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第43話

 翌日からフォールは厩舎へ通った。同僚はみな、口数は多くないけれど悪い人間ではなさそうだ。水軍で仕事をしていた時に、騎馬訓練の指導などというおかしなことをしていたせいか、彼らはフォールのことを知っているようだった。不思議はない。首都警護部隊には、各地の精鋭が集まり出入りするし、軍人の世間というものは意外なほど小さいものだ。  馬一頭一頭を観察しながら、馬房の掃除をして回る。知らない人間が間近に寄っても、さすがに暴れたりはしないけれど不審げな顔をする。鼻を鳴らし、少し冷えた早朝だからか微かに白い息を吐く。フォールは穏やかな笑みを浮かべて、まず話しかけてから、そっと撫でてやり、受け入れてくれそうな気配を察してから、掃除を始めるので、割り振られた馬房全部を終わらせるのに少し時間がかかった。しかしフォールは満足だった。どれもかわいい馬だった。  それから仕事の段取りを教わりながら、一日を過ごした。  フォールを知る人間は第一隊にももちろんいて、時々厩舎にのぞきに現れる。しっかりと鍛錬した身体に、意外なほど綺麗な長い白金の髪と、穏やかな緑の目。有り体に言えば、その容姿がまずウケた。話しかければ答えるその声も耳に心地よい。 「あー、その、俺、馬の扱いが苦手なんだけど、フォールは教えてくれるんだろう?」 「隊長の指示があればな」 「個人的に、時間がある時でいいんだけど」 「ああ、それなら別に。まだ仕事が不慣れだから、今すぐは難しいけど」  早速新入りにお近づきになろうと、いろんな人間がフォールに話しかけるけれど、彼は全く同じ調子で、誰かに特別気を許すことも警戒することもない。だからこそ、フォールはするすると受け入れられていった。  働き始めてしばらくは、フォールは非番を返上した。とにかく馬たちに、それもすべての馬たちに自分を覚えてもらわなければ仕事にならない。掃除もそうだけれど、手入れも軽い調教も、彼らに信頼されないとうまくいかないのだ。 「おいこら。休みは休め。第一隊でそれは徹底されている」  仕事を始めてどのくらい経っただろうか。フォールがすべての馬の性格と特徴を把握し、第一隊の隊員の顔も半分くらいは頭に入った頃、テナシテが厩舎に現れて、その細腰に手を当てて胸を反らし、フォールに初めて指示を出した。フォールは飼葉の塊を二つ担ぎ上げて、隊長らしいことを言った小奇麗な上司を見る。 「ああ、そうするつもりだ、そろそろ」 「いつ」 「え?ああ……近日中に」 「いつかって聞いた。一回で正確に答えろ」 「えーっと……」  飼葉の塊をもう一つ手に提げて、パラパラと少しこぼしながらフォールがテナシテに背を向けて歩き出す。次の非番は確か明後日だったか。その日に休めばいいのか。所定の場所に塊を積み、くっついたわらを払いつつ、先ほどと同じ場所でフォールの返事を待つ隊長に答えを返す。 「明後日だ」 「あっそ。じゃあそういうことで」  テナシテはたったそれだけで戻って行った。同僚に、明後日の非番は休むと伝え、ぜひそうしてくれと笑われる。フォールは知らずに和を乱していたのかもしれないと反省した。  その頃には第一隊の関係者であるという証明書が発行されていたので、フォールは先触れを出す必要もなく、約束通りラヴィソンの屋敷へ出向いた。到着したのは朝餉が済んだだろう時間で、ラヴィソンは本日も王宮からの来客があるらしくその準備をしつつ自室にいた。フォールが部屋に入って彼の前に跪くと、綺麗な目を輝かせて頷いた。 「新しい仕事はいかがか」 「は。いい馬ばかりで、ようやく私に慣れてくれたようです」 「何よりである」  側仕えの三人も、待ちかねたフォールの来訪を喜び、ラヴィソンはちゃんと自分の務めを果たしたけれど、それ以外はずっとフォールを傍から離さなかった。フォールにその感覚はなく、自分はラヴィソンの声がすぐに聞こえる場所に控えているのが当たり前だったし、そのために来ているのだから、二人は自然とそのように一日を過ごした。  その後フォールはきちんと休みを取るようになり、その度にラヴィソンの元を訪れる。側仕えから、予定を先に教えてはもらえないか、食事の支度もあるからと言われて、職場から出勤表が出たら同じ物をもう一枚もらって、それをゼンに渡すようになった。