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第41話

「隊長、無茶言わんでください」 「いいだろ、別に!年に何度かしかないんだぞ!」 「だーめーでーす。隊長は隊列の先頭って決まってるんです」 「だって見ろよこれ!僕のところからじゃ、閣下が見えないじゃないか!」 「これは仕事。隊長は特別席に招待された見物人じゃないんです」 「わかった。じゃあ、僕この日隊長おやすみする」 「はい、意味わかんないこと言わない」 「なんだよもー!!!第三隊からなら目の前が閣下だったのにー!!あ、じゃあさ」 「おとなしく決まった場所に立っときなさい!」 「僕は隊長だぞ!?なんでこのくらいの融通が認められないの!」 「隊長だからに決まってるでしょ!?」  間近に迫った国王陛下主催の式典は、軍関係者の中で大きな成果を挙げた者が呼ばれて、陛下から直接労いのお言葉をいただけるというもので、とても華やかな行事だ。そこに彩りと安全を添えるべく、首都警護部隊はその日、特別任務が与えられる。各隊隊長以下数名は、式典用の軍服を着て隊列を組み、飾られた馬に乗って、主役である誉れ高い者を先導して大通りを王宮まで練り歩き、残りは裏方で首都の安全を死守する役目を担う。首都に住む者と見物人たちは、この行事をいつも楽しみにしているというけれど、その陰で不届きなことを目論む連中は後を絶たず、式典終了までは非常に厳しい警戒と緊張を強いられる。  王宮に着けば、そこには国王と将軍三人が待っていて、粛々と授与式典が執り行われる。受章者に随伴してきた隊員らはそのまま列席し、彼らの名誉を見届けるのだけれど、その際の配置案内が届いて、テナシテがずっと文句を言っているのだ。曰く、水軍将軍が見えない、と。  将軍職は忙しい。首都警護部隊を統べる直属の将軍にさえ、彼はほぼ必ず首都にいるというのに、あまり会わない。軍議があったりこちらから出向けば顔を合わせるけれど、日常ではそれも頻繁ではない。首都の将軍であってもこうなのだから、領海領河とその周辺全域が管轄である水軍の長に至っては、こういう式典でもない限り首都に来ないし、来ていてもテナシテが知らないこともあって、偶然でも遭うことは皆無といってもいい。  だからこそ、シャルルーが来るとわかっていて、なおかつあの美丈夫が最上級に着飾る機会なのだ。じっくり眺めたいというのがテナシテの言い分だし、それがこの式典の個人的な目的だ。自分が褒章を戴く側のときは、おめでとうと笑いかけてもくれた。テナシテにとって、こころが震えるほど嬉しいことだった。後姿だけでも、この目に焼き付けたい。次にあえる日は遠いのだから。  テナシテは結構な時間をかけてその話を語り、だけど結局副隊長に宥められ、でも全然納得できなくてぶーぶー言っている。職務を疎かにするつもりはないけれど、立ち位置くらいどこでもいいだろ、というのが本音だ。 「……隊長、シャルルー水軍将軍閣下は、もういいんじゃないですか?」 「なんで。いいわけないだろ」 「……はぁ」 「いいわけないだろ、僕にとってはすっごい大事なことなの。滅多にお見かけしないし、お姿だけでも気が済むまで拝見したい。なにこの配置、きっと全然見えない。閣下は僕がいることにお気づきにもならないかもしれない」 「そんなわけないでしょ、第一隊の隊長ですよ?式典後にでも、ご挨拶なさったらいかがですか」 「閣下はお忙しいんだからそんなの無理」  久しぶりに会うだろう国王陛下のお相手でね。  だからこそ、式典の最中の将軍然としたシャルルーを、陛下ではなく、受章者をみつめる軍人としてのシャルルーをできるだけ長く眺めていたい。 「もー!シャルルー様が見えないなら、ほんっとつまんない!」  テナシテがそう喚いて、訓練が始まる時間だからと執務室を出たら、そこにリュネットが立っていた。テナシテは呼んでいないので、衛生兵が呼んだか、所用で出向いてきたのだろう。ここにいるということは、テナシテに用事があるのかもしれない。 「僕に用?」 「いえ」  テナシテは追うように廊下に出てきた副隊長に、式典の布陣と、日常業務の予定の確認をしながら訓練に向かった。副隊長は会話が聞こえていただろうリュネットに諸々を説明したかったけれど、気遣いを込めて彼の肩を叩くだけしかできなかった。奔放な隊長は、軍人らしい動きで去っていく。ああ、もう。副隊長は訓練場に出てからため息交じりにテナシテに説教しようと口を開いた。 「隊長、リュネットも今回褒章を戴くんですよ」 「知ってる。僕が先導するんだから。なんで?」 「軍医が褒章を戴くなんて、ものすごく珍しい、大変なことなんですよ」 「知ってる。もう何十年もないよね。なんで?」 「……褒めましたか」 「褒めるのは陛下。僕は先導と列席。なんで?」 「隊長のバカ」 「なんで!?」  納得いかない。なぜ副隊長が怒っているのか。意味が分からない。  その日の晩、テナシテが帰宅したら、リュネットが応接間にいた。 「来てたの」 「はい」 「夕飯食べた?」 「ええ」  もう食事時というには遅い時間だ。テナシテは自分の手荷物を応接間の床に放り投げて、リュネットの隣に座る。