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第34話
三人の側仕え達を向こうに回し、フォールはまるで尋問を受けているような気分だった。もちろん悪意は感じないけれど、結構緊張するものだ。
「アンは同席していませんでしたので、もう一度、ご自分のお立場とこちらへ来られた目的をお話しになってください」
ゼンに静かに促され、アンにじーーーーーーーーっと見つめられ、フォールは先ほど初対面のゼンとダンに話したよりもよほどしどろもどで、自分について説明を始めた。
「私は、ラヴィソン様が自国からこちらへ来られる際の、護衛を仰せつかっていた者です。フォールと言います。ラヴィソン様はその後もこの国にとどまられましたが、私は頂いた御下命を果たすべく、自国へと戻りました」
「そう」
アンは無表情に片眉をあげて、一言言った。フォールは弱り切って頭を掻く。何も、彼らからラヴィソンを取り上げようなどとは考えていないのだ。どうにかそれを伝えなければいけない。
「色々あり、私ももう一度この国へ参りました。それで、ええっと、今は軍に携わる仕事を少し回してもらっています」
アンは少しだけ安堵した。この国において、軍人になるということはとても素晴らしいこととされていて、何か問題があればすぐに軍を追われるので、仕事が続いているのであれば多少は信用に足るということになる。ただ、異国の人間が国防に携わるなど聞いたことがない。よほど優秀なのだろうか。
フォールは眉を下げて困り顔で、それでもなんとか話を続ける。その様子は悪い人には見えない。
「それで、今日と明日は休みをもらえて、本日お側仕えの方にお会いしてお許しを頂ければ、明日ラヴィソン様に謁見させていただきたいと、そういう、その、あれで」
「ああ、あれで」
「はい、それで」
「あれって何」
「ですよねぇ」
フォールはガバッと頭を下げた。大きな身体でそうされると、ちょっと驚いてしまう。フォールは腹を決め、どうか、と願い出る。
「数日、ラヴィソン様を旅にお連れしたいと考えます。お許しいただけませんでしょうか」
フォールは額を机に押し付けたまま、目を閉じて祈った。三人はフォールの頭部とお互いの顔を見やりながら、答えかねていた。ラヴィソンのことを思えば、旅になど出したくない。目のこともあるし、盲いていた月日が長く、その間ほとんど家の中にいたから体力もないだろう。それに、フォールが本当にラヴィソンを無事に返してくれるかどうかわからない。ラヴィソンの方から、これからはフォールと共にいると家を出てしまうかもしれない。そんなことになったら、自分たちはもう、あの美しい青年に会うことさえ叶わないのではないか。ダンが、沈黙に耐えかねるように低い声で呟く。
「……坊ちゃんは、馬はお嫌いです」
「……そうですか。馬車にも、もう、乗られないのでしょうか」
「知りませんよ。俺が勧めても馬には近づかれません。あんたなら、違うのかもしれないけど」
ダンは面白くなさそうに早口でそう言うと、腕を組んでプイと横を向いてしまった。フォールは、馬を遠ざけたラヴィソンの心中を思うと、胸が痛んだ。ゼンとアンは黙ったままだ。
そもそもラヴィソンが何かをするのに、彼らの許しなど要らない。強いて言えば王宮の許可を求めるべきだろう。大切なラヴィソンが連れて行かれてしまいそうだからといって、徒らに反対などできるわけがないのだ。ましてや本人に聞けば行くと答えるのだろうから。ゼンは大きく諦めのため息をついた。
「よろしいでしょう。私から、王宮に坊ちゃまの遠出を打診してみます」
ゼンの言葉は、ダンとアンにとって辛いものだったけれど、二人とも黙って俯くだけだった。ラヴィソンがいなくなってしまう。そう考えただけで、涙が滲むほど辛かった。
