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第10話

 多岐の送り迎えももう何日目だろうか。交際が始まってからしばらく、いつも通り、多岐の使う車に便乗してミハナの店に向かっていた。今日は雨が降るらしいという話をしていたら車内にある受取箱が薄く光り、手紙が届いたことを知らせる。町中にある汎用の受取箱はこういう設定にはなっていないのだけれど、自宅や特定の個人しか使わない受取箱については、自分宛の手紙が届けば知らせるようにできる。多岐は仕事関連の連絡の取りこぼしがないようにと、車の中の受取箱にお知らせの設定を付している。ミハナとの会話を続けながら手紙を取り出し、中に目を通したとたんに、珍しく声を上げた。     「へぇ」   「え?どうかしましたか」   「ん?いや……クマからの手紙だ。少し話すか」      車内にある数少ない装置に指を触れ、そうしたら間を置かずにオオクマの野太い声が聞こえた。ミハナが思わずウフフと笑ってしまうくらい、クマらしい声。     「あ?ミハナもそこにいるのか」   「はい、います。おはようございます。聞いていても、かまいませんか」   「おはよう。君の話だ。待たせたが、犯人の影を踏んだ」   「影を、踏む?」   「手掛かりを掴んで逮捕できそうだということだ」   「あ、はい。え!すごい!!」   「おう、いいぞ、もっと褒めてくれ」   「それがお前の仕事だろうが」   「多岐はわかってねぇな、いいか、人ってのは」   「それで」      多岐が話の先を促す。ミハナの与り知らないところで、オオクマは罠を張ったらしい。宣言していた通り、珠の進の名を餌にしたのだ。まことしやかに、最近裏で出回っている不思議な蝋燭に、あの孔雀屋の珠の進が興味を示しているらしい、と。そもそもその蝋燭は珠の進の名前のおかげで売れていたのだけれど、話が錯綜するのはよくあることだ。最初は他愛ない、取るに足りない誰かのつぶやきのようなその噂話はするすると闇に溶けてゆき、浸み渡り、届くべき悪党の耳にまで届いた。そして、その悪党どもも下手に動くことはせず、巡り巡って、珠の進を座敷に呼べる太客が昨晩持参した。やあ、珠の進、お前、これが欲しいらしいね、かわいいお前のために見繕ってきたよ、と。     「まさか使ったんじゃないですよね」   「どうかな」   「はぁ!?お珠さんに何かあったらどうしてくれるんですか!」   「多岐に始末されるな」   「旦那より先に俺がやっつけますから!!」   「勇ましいなぁ、ミハナ」   「おい、クマ」   「心配すんな。先にちゃんとそれらしい偽物を渡しておいたから、それとすり替えて遊んだらしい」      事前に、いつかきっとどこからか、妙な蝋燭が手に入るだろうから、これとすり替えて保管しておいてくれ。そのような手紙とともに警察から偽物が珠の進のところへ届けられていた。多岐や見世の親父からも説明があったので、いざ昨晩そのようなことが起きた時、珠の進はそれを受け取りながら不思議そうに、あら、誰から聞いたのです?珠はそんなこと、言っておりませんのに。そう言って緩く笑った。客はその蝋燭の正体を知らず、ただ出入りの行商が、これは内緒ですが、あの伝説の珠の進が欲しがっている幻の蝋燭ですよとかなんとかと売り込んできたのを、もちろん真に受けず、説明もろくに聞かず、ああそうかい、置いて行っておくれと鷹揚に買っただけのことだ。話のネタにでもなればいいと、それ以上のことはない。そもそも、コトにはあの珠の進が、あの珠の進がと謳い文句にしての商売は散見される。もしもこの蝋燭に、本当に珠の進が興味を持ち、この客が行商にもう一度求めることがあればそれはしめたものだ。悪人たちはそう目論んだけれど、そうはいかなかった。客は美しい珠の進を眺めて、そうかいそうかいまがい物かいと楽しそうに笑って美味い酒を飲んだ。客にとって、その蝋燭がどうであろうとどうでもいいのだ。珠の進は見えないところで件の蝋燭を懐紙で包んで偽物とすり替えて火を灯し、でも綺麗な蝋燭でございますねと、綺麗な顔で微笑んだ。     「オオクマさんは、悪ふざけが過ぎるように思いますっ」   「やあ、ミハナにそう言われちゃ、俺も反省するしかないな」   「そうです!反省してください!」   「クマ。それで、どうするんだ」   「もちろん、色々調べるさ。