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第39話 第2部・完
「・・・くれぐれも、他のものにばれないようにしてくれよ。」
長瀬は泣き笑いのようなそう顔で言うと、さっと立ち上がった。
「私は屋敷に戻るよ。それから灯真。門限は6時だよ。
でも出来れば寒くなる前に帰ってきなさい。」
雫と目をあわせ、頷きあうと、長瀬は東屋を出て、屋敷に戻っていった。
遠ざかる足音を聞きながら、灯真は独り言のように呟いて笑った。
「門限だって。ここはうちの庭なのに。」
そして改めて、雫の体に腕をまわして、しっかりと抱いた。
「しずく。やっと逢えた。」
「はい・・・・。」
「もっと早く、庭に出ればよかった。もっと早く・・・。」
「・・・・・。」
「ねえ。僕が気付かなかったらずうっと隠れてるつもりだったの?」
「・・・ごめんなさい。」
「ひどいよ。」灯真の声が湿る。
「ごめんなさい・・・。あなたのそばにいたくて、戻って来たけど、
でも怖かったんだ。僕の手で、灯真さんに触れるのは、怖かった。」
あの人の血で穢れた手で。
自分は灯真に触れる資格がないと、一人でそう決めていた。
灯真があんな風に、自分を責めているなんて知らなかったから・・・。
「死んじゃいそうなくらい・・・・寂しかったんだよ・・.」
「ごめんなさい。・・・ほんとにごめんなさい・・。」
灯真はしばらく黙っていたが、少しして声のトーンを落として言った。
「ううん・・・ぼくもごめん。」
「え?」
「もっと早く、見つけてあげられなくてごめん。・・・あのとき、一人で
行かせてしまってごめん。僕の辛い事を全部引き受けて・・・。」
「もうやめて、灯真さん。謝らないで。」
「辛い事は分けて、って僕にはそう言ってくれたのに。」
灯真は自分の白い頬を、彼の爛れた頬に重ねた。
「ひとりで、こんな痛い思いをさせてごめん。・・・・。」
「灯真さん。」
あなたこそ。目には見えない傷を、どれほど心に作ったか。
僕のこの顔なんか比べ物にならないくらい、爛れて血を流したはずなのに。
「強くなりたい、僕。」
灯真は涙の中に、凛とした声で言った。
「強くなるよ。」
そう言って微笑んだ灯真の赤い唇が、雫の目の前にあった。
灯真さんの唇。
夢に何度もみた。触れた、と思ったら目覚めて、何度泣いたか。
もう、夢じゃない。今目の前に、すぐ触れられる場所に、灯真さんがいる。
思わず、ひびわれた唇を重ねた。
「痛っ。」灯真がびくっと顎をひいて、雫もあわてて顔を離した。
「あ、ごめんなさい。唇が。」
「なに?今の。唇?」白い指が伸びて、ひびわれをなぞる。
「そんな唇じゃ、こっちが怪我しそうだ。」
そういいながら、雫の頬を両手で包むと、灯真は自分から口づけた。
少し血の味のする乾いた唇を湿らせるように、優しく包み込むように。
優しいキス。全ての哀しみを消し去るような、そんな。
そしてゆっくりと唇を離すと微笑んで言った。
「おかえり。雫。」
灯真の言葉に、一旦止まっていた涙がまたあふれた。
ああ。この言葉を聞くために、僕は戻って来たのだと思った。
背中にまわした両腕に力を込めて、灯真の肩に顔を埋めた。
灯真の体温が、傷のついていない瞼から伝わる。
「もうどこにもいかないね?」
「はい。」
「ほんとだね?」
「はい。約束します。」
灯真は少し体を離して、雫の手をとった。両手でしっかりと握る。
「僕も。約束する。どこにも行かせない。もうこの手を離さないよ。」
灯真の強い言葉に、想いがあふれて叫び出してしまいそうだった。
本当に、今度こそ、どこにも行きません。もう誰になにを言われても。
たとえ代償にするものが、命だけになっても。
あなたのそばに。
僕の、うつくしいひと。
愛しています。灯真さん。
そして。
ただいま。
第2部・完
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