料理人の女性は、もう自室で休んでいるだろう。リュネットの前にあるお茶も冷めてしまっているようだ。 「はー、疲れた」 「体調は」 「うん、問題ない。やっぱりちゃんと、無理してでも休んでるのがいいんじゃない?」 「そうでしょうね」 「明日さ」  非番の日にリュネットと一緒に行動することがすでに当たり前になっている。テナシテは買いたいものがあったので、リュネットも欲しい本があると言っていたし、村の商店で待ち合わせをしようと言おうと思った。  だけどそれは出来なかった。リュネットがテナシテの腕を引いたかと思うと、少し強引に唇を合わせてきたから。いつもと違う様子に、びっくりはしたけれど、テナシテはおとなしくしていた。柔らかい唇は気持ちいい。目を伏せて、その感触を受け止めていたら、ちらりと舐められた。なんで?そう思う間もなく、今度は軽く唇に歯を立てられる。え?なんで?今度こそ、声に出した。 「なに?な……」  口を開いた途端、真っ白い手がテナシテの顎を掴み、口の中に舌をねじ込まれた。混乱のあまり、ぶわっと全身が粟立つ。思わず拳を固めて、だけどそれを振るうことはもちろんできない。非戦闘員に暴力など、絶対に使えない。怪我をさせるわけにはいかない。だから、テナシテはリュネットの上着の裾を握り、ガツッ!ガツッ!と引っ張ることで警告した。放せ、と。でもリュネットはさらに身体ごと圧し掛かってきて、テナシテの腰に腕を回した。首を振って、リュネットから逃れようともがくけれどうまくいかない。何度も何度も唇を塞がれて、テナシテは訳がわからなくなり、呼吸も苦しくて、ますます混乱していく。  暴れるテナシテに手を焼いたからか、ようやくリュネットが、そっと唇を離した。恐る恐る目を開いたら、間近に彼の顔がある。この青い目は、怒っているのだろうか?よく、わからない。いや、わかってる。おつきあいしていれば、こういうこともあるのだと。だけど、怖くて。何が怖いのか、何を言えばいいのか、思わず涙ぐむほどに、恐ろしかった。 「こ……なんで……?いつもと、ちが……」 「嫌でしたか」 「だって、こんなこと、したら」  戻れなくなる。  テナシテは無意識にそう呟いていた。それが、その一言が、リュネットの理性を打ち砕いた。暴れるテナシテを押さえつけていた手に、力がこもる。 「あのおっさんに?戻すつもりはないですよ」 「お前……!」 「殺しますか?いっそ清々する」  再びテナシテの小さい唇を塞ごうと、リュネットが覆いかぶさる。あの方のことを、自分の気持ちを、揶揄された気がして、テナシテはとうとうリュネットを突き飛ばした。もちろんものすごく手加減をしたつもりだったけれど、慌てていたし、手がどこかに当たったのかもしれない。仰け反り長椅子の端のひじ掛けで背中を打ったリュネットの顔から、黒縁の眼鏡が飛んで床に落ちて割れる。その音が、妙に響いた。 「なんで……」  テナシテは、自分が今どういう気持ちなのかもわからなくて、リュネットに何を言いたいのかも思いつかなくて、ただ茫然としていた。リュネットは何も答えず身体を起こすと、自分の眼鏡を踏みつけて出て行った。  ◆ 「隊長、最高です」 「だろうね」  式典当日。リュネットと顔を合わせないまま、非番の日もいつも一人で過ごして今日を迎えた。テナシテには、リュネットが怒っているように思ったけれどその原因がわからないし、それを聞きに行く勇気も出なかった。  控室で式典用の軍服を身につけたテナシテを、隊員らは褒めそやす。彼らに構っている暇も、自分の内面を窺う暇もない。逐一届く大小の報告に、指示を与えつつも自分の任務もある。各地から集まってきた受章者と、各隊の騎馬組の控室では、どこかお祭り気分で浮かれていて、第三隊の連中もテナシテを褒めてはまとわりついている。そこへ、リュネットが入ってきた。  彼も受章者なのだから当たり前だ。この控室のある建物からまっすぐに、式典が執り行われる大宮殿までの大通りをゆっくりと行進する。だから、関係者全員が集まる。おかしなことではない。なのにテナシテは、その姿を目にしただけで動揺した。  軍医に制服はなく、普段は大体みんな軍服を着て、腕に白い腕章を巻くのが通常だ。しかし本日は国王陛下から褒章を与えられる立場だから、リュネットは礼服を着ていた。この国の礼服は、形は同じでみんな好きな色の生地で仕立てる。軍人であればその胸に階級章だなんだとつくけれど、リュネットはそういう飾りのない礼服だった。真っ白い肌と鈍い銀の髪によく似合う鉄紺色で、袖口と襟元にさりげなく髪と同じ色の刺繍がある。初めて見るリュネットの正装に、テナシテは自分でも理解できないほど焦り、心臓がドキドキした。そしてなんだかひどく近寄りがたいと感じる。あの日割ってしまったからだろうか、リュネットは眼鏡をかけていなくて、それが見慣れない人のように思えて。 「隊長、軍医殿と打ち合わせを」 「……ああ」  リュネットとテナシテが仲良くしていることは、首都にいる軍人はもちろん、耳の早い連中なら郊外にいても知っている話だ。彼らがどんな話をするのだろうか。二人とも着飾っているからか妙にお似合いでムカつく。これは仕事だからしょうがない。