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第21話

灯真や雫たちの部屋とは、ダイニングを挟んで反対の棟にある、千景の部屋に案内された。 客間を隔てて夫婦の寝室と、この家の主の部屋が続く。千景はメイドを呼ばず、自分で盆を掲 げてお茶を運んで来た。テーブルの上には、果物の入った駕篭があった。 雫はその傍らの銀色の光を視界の端にぼんやりとらえながら千景を睨んでいた。 「あの人、ほかに女がいるのよ。」 雫の視線を受け流して、カップをテーブルに置きながら千景は独り言のように言った。 あの人、というのは千景の夫のことか。 「とにかく後継者がいないとだめなんですって。」吐き捨てるように言う。 「僕、旦那さまのことは知りません。」 「そうでしょうね。あなたは灯真くんだけいればいいものね。」 やや皮肉っぽく笑うと、続けた。 「当主にはなれなくても、財産はもらえるんだし。あの子はいいわよね。」 「そんなこと・・・・。」 「そんなこと!!考えなくてもいいってことがすでに贅沢なのよ。  ・・・まあ、あなたに言っても仕方ないけど。」 ティーカップを口に運び、それをゆっくりソーサーに戻すと、 千景はまた胸から雫のほうに身をのりだした。 「ねえ、私たち、仲良くしましょうよ。なんだかここのところ、みんなで私を  避けてない?感じ悪いわよ。」 「あなた・・・ご自分のなさったことをどう・・・。」 悪びれた様子をみせない千景に思わず苛立った声をあげてしまう。 そして、訊きたいと思っていた事を口にした。 「あなたは、灯真さんが好きなんですか。それとも」 千景は悠然と微笑んだ。「好きよ?」 「だってあの子綺麗だもの。独り占めしたくもなるわ。」 どきりとした。 いつも自分が、灯真のそばにいて感じていることだった。 透き通るような白い肌、長い睫毛に縁取られた、ボルドーの瞳。 天上の糸のような、陽に透ける銀髪。ながく細い指。 この、うつくしい人を幸せにしたい。ずっとそばで、守りたい。 僕だけの・・・いとしいひと。そう思って来た。 ・・・でもこの人は「母親」ではないか。それとも一人の女性として、 灯真を慕っているとでもいうのだろうか。それならそれで・・・・。 「じゃあ、旦那さまと別れて・・・・。」 「は?なに言ってるの?」千景は信じられない、という顔をした。 「そういう好きじゃないでしょう。」 その言葉と態度で、千景の答えがはっきりわかった。雫の視界が一気に暗くなる。 一瞬でも、自分と同じかと感じただけに、強い怒りが雫のなかで膨れ上がった。 制御できないほどの勢いで。 この人は、灯真のことを愛玩動物かアクセサリーのようにしか思ってない。 自分の支配化で、ただおとなしく飼われるうつくしいペット。 ちがう。 ちがう。 ちがう!! 灯真さんはこころを持った人なのだ。 とても綺麗な絵を描く、繊細でさみしがりやの人なのだ。 きっと、新しい母親に、彼なりに早く馴染もうと思っていたはずなのだ。 それを。その気持ちを踏みにじって。 体をもてあそんだ。 「・・・かえせ。」 「え?」 「灯真さんの目を返せ!」 「なに言ってるの?」 「あなたが奪ったんだ!」雫は飛びつくようにして千景の肩を掴んだ。 はずみで首にかかった手を、千景があわてて振り払い、突き飛ばした。 「なにを!人を呼ぶわよ!」 突き飛ばされて、テーブルに手をついて転倒を避けた。 きっ、と見据えた千景の目が、恐怖の色を浮かべるのを見て、雫の頭にさらに血がのぼった。 (この程度でおびえる資格なんて、あなたにはない!) 手をついたテーブル、そこでそれまで視界の端でぼんやり光っていたものに、 ふと焦点があった。 銀色の光に心をつかまれた。 後になって考えても、その時なぜそれが目に入ったのか、 なぜそれを手にしてしまったのか、はっきりとは思い出せない。 再び千景に飛びかかった、それだけは自覚していた。 布を裂くような音。それが悲鳴だ、と気付いた瞬間、雫の視界が深紅に染まった。

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