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第50話

 ラヴィソンが夜伽の時に横になると楽だと発見して以来、フォールは反省を深くした。  これは自分の怠慢だった。恐縮する気持ちが大きいあまり、夜伽の本来の意義を失念していたに等しい。夜伽は、気持ちよくなければ意味がないのだ。ラヴィソンの快楽を追及することにその価値がある。このような名誉な役目を仰せつかっておきながら、努力に欠けていた。ラヴィソンへの遠慮と配慮は必要だけれど、できる限り気持ちよくなってもらうために、趣向を凝らしたり試行錯誤するべきだった。  それ以降、フォールはラヴィソンの身体への負担を軽くすることと、自分の知るすべての方法を駆使してラヴィソンに快感を得てもらうために、色々と試すようになった。あまりにも不敬だろうと控えていた後背位も、色々な意味でラヴィソンのお気に入りになった。寝ていてくれれば口淫もやりやすい。初めて性器を咥えられたラヴィソンは、混乱のあまり中々射精に至らず、おかげで恐ろしいほどの快感に溺れた。性器がとけてしまうとさえ思った。フォールは自分のやり方が下手だからかとまた反省した。どんな体位でも、どうされてもラヴィソンは気持ちがよく、毎回新しい高みへ上っていくような状況だ。  最近では、フォールが部屋に姿を現しただけで、ラヴィソンは自分の心臓の動きが早まるのを知った。夜伽に溺れ、そのほかのことを疎かにしてはいけないと自戒しつつ、それでも、自分の変化を止められない。もうやめるべきだろうか?戸惑い口数の減る主に、フォールはどうかなさいましたかと、控えめに問う。 「……僕は怠惰ではなかろうか」 「そのようには、お見受けいたしませんが……」 「しかし、忙しいフォールを引き留めては夜伽を繰り返している。よいことではないように思う」 「恐れながら、私にとってラヴィソン様よりも大事なことはございませんので、忙しいなどありえないことでございます」 「以前よりも頻度も増しているし、フォールの負担が大きかろうと、理解しているのに、請うてしまうのだ」 「ラヴィソン様におかれましては、おこころのままに行動なさるのがよろしいように存じます。そのお手伝いをお命じいただけるのであれば、私にとってこれほど誇らしいことはございません」 「うむ……」 「……健康な青年であれば、性的な欲求や衝動は日常的によくあることでございます。怠惰であるとかふしだらであるとか、そういったことには当たらないことでございます」 「普通、ということだろうか、平民として」 「は。身分の差はわかりかねますが、決しておかしなことではないと、謹んでお伝え申し上げたく思います」  性的に奔放で、本当に快楽に溺れている人間の行動はこんなものではない。確かにラヴィソンは初めて性行為を知り、今は目新しい刺激を求めているかもしれないけれど、全く常識の範囲内であるし、行為そのものも激しいものではない。快楽に耐性がないのか免疫がないのか、フォールのささやかな愛撫でもよろこんでくれて、それで一応の満足を得てくれている。身体と身体をぶつけあい、体液にまみれて貪りあうような淫靡な行為を延々と続けるわけでもない。本当に、多分淡白な方だと思う。だから、そんな心配など要らないのだ。  ラヴィソンはまだ揺れていた。フォールとのまぐわいは本当に気持ちがよくて満たされるもので、いつかこの湧き上がる欲望は手が付けられなくなるほどに昂進してしまわないだろうかと、少し不安になる。心配そうに自分を見つめる緑の目に励まされるように、ラヴィソンは思い切って心情を吐露した。 「最中は、あまりの快楽に、このままでは気がふれてしまうのではあるまいかと思うこともあるが、いかがか」 「ご心配には及ばないかと存じます。おかしな薬や道具を使っているならいざ知らず、真っ当なまぐわいにおいて、そのようなことはあまり考えられません」 「……」 「お控えになることも一手でございましょう。しかし、先ほども申し上げましたが、ご心配なさるほどの頻度ではございません。本当に肉欲に溺れれば、誰彼構わず寝所に連れ込み、朝も昼も夜もなく耽るものと聞きます。ラヴィソン様におかれましてはそのような兆候もお見受けせず、何一つ、おかしなことはないと、僭越ながら断言いたします。無理に過度のお慎みはなされませんようにお願いを申し上げます」  ただでさえ、様々なことを奪われ我慢してきたのだ。フォールにしてみればこの程度のささやかな楽しみを、楽しんでくれていればいいのだけれど、それまでやめる必要はないように思った。