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第25話

廊下の角を曲がったところで長瀬は待っていた。雫が駆け寄るなり、 肩に片手をかけて思い切り壁に叩き付けた。 「ぐっ・・・・。」間髪を入れず首に手をかけて壁に押し付ける。 息がつまった。 「君は・・・・。君はなんてことを。」青筋をたてた額に、乱れた髪が落ちる。 長瀬が手を緩めると、雫は脱力してずるずると尻餅をついた。 長瀬も膝を折って雫のシャツの衿を掴むと、顔を近づける。 「わかっていると思うが、灯真の体では一緒に逃げるなんて無理だ。」 「はい・・・。わかっています・・・。」 「わかっているだと?では君がいなくなったあとの灯真のことは?」 「・・・・・!」言葉をなくす雫にさらに畳み掛ける。 「君のしたことがどれほど彼に傷をおわせるか、よく考えてみなさい。」 「せんせい・・・・。」 「君は人をひとり、殺したんだよ。」 喉がひりひりと痛む。胸がつまってうまく息が吸えない。 自分でもわかっているつもりだったが、今更ながらに恐ろしさがこみあげる。 「着替えと金と手紙は明日、届ける。この屋敷を出て、北へ1キロほど行った  ところに廃病院がある。知ってるか。」 「・・・・はい。」長瀬は返事を聞くと頷いて立ち上がった。 「もうこれ以上通報を遅らせられない。今すぐ行け。その病院で一晩隠れてるんだ。」 「あの、灯真さんには・・・。」言いかけたが自分でもわかっていた。 別れを告げることも許されない。このまま黙って行かなくては。 「ここに戻れるとは思わないほうがいい。」長瀬が冷たく言った。 「先生・・・・。」 「なにより、この私が許さない。行きなさい・・・・・早く!!」 長瀬の怒号に弾かれたように立ち上がった雫は、ちら、とバスルームのドアを見、 医師に頭を下げると、階段を駆け下りた。 「しずく!」灯真の声が聞こえたような気がしたが、振り返らなかった。 玄関ではなく、キッチンのほうに回った。 灯真の声がこだまのように頭のなかに響いた。 ああ、きっと本当に僕を呼んでいるんだ。 ごめんなさい、灯真さん。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 勝手口から庭に飛び出す。 植え込みに隠れるようにして、裏口から屋敷の外へ飛び出した。 そこから一路北へ。 泣きながら駆けた。 「雫?」 ふと、胸騒ぎがして、灯真はバスルームのドアをあけた。誰かが走り去る気配。 「しずく!」叫びながら廊下に飛び出したところで、長瀬に抱きとめられた。 「しずく!しずくは?」 腕をふりまわして長瀬を振りほどこうとしながら雫の返事を待った。 だが、いとしい人の声はいくら待っても聞こえない。 「しずく?しずくはどうしたの?先生!」 「灯真は足手まといだから置いて行くと、彼が言ったんだ。」 「うそだ!そんなの嘘!雫!しずく!僕を置いて行くな!しずく!!」 腕の中で灯真がさらに暴れる。手が長瀬の鼻にあたって眼鏡が飛んだ。 「どこにもいかないって言ったのに!ひとりにしないって!!」 「灯真!いい子だから落ち着いて!君は一緒には行けないよ。」 「いや!いやだ!しずくと一緒に行く!先生の嘘つき!やだ!しずく!!」 この細い体の、どこにそんな力があったのか、と思うほど灯真は暴れた。 このまま気が狂ってしまいそうな取り乱しかたに長瀬は恐怖すら覚えた。 「しずく!しずくーーーーーーっ!!」 半狂乱で雫を呼ぶ灯真のからだを、長瀬は胸がつぶれそうな思いで抱きしめた。

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