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第20話
翌日、オオクマの手元に本当に孔雀屋から手紙が届いた。紋の入った正式な書面だ。お手本のような流麗な文字で、珠の進は何人が相手であっても身請け相当の扱いを受けざる立場であるとの見解が綴られている。彼が今までそうであったとのと変わらず、珠の進という男娼は出処進退を含めあらゆる決断を自らで行うことを誰にも妨げられないと。オオクマはその手紙を職場で読み終え、どうしたものかと息を吐いた。これはすなわち、すでに孔雀屋は珠の進の身請けを許すも許さないもなく、いくら金を積もうと孔雀屋の親父に取り入ろうと、すべては珠の進のこころもち一つということであり、珠の進がよいのならよいということだろう。じゃあ、どうすればいいんだ。金を用意して孔雀屋の許しを貰うほかに、どうすればあの男を真っ当に手元へ手繰り寄せられるのだ。正攻法でなければ意味がない。有耶無耶なやり方は、あの男に不似合いだと思うから。オオクマは淹れておいた茶を口に運びつつ、大量の新聞を手元に寄せる。毎日コトで発行されるすべての新聞に目を通しているのだが、その新聞各紙の見出しが全部「孔雀屋 珠の進引退へ」だったのを見てオオクマはお茶を噴いた。そしてどうにかこうにか仕事をやりくりをして時間を作り、孔雀屋に大急ぎで向かった。
「話が急すぎて全然ついていけねぇんだが」
「ごめんなさい。手紙を書けばよかったんだけど、日取りがあって急に話が進んでしまって」
「お前が引退するって新聞に」
「うん。僕は自分の意志で、孔雀屋を辞め、男娼を廃業し、引退するんだ」
「それは、でも」
「孔雀屋とも男娼という生業とも縁を切る僕が、誰とどこで何をしようが自由だと思う」
「……お前の自由は俺が用意してやりたかったし、そうすべきだと考えていたんだが」
「やだな、郁さん。僕は天下の珠の進だよ。誰かに自分の行く道を調えてもらうことなど望まないよ」
「……」
「すべては僕の意志なんだ。全部だよ。孔雀屋で働いたことも、孔雀屋を辞めることも、郁さんの傍にいることも」
「……」
「お仕事ほったらかして来たの?」
「そりゃお前、あんな新聞見て、そもそも孔雀屋の親父から手紙ももらったし、来ないわけには」
「まじめだなぁ。そういうとこ、ほんと好きだよ」
「茶化してる場合か」
珠の進が少し困ったように笑って、オオクマの手を握る。好きなのは本当だ。オオクマの正しくあろうという意思は執念に近いものを感じる。もしかしたら特別な系譜の実家が影響しているのかもしれない。それは、正しく"珠の進"であろうとしていた、ついこの間までの自分と重なる。本当に好きなのだ、そういうところが。そしてきっと、息抜きをする時間が必要で、そういう時に傍にいることを許されたいと強く願う。
「僕のやり方が、郁さんの気に触った?相談をするようなことじゃないと思って」
「……いや、なんというか、目が覚めた」
「そう、僕もいい男だからねぇ」
「俺がちんたらしている間に、お前はどんどん先へ進む。首に縄でも付けておかなきゃならんな」
「んー、そういう遊びも嫌いじゃないよ」
「お前がすることにいちいち口出しするつもりはないが、あまり驚かすな」
「はぁい。じゃ、親父さんとこ行こうか」
「…………ああ」
「あはは!本当に苦手なんだねぇ」
「苦手じゃない。苦手じゃないが、……歯が立たないから怖ぇんだよ」
「大丈夫、噛みついたりしないと思うよ」
珠の進はオオクマの手を握りなおして笑った。そして、小首を傾げる。
「あのね、郁さん。孔雀屋は辞めるし、見世と縁を切るべきかもしれないけど、僕は」
「好きにしろ。ここで後輩の面倒を見るのは誰にでもできる仕事じゃない」
「……うん!ありがとう、郁さん」
「軽業師の真似は教えない方がいいと思うぞ」
「多岐の馬鹿!おしゃべり!!」
珠の進の行動に振り回されまくるオオクマは、顔を顰める珠の進をみてようやく笑った。そして連れ立って孔雀屋の親父の部屋を訪れる。二度目の親父との対峙に、オオクマはまたしても疲労困憊になったけれど、今回は攻撃はされず、比較的穏やかに今後の確認がなされただけだった。にこやかに、お前は仕事だなんだで珠の進を寂しがらせるに決まっているから、珠の進のやりたいことを制限することは得策ではないよという柔らかい脅しがあった程度で、罵られも蔑まれもしなかった。いや、前回もされなかったかもしれないが、とにかく無事に孔雀屋を出ることができた、二人でだ。オオクマはこの後まだ仕事があるから、オオクマの家に戻る珠の進を車で送ってまた出かけなければいけない。
「荷物まとめたか?」
「うん。まだ着られる着物とかはみんなにあげちゃったから大した量じゃないよ」
「そうか」
「ねえ、僕のお商売道具のお布団でもいいの?」
「清潔なら何でもいいだろ」
「新調しようかなぁ」
「なら買っておく」
「一緒に見に行ったりしてもいい?」
「ああ、じゃあ、そうするか」
「うん!」
「着いたぞ」
車を降りて、さっさと珠の進を促して自宅に入る。周辺住民はまともな連中ばかりだが、通りすがるのはそうではない場合もある。自分がいない時の行動に気を付けるように頼んでおかないと、珠の進に何かあっては困る。
「僕の淹れたお茶を飲む時間はある?」
「いや、悪いがすぐ戻る」
「そう。お仕事忙しいね。頑張ってね」
「ああ」
「今日は帰ってこない日だよね」
「ああ。あっちにいた方がよかったか?」
「ううん。ここにいる」
「そうか。頼むから、出歩くときは見世の人か多岐を呼んでくれ」
「心得ているよ」
「助かる」
珠の進は未だに恥ずかしそうにするが、オオクマはその顔が気に入っているので、出かける時に彼を引き寄せて頬やおでこに口づけをする。照れている珠の進はとてもかわいい。今もまた、もー!郁さん!と頬を膨らましている。ああ、随分と表情豊かなんだな。もっと知りたい、何もかもを。チラリと時間を確認して、オオクマが珠の進の頬を撫でる。
「今日は何をしていた?」
「郁さんのこと考えてた」
「……他には」
「んー、あ、すずらんの踊りのお稽古を見学してた。お稽古つけてもらっているのを見るのが好きなんだけど、先生と本人がいいよって言ってくれないと難しいんだよ」
「そうか。すずらんは元気か」
「ふふふ。今ちょっとしょんぼりしてる。上手に踊れなくてね。でも大丈夫だよ、筋はいいと思うんだ」
「お前がそういうなら大丈夫だな。お菓子買ってある。頼めるか」
「うん、次に見世に行くとき渡しておくね、ありがとう。郁さん、優しいね、すずらんには」
「あぁ?」
「すずらんのお客でもないのにすずらんにだけに優しくすると、すずらんの立場が」
「だからお前に頼んでるんだろう」
「そういうとこが優しいねって話」
「知らん。あの子はお前の禿じゃねぇか」
「……郁さん、優しー……」
「そんなことを言うのはお前くらいのもんだ」
たまきはきょとんと眼を見開いてから、そっかぁと嬉しそうに笑った。
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