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第16話
後日。
「千景さんが灯真を?」
長瀬医師が眉をあげた。雫の話を黙って聞いたあと、
「わたしの耳に入っていないだけなのか・・・。たしかにあの人は若いからな。」
と、沈んだ声でつぶやいた。
それとなく、側近の使用人に聞いてみる、という長瀬にうなづいて、
灯真の部屋に向う。
途中の廊下で、千景に呼び止められた。
千景はあたりに人がいないのを確認すると、雫に身をすり寄せるように近づいた。
胸から近づくような仕草。強めの香水が、鼻孔を刺激する。
「ねえ。あなたと灯真くんって、どういう関係なの。」
誰かのうわさ話をするような口調で、尋ねてくる。
「え・・・、ですから身の回りのお世話を。」
「夜一緒に寝てるってほんと?」
「え、いえ・・・。」思わず頬が上気する。
「ちがうの?」
「はい・・・。僕は自分の部屋で。」
時々呼ばれて同衾します、とはさすがに言えず黙っていた。
千景はおおげさにほう、と息を吐いて「ああ、よかった。」と笑った。
「メイドたちがへんなこと言うから。よかったわ。灯真くんがゲイじゃなくて。」
そしてひらひらと手を振りながら、
「今度お茶しましょうって、灯真くんに伝えてちょうだい。」
と言って去って行った。
頭を下げて千景を見送ってから、雫はひとつ大きく息をついた。
一見人当たりのいい、気さくな継母に思えなくもない。けど・・・・。
なんていうのか、おとなの女の、いやらしい部分が、ひどく癇に障った。
灯真の部屋をノックしてから開ける。灯真はいつも返事をしないので、
いつものように静かに部屋に入り、声をかけようとした。
「入って来ないで!」
カーテンを閉め切った薄暗い部屋の隅で、灯真が壁に背中をつけて尖った声を出した。
そのひどく怯えた様子に驚いて「灯真さん?僕だけど。」と言うと
まだ疑うような表情で、見えない瞳を泳がせて、「しずく?」と訊いた。
「雫なのか?ほんとに?」
「うん。どうしたの?」近寄ると、鼻にしわをよせて「その匂い。」と言った。
ああ。
「さっきそこで千景さまに会ったんだ。香水、きつかったから移ったんだよ。」
それを聞くと灯真はようやく胸を上下させて大きく呼吸すると、
「脅かすな」と不機嫌そうにつぶやいた。
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