身体にもよくないだろう。相手が自分であることを除けば、至極正常で真っ当な行いなのだ。羽目を外しているわけでもない。  ラヴィソンはフォールの言葉が頼もしく思えて、不安が軽くなった。 「フォールがそう言うのであれば、よい。それに僕はフォールだから寝所に呼ぶのであって、他の者に肌をさらすなど考えもしないことである」 「大変なご無礼を申しましたことを、何卒お許しください」 「構わぬ。今宵も夜伽を望むが、よいだろうか」 「精一杯つとめさせて戴きたく存じます」  ラヴィソンはほっと胸をなでおろして、こくりと一つ頷いた。フォールも、何とも清廉な心持のお方であることだと感服して頷き返す。こんな赤裸々なやり取りを聞かされてしまった側仕えたちはもう、すべての感情を押し殺すしかなかった。お願い、食堂でご飯食べながらそんな話しないで。  ◆  ラヴィソンが、横になる体勢の次に楽なのは、フォールと向かい合わせになって太ももに跨り、逞しいその肩に身体を預ける体勢だ。こうしていると背中にも腕が回るから身体の大半がフォールに触れていて、あたたかくて安心できるし、より深いところまで入ってくる感じがしてたまらなくなる。ぐったりと頬をフォールの首元に寄せていると、時々遠慮がちに身体を離されて、顔を覗き込まれる。どんな時でも、失礼いたしますと声を掛けてから。フォールがラヴィソンの顔を見るのは、塩梅を確かめるためだ。  ゆらりと身体を起こし、深い息を吐いて、ラヴィソンもフォールを見て、どこも辛くないと、そう伝える。フォールは安堵して頷く。薄闇の中、近くに点された灯りでラヴィソンの口元がわずかに光った。悩まし気に薄く開いた唇の端が濡れている。フォールはそっと、自分の親指の腹をあてがって、とろりと落ちそうな唾液を拭う。何もかもきれいなんだな。甘い花の香りのする寝所で、美しい青年とまぐわいながら、フォールはそう考えた。  ラヴィソンは穏やかで気持ちいい行為にぼんやりとしていて、不意に唇に触れたぬくもりが心地よくて、無意識にもう少し口を開き、その柔らかい唇でフォールの親指の先をゆるゆると挟んだ。緩慢に、はむ、はむ、と感触を確かめ、深く考えずに、口の中に入れる。フォールは少し驚いたけれど、されるがままにしていたら、ラヴィソンの舌がちらりと指を舐めた。その途端に、繋がっているところがきゅう、と締まる。長いまばたきを繰り返しながら、ラヴィソンは口の中でフォールの指を舐め、そのたびに後孔が締まるのだ。  口の中が、気持ちいいのか。  ラヴィソンの快楽のために何でもすると決めているフォールは、そっと自分の指を抜いて、もう一度失礼いたしますと囁くと、ラヴィソンの小さな口を自分の口でふさぎ、彼の舌に自分の舌を絡めた。ラヴィソンははっきりしない頭で、フォールの顔が近すぎて見えないこと、口の中が気持ちよくてさらにぼんやりしつつあること、舌を舐められ、口の中を探られるたびに、繋がったところが勝手に柔らかくなったり締まったりして、とろとろと熱を帯びていっていることなどを感じていた。これはいい。気持ちいい。でも、息ができない。少し苦しくなってどうしたものかと考えていたら、頬にフォールの息がかかった。ああ、鼻か。そうだ、鼻だ。ラヴィソンは慣れないながらも鼻をピクピクさせて呼吸を確保する。息を吸うためであっても、これをやめたくなかった。目を開いていてもフォールが見えないからそっと瞼を閉じて、手探りでフォールの夜着の首元を掴む。フォールは、腰をゆるゆると動かしつつ、ラヴィソンの陰茎を撫でて、今宵何度目かの満足を差し出そうとつとめた。口づけながらの絶頂が初めてだったラヴィソンは、また新しい快楽を覚えてしまったと考え、だけれど、非常に満足して、今後は忘れずにこれをしてもらうことにしようと思った。  少し苦しいけれど、口と口を合わせるのは、なんだか特別な行為に思えたからだ。そう言えば、ルイたちがそのようなことを言っていたかもしれない。自分にとって、フォールは確かに特別だ。かけがえのない男で、傍にいてくれればそれだけで安心するし、いないときは寂しく思う。ラヴィソンは寝台に横になりつつ、フォールを眺める。大きな男は、甲斐甲斐しくラヴィソンの肌についた精液を懐紙で拭っている。今宵はもう終いだろうか。 「フォール」 「は」 「……もう一度」 「は」  ラヴィソンがそんなことを言ったのは初めてだ。フォールは言わなくてもラヴィソンが骨の髄まで満足するほど熱心に励んでくれる。もちろん今宵もそうだった。