いろんな視線を浴びながら、テナシテは努めて冷静に振る舞い、普段通りリュネットの目を時々見ながら、ちゃんと務めを果たそうとする。リュネットはと言えば、本日はよろしくお願いしますと頭を下げたきり、第一隊の段取りに黙って頷くだけだった。 「軍医殿、眼鏡がないのはおめかししてるからですか?視力が悪いと、馬での移動は危険ですが」 「先日壊れてしまったもので、替えがなく。乗馬に支障はないものと思います」 「そうですか。なんだか、雰囲気が変わりますね」  隊列を組む予定の古株の隊員が、リュネットの受章を褒めつつ、そんな世間話をしている。テナシテはそれを聞きながら、眼鏡は高価だし、注文してすぐに手に入るものでもないから不便なのだろうな、と少し罪悪感を感じた。さらに、まだ自分は彼におめでとうを言っていないことを思い出す。今のうちに言おうとリュネットの方を見るのだけれど、いつもと違う風貌の彼の、若くて清潔な男の色気のようなものを直視できずにすぐに目をそらしてしまう。白皙の美貌、なんて、今まで思ったこともなかったのに、今日のリュネットはまさにそんな感じだった。普段勝手にテナシテを誑かす悪いやつだと大騒ぎしている隊員でも、リュネットの様子に毒気を抜かれている。テナシテは、彼に祝辞を述べることを諦めて、警戒任務にあたっている方の連中からの報告を聞くことの専念した。 「隊長?顔赤いっすよ?大丈夫ですか?熱でも?」 「は?別に赤くないし」 「今日の隊長はマジ天使級ですね。羽生えててもおかしくないです」 「それはおかしいと思う」 「隊長、熱があるんですか?」  いつの間にかすぐそばにリュネットがいて、リュネットはテナシテの顔が赤い云々の会話が聞こえたから軍医としての務めを果たそうと質問しただけなのだろうけれど、テナシテはうっかり彼をマジマジと見てしまい、動悸が著しく激しくなり、真っ赤な顔になりつつも、別にかわいいだけだからっ!と乱暴な答しか返せなかった。リュネットはわずかに眉を顰め、そうですか、と離れていった。 「真っ赤です、隊長。さすがに誤魔化せないくらい。まあ、確かに軍医さん、今日はやたらと男前が際立ちますね」  部下が若干呆れ気味にそう言うけれど、それに反応する余裕もなかった。眼鏡の有無か、礼服の仕業か。とにかく今日のリュネットを見ていると、落ち着かなくなるのだ。顔が熱くて、胸が苦しい。  やがて時間となり、隊列が組まれて、華やかな行列が動き出す。歓声と、花吹雪。何度経験しても、とても誇らしく思える任務だ。テナシテは隊列の先頭を行き、リュネットはその後ろにつくので、彼の姿を視界に入れることなく王宮までたどり着くことができてテナシテは安堵の息を漏らした。これほど緊張したのは初めてかもしれない。  観衆のざわめきが遠くなり、厳かな空気が漂う大王宮の大広間で、テナシテたち首都警護部隊がきっちりと整列し、受章者たちがその前に並ぶ。テナシテの位置から、少し視線を動かせばリュネットの背中がある。居並ぶ軍人たちに比べればか細くさえ見えるけれど、姿勢良く立つその姿は堂々としたもので、見劣りするどころか、テナシテの目には誇らしく映った。そしてやはり、彼にドキドキした。  大広間の奥の小さな扉が開き、御触れが聞こえ、まず三人の将軍が入ってくる。式典用の軍服は、階級や所属によって違う。一人は女性なのでまた趣が変わり、並んで立てばこの国の国防を請け負う要の揃い踏みに、その場にいた人間は居住まいを正す。完璧な静寂の中、ようやく王冠を戴く国王が入ってきた。  将軍と国王の登場に、テナシテは、事前に心配していたよりも良く見えることだなと思っていた。この国の王族がやたらと美形の血筋だから国王はともかくとして、三人の将軍の中ではやはりシャルルーが群を抜いて華やかな美貌を湛えている。長年最強と呼ばれる威圧感は、いつも通り見事に包まれて、ただただ頼もしい部下を見つめる目は、年季の入った余裕に裏打ちされた穏やかさで溢れている。しばらくぶりの想い人の美丈夫ぶりに、テナシテは、見られて良かったと思った。  それだけだった。  テナシテは自分で自分に疑問を持った。あれ?いつもこんな感じだったっけ?なんかもっとこう、ジリジリとした焦燥感と、崇拝にさえ近いような憧憬、息苦しいほどの動悸。そういうものが、あったような……?  式典は恙無く進む。受章者の偉業を、国王陛下自ら褒め称え、それぞれに手ずから褒章を授与し、与えられた者はその場で佩用する。リュネットの番では、彼は初めての受章だったことと珍しく医師として与えられた栄典だったこともあって、王は優雅に破顔して首都の将軍に声を掛けて、佩用を手伝わせることさえした。テナシテにとって、その場で喝采を送りたいほど誇らしかった。  式典の後は、何もない。式典が終わる頃には行列見物の観衆も解散しているけれど、首都の軍人は大忙しだし、受章者には通常数日の休暇が与えられるけれど、拠点へ戻る移動を考えればのんびりしている時間はない。将軍らは三人集まる少ない機会を無駄にせず国防に関する会議を行うと聞く。つまり、お祭り騒ぎは終わりだ。  テナシテが駐屯所に戻り、式典後の首都の様子と警備状況、不審者の拘束数件について報告を受けていたら、副隊長と第四隊の隊長がやってきた。