フォールは一度顔を上げ、三人を見てから、もう一度深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ひとつだけ、お約束していただきたいのです」
「はい」
「……坊ちゃまは、あなたのことが大切なようです。そばにいたいと望んでおられる」
「いえ。そんな恐れ多いことはあり得ませんし、ラヴィソン様は」
「我々はあなたよりも長い時間を、坊ちゃまと過ごして参りました」
「はい」
「目も使えず、どこにも出かけず、ただ淡々と自分の為すべきを考えながら、日々を歩んでこられたのです。それを我々は、ひたすら見守るしかありませんでした」
「はい」
「あなたの声をかすかに聞いて、今まで絶対に一人では動こうとなさらなかった坊ちゃまが、それは我々がそうお願いしていたからそのようにしてくださっていたのですが、危険も顧みず怪我までなさった」
「……はい」
「そして、光さえ取り戻した。この大きな変化を、もちろん喜びはしますが、あなたの影響力を恐ろしくも思うのです」
「なぜですか。私は、あなた方からラヴィソン様を奪おうなどとは思っておりません」
「あなたにその気がなくとも、我々の手を、離れてしまうのは時間の問題でしょう」
「それはないと思います」
フォールは、ゼンの素直な気持ちが聞けて嬉しかった。そして、その心配は要らないのだと納得して欲しかった。一目見ればわかるのだ。ラヴィソンがどれほどこの三人を大切に想い、信用して頼っているのかが。フォールは軽く咳払いをして、居住まいを正した。
「私は、ラヴィソン様を生涯ただ一人の主であると、そうこころに決めています」
「……羨ましいことです。我々にはそれさえ叶いません」
「え?そうなんですか?でも、気持ちの問題ですよ」
「まあ、そうでしょうけど」
「はい。こころには決めていますが、だからと言って、すでに護衛の必要もなく穏やかに過ごしておられるラヴィソン様には、私のような粗野な人間は不要です。あの御方の生活を守れるのは、あなた方だけであると思います」
「…………」
「軍の仕事をしている限り、私はラヴィソン様のお傍に、ずっといることはできません。そもそも、本日のように、ラヴィソン様に請われない限り、ご尊顔を拝することさえ躊躇うのです」
「え?そうなんですか?」
「はい。これも、気持ちの問題かもしれませんが、私にとってあの御方の御身分は、いつまでも高貴で尊いのです」
だから、私はあなた方のようにはなれません。
フォールは清々しいほど明るく、笑ってみせた。見たり触れたりすることを、おいそれとはできない。この国へ来て、人伝てに異国の王子が光をなくし、王宮の隅に匿われていると聞いて以来、フォールはそれがラヴィソンであることを確かめ、彼のことを考えない時はなかった。密かに、慰めになればと楽師を頼み、その邸宅の近くで演奏してもらったりもした。
なぜ目が見えなくなったんだろうか。それは怪我だろうか病気だろうか。目が不自由なこと以外、何か問題は起こっていないのだろうか。
すぐにでも謁見を願い出たかったけれど、フォールはラヴィソンに会うのに何の理由もない。ラヴィソンへの何らかの報告か、何かで喜ばせられるのであれば理由になるだろうか。小さな仕事をこなしながら、フォールはそれを一生懸命探してきた。長い時間がかかったけれど、それがようやく見つかった気がして、だから本日ここへ来たのだ。積年の、自らの罪を、どうにか償いたくて。大切な王子を独りにしてしまったことを、詫びたくて。
「ただ一度でいいのです。殿下……失礼、ラヴィソン様と、旅を致したく、それを願い出ることをお許しいただきたいのです」
「王宮に」
「王宮が許そうが止めようが、ラヴィソン様とあなた方が応と首肯いてくださらねば、私はそうすることはできません」
「なぜですか」
「ラヴィソン様にとって、あなた方が最も近く、お互いを必要となさっているとお見受けいたします」
私が約束すべきとは何でしょうか?
