41 / 72

第41話

その次の日も、同じ事の繰り返しだった。その次の日も。 4日目、シゲばあの家の前に「売家」の看板が立った。田舎のことなので 敷地を囲われることはなく、やはりアカネは縁側の前に座っていたが、 千田はちょっと入りづらくなった。 「アカネ~。」塀のところから呼んでみる。 アカネは首だけまわして千田を見、また縁側のほうを向いた。 「なー。ばあちゃんはもういねぇんだよ。」反応なし。 「くっそ。置いてくぞ。」 勝手にしろ。自分の畑に戻り、遠くに海が少し見える見晴らしのいい斜面に座って、 自分で作った握り飯にかぶりついた。 いらいらしながら咀嚼していると、口の中を噛んだ。 「いてっ!!」米が血の味に染まる。それを呑み込んで、舌先で傷に触れた。 「いってえ・・・。」 小さな肉片がぶら下がったようになっている傷を庇いながら残りを食べ終えると、 「ああ、もう!!」と言いながらまたシゲばぁの家に戻った。 アカネはまだ、縁側の前に座ったままだった。 靴を脱いで濡れ縁に上がり、雨戸に手をかけた。一応住居不法侵入だよな。 どんな小さなことでも、警察のせわになるのはまっぴらごめんなんだ。 そう思いながら、腕は勝手にがたぴしと軋む雨戸を開ける。 体ひとつ通れるだけ開くと、アカネを呼んだ。 「来い。」 アカネはとん、と身軽に縁側に飛び乗り、千田の足元からするりと家の中に入った。 ふんふんと、主の痕跡を探して歩くアカネを、雨戸の隙間に立ったまま待つ。 家の中をくまなく探索し、なつかしい匂いだけを残して、シゲばぁがたしかに 居ないことをアカネが納得するまで。 アカネは同じところを何度も嗅ぎ、風呂場を覗き、押し入れをひっかき、 台所を三周して、千田の足元に戻ってくると、困ったような表情で彼を見上げた。 「納得いかねえよなあ。」 千田は腰をおとすと、アカネの頭をがしがしとなでた。 「お前にわかるように説明してやりてえけど。」 どうしていなくなったの?  もう帰ってこないの? どうして置いていかれたの? どうして?    どうして? くうん。アカネが鼻をならした。ビー玉の眼がぴかりと光った。 雨戸を元に戻して、アカネを抱き上げる。 アカネの舌が千田の頬を舐めた。「俺は別に泣いてねえよ。」 千田は鼻を一度だけぐすっと鳴らすと、立て看板の横をすり抜けて家に帰った。 その夜、膝にのせたアカネに、軽く火を通して手でちぎった鶏肉を見せると、 くんくんと匂いを嗅いで、ようやく口に入れた。噛むか噛まないかのうちに 首を振って飲み込むと、千田を見ながら舌なめずりをした。 「よしよし。もっと喰うか。」 また千切って目の前にぶら下げてやる。今度はすぐに食らいついた。 結局、食事を終えても土間には下ろさず、アカネを抱えたまま晩酌して 布団に入った。 アカネは布団には入らずに千田の足元あたりに丸くなって眠った。 翌朝、えさをやってから外に出してやった。 アカネはまたひとりでどこかへ走っていったが、千田が畑で仕事をしていると ふらりと戻って来て彼の仕事ぶりを監督でもするように、畑のきわにちょこんと座った。 ふたりで海を見ながら昼飯にする。 うちに帰るとき、千田の後ろをついて来ていたアカネが突然立ち止まって シゲばぁの家の方角をじっと見つめた。耳がせわしなく動いている。 人にはわからないなにかを感じているようだった。 「アカネ」呼びかけると、なにもなかったように千田に向って駆けてきた。 自分に向って一直線に駆けてくる小さな生き物がいる。 千田の胸が、あたたかいもので満ちた。 次の朝、アカネの体を洗った。家にあげるのならば、それなりに綺麗に してもらわないとならない。 何度も脱走しようとするアカネをどうにか抑えて、全身びしょぬれに なりながらシャンプーした。 アカネが身震いすると泡を全部ひっかぶるかたちになり、 ちょうど通りかかった村の人に 「なんだ、アカネに洗ってもらってるのか。」と冷やかされた。

ともだちにシェアしよう!