報告を終えた隊員が敬礼して出て行き、執務室には三人だけとなる。 「本日はありがとうございました。第四隊からの人員補充に感謝しております」 「いえいえ。王宮警備に注力するのは当然です。やはり、式典はいいものですね」 「ええ。ご用向きをお伺いいたします」 「ああ、今日はやはり、あの軍医殿がね、とてもご立派だったから、これを差し上げようと思って」  第四隊の隊長は、にこにこしながら、手にしていたカゴを差し出す。覆いの布をそっと取れば、先日テナシテにも持たせた果物がたくさん入っていた。首都から離れた地方の特産品で、気候の関係で首都ではうまく育たず、だからあまり手に入らないものだ。しかしテナシテは困惑した。 「あの……医務院に、届けておけばよろしいでしょうか」 「隊長と軍医殿は、仲がよいと聞いていますが」 「……普通です」 「そうですか。これは僕の妻が、色々と工夫してうちの庭で育てたんですよ。珍しい上に味もいいので、とても人気があるのです」 「あ、はい。先日戴いたのも、とても美味しかったです。ごちそうさまでした。御内儀様にもよろしくお伝えくださいますよう」 「それはよかった。軍医殿は、それが好きなんですよ」 「そう、なんですか」   「ええ。だから今回の受章のご褒美に持って参りました。しかし、控室では渡す機会がなくて、隊長から彼に直接、渡していただけるとありがたい」   「…………」   「老いぼれのお願いを、聞いてくださいますかな?」      そうだ。リュネットに会いに行こう。  テナシテは頷いた。老いぼれの部分は強めに否定することも忘れない。受け取ったカゴを執務机に載せると、彼に敬礼する。彼はまたにっこり笑って、どうぞ一緒に召し上がってくださいと言い残し、テナシテに敬礼を返して出て行った。  詰めていた息を、吐き出す。自分の為すべきを知る。このこころはもう、囚われていないと、あの男に伝えなければいけない。 「隊長、後は任せてください」 「そういうわけにはいかない」 「そうですね。では、夜の交代までにお戻りください」  妥当なところだ。陽は天辺よりやや傾きつつある。夜の交代は夕食後。それだけの時間があれば、あの白皙の軍医を探し出し、話が出来るだろう。テナシテはカゴの持ち手を掴み、副隊長にお礼を言った。副隊長は、第四隊の隊長からの、人員補充の見返りですよと笑った。 「軍医殿は医務院ですかね?休暇をもらってはいるでしょうが」 「わからない。けど、探す」 「ええ」 「とりあえず、先に閣下だ。謁見できればいいんだけど」 「隊長……それはないでしょう……」  苦い顔をしてため息をついた副隊長に、テナシテは心配するなと笑って見せた。幾分緊張したその笑顔に、彼の決意が見えた気がして、副隊長は不思議に思った。いつもの、シャルルーのことを語るときの顔とは違う。気苦労の絶えない副隊長は、いってらっしゃいと、うちの隊長の幸運を祈りながら送り出した。  ◆  リュネットは式典の後、馬を返してから師匠のいる診療所へ向かった。リュネットと同じく若くして褒章を戴くほどの技術があるにもかかわらず、今となっては後進の指導に徹して、一線を退いたような仕事ばかりを引き受けている老医師は、特別な人からの特別な依頼でもない限り、首都中央にある軍病院や、大きな民間病院では働かない。最近はずっと、首都の郊外の小さな診療所で、転んで怪我をした子を泣き止ませたり、おなかの大きい妊婦の不安を聞いたり、仕事をがんばる商人の健康を管理したりしている。 「やあ、リュネット。礼服がよく似合うね。眼鏡はどうしたの」 「ありがとうございます。本日無事に、国王陛下より褒章を頂戴してまいりました。眼鏡はこの間壊してしまって」 「そうかい。いやぁ、立派だねぇ。僕も鼻が高いよ」 「師匠への恩返しに、なりますでしょうか」 「あはは。そんなこと考えてたの?リュネットは、自分の好きにしていいんだよ。お医者さんが嫌になれば辞めてもいいし、僕以外の誰かに師事したってかまわない」 「僕は好きで師匠に師事し、この褒章は師匠の教えのおかげだと思っています」 「うん、やっぱり、鼻が高いねぇ。本当におめでとう」 「ありがとうございます」  老医師の妻が出てきて、同じようにニコニコしながら、リュネットのためにお茶を入れて、こころから受章を喜んでくれた。リュネットは地方出身者なので、彼らが首都での親代わりのようなところがあり、だから彼らに褒められたり喜んでもらえたりすることが本当に嬉しかった。 「偉いね、リュネット。ああ、本当に綺麗な飾りだ」 「師匠のと、少し違いますね」 「僕が貰ったのは前国王陛下からだからね。紋章が違うんだよ」 「ああ、なるほど」 「アンソレイエ国王陛下は、お元気だったかい?」 「ええ、そのようにお見受けいたしました」 「そう。あの子も立派になったもんだよ」  老医師の師匠は前国王の健康管理を任されていた人で、老医師は若い頃その手伝いをしていた。だから、その息子である現国王は、生まれたときから知っているのだ。ちょっとした怪我や病気も診たという。だから、いつまで経っても彼の健康が気になるのだろう。