まずは蝋燭を孔雀屋に取りに行かなきゃならねぇな」   「落ち合うか」   「んー。ま、そうだな。お前がいれば、俺も珠の進に会えるんだろう?こりゃ役得だねぇ」      話を終えるころには、車はミハナの店の前に着いた。ミハナはじっと多岐を見つめ、言葉を待った。     「夕方迎えに来る。そのあと、孔雀屋へ行こう」   「はい」   「君や珠のの名を騙り悪事を働くやつらの命運も尽きる」   「警察が、捕まえてくれるんですよね」   「そうだろうな。そのあたりはクマの采配だから、俺は手も口も出せんが」   「お珠さんが、無事でよかったです」   「そうだな。君も、無事でよかった」   「俺は、旦那がいてくれたので」   「そうだな。よかった」   「はい。よかったです」      この人が守ってくれた。店から包み紙が盗み出されたと発覚して以降、ミハナの周辺におかしなことは起きなかった。それは、初日にオオクマと多岐がミハナの自宅と店に来てくれて、その後は多岐が保護し続けてくれたからだ。そういう援護がなければ、もしかしたらミハナは拐かされていたのかもしれない。無事でよかったと、二人はお互いに思っていた。   ◆   その日の昼過ぎには、予報通り雨が降り始めた。しとしとざあざあ。間断なく、強く弱く。客足はまばらで、表は静かで、ミハナはゆっくりと仕事に打ち込むことができた。じっと手元を見つめていれば、やはりこの度の騒動のことが頭をよぎる。しかし、不安はない。警察は確かに動いてくれていて、オオクマという男はミハナに報告をくれた。珠の進は無事だったし、うまく証拠の品を入手してくれた。これから先どうなるかはわからないけれど、自分には多岐がいる。犯人はみんな捕まるだろうか。それだけが気がかりだったけれど、考えても仕方のないことだ。いつもより早く日の暮れた薄暗い初冬の夕方、金の髪と金の瞳を持つ男が迎えに来てくれた。    二人が車で孔雀屋に着いた時、オオクマはまだ来ていなかった。オオクマもいることだから、住居棟ではなく見世の珠の進の部屋で夕食でも食べながら事の顛末を確認し合うということになった。珠の進はなんとなく話を聞いているにせよ詳細は知らされていないし、多岐もミハナも仕事帰りで空腹だ。前回同様、布団を敷かない方の部屋に食卓と椅子が運び込まれ、大勢の人がお盆を手に出入りして四人分の夕食の準備をしてくれている。     「お珠さん!」   「ミハナ、いらっしゃい」   「お珠さんが無事でよかったです」   「僕じゃなくて、君だろう、危なっかしかったのは」   「そうですけども」   「僕らのことは多岐がどうにかしてくれるから、いい子にしていれば大丈夫だよ」   「はい!」   「そうだ。俺のためだと思って二人とも、いい子にしていてくれ」      苦い顔で言う多岐を尻目に、久々に顔を合わせたミハナと珠の進は楽しそうだ。警察の人が事情を話しに来るということもあって、珠の進は仕事着とまではいかずとも、それを迎えるために十分に華やかな装いで、髪もきちんと整えていた。それはそれはもう、うっとりするほどの美丈夫だ。     「お珠さんは、本当に綺麗ですね」   「そうだね。みんなに寄ってたかって飾ってもらったしね。綺麗だよ」   「着物がなくとも綺麗です」   「そりゃそうだよ、身体が資本の商売だからね、脱いだって綺麗だよ」   「なんか、ちょっと、違う気が」   「そう?まあ僕は、綺麗なのが売りだから」   「天下の珠の進、ですもんね。でもねぇ、本当に、普段のお珠さんも素敵です」   「ありがとう。そういうのはねぇ、ミハナしか知らないからね」   「やったー!」      子供のような会話を交わす二人は、本当に憎めないし憎む必要がないし、かわいくて仕方がない多岐だ。見目の美醜など些末なことではあるが、珠の進が美しいのは生まれ持ってのことだし、ミハナの性根が美しいのは彼の美徳。ミハナは顔も結構かわいい。多岐にとっては。そんなこんなで、三人各々がニコニコしていたら、人の出入りのために開いていた襖の影からすずらんが顔を見せた。見世の部屋にまで上がって来るのは珍しい。ミハナがびっくりして駆け寄る。     「すずらんさん、どうしたの?」   「こんばんは、ミハナのお兄さん」 「こんばんは」   「すずらん、おはいり」   「はい、珠のお兄さん」   「ありがとう、お使い?」   