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第52話(スピンオフ 完)

どうにか人に見られずに灯真を送り届けた。 次からは決して一人で出てこないように釘をさして、屋敷に入っていく灯真を見送った。 雫は月に見送られるようにして、ひとり自分の部屋に戻る。 バスルームの外に置きっぱなしにしていた、汚れたシーツを拾い上げる。 うっすらと血のにじんだ部分。 先刻、気付いた雫があわてて問いただすと、灯真は少し頬を染めて 「だって僕バージンだったもの。」と冗談のように笑った。 「痛くしないって言ってたのに・・・ごめんなさい。」 「平気。」 この人は。普段は気分屋で自分勝手で、言い出したら聞かなくて。 それなのにふいにこんないじらしいところを見せるのだ。 愛おしくてうつくしくて・・・・かわいいひと。 今日想いを遂げた。この腕に抱いた。あのひとの中に僕はいた。 でも全然足りなかった。 触れれば触れるほど、求める気持ちのほうが強くなる。 このままいったら、僕はあのひとを壊してしまうのではないか。 そんな不安さえ湧いてきて胸を締め付ける。 血を見たことで忌まわしい記憶も蘇った。 僕は、衝動的にあんなことをしてしまう人間なのだ。 人と深くかかわるのは恐ろしい。深く愛することも怖い。 でももう、この想い。この愛情はどうしても止められない。 もうこの手から離したくない。 こつんと頭を部屋の壁につけ、背中をまるめて手にしたシーツに顔を埋めた。 灯真の残り香を探す。胸が震えて叫び出しそうになる。 そのままずるずると膝から頽れた。 離れて暮らした月日を思えば、同じ敷地内にいるのに。 それでも飢餓感のように寂しさが襲いかかる。 この部屋で、今からひとりでなんて、眠れないよ。灯真さん。 こぼれおちる涙と嗚咽を、音もなくシーツが吸い取ってゆく。 窓から差し込む月の蒼いひかりが、雫の背中にゆるゆるとゆらめいた。 玄関に入ると、あとは灯真のために張り巡らされている手すりをたどれば 一人で部屋に戻れる。幸い途中で誰にも会わなかった。 灯真は自分の部屋にたどりつくと、ぱったりとベッドに倒れ込んだ。 そのまま体を丸めて自分を抱いた。 体中に雫の余韻があった。そっと指で唇をなぞって、キスの感触を思い出す。 まだドキドキしている。 雫を受け入れた部分がすこし熱い。体全体が気だるくて、重い。 あしたまた熱がでるのかな・・・そう思ったら情けなくて涙が出た。 「灯真さま。お食事のご用意が。」メイドがノックとともにドアの外から呼んだ。 いらない、と叫びそうになって、それでも踏みとどまった。 ちゃんと食べなきゃだめだよ。さっき雫に言われたばかりだった。 「・・・・もう少し、あとで。」そう応えて、メイドの気配が去るのを待つ。 雫のところに行くのに、2度も転んだ。途中で方角がわからなくなって、 壁伝いに何度も同じ場所を彷徨った。 ようやく逢えたのに、一度果てたらぐったり疲れて動けなくなった。 雫の申し出はびっくりした。でも怖かったけど嫌ではなかった。 今までの自分なら考えられないけど、雫があんなに言うなら、と思ったのに。 雫はあんなにやさしくゆっくりしてくれたのに、自分ではわからなかったけど 出血があったようだった。雫がひどく動揺していた。 こんな弱くて貧相なからだ。きっとそのうち雫にも愛想をつかされるのでは。 もしそうなったらどうしよう・・・。 「うっ・・・。」思わず嗚咽が漏れる。自分の指を銜えてこらえた。 すぐ近くにいるのに。そばにいないと不安ばかりが募る。 強くなるって言ったけど、まだまだだめなんだ。 ここに来て。手を握って。抱いて。抱いていて雫。 かなわない願いばかりが頭のなかを駆け巡る。 カーテンの隙間から蒼い光がするりと滑り込んで来る。 灯真の白い額を照らす月光。 けれど涙に濡れる灯真の瞳に、それは見えてはいなかった。

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