彼らはそれを元にラヴィソンの来客の予定を割り振り、ラヴィソン本人も友人からの来意に対して、フォールの予定を確認してから返事をするようになった。だから、フォールが屋敷を訪れる日は、五人はまったく気兼ねなくゆっくりと過ごすことができた。  時々、非番が変更になることがあって、そういう時はラヴィソンも側仕えたちも気落ちした日を過ごすことになる。  ◆  第一隊には、臨時配属で全国からいろんな人間が集まってくる。ある日、覚えのある声がフォールを呼んだ。なんと、ラヴィソンとの旅で訪れたあの家の兄弟、ルイとルカだった。相変わらず、兄であるルイの方が子供のような笑顔でフォールにぶつかってくる。弟のルカは、そんな兄を肩を竦めて見ている。 「久しぶり!フォールにまた会えてよかった!元気!?」 「ああ。お前たちも元気そうだな。ここで働くのか?」 「そう!首都初めて!いえーい!」 「フォール、ラヴィソンは元気?」 「ああ、お元気でいらっしゃる。お前たちが首都にきたこと、伝えておくよ」 「ラブちゃん、また会えるかな?」 「その呼び方を改めればな」  若い二人はとても優秀らしく、なおかつ兄弟で軍人なのは珍しいから、第一隊の中であっという間に打ち解けていった。  やがてテナシテが、馬の扱いが苦手な隊員を連れてきて、ちょっと頼む、とだけ言ってフォールに訓練させた。その様子の一部始終を口を挟まずに見ていて、隊員はわずかな時間で苦手を克服し、テナシテは翌日から定期的にフォールを騎馬訓練に呼ぶようになった。厩舎の同僚は別に構わないよと言ってくれて、さらに水軍の時と同様に、フォール自身が第一隊の基礎訓練に参加させてもらえるようになるのに時間はかからなかった。  そうやって、フォールは新しい場所に馴染んでいった。  そうすると、フォールに近づいてくる人間も出てきた。  色恋沙汰にまったく関心のないフォールにとって、この国の人間がよく口にする愛という概念がピンとこなかったし、それを求められても困惑するだけだった。誤魔化すことなくそのように伝えるのだけれど、相手の希望は結局、フォールと褥を共にしたいということに集約されるから、適当な言葉を並べる。フォールはこだわりがなさすぎて、強く望まれれば不都合がない限り性的な交渉を了承するので、相手としては満足を得られる。  フォールに貞操概念が欠落しているわけではない。祖国では自由恋愛はごく一部の都会の富裕層で行われることで、ほとんどは村の中で見合いをし、幼馴染と結婚して家庭を持つのが普通だ。そこにもちろん愛情はある。だけれど、運命の相手を求めて彷徨うなんてことは考えもしないことだし、大抵はその村の中で生涯を終えるから、こんなものかと疑いもしない。それが当たり前だから同性愛は奇異な関係だと認識されていた。フォールにとって祖国はすでに遠く村を出て長く、幼馴染を娶ることはもうないだろうと思っているから、結婚は頭になく、従って誰かと睦まじい関係を結ぶということも全く考えなかった。  さらに、フォールの所属した騎士団という集団の悪習が影響している。その成り立ちゆえに、貴族が多いのだけれど、彼らは庶民とは違う事情で自由恋愛の末に結婚などという道は選ばない。その代わり、庶民を性的に隷属させることにためらいがなく、それは団内でも同様だった。  フォールはよく、彼らに誘われた。慰めろ、と、上官にも同僚にも呼ばれた。最初はまったく理解できずに断り続けていたけれど、ある日、諦めた。こいつらは平民のことなんかまったく考えていない。もちろん国の現状など憂いてもいない。その証拠に、例えば新しい下着や、従軍中の一人用の天幕や、面倒な任務の免除など、彼らにとってなんの負担もないものを提示して迫ってくるのだ。慰めろと。平民出身の同僚はそれら欲しさにその誘いに乗っていった。つまりフォールでなくてもよかったのだろう。しかし、見た目がよく若い方が好まれることは当然で、フォールはまさにそういう男に該当した。度重なる誘いを断ることも、断ることで罵られたり面倒ごとを押し付けられることも煩わしかった。だからある日、諦めたのだ。  女役をやらされるのかと思ったけれど、意外にも誘ってくる貴族のほとんどは自らの尻を差し出した。フォールの初体験は従軍中の天幕の中。指揮官に呼ばれて、彼の細かい指示に従う形で行われた。  彼らはとにかく、苦痛を嫌う。当たり前といえば当たり前だ。