「はい」      住居棟から見世にたまたまお茶葉をもらいに来ていたすずらんに、店の人が忙しさのあまり用事を頼んだらしい。お辞儀をして入ってきたすずらんの後ろには、相対していつもより大きく見えるオオクマが立っていた。     「珠のお兄さんに、お客さまでございます。けいさつの方で、おおくまさまとおっしゃいます」   「いやー、孔雀屋ってのはすごいな。案内もこんなにかわいい子がしてくれて」   「クマ、すずらんは禿だぞ。手を出せばどうなるかわかっているだろうな」   「馬鹿かお前は。俺だって、そういうのは弁えてる」   「お前は雑だから」   「雑だけど、禿に手など出さん。お菓子はやるがな。いいか?」   「ありがとうございます」      ちびっこいすずらんをかわいいと褒めただけで、ほんのり犯罪めいてしまうオオクマは損をしているのかもしれない。けん制し窘める多岐は、すずらんをかわいいなどと褒めたりはしないし、もしも褒めても手を出しそうなどとは思われない。多岐の人徳だろうか。オオクマはいわれのない犯罪者扱いを気にも留めず、小さなお菓子を手に、珠の進にお伺いを立てる。禿や新造は、見ず知らずの人間に食べ物はもちろん、何ももらうべきではない。遊びなれているのだろうか、オオクマは、そういう気づかいはできるらしい。珠の進がオオクマに礼を言い、すずらんに頷いて、ようやくすずらんは自分でオオクマを見上げてお礼を言い、お菓子を受け取って住居棟へ帰っていった。受け取ったものの、珠の進にもう一度会って、食べてもいいよと言われるまで、すずらんがそのお菓子を口にすることはない。オオクマは同じお菓子を、ミハナにもくれる。ミハナとしてはなかなか複雑だが、ありがたく頂戴した。     「遅かったじゃないか、クマ」   「ああ。雨が厄介でなぁ。お前は車だろう?少しは歩け」   「ああ、それは、お前の言うとおりだ。たまには歩かないとな」   「しかし今日はよく降るなぁ。上着が結構濡れてしまって」   「あちらへどうぞ。お召し物を用意させます」      珠の進がそう言うと、食事の支度をしていたのとは違う人がすいっと現れて、オオクマを別の部屋へ促す。妓楼というのはまったく摩訶不思議なところだ。オオクマはよく響く太い声で、やあ助かるぜとその人について部屋を出て行った。多岐は、つくづく騒がしい男だとその背中を見送る。 ◆ 「これが、その、蝋燭ですか」  食事をしながらということで集まったけれど、美味しい食事にはふさわしくない話題だからか、結局食後に座卓を囲んでお茶を飲んだり酒を飲んだりしながらの話し合いとなった。オオクマは孔雀屋が用意した浴衣で座布団に胡坐をかき、無精ひげの生えた顎を触りながら、畳の部屋ってのはいいなぁとくつろいだ様子だ。ミハナは、珠の進が入手し保管しておいた"悪い蝋燭"をじっと眺めている。表面の情報はすでに取って警察の分析に回したとかで、素手で触っても問題ないらしく、手のひらに載せてじっくりと。 「間近で見りゃ、ミハナの蝋燭とはえらい違いだな」  オオクマは様々用意されたつまみに舌鼓を打ちながら、熱燗を手酌でやっつけている。当たり前だ。珠の進の客ではないのだから、珠の進にお酌などさせられないし、させる気もない。オオクマは、そういうところは弁えている。ちなみに、多岐とミハナも酒を飲んでいて、珠の進だけがお茶だ。 「はい。全然違います。それから、多分、この蝋は市販品を溶かして固めなおしただけですね。それも適当に」  ミハナにも覚えがある。そうやって、新しいものを作る遊びは楽しいものだ。しかし今目の前にあるこの代物には腹立たしい思いしか涌かない。 「ミハナくん、あまり顔に近づけてはいけない。おかしな成分は、揮発しているかもしれないから」 「ミハナ、多岐の言うとおりだ。火がついていなくても油断するな」 「はい」  ミハナは素直にその"悪い蝋燭"を座卓に戻し、代わりにおちょこを摘まんでぱくりと酒を口に放り込む。時々多岐と一緒に酒を飲むこともあるけれど、孔雀屋で出されたこの酒はびっくりするほど美味しい。さすがだ。もちろんミハナも手酌で、過ごさないように気を付けつつ楽しんでいる。 「それで、クマ、もう目星はついているという話だったが」 「ああ。被害にあった人の話を聞いて、症状からある程度薬物を特定して、現場から残留成分が採取できたこともあったし、それでまあ、この薬物ならあいつらだろうなっていうのはある。