フォールが穏やかにゼンたち三人の顔を見回す。彼らの気持ちは一つだった。
「……必ず、無事にここに坊ちゃまを返していただきたい。例えもう、我々の世話は要らないとおっしゃられたとしても、どうか一度はここへ」
「間違いなく、お約束いたします」
「……であれば、我々が反対することはありません」
「寛大なお心遣いに感謝いたします、ゼン殿、ダン殿、アン殿」
フォールがもっと嫌なやつなら良かったのだ。なのにどこまでも彼はラヴィソンのことばかりで、自分のことなどほんのわずかも顧みない。とても誠実そうで、ラヴィソンがフォールを近くへ寄せるのも頷ける。だからこそ、きっとラヴィソンはフォールと一緒に去ってしまうだろう。この家から……この国からさえ、いなくなるかもしれない。三人は唇を噛み締めて、この事実を受け入れるしかない。
「……坊ちゃまは、甘いものがお好きで、私の作るお菓子をよく召し上がってくださいます。旅の支度に、お持ちになってくださいませんか」
「ええ、ぜひ」
「坊ちゃんはいつも、フカフカした織布で足元や肩を冷やさないようになさっておられます。その布がお気に入りでいらっしゃるのです。それもどうぞ、一緒にお持ちください」
「承知いたしました」
「……お疲れでしょう、フォール殿。食事を一緒にいかがですか」
「ありがとうございます。しかし本当にここに泊まってもいいのでしょうか」
「坊ちゃまのお気持ちに、従いましょう」
アンは立ち上がり、四人分の食事を用意した。ゼンは、明日の朝王宮へ行って許可をもらってくるから、その後ラヴィソンにこの話を伝えてくださいと静かに告げた。
「ご苦労をおかけして申し訳ない。しかし、ラヴィソン様へはゼン殿からお話しいただけませんでしょうか」
「なぜですか」
「それが、正しいことのように思います」
フォールは自国では騎士の身分を持っていたという。しかし出自は平民で、それに相応しい簡略で合理的な作法で食事をしながら、ゼンに頭を下げた。ゼンは、偏らずに話せるだろうかと少し不安だったけれど、フォールに承知しましたと答えた。
翌朝一番に王宮に出かけて、ジョワイに謁見を願い出たら、仕事を始める前だったからか待つほどもなく会うことができた。
「おはようございます。昨日は取り急ぎの報告だけは受けました。ラヴィソンの目が見えるようになったとか」
「はい」
「大きな晩餐会があって、皆手が塞がっていたものですから、様子を見に行くこともできず申し訳なかったですね。本当に、見えるように?」
「はい。まだ少し、ボヤけたり、日光が辛く感じたりなさるようですが、医師の話では徐々に慣れて元に戻るだろうとのことでした」
「素晴らしいことですね。なぜ急に?」
「…………フォールという騎士をご存知ですか?」
「ああ、ラヴィソンの護衛だった」
「はい。そのフォール殿が会いに来られて、それがきっかけのようです」
「そうですか。よほどその護衛さんが恋しかったのでしょうかね」
「わかりかねます」
「そうですか」
「宰相殿はご存知だったのですね」
ゼンはジョワイの顔を見て確信した。フォールがこの国にいることを、いずれこうしてラヴィソンに会いに来ることを知っていたのだ。ジョワイは悪びれもせず、しれっと笑ってみせる。
「そうですね。ラヴィソンに関する全てを把握している自負があります。陛下から、そのようにと御下命を拝しておりますから」
「いずれこうなると、想定しておられた」
「うーん、難しいですね。こちらから彼に指図をすることはありませんし、接触もしません。動向を把握はしていますが、頭の中まで覗けませんのでね」
「では、そのフォール殿が坊ちゃまを旅に連れて行きたいと申し出られることは」
「おや、そんなことを言い出しましたか」
そうですかそうですか。
そう言いながらふむふむと頷く宰相の横顔に驚きは見えない。食えない男だ。ゼンは、話を続ける。
「どこへ行くのかは聞いておりませんが、数日という話でした。首都の外へ坊ちゃまをお連れになるつもりでしょう。坊ちゃまのこの外出を、王宮はお許しいただけますでしょうか?」