つくづく、医者の価値というものを考えさせられる。 「お仕事の最中にお邪魔してすみません。僕はこれで失礼します」 「そうかい?一緒に夕飯でもどう?」 「ありがとうございます。また改めて参ります」 「うん。じゃあ、楽しみにしているよ」  リュネットは診療所を辞し、自宅へ戻った。今日は特別休暇を与えられているので、医務院へ帰っても周囲が困惑するだけだ。慌しい一日だった。まだ夕方だけれど、午前の記憶が遠い。  式典用の軍服を着たテナシテを思い出す。何度か見かけたことはあるけれど、間近には初めてだった。いつも洗いざらしのような髪がきちんと撫で付けてあって、凛々しさが際立っていた。彼の背中を見ながら騎乗し王宮への道を行進したことが夢のようだ。後ろに目がついているのだろうかと思えるほど、彼はリュネットとまったく同じ速度で移動した。リュネットの拙い騎馬であってもぶつかったり離れたりしない。その詰まらない距離が、途中からなんだか自分たちを表しているように思えた。 「…………何してるんですか」  リュネットが階段を上がり、自室の前にたどり着いたら、そこにテナシテが立っていた。式典用の軍服のまま、なにやら荷物を抱え、夕日を浴びて所在無げに。予想外のことで、リュネットは自分の声が少しきつくなるのを感じた。テナシテはリュネットの問いに顔を上げ、待ってた、と一言呟いた。 「僕をですか?何か御用ですか」 「医務院に行ったらいなかったし、僕の家にもいなかったし」 「本日は休暇を与えられています。あなたの家に行けるわけないでしょう」 「……ごめん」  妙におとなしいテナシテに、リュネットは何と言えばいいのかわからなかった。あの日完全に切れたと思っていたのに、まだ縁があると思っていいのだろうか。気まずい思いで黙り込めば、テナシテも同じく口を噤む。こんなところでいつまでも立っていれば、また誰に何を言われるかわからない。リュネットは鍵を開け、テナシテを招き入れた。だけど、いつも二人で過ごした部屋へ入るのは躊躇われて、そもそも彼は遊びに来たわけじゃないだろう。もう一つの方の、机や椅子や寝台のある部屋へ促した。テナシテは黙って頷き、リュネットに従う。 「あの」 「はい」 「…………受章、おめでとう。僕、控え室で、言えなくて」 「ありがとうございます」 「眼鏡、ごめん。壊れてもすぐに作ってもらえないよね。不便だろ」 「僕の視力は矯正が必要なほど悪くありません。あの眼鏡も度が入っていないものでしたし」 「え?あ、そうなの?」 「ええ」  昔から、白い肌と淡白な面相で、印象に残りにくい顔だと言われる事が多かった。だから眼鏡を誂えて、特徴づけに掛けていたのだ。自分を覚えて欲しいと思う人が出来たから。もう今さら作り直す必要はないから、注文もしていない。 「何か御用ですか」 「あ、うん。言いたいことがあって」 「何ですか」 「僕のほうが年上なのに、いつも頼ってごめん」 「……いえ」 「今日僕、久しぶりにシャルルー様のお姿を拝見した」  リュネットは、頭を強く殴られたような気分だった。言うに事欠いて、その話か。期待を持たせるかのように自宅の前で待っていて、わざわざそんな話をするために?傷つくよりも先に烈火のような怒りがこみ上げてきたのは、確かにリュネットが若いからかもしれない。そんな優秀な医師の内心を知らないテナシテは、まっすぐにリュネットを見つめたまま話を続ける。 「楽しみにしてたの、拝見するの。だけど、前と全然違った」 「老けたんじゃないですか」 「んなわけないだろ!相変わらずかっこよかったよ!」 「もう、いいですか?僕にも自尊心がありますし、一応今日は僕にとって晴れの日なんですよ。軍医の立場で国王陛下から褒章を戴き、その式典にはあなたが先導してくれた。そんな日にあなたの惚気話なんか聞きたくないですね」 「惚気てない」 「そうですか」 「ようやく拝見できた閣下のお姿より、僕はお前の方にドキドキした」 「そうですか」 「は?これってすごいことなんだけど!?」 「ああそうですか。光栄ですと跪けばいいんですか」  なんであのおっさんと比べられなきゃならないんだ。第一隊の隊長は、一体何を言いたくて自分を待っていたのか。お前も正装すればまあまあ見られるなとでも?ドキドキしたという言葉さえ、素直に受け止められないほど、リュネットの気持ちはささくれている。当たり前だ。あの日、間違いなく傷つけられた。なのにテナシテは、それを謝ることもしない。腹が立つ。好きだからこそ、怒りが止まらない。  テナシテは、どうしても言いたかった"シャルルーよりもドキドキした"という事実が伝えられて、ホッとして気持ちが緩んだ。それが顔にも出て、リュネットはさらにイライラさせられる。 「何一人で晴れ晴れしてるんですか。僕をどこまで振り回せば気が済むんですか?」 「ごめん」 「ごめんで済んだら軍人要りませんよ」 「要るだろ。どうやって我が国を外憂から」 「そんな話はしてません」 「僕、かわいいのは顔だけなんだ」 「は?」 「顔だけなの。口も悪いし性格も悪いの。僕の顔が好きならすぐ幻滅すると思う」 「口が悪いのも健診サボるのも軍医の診断書破るのも知ってます。