痛い思いをするために行為に及ぶわけではないし、出せば気がすむのであれば尻など弄らせない。どこかで覚えた肛門性交の強い快楽を再び得たいと、ただそのために平民を呼ぶのだ。だから、フォールが買えないような高い香油を惜しみなく使わせて、しっかりと準備をさせ、そしてフォールの性器を無理やり勃起させて跨る。自分のいいように動き、自分が満足すればそれでおしまい。また、陰茎につけて精液を受け止める道具も簡単に手に入らない状況で、平民には先に射精する自由もなく我慢を強いられ続ける。自分は思う存分楽しみたいけれど、平民の精液を腹の中で受け止めるなど嫌なのだ。我慢に失敗すれば理不尽なほどに詰られるらしい。フォールは幸い、こういう行為で得られる快感は少なかったから、意に反して極まってしまうということはなかったけれど、性的興奮をほとんど感じがないがゆえに放っておいても勃たないものをさっさと勃たせろと叱咤され、挙句に大した快感もないままに行為が終わるのでは割りに合わないと考えるようになり、自分も多少は満足できるように工夫するようになった。要領よくことを運ぶコツを覚えたのだ。  そんな繰り返しで、貴族連中を不本意ながら喜ばせていたら、自覚なく性技が身についていた。それがまさか異国の職場で同僚に重宝されるとは思っていなかった。人生、何が役に立つかわからないものだ。 「なあフォール……今晩、俺と愛を交わさないか?」 「悪いが、愛とかいうのがよくわからないから」 「ああ、じゃあ、教えてやるよ、な?だから……いいだろう?」  難しいことを言うのだなと、フォールは最初不思議に思ったけれど、この国では愛という感情なしに性行為に及ぶのは恥ずべきことらしい。水軍にいた時もそうだった。彼らはこういうやり取りをすっ飛ばしては絶対に身体を重ねないのだ。それは男女であっても同じことだった。だから、そういうものかと受け入れた。フォールは正直にわからないと伝えているので、合意の上なら問題はないだろう。それに、いくら性欲が強い方ではないとはいえ、そういうことをするのが色々と発散に繋がるのは確かで、ありがたいときもある。 「あ……!ああ……!も、おねが……いれ、て……!」  屈強な身体をくねらせながら、ただひたすらフォールの性器を挿入してほしいと懇願する同僚の手を、軽く押さえつけながらも動きを止めない。  いつも通り、きっちり解して、その間に二回も絶頂させれば相手は八割がたの満足を得て、挿入しても程々の締め付けでちょうどいい。フォールの通常の手順だ。相手に余裕があれば、自分の陰茎を触ってもらって勃起させるし、余裕がなさそうであれば自分でどうにかする。性行為の経験を重ねるにつれて、相手が男であれ女であれそれに伴う快感を知ったから、勃起自体は難しくない。  どうやら今夜の相手は、快感への耐性があるようで、フォールに尻を弄られてさっき射精し、もう一度の絶頂を促されているにもかかわらず、嬉々として体勢を変え、フォールの股ぐらに顔を埋めようとする。フォールはそのようにしてもらいながらも相手を追い詰め、早々に二度目の射精をさせて指を抜いた。 「上がいいか?」 「う、後ろから、がいい……」 「ああ」  隊員の希望通り、四つん這いになった彼の真後ろから挿入する。奥の方まで塗り込められた潤滑油とちょうどいい脱力。最初だけ少し加減すれば、あとは割と好きに動いてもお互いが気持ちよくなれる。気遣いが上手くないと自覚があるから、フォールはこの段取りを踏むことを結構重視している。相手に望まれたこととはいえ、苦痛を与えるのは本意ではない。怪我でもさせればそれこそ大変だ。いくら頑丈な軍人であっても、こういう場所は鍛えられないものなのだから。  フォールにとっての性行為は、相手に望まれたり強要されたりして、まあいいかと行うものだ。感情的な衝動は伴わず、だから相手を屈服させたいとか喜ばせたいとかいう気持ちもほとんどない。膣穴なり尻孔に陰茎を挿入して出し入れすれば得られる快感は同じだから、体位は相手の好きに合わせる。相手も自分も、性的な満足を要領良く得られるようにと段取りを踏み、双方が望んだ結果をほどほどに手に入れる。そういうものだった。 「あ、あ!ああ!いく、いく……!」 「く……俺もだ」 「フォール、中、に」 「いいのか?」 「頼むからっ、中、注いで……!」  後始末が面倒ではないのだろうか。それ以上の快楽が得られるのだろうか。