「ラヴィソンはなんと?」
「まだ、おうかがいしておりません」
「賢明ですね、相変わらず」
「恐れ多いことでございます」
「構いませんよ、出かけることは。事前に予定を報告していただきますが」
「……ありがとうございます」
「ん?止めたほうがよろしいですか?」
その問いに、ゼンは答えず頭を下げた。
「……今後について、王宮から指示があるようでしたらお聞きします」
「ああ、後で、お見舞いに行きますからそのつもりで。その他は今までと変わりません。ラヴィソンはこの国のために、あなた方は彼の支えに。実はまだ、私も陛下にお会いしてないのでご意向を確認できていないのです」
「では、そのように」
「ええ、よろしくお願いしますね」
ゼンは心得ましたと頷いて、優雅に出て行く宰相を見送り、美しい青年の住まう邸宅に急いで戻った。
それはちょうどアンが昼食の支度の最中だった。アンは笑顔をゼンに向け、坊ちゃまはお庭ですよと言う。
「そうですか。宰相殿が、後でこちらへ、坊ちゃまのお見舞いに来られるそうです」
「承知いたしました」
ラヴィソンは朝起きた時、目が見えるようになったことを失念していた。いつも瞼に感じる陽がなくて、天気が悪いのだろうかと思ったけれど雨の音もにおいもしない。そこまで考えて、昨日部屋中の窓掛を閉めて回っていたダンの姿をなんとなく思い出した。そうしてゆっくりゆっくり目を開ける。薄暗い天井が見えて、その装飾が美しくて、小さくため息をついた。本当に見えるのか。それはラヴィソン本人にとっても不思議な驚きだった。窓掛越しの光でも、少し眩しい。訓練が必要なようだと、ラヴィソンは思った。
アンはいつも通りの時間に部屋にやってきて、ラヴィソンの美しい目がパチリと開いているのを見て、ああ、本当に夢のようだわと嬉しくなった。
「坊ちゃま、お顔をお拭きいたしましょうね」
「うむ」
「お腹が空いておられるでしょう」
「うむ。昨夜は早々に寝てしまったので、疲れは取れたけれど空腹になった」
「さようでございましょうねぇ。すぐにご用意いたします」
あたたかい布で優しく顔を拭われ、アンは耳慣れた音をさせてラヴィソンの寝台に食事用の台を載せてテキパキと支度をする。ラヴィソンはその様子を初めて見るので、物珍しく思いながら観察した。アンはその視線を嬉しく感じる。
「さあどうぞ。熱いので、お気をつけになってくださいませね」
「うむ」
ラヴィソンはいつも通り食事をした。目が見えていると、暗闇の中で口にするよりもよほど美味しく思える。そうアンに伝えれば、アンは満面の笑みでようございましたと頷く。その笑顔が見られて、ラヴィソンは満足を覚えた。
食べ終えて、アンが片付けをしてくれて、ラヴィソンがフォールはいかがしたかと聞けば、客間にいると聞かされる。
「ここへ」
「はい、坊ちゃま」
アンは膳を持って台所へ戻りがてら、客間にいるフォールに声をかけて、ラヴィソンのおそばへと伝える。フォールは慌てて部屋へ駆けつけた。
「お呼びでございますか」
「うむ。近う」
「は」
すっかり身支度を整えられ、馴染みの一人掛けの椅子に座ったラヴィソンがフォールを呼べば、大きな動作でラヴィソンのそばへ近づき、跪く。ラヴィソンはフォールの顔を上げさせる。陽の光はまだ強すぎるけれど、淡い照明は目に優しいようで、ダンが念入りに調整した光の中で、ラヴィソンはフォールを見つめた。フォールも、ラヴィソンの美しい黒い目に、ちらりちらりと光が映るのをジッと見つめる。
「僕は、ここの庭を気に入っている。フォールもその庭で共に、お茶を如何か」
「は……ありがたきお言葉でございますが、ラヴィソン様におかれましてはまだ陽の光は」
「目を閉じるので問題ない」
「は……それで、その、お茶の席でございますが、私にはそのような場に馴染みがなく、ご一緒させていただくことは憚られることでございます」
「……僕はまたわがままを申したか」