だけれど、そう、確かめたいような気分だったのだ。フォールが、特別な存在だと。  フォールは請われるままに、ラヴィソンをまっすぐに寝かせると、香油を手に取って自分に塗り付け、失礼いたしますと断ってから身体を繋げた。何か不十分だっただろうか。努力が足りなかっただろうか。小さく腰を動かしながら反省しつつ、乳首や口の中以外にもどこかいい場所はないかとあちこちを擦ったり舐めたりしてみる。ラヴィソンはそもそも満足していたから、フォールの新しい試みにはただただ翻弄されるばかりで声を上げるしかできない。  そうやって、密やかで穏やかなまぐわいに励んでいたら、外で物音がした。習い性で、フォールは動きはそのままにその原因を探ろうと音のしたほうへ意識を向ける。人の気配はない。危険はなさそうだが、あとで確認しておこう。  そう思っていたら、可憐な手が、するりとフォールの両耳を覆った。 「今は、僕のことだけを」  フォールは驚いた。目が覚めたような気分だった。  自分はいつもこの美しい青年のことしか考えていないつもりだ。ましてやこうしてそばにいる時は。しかしラヴィソン本人にはそのように受け取られていないのだろうか?なんという失態だろうか。 「ラヴィソン様」 「なにか」  及ばずながら、私はいつもあなたのことを考えています。  そう伝えようとして、フォールはまた疑心を持つ。  ラヴィソンに不自由がないように。望まれればなんでもできるように。心身が健やかでいられるように。そうやって精一杯こころを砕いているつもりだ。今この夜伽だって、ラヴィソンが気持ちいいことを最優先に務めている。  務めている?いや違う。俺は自分がしたくてこうしているのだ。ラヴィソン様の役に立てるのであればどんな御下命であっても喜んで。それは護衛任務も湯浴みの手伝いも散歩の随行も────いや、それらと同じなのか、この行為は。フォールは思いのほか混乱した。 「ラヴィソン様」 「なにか」  艶やかな肌をうっすらと染めて、自分の身体を使った奉仕を受け取ってくれる主は、本当に美しい。この青年のことを考えずにいられる時間は長くはない。だけどそれは、もしかしたらうわべだけのことだったのだろうか?彼が本当に何を求めていて何を考えているか、そこまで深慮したことがあっただろうか?わからない。自信がなくなる。しかし、であれば今すぐにでも改めるべきだろうことは察せられた。 「ラヴィソン様」 「なにか」  フォールは不躾なほどしみじみと、ラヴィソンの美しい目を覗き込む。この人のことを考えるとは、この人のことだけしか見ないとは、どういうことなんだろう。自分はどういうつもりで彼に忠誠を捧げているのか。今こうして身体を繋げていて、それは確実に快楽を差し出せているとは思うけれど、美しい主はいつも足りないと思っておられたのかもしれない。 「ラヴィソン様」 「フォールは」 「は」 「いたずらに僕の名を呼んでおるのか」 「い、いえ、申し訳な」 「かまわぬ。自分の名を、フォールの声で聴くのは心地よい。それに僕も、なんという意味もなくフォールの名を呼びたくなることもある」  そう言って、ラヴィソンは快楽の色の滲む甘い吐息を吐き、微笑んだ。なんと綺麗な笑顔なんだろうか。思わず、引き寄せられるようにそのなめらかな頬に指先で触れてしまう。フォールの行動を嗜めることもせず、ラヴィソンは軽く目を伏せて、大きく無骨な手の甲に自分の手のひらを重ねた。後押しされるように、ラヴィソンの小さな顔の半分を、フォールは手の中におさめてしまう。 「フォール」  この青年の声には、濃くて清らかな呪いを含んでいるのではないだろうか。名を呼ばれれば、命を捧げてしまいたくなる。  フォールは恐ろしくなった。自分の命と引き換えにしても足りないほどの価値を持つこの青年を、そのすべてを、ほんのひと時で構わないから味わいたいと、こころのどこかで望んではいないだろうか。なんて危険な思想。それを実行して、後戻りできる自信は?自分のためではなく、彼のために行動するという矜持を取り戻せるのか?私欲に負けたその一瞬から、その底深い官能から、囚われず逃げられるのか?  この気高い青年は、自分の卑しさを許してくださるのか。  いや、そもそも、そんなことはあり得ない。自分は元騎士で、彼は元王族。主従は壊れることなく、今この瞬間まで、彼を従うべき大切な人としてしか考えたことはない。これからも、そうであり続ける。  おもむろにラヴィソンの頬から手を離しながら、フォールが申し訳なさそうに目を細める。 