソンはその腕の中で揺られながら、ギュッと両手でフォールの服と髪を掴んでいた。子供のようにがむしゃらに、握り拳を解こうとしない。目がジンジンと熱く腫れぼったいような感覚があり、開くこともできない。だけどそのなじみの暗闇が、今はまるで恐ろしくはなかった。逞しい腕が殊更に強く自分を抱き、深い悲しみと思いやりを響かせて、何とおいたわしいのか、と呟くのを聞いた。
「ラヴィソン様。目を冷やしましょう。手も、擦りむいておられるようです。他に痛むところはございませんか?」
「問題ない」
「無理をなさってはなりません。砂が目に入っているようです。じっとして……洗いましょう。お顔に触れてもよろしゅうございますか」
「うむ、許す……」
フォールはアンの促すままにラヴィソンを抱えて彼の私室へ入ると、長椅子にそっと降ろそうとした。しかしラヴィソンは拳を開かず、フォールの髪と服は握りしめられたままなのでうまく離れることができない。フォールはラヴィソンに非礼を詫び、許しを請うてから、彼を太ももの上に横抱きにして自分が長椅子に腰掛けた。バタバタと走ってきたゼンが、冷たい水の入った手桶と清潔な布を何枚も持ってくる。ダンは部屋中の窓掛けを手早く閉めて、陽の光を遮っていく。
「冷たいかもしれませんが、目をギュッと閉じてはなりません。ここは部屋の中ですから、眩しくありません。目を……少し、開けますか?痛むようならそのままで」
「……うむ……」
つるつると熱い涙が頬に落ちていく。感情が昂ぶって泣いているわけではない。目に入った異物を、刺激を、洗い流そうとする身体の反応に過ぎない。恐々と瞼を震わせながら、ラヴィソンはほんのわずかに目を開けた。光は突き刺してこなかった。その代わりに、新しい涙がどっと溢れて、顎の先から首にまで伝い、気持ちが悪いほどだ。そう訴える前に、フォールの手がそれを拭ってくれる。そして、たっぷりと水気を含んだ布で目の周りを冷やしながら拭いてくれた。不快にチラついていた光の残像がおとなしくなっていく。
「痛みは……どこが痛みますか?」
「目が痛い」
「はい。少し、上を向いてください。そのままそうっと、目を開けて……」
フォールに言われるままに、ラヴィソンは顎を持ち上げるようにして、ゆっくりと目を開けた。少し痛かったけれど、開けられないほどではなかった。フォールは用心深く注意深く、布を何度も変えて綺麗な水を含ませて、ラヴィソンの目を拭い続けた。冷たさが、砂とともに熱も除いていく。
「ゆっくり瞬きを……あとで薬を点しましょう……どうぞ、目を閉じてください」
ラヴィソンは深い呼吸とともに目を閉じる。そして、パタパタと小さく瞬きを繰り返し、涙を馴染ませ、ゆっくりと、ぱっちりと、大きくその目を開いた。
「……僕は、見えるのだ」
「ラヴィソン様……」
「フォールが掛けたまじないが、今解けたようである」
「え!?私が!?」
「もう、見える。フォールが。髪が……伸びたのだな」
ゼンもアンもダンも、驚きのあまり言葉を失くして立ち尽くしている。フォールは至近距離で美しい目に見入られて、こころ当たりのないまじないごとを打ち明けられて、どうしていいかわからずに固まっていた。
ラヴィソンは、ああ、目を開いてよかったと思った。望んでいたものが見えたし、捕まえられた。それ以外は、何もかも些末なことだ。フォールの髪と服を握ったままの手を、ピコピコと揺らしながら非常に満足を覚えていた。
フォールは戸惑いながらも気を取り直し、ラヴィソンを自分の膝から降ろして彼をきちんと長椅子に座らせると、床に片膝をついて深々と頭を下げた。
「ラヴィソン様におかれましては、ご機嫌麗しいことと、お慶び申し上げます」
「うむ」
目が見えるようになったとはいえ、まだ視界がぼやける。瞬きをすればはっきりとするのだけれど、しばらくするとまた少しぼやける。長い間使っていなかったのだから、すぐに以前のようになるわけではないのだろう。閉じているのが長いような瞬きを繰り返しながら、薄暗い部屋の中をゆっくりと見渡して、ラヴィソンの目は側仕えの三人を捉え、じっと見つめた。三人も、ラヴィソンを見つめていた。
「……よく、顔を見せておくれ」
