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第10話
自分の使いたい色を、指先で操れるようになると、灯真は一人で部屋に籠った。
しつこく呼ばないと食事にも出てこない。
しかも作業を中断させられて、たいそう機嫌が悪かった。
そそくさと食事を終わらせて、またすぐに手探りで自分の部屋に戻ってしまう。
もともと白い灯真の頬が青白くくすみ、目の下に蔭を作った。
まるで命を削るような没頭のしかたに、雫は自分の思いつきを後悔したほどだった。
長瀬医師は、「まあ、しばらく好きにさせてやろう。」と静観の構えをみせた。
5日、いや1週間か・・・。惚けたような表情で灯真が部屋から出て来て、
ダイニングのテーブルにくったりと座り込んだ。
手も顔も、もちろん服も絵の具で汚れていた。
長瀬医師は、メイドに手伝わせて服を着替えさせ、食事をとらせた。
ひどく疲れてはいるが、体には異常はないと、長瀬が見立てて安心したところで、
人心地ついた灯真が雫、と呼んだ。
「ここに。」すぐに返事をすると、ほっとしたような顔を見せて、
「描けたよ。」と言った。
長瀬医師と3人で、灯真の部屋に入る。
普段閉め切ってあるカーテンを長瀬が開けると、午後の日差しが部屋に差し込んだ。
部屋の奥の、小さなテーブルに立てかけてある絵にも、光があたる。
その前に立って、二人は小さく息をのんだ。
ほんとうに見えない眼で描いたとは思えない、胸の鼓動が聞こえそうな絵だった。
仄く塗られた背景のなかで、雫が椅子に座って片膝をたて、その膝ごと、自分の細いからだを両腕で抱きしめていた。
まるめた背中の、左右の肩甲骨のあたりに小さな傷が描かれている。
そう、翼をもがれたようなあと。
色は、雫が灯真の瞳のいろだと言った、あの血のような赤だった。
親を亡くして。行き場がなくて。
ほんとはとても傷ついていた。
どこにも飛んでいけなくて、翼をなくして落ちた小鳥。
自分の孤独を目の当たりにして雫は言葉を失う。
胸に熱い塊がせり上がって来る。涙がこぼれそうになった。
見えない目で。
灯真さんは僕のなかのさみしさとかかなしさを、全部見ていたのだ。
そうしてそれは、灯真さんも同じだと思った。
これは雫の姿でもあり、灯真の姿でもあった。
そうだね。
ふたりとも、とってもとっても寂しかった。
でも。
そんな姿でも、絵のなかの雫は微笑んでいた。
微かだけれど、凛とした笑み。
その理由は、雫にはわかっていた。
だって灯真さんが頬に触れるとき、いつだって僕は笑っていたから。
今はっきりとわかった。
僕、灯真さんが好きだ。
きっと、初めてあなたにあった、あの日から。
ずっと心を奪われていた。何をされても嫌いになんかなれなかった。離れられなかった。
「灯真さん。僕、今夜、ここに来てもいいですか。」
雫のことばに、灯真は少し驚いたように眉をあげた。そして片頬で笑うと言った。
「命令するのは僕だ。今夜、いつもの時間に来い。」
長瀬医師がこほん、と咳払いのあと、厳かに言う。
「だったら灯真、君は今からお昼寝だ。」
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