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第40話 スピンオフ〜千田

雫が去って、千田はまた一人暮らしに戻った。 畑に出て野菜や花を作り、収穫して市場に売る。得た金で肉と酒を買って戻る。 時折海に出て魚を捕る。近所の同業者とたまに話し、笑い、酒を飲む。 これまでずっとそうしてきたし、これからもそれでいい。 それでも時折ふと、鍬をふるう手を止めて、空のかなたに気持ちが飛ぶ。 あの雲に乗れたら、あいつの姿が見えるだろうか。 ゆく風に問う。元気でいるか。 雨の日にはぬくもりを思い出す。しなやかな若い肌。潤んだ唇。 「あ。雨漏り。」 所在なげに天井を見上げたら、黒いしみが眼に入った。 雨が上がったら、屋根直さないとな。 屋根に板を打ち付け終えて、はしごを仕舞っていると、畑仲間の秀さんがきた。 「シゲばぁが。」 近くで一人暮らしをしてたシゲばぁが亡くなったという知らせだった。 「都会にでていた息子が来て。向こうで葬式を出して、墓も向こうだそうだ。  家土地は売るんだと。だけどアカネは置いてくって。」 アカネというのはシゲばぁが可愛がってた犬だ。雑種で、3歳くらいか。 「向こうじゃペットは飼えないとかでさ。」 「それでなんで俺が。」 一緒に暮らしてた若いのがいなくなってから、ずっとセンさんさみしそうだ、 というのが村の連中の統一見解らしい。 「勝手に決めんなよ。」憮然としながらもシゲばぁに別れを告げにいった。 仕事が立て込んでいるので、という息子の理由で、最短コースで荼毘に付された シゲばぁの遺骨に、線香を手向けて手を合わせる。 アカネは縁側の隅で所在無さげに踞っていた。 抱き上げるといやがりもせず、千田のあごをぺろりと舐めた。 が、そのままシゲばぁの家を出ようとすると、足をつっぱって離せという。 「シゲばぁはもういないんだよ。」言い聞かせるようにいうと、 ビー玉みたいな眼でじっと千田を見つめ返した。 「まだ引き取るって決めた訳じゃないからな。」周りの連中にそういって、 アカネをなだめながら連れて帰った。 その夜アカネは玄関の土間で一晩中扉をひっかきながら哀しげな声で啼き続けた。 早朝、ドアを開けてやると、一目散にどこかへ駆けて出て行ってしまった。 千田は頭をぼりぼり掻きむしると、大あくびをして二度寝に戻った。 少し遅めの出勤で畑に出、作業を終えると、自分で作った花を数本切り取って 束にし、シゲばぁの家に行った。 「やっぱり。」 すでに息子が骨だけになったシゲばぁを連れて都会に戻ってしまい、 ぴったりと雨戸の閉ざされた家の濡れ縁の前に、アカネがちょこんと座っていた。 濡れ縁に切って来た花を置いて、手を合わせてから、アカネの背中をなでる。 ボディバッグから握り飯を出して、少しちぎってアカネに見せたが、 鼻をすこし、うごめかせただけで、見向きもしない。 縁側で昼食を摂り、またアカネを抱いて連れて帰った。

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