ラヴィソンのその言葉に、三人はそれぞれに口元を覆いながら感涙する。坊ちゃまが、坊ちゃまが。アンは前掛けを捲り上げてその端っこで何度も涙を拭っている。フォールは静かに立ち上がり、ラヴィソンのそばを離れた。
「長らく迷惑と心配をかけ、すまぬことをした。そなたらのおかげで、僕はこれまで生きてこられた。大変感謝をしている」
三人は誰も何も言わず、ただただ、首を振ってラヴィソンの言葉を斥けようとした。迷惑など、ほんのわずかもかけられたことはない。心配は深かったけれど、それはラヴィソンを思えばこその心痛だった。
フォールはその様子を少し離れた壁際から見ながら、とても不思議な気持ちだった。大切な主は、彼ら三人に本当に大切にされていたようだ。そしてラヴィソンも、彼らを大切に思っているのが伝わってくる。自分が離れていた間、彼が孤独ではなかったということがわかって、フォールはひたすらよかったと思った。それもこれもすべて、きっとラヴィソンの人柄のおかげだろうとも思った。
「本当に、見えるようになられたのでございますね。よかった……なんとおめでたいことでございましょうか」
「うむ。あっけなく治るもので、僕も驚いている」
「きっともう、目を閉じている必要がなくなったということでしょう」
「よく、わからぬが」
「おこころの重荷が、軽くなったのであれば、何よりも喜ばしいことと存じ上げます」
「うむ……そうか。そうであるな。フォールの無事を知って、気が楽になった」
「ようございましたね、坊ちゃま」
「うむ。よかった」
ラヴィソンは三人に、しきりにコクコクと頷き返しながら、また、パチパチと瞬きを繰り返しながら、まったくもってその通りであると思った。声から漠然と想像していた通り、ゼンは穏やかな初老の男性で痩身長駆、アンは中年の女性でややふくよかな体型で短い赤毛、ダンは溌剌とした若い男でフォールよりもやや年下だろうと思われた。そして、フォールよりは小柄なものの、たくましい四肢を持っている。
アンはお怪我の手当てをしましょうねと薬箱を取りに走っていく。ゼンは、このことを国王陛下ならびに宰相殿にご報告いたしますがよろしいですかと聞く。止める理由もないので、ラヴィソンはよきに計らうがよいと応える。そして、離れているフォールのほうへ視線を向けた。まだ遠くのものは見辛い。
「フォール」
「は」
呼べば、フォールは大きな歩幅であっという間に傍まで寄り、その巨漢で蹲るようにして跪き頭をたれてラヴィソンの言葉を待つ。それがなんとも懐かしくて、ラヴィソンはひどく感慨深いような気持ちになった。違うのは、フォールを名で呼び、顔を上げさせて目を見て話すことだろう。フォールは自分の名が、美しい声で呼ばれることにこころが震えた。そして、記憶にあるよりももっとずっと美しい目が、間近にある事が、めまいを覚えるほどしあわせだった。
「久しいことである」
「は。長らく暇を頂戴し、感謝のしようもございません。再びご尊顔を拝する栄誉を賜り恐悦至極に存じます」
「ゼンとダンの、知り合いであったか」
「いえ……恐れながら、ラヴィソン様に謁見させていただきたく、まずは本日、御側仕えのお二人にお目通りを願い出て、お許しをいただいた次第でございます」
「さようか」
「は」
「見苦しいところを見せたが、謁見を許す」
「恐れながら、ラヴィソン様におかれましては、見苦しいことなど起こりえないことであると存じます」
「さようか」
戻ってきたアンが、ちょっと失礼、とフォールを押しやり、ラヴィソンの怪我の具合を確認し始める。大事ないとラヴィソンは言うけれど、アンはいけませんよとたしなめて、わずかに血の滲んでいる傷口を拭き始めた。ラヴィソンは観念して、脚と腕をぶつけたようで少し痛むと白状した。
「アンがもっとおそばについておれば、こんなお怪我にはなりませんでした。どうぞお許しください」
「アンは悪くない。僕が少し身勝手であった。慣れていても、危ないものは危ないものである」
「さようでございますよぉ……アンはもう、心臓が止まってしまうかと思いました」
「アンの心臓が止まるのは大変なことである。僕はそうならぬよう、気をつけるので、アンも心臓を大切にするがよい」
「はい、坊ちゃま」