フォールは少し不思議に思いながらも、そりゃあ最後の一滴まで中で出した方がこちらは気持ちがいいのだから、遠慮なくそうさせてもらう。汗が流れる。自分の射精を終えて満足を得る。  乱れた息を整えつつ、寝台に沈むようにして小さい痙攣を繰り返す背中を手のひらで軽く撫でてやりながら、まだ陰茎がかたいうちにもう数回、腰を動かして奥を突くと、声というより呻きだろうか、喉がつぶれるような悲鳴を上げて、隊員の尻がブルブル震えだす。太ももやふくらはぎも細かく震えている。フォールはそれが治まるまで、性器を抜かずにおいた。 「あぁ……もう、すごいな……」 「大丈夫か?腹」 「もうそんなの、どうでもいいよ……よすぎてやばかったし……」 「起きられるか?もう遅い時間だ」 「フォール……俺たち、すごく相性がいいと思わないか?」 「すまんが、よくわからない」  半分気を失ったように呆けていた男が、ようやく我に返ったらしい。頬を赤くして、汗に濡れた髪をかき上げ、指先で先ほどからフォールの肌を辿っている。  たまらない快感だった。そう、多分今までで一番。無理やり挿入したりせず、前戯で蕩かされて、欲しくて欲しくて死にそうになって、ようやく挿れられたのは逞しくて反り返るかたいもの。彼の精液を腹の奥で受け止めるまでに、一体何度絶頂したのかわからない。最高に気持ちよかった。またぜひ、そう考えるのは当然だった。  しかしフォールにとってはいつもと変わらない性行為で、特別相性の良さを感じなかった。ありがたいほど気持ちよかったけれど、それ以上ではない。 「なあ、また、誘ってもいいか?」 「そうだな。機会があれば」 「なあ……頼むよ……俺のこと、嫌いか?」 「本当に、そういうことがよくわからないんだ」  身体を半分起こして、寝台に腰掛けるフォールの肩に口づけを落としつつ、隊員は次の約束を欲しがった。フォールは苦笑いするしかない。本当に、よくわからないのだから。  少し乱れた髪を結びなおし、あっけない程今宵の終わりを告げる。そんなフォールの情の薄さに、腹が立つ。気持ちよかったんじゃないのか?他にいい人がいないなら、自分を特別扱いしてくれてもいいじゃないか。だけど、それを口にすれば多分、この男は逃げていくんだろう。 「今度誘ったとき、時間があったら、またしてくれる?」 「ん?ああ、そうだな」  服を着て靴を履き、ついさっきの情事などなかったかのような表情。いや、多少はすっきりして見えるから、間違いなく満足したはずだ。なのに、つれない。  寝台に寝そべって、まだぐずぐずしている隊員を他所に、フォールはあっけなく帰って行った。  節度を守って熱心に誘えば、フォールの承諾を得ることは不可能ではない。本人に熱意や愛の持ち合わせはないようだけれど、身体を重ねる行為においてはとても丁寧で優しくて、まさしく昇天させられる。そんなこんなで第一隊の人間の多くは、フォールに夢中になった。  程よい年齢と、朴訥で実直な態度は、本当はあまり何も考えていないだけのことが多いのになぜか包容力があって落ち着いていて穏やかで……という評価になる。  もちろん、フォールを性的に見ない人間もいて、そういう隊員にとっては、フォールは自分の想い人を奪っていく男だと認識されて、陰口を言われたりもする。手癖が悪いだの、女たらしだの、非情に不名誉で根拠のないものがほとんどだ。そんな話は本人には聞こえない。何故ならフォールと寝ると、二度目を期待する。だから、寝たことを周囲に隠す。なんとなく、言い触らせば次がないような気がするからだ。フォールも誰かと寝ることに思い入れがないからいちいち言わないし自慢もしないし、そもそもそういうさや当てのような会話の機微に気づかない。攻撃をするには、本当に甲斐も手ごたえもないので、今のところ大きな争いにはなっていない。  そして何より、フォールは非番の日に絶対に誘いに乗らない。寝るだけではなく、できればもっと仲良くなりたいという思惑は、叶えられることはない。  彼らの守る王宮の敷地の奥へ、足繁く通う。彼らはそれを、警備の立ち番であれば、止めることもできずに見送る。その背を、足取りを、見てしまえば、乞うて与えられた一晩の営みなど取るに足りないと悟るしかない。  フォールの首都での日々は、そうやって過ぎていく。

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