「……外で、物音がしたように思いました。ですが、多分問題はないかと存じます。後程確認いたします」 「さようか」 「気が逸れてしまったようで、大変失礼いたしました。続けても、よろしゅうございますか」 「うむ」  大丈夫だ。俺は自分の分を、逸脱したりはしない。この人を守りたいという思いは、すべてに勝る。夜伽など、主の身体を暴く行為など、本来自分に許されることではない。だけど、そう命じてくれたから。だからといって自分の満足のために貪るようなことはしない。これは、夜伽なのだから。  フォールがいつも以上に寡黙に、熱心に行為に励むので、ラヴィソンは快楽に溺れてしまう。白くなる頭の中で、先ほどのやり取りを思い出す。フォールの気持ちが自分から離れているのを察した途端、知らない感情が一瞬芽生えた。フォールはいつも自分を優先してくれているから、これ以上求めてはいけないと承知しているのに、胸が痛いような気がした。やっぱりフォールは特別なのだ。どこかへ行かれては、困る。そばにいてくれれば安心できる。だけど、それを言ってはいけないのも、わかっている。  ラヴィソンは、ギュッとフォールの首に掴まる。それが起き上がりたいという意思表示だとフォールは知っているので、背中に腕を回してゆっくりと寝台から抱き起こし、自分も座りつつ美しい青年を自分に跨らせた。この体勢だと、ラヴィソンの目線が高くなるからフォールも安心できる。眉間に寄っていた皺が、薄くなる。珍しく乱れた白金の髪を、ラヴィソンがそっと払う。  この感情は、多分よくない。  フォールは優秀で、なんでもできて、誰にでも好かれて優しい。こうして過ごす時間があることに、感謝しなければいけない。これで十分なはずだ。  だけど。  フォールがまた失礼いたしますと呟いて、口の中を舐めてくれる。あたたかくて気持ちがいい。まだ息が苦しいけれど、さっきと同じく、特別感に満たされていく。フォールが離れていけば惜しい気持がする。引き止めたい。口づけがほどかれても自分の考えがまとまらないのは、一晩中受け取り続けている肉体的快楽のせいかもしれない。何度も神経が焼き切れるような絶頂をみた。口の中さえ気持ちいいのだと知らされ、きっと自分以上に自分のことを知るのはフォールなのだと確信している。誰も代わりになどなれない。  身体が、勝手に動いていた。ラヴィソンは自分の腰を支えるフォールの両手に両手を添え、背を丸めるようにしてフォールに顔を近づけ、その頬に自分の頬を当てる。目を閉じて、気持ちを込めて。  ほんのり汗ばんだ、柔らかくなめらかな頬が、そっと押し付けられる。ただそれだけだった。青年のその行動の意味もわからず、不思議に思った次の瞬間、フォールの身体は突然、勝手に急激に高みへ駆けのぼり始めた。下半身は全く動いていないというのに。 「え…………」  やばい、と思った。だけれど、焦ったところでどうしようもなかった。まさか美しい主を放り投げるわけにもいかない。突然こみ上げた猛烈な射精感を、堪えることもできない。そんなことは初めてだった。 「どうお詫び申し上げればいいか……!!!」 「構わぬと、申していた。なぜそこまで詫びる必要があるのか僕にはわからぬことである」 「しかし……っ」  まさかの中出し。しかも予想外。こんなことは初めてだ。出されたラヴィソンももちろん驚きはしたけれど、極まれば出るものだと知っているので、フォールがそうなったのだとただそれだけだった。密やかな意思表示の直後だったから、偶然とはいえなんだか面はゆくもあったけれど。  フォールはほとんど泣きそうになりながら、ラヴィソンを問答無用で抱えて湯殿に走り、謝罪を口にしながら念入りに洗浄を繰り返す。 「フォールは、僕の中で射精するのが嫌だったのだろうか」 「いいえっ!ただただ、なんだか、汚してしまったような気がして、実際汚してしまいまして、申し訳なさにどうしていいのかっ!本当に申し訳」 「なんだか、よい気分である」 「……は」 「フォールはあまり慌てたりしないように思うので、新鮮なことだ。それに、世にも珍しいフォールの射精を体験できた。……悪くない思いがした」  もっと直接的に、腹の奥に熱を放たれて本気で昇天しそうだったと言いたかったけれど、フォールの顔面が崩壊寸前だったので控えた。自分の気持ちすべてを口にするのは難しい。だけれど、少しだけ伝わったような気がして、本日はいつも以上に満足した。

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