別に幻滅しません」 「……うん」 「僕の気持ちを、甘く見ないでいただきたい。水辺のにやけたクソじじいに負けるはずがない」 「え、待って。閣下のことじゃないよね?」 「先ほどから何がおっしゃりたいのか、僕には全くわかりません。閣下に久々に会ったらただのじじいで目が醒めた。ご自分は勝手で奔放で僕のことなどお構いなし。それでいいですか」 「閣下はじじいじゃない。僕はお前とこれからのことを話したい」 「僕の試用は終わりです。これ以上試させません。もう十分でしょう」   「え」 「……何か」 「もうお別れなの?おつきあいしないの?」 「は?」 「僕は最初から、お試しのつもりはなかったし、おつきあいを満喫してた。だけど至らなかったんだろう。だからさっき謝った。僕は年上なのに、頼ってばかりだったし、覚悟が足りてなかった」 「覚悟。ああ、そうですね。僕は真剣で真面目だったのに、あなたは味見だかつまみ食いだか、そういう感覚だったんでしょう。僕とのお付き合いは本意じゃなく、意中の人は別にいた」 「それはお前も承知していたはずだ。それに、その話はもう終わったんだ」 「戻りたい場所がある人を、引き止める力なんて僕にはありません。僕は非力で、あなたには勝てないし、きっと」  あの男にも勝てない。腕力の問題ではない。テナシテに、こんなにも長く密やかに強く、想われ続けているあのクソじじいに、全く歯が立たない。そんなことはわかっていた。だけどどうしても諦められなくて。 気持ちは絶対勝てるはずだと信じて。その気持ちが彼に届くことを祈っていた。  リュネットは大きなため息をついた。カゴを抱き、じっと自分を見つめるこのクソかわいい軍人を、どうやったら自分のものに出来るのか。望みはまだあるんだろうか。   「…………そのカゴは何ですか」 「あ、これ、ご褒美だって、第四隊の隊長からお預かりしてきた。僕はお使いだ」 「そうですか」 「好きなんだって?これ」 「そうですね。むかし戴いて、美味しかったですね」 「一緒に、食べたい。そういうの、僕はお前としたい」 「口移しで」 「僕は意識もはっきりしているし、咀嚼も嚥下も自力で出来る」 「救護の話してんじゃないですよ」 「なんなの?なんで誤魔化すの?」 「は?」 「だから!僕はさっきからお前とこれからもおつきあいしたいって言ってるの!閣下にはそういう気持ちはないし、ていうか、多分拗らせて意地になってただけで、とっくにただの憧れというか」 「え、待って。おつきあいしたいなんて一言も言ってませんよね?」 「は!?言ったし!聞いとけよ馬鹿!」 「いや絶対言ってませんよね?」 「じゃあお前は、他所の誰かにこれを口移しで食べさせるつもりなのか!」 「もう本当に話が読めないしややこしい」 「だから!」 「覚悟ができたんですか、あのクソじじいを諦められるんですか」 「難しいことはわからない。だけど、閣下とお前が同じ場所にいて、それでも僕はお前のことばかり考えていた。それが事実だ」  テナシテの本心だった。抱えていたカゴをまずリュネットに押し付ける。彼は両腕をそれで塞がれる。代わりに自分の手が空いたことに満足すると、その両手で、リュネットの頬を挟んだ。 「ちゃんと、僕はお前の方を向いている。信じろ」 「だけど」 「あの時は、びっくりしたから。ごめん。許して」 「でも」 「うっさい。つべこべ言うな」  少し高い位置にある青い目をじっと見つめて、テナシテは意を決して、そっと唇を重ねた。リュネットは、自分たちの間にある大きなカゴをぎゅっと抱きしめて、ぎゅっと目を閉じた。 「え?あ、ちょ」 「なんですか。もう待ちませんから」 「いや、あの、おつきあいは続くんだよ、ね?」 「ええ。ずっと」  乱暴にカゴを机に載せて、テナシテの腕を掴んで寝台へ引っ張っていき、向かい合わせになるように座り込んで抱きしめる。心臓が痛い。お試しでも不本意でもなく、想い人が自分のことを選んでくれた。いつもよりも綺麗な顔をじっと見つめ、お互いが顔を寄せ合って、唇を合わせる。口を開いて舌を舐め合わせて、抱き寄せる腕に力がこもる。 「ん、ま、て」 「はあ……?無理です」 「僕、夜、戻らないと」  リュネットの頭の中には、診断書の偽造が真っ先に浮かんだ。明日まで自宅療養。それを駐屯所へ届ければ今夜彼を手放さないで済む。医師としての矜持を捨てるかどうかの瀬戸際だ。状況としては、ためらいなく捨てたいところだが、断腸の思いで、それを諦める。テナシテは頬を赤くしたまま、リュネットをじっと見つめている。 「時間、まで、する?」 「そんな簡単に切り上げられませんよ。若者の性欲を見縊らないでいただきたい」 「そんなに時間かかるのか、その、そういう、やらしいことは」 「恐らく。僕童貞なので、手間取るでしょうし」 「は?!お前……!どうっ……てえ……だと……!?」  おつきあい当初からさも手慣れた風を装ってテキパキと段階を踏んでいったくせに?テナシテは軍医の言葉が信じられず、混乱した。リュネットはと言えば、時間を無駄にはできないので、大事な人を太ももに跨らせ、その腰を抱く。少し高くなる彼の目を見上げて、柔らかい唇に吸い付く。 