「いえ!とんでもないことでございます!ただひとえに私の不調法さの」
「僕は長く盲いていた間、この庭での時間が大変な慰めとなった。まだ庭をゆっくり眺めることは叶わぬが、いずれ出来よう。しかしフォールは本日帰ると聞いているので、できれば共に」
ラヴィソンがそこまで言うと、フォールの背後にいつの間にか立っていたダンが、目一杯フォールの背中を叩いた。ラヴィソンもフォールもびっくりする。何事かとフォールが振り返れば、思った以上に間近にダンの顔が迫っていた。
「な、なに?なんなんです!?」
「坊ちゃんが。お茶に。共にとおっしゃっておられる。わかるな?」
「あ、う、うん、わかる」
「断るなんざ、狂気の沙汰だ。わかるな?」
「うん、そうだな、そりゃそうだ」
ダンは無言でもう二、三度フォールの背を叩き、ラヴィソンに向かって、決して外で目を開いてはなりませんよと言い含める。ラヴィソンはよくわからないけれどダンの言葉に何度も頷く。鬼気迫るものを感じたのだ。その場でギュッと目を閉じてさえ見せた。
「アンさんに、お茶の支度をしてもらいましょう」
「う、うむ。そのように」
かくしてラヴィソンは目を閉じた状態で庭のいつもの椅子に座り、その隣の席にとても緊張したフォールが座って、アンが笑いをこらえながら給仕をした。
その後しばらくしてゼンが戻り、庭にいる美しい青年に報告を始める。
「坊ちゃま。今お時間よろしいでしょうか」
「うむ」
「……午前からお庭でお茶を召し上がるのは珍しいことでございますね」
「フォールに、僕の一番気に入りの場所で、アンの淹れたおいしいお茶を」
「大変ようございますね」
「うむ」
「お話がございます」
「何か」
ゼンからの目配せを受け、フォールはますます緊張した。手に持ったまま扱いに困っていた綺麗な茶杯を落とさないように机に戻す。そして居住まいを正した。
それからゼンは、フォールの願い出た旅についてラヴィソンに話した。ラヴィソンはそれを、静かに最後まで聞いた。
「如何なさいますか」
「フォールと、旅を」
「はい」
「……ゼンたちは、如何思うのか」
ゼンと、静かに庭に佇むアンとダンは驚いた。ラヴィソンなら一も二もなく行くと言うと思っていた。フォールは、なにも驚かず目を伏せてラヴィソンたちのやり取りを聞いていた。ラヴィソンは再び口を開く。
「フォールとは、旅をしたことがある。それは……とても辛いものであった。苦しく、失ったものは多い。恐らくフォールにとっても同じ思いであると思う」
「はい」
「フォールは僕を慰めようとしているのであろう。旅とは、本当は、あれほど過酷ではないのだと、楽しみもあるのだと、僕に知らせたいのだろう」
「……」
フォールはラヴィソンの慧眼に深く頭を下げた。自分の浅薄な考えなど、この御方にはお見通しなのだ。側仕えたちは、彼らの絆の一端を見た思いがした。
「フォールは礼儀を重んじる。配慮を厭わぬ。そなたらが僕を送り出すことに不安があれば、いくらでも待つつもりであろう。であるから、そなたらの本当の気持ちを述べるが良い」
「……心配でございます。色々と、心配で、胸が痛うございます」
「さようか」
「お身体のことも、お気持ちも、お健やかでいてくださるだろうかと」
「さようか」
我々の手を離れてしまわれれば、この美しい青年の本来の姿を見守ることは叶わない。彼の命を守り通したフォールが、ラヴィソンのそばにいることはいいことかもしれない。だけど、だけど。
三人の心中を察したのかどうか。ラヴィソンは本日も風が気持ちいいことだと感じながら、ふむふむふむと頷く。
「では、共に如何か」
「…………え?」
「みなで旅を。そうすればそなたらの心労も軽くて済むのではあるまいか」
「え、あ、いえ……しかし……」
「旅には行かぬと、僕が決すれば良いのであろうが、すまぬがそれは出来かねる。……出来かねるのだ。許せ」