ラヴィソンの服は破れてしまっているところさえあった。あとでお召し替えを致ましょうねとアンが言うと、ラヴィソンはまだ見慣れないアンの顔を見つめてそのように計らうがよいと応える。アンも、想像していたよりもずっと美しい目を見つめて、穏やかに微笑んだ。
アンが手当てをしてくれている間、ラヴィソンはキョロキョロと部屋の中を眺めていた。長く過ごしていたはずなのに、当たり前だけれど見覚えのない部屋。そっと目を閉じて今自分が座っている長椅子の座面を撫でれば、間違いなく自分の部屋の長椅子だと確信できるのに、目で見て確かめるとなんだか違うもののような感じがする。不思議なものだ。部屋は整然と片付けられていて、家具も必要最小限のもののみ。それも、多少ぶつかっても倒れたりしないどっしりとしたものが多い。壁には風景画が飾ってあり、寝台の側には大きくて綺麗な意匠のランプが置かれている。絨毯は深い赤で、壁紙は……薄暗くてよくわからない。
「いい部屋である」
「はい、坊ちゃま」
三人は、自分たちの守る青年に起きたこの上なくおめでたい変化を、こころの底から神に感謝した。
やがてゼンの呼んだ主治医が駆けつけてラヴィソンを診察したり、破れて汚れた服の着替えを済ませたりとバタバタと時間が過ぎ、その間フォールはラヴィソンに呼ばれない限り彼から離れて邪魔にならないところに立って待機していた。今のラヴィソンには護衛は必要ない。そんな境遇にあることは非常に喜ばしいことだ。それを自分の目で眺められることが、フォールにとってはとても信じられないような気分だった。親書の返信を持って自国へと立ってから、もういくつもの季節が流れていった。その時間が、ラヴィソンの少年然としていた身体を青年らしく伸びやかに成長させ、声が少し低くなっていた。そんな変化の中で、目が見えないという不遇にありながらも大切にされてきたのだろう。
「大変結構です。痛みを感じれば無理せずすぐに閉じるように。疲れても同様に。しばらくは陽の光をあまり見てはいけません。こまめにこの薬を点してくださいね」
医師はラヴィソンの目が美しく輝いていることを確かめ、視力にも色覚や視野にも問題がないとわかると、深く深く何度も頷いて無理は禁物だと繰り返し、見えるようになってよかったねと笑った。ラヴィソンはその医師に丁寧に感謝を伝えた。
そして医師が家を辞し、それを見送ったゼンが部屋に戻ってきたら、全員が顔をそろえる形となった。フォールは三人に軽く頭を下げて目配せをしてから、ラヴィソンの前に進み出て跪き、張りのある深い声でラヴィソンに話しかけた。
「ラヴィソン様。本日は計らずもラヴィソン様への謁見が叶い、本来であれば日を改めてお願いにあがるべき議ではございますが、ここで申し上げることをお許しいただけませんでしょうか」
「許す。何事も、フォールの好きに致すことも許す」
「……まだ何も述べておりませんが……」
「構わぬ。思うようにするがよい」
「………………は、では、詳細はお側仕えの方にお伝え申し上げます」
「さようか。では、そのように」
ラヴィソンはまだなんとなく光に慣れない目をパチリパチリと瞬かせながら、フォールの話に頷いた。フォールはラヴィソンに会って話したかったことがあったのだけれど、委細かまわず好きにせよとの大きな許しをもらってしまい、戸惑ってしまった。もちろん本当にフォールの勝手が通るはずもないので、先ほど応接間で少し話したけれど、ゼンからその内容をラヴィソンに伝えてもらえるように頼もう。フォールはこれ以上ラヴィソンを煩わせることがないようにと、丁寧に本日の謁見に対する喜びと感謝を述べて、それからここを辞するという内容の口上を始めると、ラヴィソンはおもむろにそれを止めた。
「フォールは今、どこにいるのか」
「こちらにおります、ラヴィソン様」
「そうではない。この国にいるのであれば、野営ではあるまい」
「は。今はここから少し離れた、都の郊外に逗留しております」
「そこへ戻るのか」
「はい」
「では、僕も参る」
「え!!??」
ラヴィソンはすらりと立ち上がり、片膝をついたままのフォールの傍へ歩み寄った。フォールはどうしていいかわからずに、側仕えたちに目で助けを求める。しかし三人も度肝を抜かれたらしく固まってしまっている。フォールはとにかくラヴィソンの意図を必死に考えた。そんな彼らの動揺を他所に、ラヴィソンはその美しい顔で心得たように頷く。