ここに証拠品が手に入れられたから、その捜査の諸々を裏付けられるだろう。一気に進むさ」 「オオクマさん、この度はお珠さんのお手柄ですよね」 「ん?ああ、そうだな。捜査への協力感謝するよ、珠の進サン」 「恐れ入ります」  珠の進はまつ毛の陰を頬に落として目を伏せ、微笑みつつ会釈をした。ミハナは珠の進の功績が、我が事のように嬉しくてニコニコしながら何度も頷いている。多岐は長年の付き合いで、オオクマの口ぶりから今日か明日にでも犯人が捕まるのだと察して、安堵と共に酒を飲み込んだ。ようやく、"身の危険があるから"という前提を外して、ミハナといることができる。それは多分、とても意味のあることだろう。 「ねぇねぇ、お珠さん……」  ミハナは少し酔いが回って気分が良くて、静かに控えめにお茶を飲む珠の進に座布団ごと擦り寄って行って、うふうふと話しかけようとした。そんなミハナに、なんだい、と珠の進が顔を向ける。その瞬間に、ミハナの酔いは一気に醒めた。タン!と小気味いい音を立てて、ミハナは手にしていたおちょこを卓に置く。 「多岐の旦那!」 「な、なんだ?」 「帰りましょう!」 「え?」 「事件は間もなく解決、今日は二人で祝杯でもあげましょう、ささ、ね!」 「あ、ああ、しかし」 「いいから早くっ!テキパキとっ!」  この鈍感用心棒め!ミハナはそう言いたいのをぐっと堪え、多岐の太い腕を抱えて立ち上がらせると、またね、お珠さん!オオクマさん、よろしくお願いしますね!と手短に挨拶を済ませてバタバタと慌ただしく孔雀屋を後にした。 ◆ 「一体どうしたんだ。珠のに会うのを、君、楽しみにしていて、お泊りしようかとか言ってたじゃないか」 「いや、えっと……はい、今日は、多岐の旦那とゆっくり過ごそうかなって」 「……そうか」  ミハナから視線を逸らし、嬉しそうな顔をする多岐に、ミハナは少しだけ後ろめたい思いがした。確かに今夜は、珠の進がいいよと言ってくれたらまた孔雀屋でお泊り会をしようと思っていたのだ。多岐とのことを、ちゃんと話たいし、聞いて欲しいし、何より、珠の進と一緒にいるのが楽しい。でも、今夜はダメだ。もちろんミハナの勘違いかもしれないけど、珠の進のあの顔を見て、ピンときてしまった。彼は、多分、恋に落ちたんだ。ミハナには、手助けは出来ない。できることと言えば、二人きりにすることぐらいのものだ。オオクマは、珠の進の気持ちに気付いただろうか。 「腹は空いてない?酒は足りないかな?」 「あ、いえ、お酒も十分です。ちょっと、飲みすぎたかも」 「そうか。具合悪くはないか」 「はい。大丈夫です」 「雨も上がったようだ。歩いた方がいい?」 「ああ……車、大丈夫ですか?」 「放っておいてもいつものところに戻るよ」 「じゃあ、はい、散歩しながら帰りましょう」  ミハナは、恋をしているからわかる。好きな人が傍にいるだけで、他愛ない世間話をしているだけで、ただ笑っているだけで、すごくすごく嬉しくて楽しくて、どうしようもないくらい、胸が高鳴る。珠の進はさっき、そういう顔だった。 「オオクマさんかぁ」 「うん?寒くないか?クマがどうした?」 「大丈夫です。顔があっついから、夜風がちょうどいい。気持ちいいですね。雨上がりで、空気も綺麗な気がします」 「そうだな」 「オオクマさんと、多岐の旦那の付き合いは長いんですか?」 「ほどほどだな。ああいう性格だから、出逢った頃からあんな態度だが」 「ふふふ」  笑ったら、少し息が白かった。新しい季節が、始まりつつある。金の髪と金の目を持つ人と、一緒に迎える新しい季節が。寒くないかと何度も聞いてくれて、あたたかい手をつないでくれる人が、そばにいる季節。 「クマが気になるのか」 「やきもちですか?」 「……どうだろうか」 「どうですか」 「……かもしれんな」 「ふふ。やったね。オオクマさんは、事件を解決してくれたから、何かお礼をお届けしようと思って。好き嫌いとか、知ってます?」 「やったね、なのか」 「ですよ」 「……そうか」 「はい」  つないだ手を、少し大きく振ると、多岐は目を細めてミハナを見つめて、ギュッと握ってくれた。オオクマという男の素性などほとんど知らないけれど、いい人だといいなと、ミハナは思った。

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