ラヴィソンは少し眉根を寄せて俯いた。フォールと旅をしたい。使命もなく、絶望もなく、旅路を行くのはどんな気分なのだろうか。それを知れば、きっともう少し、この国を好きになれそうな気がする。
ゼンは、美しい青年を見つめる。
「……フォール殿は、如何思われるのでしょうか」
「ラヴィソン様のおこころのままに」
最初からそうだ。フォールは一度も自分のためには動かない。側仕えたちは、彼らの行動を止めることはできないと知った。そこには諦めではなく納得がある。もちろん、少しフォールに意地悪をしたくなりはするけれど。
「我々は、坊ちゃまのお帰りをここでお待ち申し上げることといたします」
「……よいのか」
「はい。フォール殿におかれましては、坊ちゃまのあらゆる安寧を守ってくださることでしょう」
フォールは冷や汗をかく。ひとつでも傷をつけたらどうなるかわかったものではない。死守だ死守。死んでも守る。もちろんそう誓う。
ラヴィソンは安堵の息を一つこぼし、微笑みを浮かべる。その美しさに、そこにいた全員が見惚れた。
「ラーヴィソーオオオンンっっっ!!!!!!」
空気を一変させる雄叫びと共に、やってきたのはプランスだった。呼んでも家人が気づかなかったのか、それとも最初から無言で突撃してきたのか。プランスを知らないフォールは何事かと度肝を抜かれる。ラヴィソンはフォールの方へ顔を向けて、あれは僕の友達の声であると言った。その美しい顔には、ほんの少し誇らしいような色がある。
「御友人……でございますか」
「さようである。僕は、友を得たのである」
フォールは胸の詰まる思いで、何度も頷いた。本当に良かった。友は、人生において大切なものであり、望んでも得られるとは限らない。それを、彼は。なんという僥倖だろう。そう感慨深く思っていたら、声の主がラヴィソンの部屋に現れた。アンとダンが、庭へ飛び出してこようとするプランスを慌てて押しとどめている。ラヴィソンは、部屋へ戻ると言い、その美しい手をすっと差し出した。一瞬躊躇ってから、フォールはその手を取り、どうぞお足元にお気をつけくださいと頭を下げて、部屋まで案内をした。
「ラヴィソン、ラヴィソン!!!目が見えるようになったの!?本当に!?僕がわかる!?プランスだよーーーー!!!!」
「声でわかる、プランス」
「見て!僕を見て!!」
「落ち着きなさい、プランス」
プランスは叔父であるジョワイと一緒だった。ジョワイは自分の甥っ子をたしなめて苦い顔をして見せてはいるけれど、ラヴィソンの目が開くのをこころ待ちにしているのは同じだ。ラヴィソンはフォールの誘導でいつも通り窓際の一人掛けの椅子に身体を落ち着け、ダンが庭に面した窓の窓掛けもきっちりと閉めて陽を遮ってから、おもむろにその目を開いた。そして、ゆっくりと友人の方を見る。そこには、自分と同じ年頃の優しい面立ちの男が目に涙を浮かべてラヴィソンを見つめていた。
「……思っていたよりも、プランスは男前のようである」
「でしょ。じゃなくて!ラヴィソンの目、綺麗だね……!」
「さようか。プランスの目は青いのであるな。晴れた空と同じである」
プランスは嬉しさのあまり、ラヴィソンに抱きついた。彼は今までも時々こうして感情が高ぶると抱擁してきていたので、ラヴィソンは慌てることなく受け止め、その背を軽く叩くことさえできた。ジョワイはなるほど、本当に見えているのですかと驚いている。その彼の方へ、ラヴィソンは視線を移す。長い間好かぬ好かぬと感じていた男は、意外なほど整った顔で威風堂々という形容がしっくりする偉丈夫だった。じっと見つめていると、そこはかとない既視感を覚える。プランスと似ているのだろうか?そう思って自分にしがみついている友人を剥がして顔を覗き込む。
「ラヴィソン、目を閉じていても綺麗だけど、目が開くともっと綺麗だね」
「さようか」
「うん。黒い目は、目の中に煌めきがあるって本当だね」
「プランスの目も、とても綺麗である」
若い青年二人はお互いの顔をじっくりと観察しあい、褒めあう。なんと微笑ましいのだろうかと、フォールたちは思わず笑顔になるほどだ。