「承知している。宿に泊まるにはお金が要るのだろう。僕はあまりお金を持っていないが、足りない分は誰かに借りるので心配は無用である」
「いえ……いえいえいえ!!ラヴィソン様、そうではございません。あ、さようでございますね、お目が見えるようになられて、外遊をお望みでおられるのですね。それはまた後日────」
「外遊に興味はない。フォールと共に行くと申しておる。アン、支度をしておくれ」
「んん坊ちゃまああああ!!なりませんなりませんっ!光を得たとはいえ、そんな急にお出かけになられるなど無茶でございますっ!」
「うむ。アンはお金を持っているだろうか?フォールの逗留する宿へ行きたいので貸してはくれぬか」
「坊ちゃま……っ!!」
アンは卒倒しそうになっている。ゼンは眉間に皺を寄せ、ダンはこめかみに血管を浮かべている。突然現れた騎士風情が、彼らの大切なラヴィソンを拐かすのだと思えばその怒りも理解できる。しかしフォールにしても、ラヴィソンの行動の意図が読めないのでどうしていいのかわからない。なぜ一緒に来られるなどとおっしゃられるのか。
「ら、ラヴィソン様、どうぞ、お座りになってください。えー……確かに私は宿に戻りますが、また明日にはこちらへ参じたく存じます」
「さようか」
「は。で、ございますので、私に何か御用であればその時にお聞かせいただければ」
「…………僕はフォールと一緒に行ってはいけないのか」
「いえ、あの」
「もう目は見える。足手まといにはならぬ。僕はすでに平民であるので、襲われることもない」
「ラヴィソン様、そのような」
「それでも、……一緒にいては、ならぬのか……」
ラヴィソンの声はだんだんと小さくなり、最後には消えてしまいそうだった。小さな口をキュッと噤み、これ以上無理を言ってはいけないと自分を戒めながらも、悲しそうに目を伏せている。こうなってはもう、フォールも側仕えたちも、狼狽えてしまってオロオロとするばかりだ。
「坊ちゃま、坊ちゃま、ではこういたしましょう。今宵はこのフォール殿にここにお泊り頂くのはいかがでしょうか」
「……うむ。しかし、フォールは宿に戻らねばならぬのだ」
「坊ちゃまよりも大切なことが、あろうはずもございません。ですね、フォール殿?」
フォールはラヴィソンにじっと見つめられ、側仕えたちにじとっと睨まれて、頷くほかはない。フォールだって、ラヴィソンと離れたいわけではないが、本日はそもそもラヴィソンと謁見できると思っていなかったのだ。だから平服で、手ぶらで、こころの準備ができていない。しかし待ちわびたラヴィソンとの再会を果たし、その本人が共にと望んでくださっているのだ。連れ出せないのであれば自分がここに留まるべきであるとは明白だった。
フォールは恭しく頭を下げ、お側に侍らせていただきたく存じますとラヴィソンに請う。ラヴィソンはほっと息を吐き、許すと言った。
ラヴィソンは久しぶりに再会できたフォールが傍にいることに安心し、非常に満足した。だからだろうか。夕餉さえ待つことなく、急激な疲れを感じて、しばらく休むと言って寝台に横になったきり、そのまま深く深く眠ってしまった。ラヴィソンの手は、ラヴィソンの望む通りにそばに控え続けたフォールの髪を掴んだままだ。
フォールがラヴィソンの穏やかな寝顔を眺められるしあわせに浸っていると、背後に異様な気配を感じた。振り返ればそこには、アンが立っていて、その手に鋏が握られていた。フォールは四苦八苦しながらラヴィソンの手から自分の髪を取り返し、慌てて寝室を持する。扉の外にはゼンとダンが待ち構えていた。
「あー……なんだか、その、お騒がせをして申し訳ない」
「ラヴィソン坊ちゃんに呪いをかけたというのは真か」
「違うっ!断じて違うっっ!!それにラヴィソン様は呪いとはおっしゃられていないでしょうが!」
「まじないとは呪いのことでございますが?」
ゼンとダンに詰められて、フォールは慌てた。そして促されるがままに、食堂へ連行されていった。
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