「僕は前から隊長しか見てませんので、必然的に」 「どうすんの!僕だってそういうことしたことないんだからね!?」 「ええ、それは知ってます」 「ばか!何で知ってんだよ!?」  ああ、好きだ。綺麗な顔も真っ直ぐな性根も、強さも全部、好きだ。  リュネットは唇が触れ合う距離で彼を見つめて、テナシテはその視線を受け止める。どちらからともなく何度も唇が重なって、吐息が甘く色めいていく。先に服に手を掛けたのはテナシテだ。もちろん、リュネットの服に。 「本当にしないの?」 「ええ……だから、服を脱がされると困ります」 「なんでだよ。いいだろ?見るだけ」 「なんですかその軟派な台詞は」 「僕のも脱がせていいから」 「脱がしたら、駐屯所へ帰せませんよ」  そう言いながら、リュネットもテナシテの軍服に手を掛ける。いつもの実務一辺倒のものではなく、徽章や階級章、いろんな飾りのついた服だ。外せると思った釦も飾りでどうなってるのかよくわからない。唇を食べあいながら、リュネットはどうやって脱がすんだろうなあと思案し、諦め、日常服と同じ仕様のズボンの前立てを寛げた。リュネットの大胆な行動に、テナシテが照れ隠しで白い頬を抓る。 「馬鹿」 「上着は僕には難しくて」 「ここだよ、覚えといて」  礼服は同じ形のものをテナシテも当然持っているので、リュネットは下着まで肌蹴られている。その身体が、軟弱な医者だとばかり思っていたのに思いのほか逞しくて、着やせってこういうことを言うのかとドキドキしていた。  テナシテが式典用の軍服の上着の前を開くと、リュネットはあとは出来ますよとばかりに小さな釦をあっという間に全部外して、テナシテの肌に舌を這わせる。 「あん……!」  突然の、初めての刺激に身体を震わせるテナシテが愛しくて、リュネットは舐めては吸い付くのを繰り返す。普段露出している首や腕より白い胸は、薄い色の乳首も全部、卑猥だ。そこにももちろん柔く噛みつきつつ、ゴソゴソと自分のものとテナシテのものを取り出す。 「あ、あ……ん、きも、ち……」 「口を、開けて」  お互いの荒い呼吸を飲み込むように、舌を絡めて吸い合う。テナシテは震える手でリュネットの頬を包み、リュネットは二人分の性器を少し乱暴に擦りあげる。テナシテの腰が落ち着かなさそうに揺れるのがたまらない。 「すごい、きもち、いい……人にされるの、すごい、ね」 「僕に、です」 「ん……そう……僕は、部下にはさせないし」 「は?」 「手ぇ止めんなよ……もっと」 「部下にはさせない、とは」 「んもう……だから、隊の中で、馬鹿者は部下にさせるんだよこういうことを。だからそれが普通だと思って、僕にもしましょうかって申し出る奴もいる。かわいそうに、おかしなこと刷り込まれて」 「……で?」 「そんなことは仕事じゃないからしなくていいって言う」 「下心ありありでしょう、そんなもん」 「昇進とか?人事にそういう手心は」 「今後もしそういう申し出をする隊員がいたら僕に教えてください」 「んー……わか、った……から……」  テナシテが身体を預けてリュネットの首に両腕でしがみつき、耳元で艶めいた声を出す。性器はどちらからもたくさん先走りが出てベトベトで、はち切れそうに硬くなっている。  もっとたっぷり愛撫を施して、トロトロにさせて、愛を囁いて、そうやって一緒に高みへ行きたい。だけど、若さがそれを許さないらしい。リュネットの手の動きが早くなって、テナシテの声が震えだす。 「あ……ね、いいの?僕もう、出ちゃ……!」 「僕もです。もっと顔よく見せてください」 「あ、あ、あ……あー……!だめ、汚すから、服!」  洗えばいいでしょそんなもん!と叫びたかったけれど、現実はそうはいかない。繊細な生地で作られた礼服も軍服も、そう簡単に洗濯などできない。濃い布地に精液の痕跡はよく目立つだろう。腹筋をぴくぴくさせながら、寸でのところで手近にあった手ぬぐいを使い、どうにか服に飛ばさずに済んだ。安堵と、快楽のため息が漏れる。 「気持ち、よかった……」 「僕もです……口づけを、ください」 「うん」  まだ乱れる呼吸のままに、優しく何度も口づけを贈る。リュネットはテナシテの首筋にも唇を寄せ、耳にも吸い付いて、うっとりと彼を見上げた。 「僕の、許婚ということでいいですよね」 「早くない?」 「だめですか?」 「まだ、あれだろ、恋人。やらしいことしてから許婚でいいんじゃないの」 「じゃあ、恋人ですね、あなたが僕の」 「そう。嬉しい?」 「ええ」 「僕も」  テナシテが笑う。とてもかわいい笑顔で、自分のために。リュネットはしあわせな気持ちでいっぱいで、ここのところの苦しさが消えていくのを感じた。  それからしばらく、貰った果物を一緒に食べたり、接吻を交わしたり、もう一回だけ、と抜き合いっこをしたらテナシテが戻らなければいけない時間になった。礼服などすっかり脱ぎ散らかして半裸のリュネットが、テナシテの身支度を手伝いつつ、ベタベタと触りまくる。 「本日は夜勤ですか」 「ああ。大きな行事があると忙しい」 「次の非番は、休めそうですか?」 「わからない。でも、そうするつもり」  おつきあい、頑張りたいし。テナシテが小首を傾げてそう言うと、楽しみにしていますとリュネットが彼のおでこに唇を寄せる。