「……ジョワイは」
「はいはい。どうぞ、私の感想もおっしゃってください」
「どこかで、会うただろうか」
ラヴィソンはもう一度、ジョワイの顔をじっと見る。パチリパチリと大きな目で瞬きを繰り返す。どう見ても、プランスとの共通点はないように思えた。ジョワイはいつも通りの、と言ってもラヴィソンは初めて目にする軽妙な笑顔で、今初めて、あなたは私の顔を見たのですよと答えた。
「で、あろうな……しかし」
「ジョワイ叔父さんは、僕の父上によく似ているから、それでなんとなく知ってる気がするんじゃない?」
「プランスのお父君……ジョワイの兄上であったか」
「そうそう」
「僕はプランスのお父君にお会いしていないので、それはなかろうと思う」
「え?会ったでしょ?」
「いつか」
「結構前だよね、この首都に来た時。アンソレイエ国王陛下は、僕の父だよ」
「……!?」
ラヴィソンは驚きのあまり言葉を失った。プランスは気楽なそぶりで、まだラヴィソンにくっついている。側仕えたちは一様に申し訳ありませんと頭を下げて、ジョワイはまあまあいいではありませんかと笑っている。
「ごめんね。僕がラヴィソンに言わなくていいって言ったんだ。僕の父が誰だろうと、僕は僕だし、父は父だ」
「それは……そうかも知れぬが……であれば、プランスは、ヴィヴァンの王位継承権のある直系王子ということになろう?」
「そうそう。一番最初に生まれたから、一番なの」
「第一王子、であるのか」
「そうだね。まあうちの家業もヤクザなもんで、順番飛ばしはザラなんだけど」
「やく……ザラメ?」
「第一王子なんて、うちの家とその周りでだけ通用するあだ名みたいなもんだよ」
「いや、しかし」
「ラヴィソンは、第一王子の僕は嫌なの?」
プランスはその聡明そうで優しげな目で、ラヴィソンを見る。晴れた空のように清々しい青。それはプランスの清潔な心根も写しているかのようで、ラヴィソンは安心を覚える。
「……プランスは僕の友である。とても大切であり、家業が何であれ、僕がそなたを遠ざけることはない。しかし、お父君のお立場もあろうと」
「仲良くしてもらいなさいって言ってたよ」
「……さようか」
「うん。あ、でも僕からはラヴィソンとどんな話してるとか言ってないから。友達との付き合いを、いちいち親になんか報告しないし」
「そういう、ものであるのか」
「わかんない。でもウチはそうなの」
ラヴィソンは、少し考えた。目の前にいる、生まれて初めて得た友は、自分が額づいて慈悲を乞うた男の嫡男だった。自分が失った国王直系の王子という身分を持つ者だった。しかしそれをラヴィソンが知らなかったとはいえ、彼が不遜な態度をとったことがあっただろうか?嘲りは、例えどれほど小さくともきっとラヴィソンの鋭敏になりすぎた神経に引っかかったはずだ。だけどそんなことは一度もなかった。彼がここへ連れてきた友人たちもそうだ。誰もが優しく、目が見えないラヴィソンを、密入国の挙句王宮に保護され情けに縋って生きながらえる惨めな元王子を、ほんのわずかも哀れむことも蔑むこともなかった。
「友達、であるから」
「うん」
「プランスは、本当によい友である。僕の自慢の」
「うん!」
おびえることはないのだ。彼はきっと裏切らない。衝突することがあろうと、きっとずっと友達でいられる。ラヴィソンはそう思えることが嬉しかった。思わず自分からプランスを抱き寄せるほどに。プランスも嬉しくて目が見えて本当によかったねぇと笑っている。
「ラヴィソンの容態も、わが甥との仲も、よろしいようで何よりです」
ジョワイはそう言って、肩をすくめて安堵の息を吐く。彼なりに色々と案じてはいたのだ。常に国中によい医師とよい薬を求める案内を出し続け、ラヴィソンの吹けば飛ぶような立場を擁護し続け、その心身の健やかなる事を願ってきた。プランスを引き合わせたのは、もちろん、友人が慰めになろうということが一番だけれど、どこかで、第一王子との縁があればいつかラヴィソンの何かの役に立つだろうという思惑も働いていた。彼らはジョワイのそんな気苦労を他所に、本物の友情を育てることに成功しているようだけれど。