もう行かなければいけない。玄関先で、別れを惜しむ。 「一つ、言い忘れた」 「なんですか」 「運良く、先ほど閣下とお話ができた。……ジュリをよろしくって、僕、言えた」 「……そうですか」  その言葉にどういう意味があるのかよくわからなかったけれど、リュネットは彼が彼なりに長年の片想いに蹴りをつけたらしいことを知る。そして、ようやく安堵とともに実感した。テナシテは、自分のものだと。じゃあ行くよとテナシテがリュネットの胸を拳で軽く叩く。 「あの」 「なに」 「……僕に身体を預けることが不安でしたら、どこかで訓練してきますが」 「無意味な訓練は生死を分ける。馬鹿かお前は。自信がないの?」 「あるわけないでしょう。でも、後悔させません。……多分」 「じゃあ訓練なんか要らないよね」 「ええ」 「またね」 「はい」  テナシテはちゃんと夜の交代に間に合った。だから、報告もちゃんと聞いたし引き継ぎの際の指示も出したしその他もろもろ、諸事徹底して通常通り務めた。テナシテの帰還を出迎えた副隊長は、テナシテの様子があまり変わらなかったのでちょっと拍子抜けした。 「上手く運びましたか」 「うん。感謝している。留守をありがとう」 「いえ。特に問題はありませんでした」 「そう」 「……軍医殿は、あのご褒美を喜んでましたか?」 「うん、美味しいなって言って食べてたよ」 「隊長も」 「うん、美味しいねって言ってお相伴した」 「……よかったですね」 「あ、僕の次の非番、休めなさそうけど、昼で上がってもいい?」 「お休みになっても構いませんよ」 「うーん。ちょっと気になるから、午前は出る」 「了解です」  数日後のテナシテの非番の日。  リュネットはテナシテの帰りを彼の邸宅で待っていて、一緒に昼食をとり、その後初めてテナシテの私室へ招かれた。そしてもちろん、身体を重ねた。  裸で抱き合うあたたかさや、密やかな優越感、繋がる瞬間の緊張と、身体を走り抜ける快感。何もかもが新鮮で想像以上で、夢中になって貪りあった。 「あ、きもち……それ、気持ちいい……」 「もっと、気持ちいいって言ってください……そしたら、もっと気持ちよくなりますよ」 「ん、ほん、と?」 「ええ……気持ちいい?」 「うん、気持ちいい、あ、あ……気持ちいい……あ……!」  リュネットを受け入れているところが、とろりと柔らかくなる。それを感じてさらに奥を突けば、テナシテの身体が反り返って汗が飛ぶ。初心者二人にしては上出来だ。夕飯も食べずにずっと寝台で睦みあい、テナシテは熱に浮かされたように恥ずかしい言葉を何度も口走り、リュネットはその様子に目を細めて唇の端を吊り上げる。そんなリュネットにしがみついて、また、甘えたことを強請り、溶けそうにしあわせな一夜を過ごした。  翌朝、テナシテは窓掛を閉め忘れた窓から射す朝陽で目が覚めた。身体が重だるくて、節々がちょっとおかしい。寝返りを打とうとして、臀部の違和感に悶絶し、ぴたりと寄り添うように眠る恋人?許婚?を発見して、夕べのことをまざまざと思いだしていく。  ぼ、僕は昨夜なんてことを…………!!  初心者なのにいやらしいことを口にして、か、身体もなんだかそんな感じでノリにノッちゃって、いや、性交渉をしたこと自体はもちろん後悔してないし、リュネットすげーとか思ったりして、すっごい色白だからちんこの色もきれいーとか言って、でもそれがまあ暴れん坊で、やだーもう僕死んじゃうー…………とか!!!????  そろそろと身体を起こし、隣でまだ熟睡している白皙の医者を睨みつける。  まだ寝てる……今ならこの事実を葬れる……殺るしかない……!! 「あのね、初めて二人で迎える朝に、その殺気は必要なんですか」 「おおおお起きてたのか!?目ぇ開けとけよ!」  リュネットは大きなため息を吐いて、間違いなく昨日許婚にしたかわいい軍人を引き倒して腕の中に抱きしめる。 「後悔してるんですか」 「おつきあいに後悔はない。でも、その、昨日僕、ちょっとはしゃぎすぎたって言うか……っ!」 「最高でした」 「うん、そう、そうだけど」 「殺気を消してもらえませんか。毛が逆立ってますよ」 「い、いいいいいいか、昨夜のことは忘れろ!」 「わかりました。だから、落ち着いてください」  死んでも忘れるか。家に帰ったらさっそく日記に事細かく詳細に書きつけておこう。テナシテのおでこや頬に優しく口づけながら、リュネットは腹の中でそう考えていた。そして、言うべきことを思い出す。 「ねえ、ほんとに、恥ずかしいこといっぱい言ったからっ!ナシにして!」 「はい。僕からも一つ、いいですか」 「なんだ」 「僕の前で、あの男の話はしないでください」  なんで、とか、は?とか、言ったらどうするんだ、とか。そういう返しを覚悟した。だけど、テナシテは至って真面目な顔で頷いてくれた。 「わかった」 「…………」 「だから、夕べのことは」 「ええ、忘れましょう。ではもう一度、初めから」  リュネットの提案に、テナシテはもう一度頷いたのだった。

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