ラヴィソンはジョワイの姿に、確かにアンソレイエの面影を見た。なるほどよく似ている。そこではたと気がついた。
「……であるならば、ジョワイは王族の出であるのか」
「そうなりますね」
「……」
「プランスの言うとおり、近代における我が家の在り方としては、働かざるもの食うべからず、怠るものは恥を知れというのが最も重視されていますので、家柄に甘んじては生きていけないのですよ」
「……」
「むかしからの家業は優秀な兄が継ぎましてね。それでお前はどうするのかと聞かれて、まあ潰しの利かない次男坊でしたから、自分で食べていこうと思えば唯一身につけた知識であるところの政に携わるしかなかったんです」
「……」
「力いっぱいがんばりましたのでね、今の立場があります。プランスだって一人っ子ではないですし、陛下におかれましては血筋を重視する方ではないので、彼が王冠を戴く保障はありません。怠けていられる王族など、この国にはいないんですよ」
ジョワイの言葉は、ラヴィソンにとってとても不思議だった。自国の王族の在り方とはまるで違う。しかしそれを揶揄するような響きはなかった。むしろ、あなたも励むのがよろしいでしょうと言われているような気がした。
「……旅に、出ようと思う。フォールと共に」
「ええ、聞いています」
「うむ」
「どこにいてもですが、身体を厭うように。陛下には、本日の午後から報告するつもりです」
「よきに計らうがよい」
「ええ」
「ジョワイには、感謝している」
ジョワイは、ラヴィソンの意外な言葉を受けて、さも愉快そうに笑った。そして名残惜しそうにラヴィソンをみつめていたプランスも、家の手伝いがあると言い、それはだから王子としての執務なのだろうけれど、ジョワイと二人で帰っていった。残されたラヴィソンは、まだまだ自分には知らないことが多くあるものだと深く物思いに沈んだ。
「お疲れでございますか、坊ちゃま」
「……いや、そうでもない」
「さようでございますか。実はフォール殿が、そろそろ」
フォールと共に昼餉を摂ることを思いつかなかったので、ラヴィソンはいつも通り一人で食事をし、その間フォールは部屋にいなかった。いないことが当たり前で、考え事をしていたので、フォールの存在を失念していたラヴィソンは慌てた。そしてすぐに呼ぶようにと言えば、その巨躯があっという間に入ってきて傍に蹲るように控える。
「フォール」
「は」
「……もう、帰るのか」
「…………ラヴィソン様に、このようなことを申し上げることは心苦しいのでございますが、引き受けている仕事が残っており、このたびは暇を頂戴いたしたくお願いを申し上げる次第でございます」
「よい……よいのだ。フォールにも、生活があろう。しかし」
「は」
「旅に出るというあの話は、信じてもよいか」
「もちろんでございます。今すぐというのは段取りがありますので難しいのですが、できるだけ早く」
「それは、どのくらいだろうか。僕はどのくらい待てばよいのか」
「恐れながら。お待ち申し上げるのは私のほうでございます。ラヴィソン様の目が、外の景色を楽しまれるようになられるまで、それまでいつまででもお待ちしております」
「……では、そのように」
「は。ラヴィソン様におかれましては、どうぞごゆっくりとご静養くださいますよう」
「うむ」
ラヴィソンは少し離れがたいような寂しいような気持ちがして、どうしていいかわからずじっとフォールを見つめた。フォールは、恐れ多いとは思いながらも美しい青年の目を見つめ返し、微笑み、しばしのお暇を頂戴いたしますと言った。ラヴィソンはその笑顔を見て、胸にあたたかさが広がるのを感じ、素直にこっくりとうなずくことが出来た。
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